紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第38話「上州新田郡三日月村」(前編)

第38話「上州新田郡三日月村」(前編)

第38話「上州新田郡三日月村」(前編)
(原作 第27話)(放映 1973.3.31)
「木枯し紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたという……」

毎回エンディングで、紋次郎の後ろ姿と共にナレーションされていたフレーズである。
従って熱烈なファンならずとも、三日月村が紋次郎の出生地であることは、誰もが周知のとおりである。
その出生地がタイトルになっている作品が、最終回となるのも頷ける。
これまでの紋次郎シリーズで、翻案作品以外、名詞止めのタイトルはこの回だけである。

アバンタイトルの出だしはいつもと違い、芥川氏のナレーションから始まる。それはいつも原作で語られる、紋次郎の出で立ちである。
三度笠、道中合羽、手甲脚絆、錆朱色の長脇差……すべて原作通りである。このオープニングからして、「ああ、最終回なんだ……」という気持ちを抱かせる。
特に紋次郎の足元、泥だらけの脚絆と草鞋の映像は、過酷な旅をたった一人で重ねてきた証であり切なくなる。
ただ、芥川氏のナレーションで気になったのは、長脇差(ながドス)を「ながわきざし」と読んだところ。
原作では「ながどす」とルビがふってあるし「信じるものはただ一つ、己の腕と腰のドス」なのだから、ここはやはり「ながドス」と読んでほしかった。

寒々とした荒れ地を歩く紋次郎に、一人の商人が道を尋ねる。
「新田郡三日月村というのは、どちらの方角か、ご存知ではございませんか?」
菅笠に頬被りのこの商人は、ご存知「山本一郎さん」。最終回にもご出演というか、最終回だからご出演というか、心憎いキャスティングである。
初回の「川留めの水は濁った」にも出演されているので、初めと締めくくりの記念すべき作品にはやはりこの方なんだろう。

紋次郎は平然と道を教える。
「この道を十丁ほど……三日月村でございやす」(テレビ版の台詞)
「……三日月村ってところがあると聞いておりやすよ」(原作の台詞)

ほとんど同じ台詞だが、原作の方がより三日月村への想いがなく、まるで他人事のような答え方である。
テレビ版の紋次郎はしばし佇み、商人の行く先を眺めやる姿は、三日月村への感慨があるかのように見える。
追分では敢えて三日月村への道は選ばず、道標に太田宿と書かれた道を選ぶ。
敢えて選ばないというのは、裏を返せば意識しているということであろう。
原作では追分で道を選ぶということはせず、街道を真っ直ぐ歩いて行く。

不意に大粒の雨が降り出し、雷鳴が轟く。空の荷車を引いた貧しい身なりの娘が、降り出した雨空を見上げ道を急ぐ。
直後、紋次郎の行く手にある一本松に突然落雷し、その幹は火柱とともに裂ける。紋次郎の体は一瞬硬直して、どうっと倒れる。危うし!紋次郎!と、ここで主題歌が入る。

第38話「上州新田郡三日月村」(前編)

いろりの火が燃える掘っ立て小屋に、紋次郎は横たわっていた。室内にはこの屋の主が石工らしく、石材が置かれている。明かりは油ではなく、「肥松」(こえまつ)を燃やして灯火としている。貧しくて油も買えないという設定か。美術さんの芸の細かいところである。

気を失っていた紋次郎は目を覚ます。上体をゆっくり起こして、おもむろに楊枝を咥える。
「随分とお世話をかけやしたようで……」
と正座して、片方の拳をついて丁寧に礼を述べる。この礼儀正しさは、いつもの紋次郎である。礼を言われた老人は「与作」と名乗り、紋次郎を助けたのは孫娘の「お市」だと話す。あの荷車を引いていた娘である。

与作役に「嵐寛寿郎」さん。さすがに最終回である。大御所のお出ましである。当時、寛寿郎さんは69歳。比べるのは申し訳ないが、現在の敦夫さんもほとんど同年代。敦夫さん、若い!と思ってしまう。
あの大剣劇スターの「アラカン」がテレビに特別出演?!かなり評判になったことだろう。
当時、リアルタイムで観ていた私は、「アラカン」さんの偉大さが今ひとつわからなかったのだが、それでも「すごいなあ!」と思った記憶がある。
お市役に服部妙子さん。華やかさはないが、純朴でかわいげのある孫娘役を演じている。

与作は三日月村の村人たちが、「木枯し紋次郎だ」と顔をのぞき込んで騒いでいたことを紋次郎に告げる。
「おめえさんは知らねえうちに、生まれ故郷へ帰ってきちまったってわけだ」と与作に言われても、紋次郎は無表情で「そうですかい」と答えるのみ。

テレビ版でのお市は、紋次郎が生まれ故郷に執着していないことが理解できない様子である。
与作は一方的に自分の身の上を紋次郎に語る。
自分は流れ石切り人足で無宿者。置き去りにした娘が桑名で飯盛をしていて父なし子を産んだ。その子がお市で、二十日前に母親が死んだので、与作を捜してこの上州までやってきた、と言うのだ。
ここにきて、また紋次郎は身の上話を聞かされる。今回のポイントは与作も紋次郎と同じ無宿者で、流れ者であるということだ。

原作では、与作と紋次郎の心の交流が、しっとりとした雰囲気で描かれている。
いろりにかけられた鍋の中は「骨董粥」。米と麦に荒布、木芽を加えて、塩と味噌で味をつけ、じっくりと煮込んだ粥である、と詳しく書かれている。
天保の飢饉の際、伊勢の津にいた草奉行「平松楽斎」が考案した救荒粥だということで、決して贅沢なものではない。
静かな掘っ立て小屋の中、いろりでは「ほた」が燃える音と、三人の粥をすする音だけが聞こえる。紋次郎は二本の小枝を箸代わりにして、骨董粥を二杯掻き込む。
「もっと食ったらどうだね」と勧める与作に、紋次郎は凄い台詞を発する。

「腹八分を決めておかねえと、ひもじいときに辛い思いを致しやすんで……」
究極の苦労人である。こんな救荒粥ですら腹八分で押さえて、危機的状況に備えて自分を甘やかさない。紋次郎が飢餓に強いのは、我慢強いだけでなく、日頃の鍛錬の賜物なのである。
本当に畏れ入る。

「泥亀の喜三郎」のうわさ話がお市の口から出る。テレビ版では、一瞬与作のノミの動きがアップされ、戸惑いの動きが見て取れる。与作と喜三郎……関わりがあるのか?と視聴者は感じる。
泥亀……いかにも年季の入った盗人という異名で、歳を重ねている印象を受けるが、極悪非道な喜三郎と与作の穏やかな言動とは一致しない(ようには思われる)。

「いい顔のお地蔵さんでござんすね。大した腕を、お持ちで……」と、地蔵様を彫る与作に紋次郎は声をかける。
「石切り人足の道楽だあな。無宿の流れ者も年をとると心細くなって、妙にこういうものを作りたくなるんだ」
このあたりはテレビ版と原作はほとんど同じなのだが、テレビ版では続きがある。

「お前さん、間引き地蔵を知ってるかい?」
紋次郎は暗い眼差しで与作の話を聞く。原作には間引き地蔵の話は出てこないし、与作の彫る地蔵様は普通の石仏である。
テレビ版では石切場の途中に、間引き地蔵が百地蔵として並んでいる。
与作は、その間引き地蔵の前を通ると胸が痛むと言う。
地蔵様のアップに続いて映像はモノクロに変わる。
紋次郎の大きなトラウマ、「間引き」。
「心は昔死んだ」はずであるが、この出生にまつわる暗い過去は、紋次郎の心の奥底に澱のように存在している。

破った障子紙を水で濡らし、生まれたばかりの赤児の口と鼻を塞ぐのである。
「飢え死にさすよりマシだ」「5人目だし、村の衆にも言い訳がたたねえ」……父の言葉である。
我が子という個人的な家庭事情でも、村の衆からとやかく言われるという設定である。
まさにその行為が行われようとした時、戸がガラッと開いて十歳のお光が思い詰めた表情で立っている……と見えた瞬間、母の手から幼い紋次郎を奪い去ると外に飛び出す映像。
前述したが、原作にはそういうシーンは描かれていない。
(中編に続く)

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Re: 第38話「上州新田郡三日月村」(前編)

 紋次郎が故郷・上州新田郡三日月村を捨てたわけが出て来て感じるものがあります。
天涯孤独なんですね。

 カミユの「異邦人」のストーリーは忘れましたが、ここで流れている空気はよく似ている気がします。

 いや、この時代には何人かの木枯し紋次郎が存在したことでしょう。

Re: 第38話「上州新田郡三日月村」(前編)

小父貴さま、コメントをいただきありがとうございます。

最終回ということで、感慨深いものがありますね。
紋次郎のアイデンティティに関わる、重要なポイントが示された、中身の濃い回になっています。

生まれることの哀しみは、死ぬことよりもっとむごく重いものだということを感じます。
もしかしたら、今の世の中にも通じることがあるのかもしれません。最近の報道を見ていると、そう感じます。

修行不足で、「異邦人」は未読ですのでまたお教えください。
久保田早紀の「異邦人」なら知っているんですが……(笑)。

  • 20100725
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第38話「上州新田郡三日月村」(前編)

あぁ~・・・、とうとう最終回なんですねぇ~、
この記事お夕さんの姿勢を正したお姿が浮かんでくるようです。

あの鞍馬天狗のアラカンが出演していたとは・・・
観てなく残念です。早速Youtubeで探してみます!

最初の芥川氏のナレーションのドスの件ですが、
前に長が付くので脇差でいいと私は想いますぅ~・・・

  • 20100801
  • ヘルブラウ ♦pDmV/urE
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Re: 第38話「上州新田郡三日月村」(前編)

ヘルブラウさま、コメントをいただきありがとうございます。

最終回……当時の私は、打ちひしがれておりました。
将来、いつでも紋次郎さんに会えるようになるなんて、夢にも思いませんでした。
その上ブログまで始めるなんて……。
わからないもんですねえ。
とはいえ、最終回を記事にした後、少し喪失感を味わうかもしれません。

上州の渡世人は普通より長い脇差を好んだので、「上州長脇差」(じょうしゅうながどす)と呼ばれていたそうです。
しきたりにも厳しく上州生まれというだけで、一目置かれる存在だったようです。
紋次郎さんは、れっきとした「上州長脇差」ですね。

  • 20100801
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第38話「上州新田郡三日月村」(前編)

お夕さんこんにちは。
数年前、紋次郎から時代劇の世界に急激にはまり込んだ者として、現在の『名作とよばれる作品を、観たいときに観られる環境』というものは有り難いもので、未見の作品を観るにつけ『どうしてこんな素晴らしいものを今まで観てこなかったのだろう!?』と、自分の知識の浅さを再認識するとともに、新たな世界が広がってゆくのを感じたりします。
近頃、BSやCSで放送されている市川雷蔵主演作品や、座頭市シリーズにもハマり、ますます時代劇への興味は尽きる事がありません。

三船敏郎の『椿三十郎』、勝新の『座頭市』それから雷蔵の『眠狂四郎』等々・・・そして中村敦夫の『木枯し紋次郎』
名作と呼ばれるものたちには必ずと云ってしまってもいい程『このキャラクターはこの役者以外はピンと来ない』というものが多いですね。
しかし名作というものは『時に変化を伴いながら語り継がれていく』という運命も背負わされているような気もします。

そういえば先日『座頭市と用心棒』(’70)を観ていたら、こちらのほうでも嵐寛さんが、村はずれでお地蔵さんを彫っていました(^-^)

  • 20120116
  • どこかのだれか ♦-
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Re: 第38話「上州新田郡三日月村」(前編)

↑すみません、また名を名乗らずに草鞋を脱いでしまいやしたm(_ _)m ケンシロウでした。。

Re: 第38話「上州新田郡三日月村」(前編)

ケンシロウさま、コメントをいただきありがとうございます。

時代劇の名作を、たくさん鑑賞されていらっしゃるんですね。
若い頃はたくさん時代劇が放映されていて、当たり前だと思っていましたので、こうもテレビ界で過疎化現象になるとは思ってもみませんでした。

三船敏郎さんの、「椿三十郎」はかっこよかったです。織田裕二さんのリメイク版も観ましたが、申し訳ないですが、やはり本家の方に軍配が上がりますね。三船さんのオーラの強さは、別格です。

しかしながら、敦夫さんと三船さんが共演された「剣と風と子守唄」の視聴率がイマイチだったので、キャスティングが良くてもダメな場合があるんですね。

名作は、すべてがうまくかみ合わないと生まれないという証だということでしょう。

追伸
「どこかのだれかさん」というネーミングも、なんだかドキドキしてステキです(笑)。

  • 20120116
  • お夕 ♦wikz35BA
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