紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第2話「年に一度の手向草」(中編)

第2話「年に一度の手向草」(中編)

第2話「年に一度の手向草」(中編)
(原作 第49話)(放映 1977.10.12)
紋次郎は亀井村を目指す。
亀井村は美呂村の隣、茶屋からは東へ一里という設定になっている。
竹林を抜けて歩く姿はいい感じであるが、どことなく頼りなげで確固たる意志は感じられない。あまりのことで、ショックを受けているのか?

亀井村での第一村人発見。声をかけるも全く無反応。二人目の村人も無言で去っていく。他所者には冷たいという梅吉の言葉通りか。
三人目の老人がやっと口をきいてくれたが、名主の娘お千なら生きていて昨日も今日も見かけている、でたらめを言うな、と全く取り合わない。いつの間にかゾロゾロと村人たちも集まってきたが、お千について老人に異を唱える者はいない。
この村人たち、何となく生気がなく、まるでゾンビのようで不気味である。

いつの間にか梅吉がその場にいて、あの死骸は確かにお千だと老人に言うが「おめえはもう、他所者だ。おらは亀井村の者だ。どっちがお千さんの顔を見馴れているか、わかりきっていることだ。」と、はねつけられる。
村人の中には「お千さんなら、さっき見かけたばかりだ。」と言い出す者もいる。
梅吉は必死で紋次郎に自分のほうが正しいと主張する。

このあたりまでは、原作とテレビ版はほぼ同じように進行しているが、違うのは梅吉の設定。テレビ版の梅吉は、亀井村への憎悪が原作よりかなり大きい。
急に雨が降り出し、紋次郎と梅吉はともに雨宿りをする。このシーンは原作にはない。
梅吉は怒りに任せて「あいつら一人残らず叩っ斬ってやりてえ!」と叫ぶと、紋次郎に身の上話を始める。

梅吉は口減らしのための奉公で村を出たのに、帰ってきたら他所者扱い。「生きながら間引かれたようなものだ」と言う。
この「間引き」という言葉に、紋次郎は少なからず反応する。
梅吉は紋次郎ならこの悔しさがわかってもらえると思っているが、紋次郎は故郷の三日月村には何の感慨も持っていない。梅吉と紋次郎は全く精神構造が違うのである。

梅吉は喋っている途中、急に長ドスを抜いて足元に出てきた蛇を刺し殺す。その際、刀の切っ先が紋次郎の楊枝をかすめ、切られた楊枝はポトリと落ちる。
紋次郎よ、油断しすぎではないか。
これが蛇でなく紋次郎の太ももあたりなら、前回に次いでの負傷になってしまうところだ。
この蛇、可哀想だが本物のようである。でもなぜ、原作にはない蛇を刺し殺すのか?梅吉の風貌とは違う、隠された残虐性を表しているのか。蛇は梅吉の怨念の象徴なのか。

それにしても土砂降りの雨……の割には、空が明るい。雨宿りにしても全く雨が避けられていないようで、ふたりともずぶ濡れ状態。
梅吉は蛇を突き刺したままの長ドスを掲げ、笑いながら去っていく。
紋次郎は短くなった楊枝を捨て、梅吉を無言で見送る。前作に続いて楊枝が切られるシーンである。

貧しい村の閉鎖性は今までに何度も出てきた。
「峠に哭いた……」「土煙に……」「背を陽に向けた……」「上州新田郡……」等々、数えだしたらきりがない。
テレビ版ではあまり触れられていないが、この亀井村そのものが周囲から間引かれたような貧しい村なのである。

第2話「年に一度の手向草」(中編)

梅吉から教えてもらった名主の家を、干し魚を囓りながら窺う紋次郎。
名主の家では役人が、「お千さまは変わりないと伝えよう」と言い、差し出された金を受け取る。いわゆる「袖の下」のようである。
この役人の武士はなんと、「山本一郎さん」。「新……」にもご出演とは嬉しい限りである。

名主の家からお千らしい娘が出てきたので、紋次郎は声をかける。娘は「お千」だと答える。紋次郎は逡巡する。「どちらかが嘘をついている」と途方に暮れてため息をつく。

こんな紋次郎の姿もまた珍しい。今までの紋次郎の姿で、「迷う」「悩む」などの姿はほとんどなかった。「新……」での紋次郎は、人間くさい一面が見える。
「紋次郎も悩むことがあるんだ」と親近感を持つ一瞬である。
村の社で野宿しようと腰を下ろしたところで、村人たちの声が聞こえる。

「太兵衛一家の者が名主のところに脅しに来た。」「米を50俵よこせと言っている。」「名主さまが承知したことだから仕方ない。」「太兵衛たちはまだ何もつかんでいない。」「伊勢崎の市田屋に行かれては大事だ。」「お咲さんのよー。」

断片的な声だが、紋次郎は何かに気づき伊勢崎へと道を急ぐ。
行く手には太兵衛とその子分の姿が見え、距離を縮めようとするがその前に、梅吉が飛び出して道をふさぐ。
「他言無用の約束を破ったのは、村の奴らに恨みの一つでも言いたかったからだ。」と、何もかも自分をないがしろにした村人たちへの報復だとぶちまける。

「あっしは、裏切り者だ、おめえさんへの仁義より村への恨みのほうが勝ってしまったんでさあ。」
「これで胸がすっとした。もう何にも言うことはねえや。」
梅吉は自分の思いの丈を一気に喋りまくり、走り去る。
本当に勝手な男である。その間紋次郎はずっと無言。
原作にはこの絡みはなし。

伊勢崎の市田屋という荒物屋を発見するも、夜のため一旦野宿をする紋次郎。
またしても梅吉がやって来る。この梅吉、とにかく構ってもらいたくてしょうがないようである。
自分は紋次郎と同じ境遇であるから、紋次郎に共感して欲しくてたまらないのだ。そして紋次郎に対して憧れに似たものを感じている。
思えば、お光の墓を掘り起こしていた紋次郎を見つめる梅吉の目は憧れだったのか。

さっきの別れ際に「もう何も言うことはねえや。」と言っておきながら「どうしても聞いておきたいことがあった」とまた野宿先にやって来る。
聞いておきたいのは「自分の故郷についてどう思っているのか?」ということ。
紋次郎に尋ねているのに「あっしと同じように憎んでいるんだろう。おめえさんは弱い者いじめをしないと言うがどうも解せない。その弱い百姓におれはいじめられた。これから先も仕返しをしてやる。」
またしても自分のことを一方的に喋って、握り飯を置いて嬉しそうに去っていく。
紋次郎はその握り飯を口にするが、その表情には柔らかいものがある。
なぜ?梅吉が憎めないのか。
(後編へ続く)


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Re: 第2話「年に一度の手向草」(中編)

世の中には「梅吉タイプ」の人がよくいますね。
紋次郎もうるさくってしょうがない奴だと思って読んでいましたが・・・。

>紋次郎はその握り飯を口にするが、その表情には柔らかいものがある。

なんだか紋次郎の雰囲気も変わってきましたね~。

Re: 第2話「年に一度の手向草」(中編)

小父貴さま、コメントをいただきありがとうございます。

梅吉の設定は、原作とは随分違います。
紋次郎以上に、存在感があるかもしれません。

考えようによっては神代監督のメッセージを、背負っていると言えるでしょう。
監督もよく似たトラウマがあったのでしょうか。

梅吉も故郷の村人が嫌いなら、その地を離れればいいのに、チョコチョコと立ち寄ります。
何となく幼児性を感じます。

紋次郎にも構ってもらいたいのか、チョロチョロと、まるで足元にまとわりつく子犬のように現れます。
出だしは怒り心頭だった紋次郎だったのに、どんどん変わっていくのも梅吉のキャラクターのせいでしょうねえ。

  • 20101014
  • お夕 ♦wikz35BA
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