日々紋次郎 「紋次郎の少年期」
「木枯し紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたという
10歳の時に故郷(くに)を捨て、その後一家は離散したと伝えられ、天涯孤独な紋次郎がどういう経路で、無宿渡世の世界に入ったかは定かでない」
紋次郎兄貴が初めて登場するのは、みなさんご存知の通り「赦免花は散った」でござんすが、その時の年齢は30歳。渡世の道に入って14年ということでござんす。単純計算でいきやすと、16歳の時に渡世人になったということでござんす。10歳のときに故郷三日月村を捨てて、その後どこでどのように過ごし、無宿渡世の世界に入ったかはわかりやせん。
兄貴が6歳のとき、身内の中で唯一心を寄せていた姉「お光」さんが嫁に行きやす。それから2年後8歳のとき、生まれてすぐ間引かれそうになったのを、姉の機転で救われた過酷な事実を兄から聞き、兄貴は口をきかないようになりやした。
そしてその2年後、お光さんが嫁ぎ先で死んだことを知り、兄貴は出奔しやした。両親の申し出で、人別からほどなく外されたことでござんしょうから、10歳のときから無宿人となったんだと想像しやす。
「おみつ姐さん」は、少年紋次郎はこの後、お光さんの嫁ぎ先に向かったのではないかと推測されておりやす。あっしも自分がそういう境遇であれば、少しでも姉に関係しそうなものを探し求めてさまように違いありやせん。しかし49話「年に一度の……」ではお光さんが亡くなって9年後に、初めて美呂村(伊勢崎から南に1里)を訪れたということでござんすから、兄貴が19歳のときでござんしょうか。
墓の場所を知ったものの、姉が死んだことを現実として受け入れたくなくって、兄貴はしばらく墓所には行かなかったのかもしれやせん。
兄貴は18歳のとき5人相手と斬り合って左腕は骨折、左頬に刀傷を負って20日ほど源左衛門宅で世話になっておりやす。もうこの時は、一端の渡世人になっておいでとお見受けいたしやす。どこかの一家の身内でござんしたら、手傷を負ったら貸元の所に戻るはずでござんしょうから、もうこの時点で流れ旅を続けておいでだったんでしょう。
「赦免花……」で30歳の兄貴は、日野の左文治の身代わりで三宅島に流されやす。この左文治は兄貴の幼馴染みということでござんすが、いつの頃の幼馴染みなんでござんしょう。三日月村ではありやせんでしょうから、兄貴の10歳以降の幼馴染みということになりやしょう。普通、幼馴染みという間柄は10代前半ぐらいまででござんしょうから、まさに兄貴が故郷を捨てた直後と推測いたしやす。
左文治は紋次郎兄貴より1歳年上、武蔵の国日野の貸元として10人からの身内をかかえておりやす。母一人子一人の身の上で、兄貴は半年ほど左文治宅で草鞋を脱いでおりやす。盃は交わしてないにしてもお互いを兄弟と呼ぶ間柄でござんすから、少年の頃ほぼ毎日のように接触していたはずでござんす。
もしかしたら、左文治の家の近くで兄貴は誰かに養われていたかも……と思ったりしやす。それが日野という場所だったかはわかりやせん。左文治も渡世人になってから流れ流れて日野に落ち着き、顔役になった後、年老いた母親を呼び寄せたのかも知れやせん。
さて、少年紋次郎は誰に養われていたのか?天涯孤独な無宿少年が生き延びる道は、どれだけあったんでござんしょう。
乞食か盗人、博徒、流れ旅芸人……
町中でござんしたら、もしかしたらどこかの大店かお屋敷の下男ぐらいにはなれるかもしれやせん。
市川雷蔵主演の「ひとり狼」では、主人公の伊三蔵は渡世人の父親と旅をしていて父親が行き倒れ、由乃の屋敷の下男として養われておりやしたから、運がよけりゃそういう道もあったかもしれやせん。
兄貴は字の読み書きができやす。第3話「湯煙に……」では宿帳に、「上州新田郡紋次郎」と書いておりやす。「童唄…」ではおまんの遺書、「無縁仏……」では墓に書かれた名前、「雪灯籠……」では脅迫文、とかなりいろいろな場面で読んでおられやす。
さて、それではこれらの読み書きはどこで習得されたんでござんしょうか?
第88話「追われる7人」での数珠の違いで宗派が違うと気づいた紋次郎兄貴の知性、読み書きの修得、賭場との接点、仏教精神に通じるもの……(おみつ姐さんは作品世界に「無常観・諦観」を見て取られ、九子姐さんは兄貴の生き様を「禅僧」のようなと評されておられやす)
以上のことからあっしが思うのは、どこかの寺で養われていたのではということでござんす。今でも路頭に迷ったお方が時折、寺に救いを求めに来られると、あっしの知人(住職)から聞きやした。
飲まず食わずで寺の敷地で行き倒れになった少年紋次郎を、住職が助けるってのはいかがでござんしょうか。住職であれば見捨てることはねえでしょうし、読み書きを教わることもできやす。寺の一角で賭場が開かれていたりするかもしれやせん。そして近くに左文治が住まいしており、同年代の少年紋次郎と親しくなったということで……。
6年後住職は亡くなり、後継者もなく廃寺となったので、少年紋次郎は賭場をしきる顔役に三下として引き取られやす。三下として下働きをしながら、渡世人世界のしきたりや作法を学び1年後、盃をもらう直前に少年紋次郎は一家から姿を消しやす。きっかけは仁義なき一家の醜い跡目争いに嫌気がさして……というのはどうでしょう。(「月夜に吼えた……」「木っ端が燃えた……」「水車は……」のような)
そしてあてのない孤独な一人旅が始まったんでござんす。
修行のためというより生き抜くために、紋次郎兄貴は渡世の道に入りやした。既出の「ひとり狼」に出てくる若い渡世人は、貫禄ある年季の入った伊三蔵(雷蔵)の立ち居振る舞いに、渡世人としてのイロハを習得しやす。きっと若い紋次郎兄貴も、旅をしながら男を磨いたんでござんしょうねえ。
本当に妄想だらけのつまんねえ話を書き連ねやした。許してやっておくんなさい。
紋次郎兄貴を尊敬してやまねえ方々には、イメージを壊されお気を悪くされたんじゃねえかと、心配しておりやす。
「馬鹿な勘違い野郎だぜ、しょうがねえ」と、どうぞご寛大なお心で許していただければありがたいことでござんす。
それでは、どちらさんも御免なすって……。
10歳の時に故郷(くに)を捨て、その後一家は離散したと伝えられ、天涯孤独な紋次郎がどういう経路で、無宿渡世の世界に入ったかは定かでない」
紋次郎兄貴が初めて登場するのは、みなさんご存知の通り「赦免花は散った」でござんすが、その時の年齢は30歳。渡世の道に入って14年ということでござんす。単純計算でいきやすと、16歳の時に渡世人になったということでござんす。10歳のときに故郷三日月村を捨てて、その後どこでどのように過ごし、無宿渡世の世界に入ったかはわかりやせん。
兄貴が6歳のとき、身内の中で唯一心を寄せていた姉「お光」さんが嫁に行きやす。それから2年後8歳のとき、生まれてすぐ間引かれそうになったのを、姉の機転で救われた過酷な事実を兄から聞き、兄貴は口をきかないようになりやした。
そしてその2年後、お光さんが嫁ぎ先で死んだことを知り、兄貴は出奔しやした。両親の申し出で、人別からほどなく外されたことでござんしょうから、10歳のときから無宿人となったんだと想像しやす。
「おみつ姐さん」は、少年紋次郎はこの後、お光さんの嫁ぎ先に向かったのではないかと推測されておりやす。あっしも自分がそういう境遇であれば、少しでも姉に関係しそうなものを探し求めてさまように違いありやせん。しかし49話「年に一度の……」ではお光さんが亡くなって9年後に、初めて美呂村(伊勢崎から南に1里)を訪れたということでござんすから、兄貴が19歳のときでござんしょうか。
墓の場所を知ったものの、姉が死んだことを現実として受け入れたくなくって、兄貴はしばらく墓所には行かなかったのかもしれやせん。
兄貴は18歳のとき5人相手と斬り合って左腕は骨折、左頬に刀傷を負って20日ほど源左衛門宅で世話になっておりやす。もうこの時は、一端の渡世人になっておいでとお見受けいたしやす。どこかの一家の身内でござんしたら、手傷を負ったら貸元の所に戻るはずでござんしょうから、もうこの時点で流れ旅を続けておいでだったんでしょう。
「赦免花……」で30歳の兄貴は、日野の左文治の身代わりで三宅島に流されやす。この左文治は兄貴の幼馴染みということでござんすが、いつの頃の幼馴染みなんでござんしょう。三日月村ではありやせんでしょうから、兄貴の10歳以降の幼馴染みということになりやしょう。普通、幼馴染みという間柄は10代前半ぐらいまででござんしょうから、まさに兄貴が故郷を捨てた直後と推測いたしやす。
左文治は紋次郎兄貴より1歳年上、武蔵の国日野の貸元として10人からの身内をかかえておりやす。母一人子一人の身の上で、兄貴は半年ほど左文治宅で草鞋を脱いでおりやす。盃は交わしてないにしてもお互いを兄弟と呼ぶ間柄でござんすから、少年の頃ほぼ毎日のように接触していたはずでござんす。
もしかしたら、左文治の家の近くで兄貴は誰かに養われていたかも……と思ったりしやす。それが日野という場所だったかはわかりやせん。左文治も渡世人になってから流れ流れて日野に落ち着き、顔役になった後、年老いた母親を呼び寄せたのかも知れやせん。
さて、少年紋次郎は誰に養われていたのか?天涯孤独な無宿少年が生き延びる道は、どれだけあったんでござんしょう。
乞食か盗人、博徒、流れ旅芸人……
町中でござんしたら、もしかしたらどこかの大店かお屋敷の下男ぐらいにはなれるかもしれやせん。
市川雷蔵主演の「ひとり狼」では、主人公の伊三蔵は渡世人の父親と旅をしていて父親が行き倒れ、由乃の屋敷の下男として養われておりやしたから、運がよけりゃそういう道もあったかもしれやせん。
兄貴は字の読み書きができやす。第3話「湯煙に……」では宿帳に、「上州新田郡紋次郎」と書いておりやす。「童唄…」ではおまんの遺書、「無縁仏……」では墓に書かれた名前、「雪灯籠……」では脅迫文、とかなりいろいろな場面で読んでおられやす。
さて、それではこれらの読み書きはどこで習得されたんでござんしょうか?
第88話「追われる7人」での数珠の違いで宗派が違うと気づいた紋次郎兄貴の知性、読み書きの修得、賭場との接点、仏教精神に通じるもの……(おみつ姐さんは作品世界に「無常観・諦観」を見て取られ、九子姐さんは兄貴の生き様を「禅僧」のようなと評されておられやす)
以上のことからあっしが思うのは、どこかの寺で養われていたのではということでござんす。今でも路頭に迷ったお方が時折、寺に救いを求めに来られると、あっしの知人(住職)から聞きやした。
飲まず食わずで寺の敷地で行き倒れになった少年紋次郎を、住職が助けるってのはいかがでござんしょうか。住職であれば見捨てることはねえでしょうし、読み書きを教わることもできやす。寺の一角で賭場が開かれていたりするかもしれやせん。そして近くに左文治が住まいしており、同年代の少年紋次郎と親しくなったということで……。
6年後住職は亡くなり、後継者もなく廃寺となったので、少年紋次郎は賭場をしきる顔役に三下として引き取られやす。三下として下働きをしながら、渡世人世界のしきたりや作法を学び1年後、盃をもらう直前に少年紋次郎は一家から姿を消しやす。きっかけは仁義なき一家の醜い跡目争いに嫌気がさして……というのはどうでしょう。(「月夜に吼えた……」「木っ端が燃えた……」「水車は……」のような)
そしてあてのない孤独な一人旅が始まったんでござんす。
修行のためというより生き抜くために、紋次郎兄貴は渡世の道に入りやした。既出の「ひとり狼」に出てくる若い渡世人は、貫禄ある年季の入った伊三蔵(雷蔵)の立ち居振る舞いに、渡世人としてのイロハを習得しやす。きっと若い紋次郎兄貴も、旅をしながら男を磨いたんでござんしょうねえ。
本当に妄想だらけのつまんねえ話を書き連ねやした。許してやっておくんなさい。
紋次郎兄貴を尊敬してやまねえ方々には、イメージを壊されお気を悪くされたんじゃねえかと、心配しておりやす。
「馬鹿な勘違い野郎だぜ、しょうがねえ」と、どうぞご寛大なお心で許していただければありがたいことでござんす。
それでは、どちらさんも御免なすって……。
この記事へのコメント
Re: 日々紋次郎 「紋次郎の少年期」
お夕姐さん、流石のご高察にござんすねぇ。また長くなりやすが、許しておくんなせえ。
紋次郎が伊勢崎に向かったと考えたのは「お光の死に顔を拝ませてえ」との人情でやして、それに紋次郎は8歳から親兄弟と口を聞かない子で、それとなく「伊勢崎」は耳にしていたが、「美呂村」は聞いていなかったんじゃねえかと考えやした。
「川留め」でも「美呂村」は一度も出てこず、何故か「手向け草」で急に出てきた地名でやすからねえ。
定吉は、はなから村を出奔するつもりで、葬式も出さず、お光を無縁仏のように一家の墓所と違う所に埋葬したと思っておりやす。犯罪者の心理としては、出来るだけ人目に付かない所に一時でも早く死体を隠したいと考えやすから。お光の墓石が紋次郎手ずから「みつ」と彫った石というのがこの事を物語っていると考えておりやが・・・。
墓参りを始めたのが19歳の時からでやすが、それまでは三下の修行の身で自由が無かったし、又お光の墓を探していたからと、一宿一飯の義理には金輪際あずからねえと己の道を決めた心境からでやしょうか。
拙ブログの「志津三郎兼氏のように」の第11回 「Self Portrait」の「小説とテレビ番組の『木枯し紋次郎』について」にも、『江戸時代といえども、家を出た少年でも商家の奉公人になるとか、職人の弟子になるとか、寺の小僧になるとか、いろいろ人生の道はあっただろう。』と少し触れられてやすね。
『必殺仕置屋稼業』でも父親を殺された少年市松が、幼馴染に刈入れ前の稲穂を手でしごいて実を食べる事を教わる場面がありやす。農家の作物を少しばかり拝借しながら「飢え」を凌ぎストリートチルドレンのような生活をしていた時期もあったかもしれやせんね。
以前、各話ごとに紋次郎が何年何歳の時に何処そこで何をしたと原作に沿って詳しい年表を作っていたサイトがあったんでござんすが、見当たりやせん。そういうのをまとめても面白いかと思いやすねぇ。
あ、あっしは大雑把でそんなのはとうてい出来やせんぜ!(笑)
ご免なすって。
(渡世人言葉癖になりそうですねえ、女性の場合「あっし」じゃなく、「あたい」・「わたしゃ」でしょうか。渡世人言葉は上州の言葉が基本のようで、群馬ではつい十何年前まで、普通の女子高校生でも「てめえ」「おめえ」と言っていたとか)
Re: 日々紋次郎 「紋次郎の少年期」
おみつさん、コメントをありがとうござんす。
スターウォーズ、インディー=ジョーンズ、共に若い頃の主人公が映像化されておりやすから、少年紋次郎のことを考えても罰は当たらねえかと思いやす。
しかし、最終的には「定かでない」で締めくくられるんですがねえ。
20歳代の青年紋次郎を考えるのも結構面白いかもしれやせん……時々原作内に逸話が出てきやすが……。
どちらにしても笹沢先生がお亡くなりになった現在、望むべくもありやせんが、それぞれの胸の内、それぞれの街道を歩く紋次郎がいてもよござんしょうねえ。
Re: 日々紋次郎 「紋次郎の少年期」
さすが、お見事な推理。おそれ入谷の鬼子母神。失礼致しやした。
紋次郎さんが読み書きするのは前々から気になっておりました。貧農の、しかも十歳で家を出た紋次郎さんが、どうして字を覚えたか。紋次郎さんが商家の小僧をやってたとも思えないし、ここはやはり、お寺が一番似合ってるんではないでしょうか。おそらくは寺で読み書き、そして博打を覚えたのではないかと思われます。
お夕さんの説は、まさにドンピシャリといえるでしょう。
Re: 日々紋次郎 「紋次郎の少年期」
桐風庵さま、コメントをいただきありがとうござんす。
あっしの勝手な妄想にご賛同いただきやして、恐縮しておりやす。
紋次郎兄貴のことを考えている時が至福の時間でござんして、なにか関係することはねえかと、日々探しておりやす。
明日は仕事で、中山道の元宿場町に足をのばす予定でござんす。早く仕事を片付けて、ネタ探しに行きてえもんだと思っておりやす。
Re: 日々紋次郎 「紋次郎の少年期」
機転を利かせ、弟の間引きの危機を救った姉ゆずりとはいえ、紋次郎が謎解きの時に垣間見せるあの知性、なるほど10歳から16歳までは、寺で育てられていたと考えれば、全て合点がいきます。
お夕さん、見事な考察です。
Re: 日々紋次郎 「紋次郎の少年期」
カミヤッカーさま、草鞋を脱いでいただきお礼を申し上げやす。
天保時代の識字率はわかりやせんが、兄貴の知性だけでなく、死生観や倫理観などからも「寺」をやはり連想してしまいやす。
しかしあの時代でござんすから、たくさん浮浪児はいたんでござんしょうねぇ。
そんな中で、あのような高い精神性をお持ちというのは、やはり「お光さん」と繋がる血が成せる技なんでしょうか。
両親はともかく、お光さんと紋次郎兄貴は、やはり同じ血が流れておいでなんでしょうねぇ。
Re: 日々紋次郎 「紋次郎の少年期」
お夕様。こんばんは。
信長の時代から、江戸時代。日本に滞在した宣教師などが帰国し、日本の見聞録をしたために物によると、一応に日本人の清潔さ、勤勉さ、職人の技術の高さなどを評価しているそうです。中でも江戸時代の庶民の教育水準の高さは、他の国よりかなりぬきんでているそうです。それは、長屋などにも寺子屋制度があり、庶民も読み書きなどを学ぶ事が出来たからだそうです。でも、地方のそれも農民となるとそれも叶わなかったかも知れませんね。紋次郎に出てくるかなり貧農の娘(雪燈籠が・・)などが字が読めたかどうかは疑わしいです。(;一_一)やはり紋次郎の教養はお寺で・・と言うのが一番考えられる線かも知れないですね。(*^_^*)
Re: 日々紋次郎 「紋次郎の少年期」
sinnosukeさま、コメントをいただきありがとうござんす。
紋次郎兄貴の知性は、どこで磨かれたのか。
一つは生きんがための、学習能力の高さだと思いやす。痛い目に遭った同じ轍は踏まないという姿勢は大事でござんす。
他人様のことには無関心でありながら、人間観察は鋭く、推理を披露するときには驚かされる場面も多々ありやす。
どれもこれも生きんがために、身につけた習性なんでござんしょうねぇ。
識字力はどうなのかはわかりやせんが、やはりどこかの時期、誰かに教わったか、見よう見まねで習得したのでしょう。
想像するのは楽しゅうござんすねぇ。
Re: 日々紋次郎 「紋次郎の少年期」
お夕さん、一年も前の記事にコメントするのを、許してやっておくんなせえ。
お夕さんの、「読み書きと数珠の知識から 寺で暮らした」の考察、お見事にござんす。
が、あっしは「赦免花」の一文を見落とし、違う部分の証言が頭にありやしたんで、「紋次郎は、家を出てすぐ流浪生活に入った」とばかり思っておりやした。
【仏前の握り飯】より
「紋次郎さんにお伺いいたします。(中略)道中もさぞかしお長くおなりなんでしょうね。(中略)十年、あるいは十五年といったところでございましょうか。」
「いや、三十年に及んでおりやす。」(中略)
「旅から旅へと諸国を巡り歩いて三十年となりますと…」
この時の紋次郎は40歳前後。サバを読むような性格ではござんせんので、家を出てからずっと、どこかに定住していないのだと思っておりやした。
また【最後の峠越え】では「おめえさん、無宿になって何年ぐれえだろうな」「二十五、六年にはなりやしょう」から、旅に出てからも数年は無宿ではなく、
また、【白刃を縛る五日の掟】で、14歳のストリートチルドレン少女・お捨てが出てきて、
「どうやら紋次郎さんは、お捨にかつての自分の姿を見出して、身につまされていなさるようだ。」「さあねえ。」
お夕さんの考察とこれらを併せると、「すぐ寺に拾われたが、後に寺に立ち寄った旅の雲水と一緒に諸国を歩き、その後浮浪生活も味わった後に、16歳で長脇差を手にする」と考えるのはいかがでござんしょ。
その拾ってくれた人とは、生き別れか死に別れになったが、もし恩義を感じているなら墓に参りにいくはずだから、良い思い出が無かった、ってことで。(笑)
Re: 日々紋次郎 「紋次郎の少年期」
TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。
私も自分が考えた割に、「無理があるなあ。」と思っているのは確かです。
どの説を考えても、何かが説明不足だったり記述がなかったり、年号や歳にずれがあったり……で、うまくはぐらかされているように思います。
今頃笹沢さんが、空の上から「上手くいった。」とほくそ笑んでいるのかもしれません。
ファンがいろいろ、今でも想像しているということは、やはり名作の証だと思います。
雲水が出ましたね。
「峠だけで見た男」の老雲水を想います。
TOKIさんがコメントを送ってくださった丁度その頃、紋次郎の老後をチラッと考えておりました。
そこで出たのが「仏門に入る」です。
前後してこのコメントが来たのでビックリしました。
紋次郎の老後より、自分の老後を考えろ!
とつっこみを入れられそうなので、この辺で……。