紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

Articles

第2話「年に一度の手向草」(後編)

第2話「年に一度の手向草」(後編)

第2話「年に一度の手向草」(後編)
(原作 第49話)(放映 1977.10.12)
*上記の写真は、紋次郎が再度お光の墓に供える秋海棠の花。

市田屋のおかみにお咲の所在を尋ねるが、お咲は市田屋に嫁に来たが亭主が死んだので亀井村に返した。その後どうなったかは知らないとのこと。
お咲は22、お千も22、死んだ姉のお光も22。そして紋次郎が故郷を捨てて22年が過ぎようとしている、という共通点に紋次郎は気づく。
亀井村に戻る紋次郎の目前にまたしても梅吉。梅吉は旅に出るという。この後やっと梅吉と紋次郎は会話をするのだが、このあたりの脚本がどうもスッキリしない。
「自分のまいた種に決着をつける」と言う梅吉。決着とはどういう意味か。

「梅吉さん、いったん旅に出たら終わりってものがねぇんでござんすよ。あっしはこれで二十二年流れ歩いておりやす。今度こそあてのねぇ旅に結末をつけようと思って来やした。
墓参りにはとんだ邪魔が入ってしまいやしたが、実のところ姉のお光とじっくりと話し合いてぇと思っておりやした。
どっかで休みてぇ、じっくりと腰を落ち着けてぇ、そのことをお光に告げるつもりでおりやした」

「紋次郎さん、そいつは弱音かい、弱音ですかい」
(テレビ版の台詞)

「弱音」と言われて、紋次郎は表情を変える。
この回の紋次郎は、いつになく感情が表情に出る。クールな紋次郎が珍しく動揺している。

そもそも紋次郎が梅吉という掴みどころのない男に、自分の胸の内を明かすはずがない。もちろん原作には、梅吉相手にそんなことは喋らない。
しかし原作内には紋次郎の胸の内が書かれている。

「もうそろそろ、流れ旅に終止符を打つときが訪れても、いいのではないか。」(原作より抜粋)

アテのない流れ旅の歳月を、紋次郎はしっかり数えている。昨日も明日もないはずの紋次郎が、過去を数え明日からのことを考えている。
お光の墓が暴かれたことがなかったら、もしかしたら紋次郎は、ここで旅を終えていたかもしれない。弱音がはけるのは、お光の前だけなのだ。

紋次郎は再び名主の屋敷まで行き、出てきたお千に「お咲さん。」と呼び止める。思わず「はい。」と返事をしてしまったお千に近づいたとき、名主の伊左衛門が出てきて他言しない約束ですべてを話す。

3日前にお千は行方知らずになったが、そのことを村人全員に、騒ぎ立ててはいけない、お咲をお千の身代わりにすると申しつけた。
お千は江戸屋敷に奉公にあがり、領主の子どもを産んだ。その後子どもは領主に引き取られ、領主と亀井村との間に密約が成された。お千が亀井村で生きている間は知行分を一公九民にする、という貧しい亀井村にとっては夢のような報酬だった。

亀井村全体のために、お千の死には目をつぶり隠し通そうとしたと言うのだ。村人全員はそれに協力したのである。名主たち一家は哀しみと悔しさに気も狂わんばかりだと、涙ながらに紋次郎に訴える。そして、そのことをかぎつけた太兵衛たちが米を50俵よこせとゆすりに来たと、紋次郎は背中で聞く。

名主の屋敷を後にする紋次郎に、梅吉がニヤニヤ笑いながらついてくる。この男は一体何を考えているのか。紋次郎もなぜ、梅吉に何も言わないのか。梅吉が百姓たちに報復をしようとしていることに目をつぶるのか。梅吉がお千を殺し、お光の墓に隠したことに気づいているはずだが、なぜ怒らない?償いをさせるつもりではなかったのか。

第2話「年に一度の手向草」(後編)

*上記の写真は、木曾義仲の愛妾でありながら武将であった「巴御前」の塚

原作では荷車を引いて来る太兵衛と子分三人に出くわす。その中には梅吉がいる。その梅吉に紋次郎は冷ややかに「手籠めにした上に刺し殺して、墓に埋めて死骸を隠したってわけですかい」と問いただす。梅吉は「他所者扱いする亀井村の連中に、腹が立ったんで弄んでやった。そしたら顔を覚えていて喚き立てたんで殺した。」と白状し抜刀する。
「いずれにしても、あの墓を荒らしたのはおめえだ。あの墓を荒らした者は、どんな事情があろうと許せねえ」
紋次郎は「悪かったよ。勘弁してくれ」とすくみ上がった梅吉の袖を引き寄せ、その腹に長ドスを突き入れ蹴倒す。
原作の紋次郎は激しく怒っている。

テレビ版でもこの台詞と怒りが欲しかったが、梅吉は紋次郎に斬られる前に崖から墜ち、紋次郎の手には梅吉の破れた片袖が残る。梅吉が墜ちた崖を見下ろした紋次郎の顔は、複雑な表情である。怒りではなく、哀れみのような表情である。梅吉が故郷の村人たちから疎まれ、他所者扱いをされたことに、一抹の同情があったのだろうか。

紋次郎は原作では、「これだけは絶対に許せないことだ」と珍しく熱く心を高ぶらせていたが、テレビ版では結局自分のドスでは斬っていない。向こうから斬りつけてきたので、応戦はしたがはずみで崖から墜ちたのである。紋次郎は、怒っていなかったのだろうか。

原作に比べて明らかに梅吉のキャラクターに違いがある。梅吉は同じ境遇ということで、紋次郎に親近感を持っている。
梅吉は生まれ故郷の亀井村を恨んでいたが、裏を返せば亀井村に執着していたのだ。愛して欲しいのに振り向いてくれない、それどころか冷たい仕打ちの村人たち。
養女にもらわれていく姉にカエルの死骸をわざと投げつけ、困らせてやろうとした「蛍の源吉」(怨念坂を蛍が越えた)のようである。多分梅吉は、本来なら人なつっこく世話好きで気持ちの優しい人物だったのだろう。環境が人を変えた。それは紋次郎にも当てはまることである。
だからテレビ版の紋次郎は、梅吉の言い分を否定していない。

テレビ版の紋次郎は、墓前でお光に語りかけている。
「ねえさん、お千さんってのはな、親に死骸も引き取ってもらえねぇ可哀相な女なんだよ。お千さんも一緒に入れてやってくれ。」
紋次郎の人間らしい温かみのある声と言葉を初めて聞いた。人として思える唯一の存在……お光の前では、紋次郎は人になるのである。

「土地が貧しいと悲しい話が多いもんだと思いやしてね」……これは前シリーズの第3話「峠に哭いた……」での紋次郎の台詞である。まさしくその通りで、お千は貧しい村のために哀しみの中帰郷し、理不尽に殺され、死後も肉親に供養されないのである。
お光も身ごもっていたのに殺され、赤子には縁がなかった。お千も我が子として赤子を抱くことも会うことも叶わず死んだ。二人とも薄幸な人生だった

姉に供えた竜胆の花に、お千の分の花(秋海棠)を供える紋次郎は、梅吉の片袖も墓前に置き楊枝を飛ばして地面にぬいつける。前回にはなかった、楊枝を最後に飛ばすシーン。原作通り、また前シリーズを踏襲していた点は良かったと思う。
このあたりは原作と同じだが、テレビ版しかない台詞。
「こいつはおかしな奴でござんしてね。」
本当に梅吉はおかしな奴だった。この一言で片袖の意味も変わる。まるで梅吉も薄幸な被害者で、一緒に弔っているように思われる。

テレビ版の梅吉が随所で紋次郎に絡むところは、「六地蔵の影を斬る」の「小判鮫の金蔵」を彷彿とさせた。しかし金蔵より屈折していて、つかみ所がない感じがした。

今回も前回に続き、女が替え玉だったという設定。放映の順番はこれで良かったのだろうか。
ただ、「新……」にしては珍しく、大物ゲスト女優はいなかったし、お色気シーンもなかった。
助演女優賞は、土中から掘り出されるお千役の方。この後また埋められるという過酷で地味な役柄で終わり、報われなかったようである。

やはりここでも紋次郎の流浪の旅は、終わらなかった。
この後何回、お光とお千の墓前に花が供えられたのかは、私は知らない。

トラックバックURL

http://kogarashi1940.blog10.fc2.com/tb.php/114-b8170951

この記事へのトラックバック

この記事へのコメント

Re: 第2話「年に一度の手向草」(後編)

原作は何度も読んでますが、テレビは一度観たきりで30年も経っているので、原作との差は殆ど覚えてませんでした。
が、お夕さんの文章で、記憶が蘇ってまいりました。

「あっしには 言い訳なんぞござんせん」
これが今度の紋次郎のキメ台詞だ、というのを事前に新聞で読んで、「う~~ん、今度のセリフは前回ほど紋次郎らしくないなあ」と正直感じました。
「あっしには 何のかかわりもねえこって」は、私自身が嫌な用事を押し付けられたりする時などに常用してましたが、今度のは責任逃れみたいで使えないなあ、と。(笑)

作者もこのセリフは使い勝手がよくないのか、新の原作の中盤から使わなくなり、この話にも出てきませんね。
で、このテレビ版ではどこかでこのセリフが出てきたような気がしたのですが、私の記憶違いでしょうか。
もし出てきたのなら、どこでどんなふうに使っていたのか、教えて頂ければ幸いです。

  • 20101017
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第2話「年に一度の手向草」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

「あっしには、言い訳なんぞござんせん」

今回のテレビ版では、この台詞はなかったようです。

この台詞はなかなか使い方が難しいですね。
元々、紋次郎が言い訳をするはずはないので、わざわざ人にそんな言葉を聞かせなくても……と思います。

「あっしには、かかわりのねえこって……」
はドラマの始まりによく使われますが、「言い訳なんぞ……」はどちらかというと終末部分。
結果、この台詞で締めくくらせようとすると、無理が出てきます。

やはり無理はいけません(笑)。

  • 20101017
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第2話「年に一度の手向草」(後編)

あ、無かったですか。

>結果、この台詞で締めくくらせようとすると、無理が出てきます。
>やはり無理はいけません(笑)。

同感ですね。
テレビ版ではどうなのか、観てないのでわからないのですが、原作小説を読んでて「こんなことしといて このセリフ使うたらアカンやろ…」と突っ込んだのもあります。(笑)
これから書かれるかもしれないので、また伏せておきましょう。(ヒント・猟銃)

そうそう。
「振り分け荷物忘れ場所」の撮影地情報の続報、おみつさんのところに書いておきました。

  • 20101018
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第2話「年に一度の手向草」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

無理にその台詞を言わそうとする展開があったりすると、ちょっとガッカリですよね。
猟銃がヒント?すぐには出てきませんねぇ。
修行不足ですみません。

おみつさんのブログ、拝見しました。
テンション上がってきますね。
また報告いただけると嬉しいです。

ふと思ったのですが、撮影現場や原作に出てくる舞台というものは、結局バーチャルなんですね。
だのにその地に行きたい、と思うのはなぜなんでしょう。

それは紋次郎に会いたいからです。

でも会えっこねえ。だってフィクションなんですからねぇ。
このあたり、お光のことを語る紋次郎(峠に哭いた……)のようですが。

「だれかが風の中で」で、風の中で待っているのは、私にとっては紋次郎、その人なのかもしれません。

想像の風はどこでも吹きますから、自分の身近な場所でも、紋次郎を感じることはできます。
要は想像力と感性ですね。

みなさん、一つや二つ身近なところで、紋次郎の幻影をご覧になっているんじゃないでしょうか。

  • 20101018
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第2話「年に一度の手向草」(後編)

お夕さん はじめまして。

最近TVで、紋次郎のHDマスター版というのを再放送していまして、初めて「新・紋次郎」を観ております。

第1話を観た時は、違和感を通り越し嫌悪感さえ抱き、録画を消しかけましたが、お夕さんのお陰で思い止まることができました。

私も「新」での紋次郎さんは「続」までと比べ、とても人間味を感じます。そういう紋次郎さんもとても魅力的であることに気付きました。

当分は好きになれないであろうタイトルロールはとばして観ることになりそうですが…

一話観た後に、お夕さんの解説を読ませていただこうと思っております。

Re: 第2話「年に一度の手向草」(後編)

白さま、初めまして。
コメントをいただきありがとうございます。

違和感、嫌悪感……わかります。
私も当時はそうでしたから(笑)。

「新……」の紋次郎もまた違う魅力があると思います。
見る者がそれぞれ感じるわけですから、それも「良し」かと思います。

私のつたない筆力では伝わらないと思いますが、よろしければまたお立ち寄りください。

  • 20110730
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
コメント投稿フォーム

管理者にだけ表示を許可する

Paging Navigation

Navigations, etc.

About This Website

/