紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)
渡世人ってもんは、所詮裏街道を歩く宿命でござんすが、兄貴は遠い異国の地、アメリカの裏街道をさすらいやす。その当時のアメリカは、ベトナム戦争泥沼の修羅場でござんしたから、随分無茶な旅を続けなすったようでござんす。
しかしこの地での修行が、兄貴の渡世人としての足場を築くもとになったように思いやす。男を磨くと言うより、人間を磨くと申しやすか。

また異国の地での一宿一飯の恩義から、兄貴はいろいろと一肌脱ぎやす。
「関わり」を持ちすぎる渡世人は、命がいくつあっても足りねぇんでござんすが、さすが、兄貴は違いやすねぇ。
台湾人留学生が、暴力的に強制送還されたという喧嘩(でいり)に、自ら足を踏み入れやす。一介の渡世人にはできねぇ、胆の据わった行動だと思いやすねぇ。
その後統一協会という、大きな縄張りを持つ相手にも、物怖じせず渡り合ったりしやすが、信念の強さは既に培われていたんでござんすねぇ。

話は変わりやすが、詩人との対談の中で幻の映画、「夕映えに明日は消えた」についての語りがござんした。テレビでは表せなかった部分を、映画でまとめたかったということでござんす。
内容は、「七人の侍」と「峠に哭いた甲州路」をミックスした感じかと思われ、最終的には閉鎖的な村のエゴイズムが勝利し主人公は命を落とすとか……。
なぜ想像の域を出ねぇかと言いやすと、この映画は結局公開されなかったからでござんす。この対談がなされているときは、まさか幻の映画になろうとは兄貴も思わなかったでござんしょう。
全く残念なこって……。

当時、一世を風靡した「紋次郎ブーム」のまっただ中にいた兄貴が、どういう経路で、この書物を世に出したかは定かではござんせん。(どこかで聞いたフレーズでござんすね)
兄貴は「渡世人気質」を通して、「人間 中村敦夫」としての仁義を、渡世に対して切ったのだとあっしは思いやす。
俳優でもねぇ、脚本家でもねぇ、作家でもねぇ「人間 中村敦夫」が、ここに誕生した訳でござんすね。

真実この後、兄貴の波乱に満ちた旅が始まり26年後、政界に草鞋を脱ぐことになるとは、13のあっしには到底うかがい知れねぇことでござんす。
当のご本人も、念頭にはなかったんじゃねえんですかい。

どこの貸元にも草鞋を脱がず、己の腕と度胸と知性で、峠を越え修羅場をくぐり抜けた兄貴は今、3Sを提唱しておりやす。
スロー、スモール、シンプル、ゆっくり、小さく、簡素に……。
まさに「小欲知足」でござんす。

この信条、あっしがちょいと思いやすに、兄貴がアメリカの地で目にしてきた若者の姿とダブるんでござんすが……。
便利な世の中に背を向け、手作り、自給自足を旨とするドロップアウトした人々の生活。多くを望まず、競争もなく、自然を愛し、自然と共生する。
人間、もう少し欲を捨てれば、幸せを手にすることが出来るのに……と考えてしまいやすねぇ。
実はあっし、以前、仏教系の大学に草鞋を脱いでいたことがござんして、「小欲知足」と書いた張り紙があちこちにあったことを思い出しやした。
あっしが知っている、数少ない仏教用語の一つでござんす。

テレビの紋次郎兄貴はいつも旅を急ぎやすが、自然の流れには逆らわない「自然人」、また金や物には執着せず必要以上には持ち合わさねぇ……3Sを自ら実践しておりやす。

「渡世人気質」で36年前に仁義を切った敦夫兄貴は、きっと今もこの時の心意気のままだと思いやす。ますます兄貴に惚れてしまいやした。

おっと、いつの間にか長居を致しやしたようで……。
埒もあかねぇ与太話におつきあい頂きやして、ありがとうさんでござんした。
それでは、寒さ厳しき折でござんすが、どなたさんも随分とお達者で……。
ごめんなすって。
   
 お夕
(2008年12月13日掲載)

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日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

昨年、和歌山で敦夫さんの講演を聴きに足を運びやした。
その折休憩時間に、アポなしで敦夫さんにお目に掛かりにめいりやした。震える手で差し出しやしたのがこの本「渡世人気質」でござんした。
敦夫さんは「懐かしいなあ。よくこの本を持ってましたね。」
と、驚かれたようでござんしたが、裏表紙にサインを書いてくださいやした。
天にも昇る気持ちとは、こういうものなんでござんしょうねえ。
ツーショットでの写真も一緒に撮らせていただき、いま思い出してもドキドキしてしまいやす。
あっしの家宝(笑)でござんす。
講演の記事はこちら……。
http://kogarashi1940.blog10.fc2.com/blog-entry-53.html

ブログに記事を掲載させていただいた後、事後報告となりやすがお許しをいただこうと、連絡をさせていただきやした。
間もなくハガキでお返事が参りやして、快く承諾いただき、敦夫さんには感謝致しておりやす。

「渡世人気質」からいただいたタイトルでござんすので、名に恥じない内容にしていきたいとは常々思っておりやす。
しかしながら思っているだけで、まだまだ恥ずかしい内容ではござんす。
精進致しやす。

みなさま、今後ともよろしゅうお願い致しやす。




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Re: 日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

お夕さんやおみつさんの「人間 中村敦夫」への思い、いつもながら頭が下がります。
前にコメントした「少女ファンと少年ファンの視点の違い」とカブるのですが、紋次郎大好き少年だった私は、意図的に「人間 中村敦夫」から目を背けていました。

紋次郎がブレイクした頃、「スター千一夜」に中村敦夫さんが、時の人ということで出演されました。
が、私は「洋服着てちゃイヤだ!そんなに笑い顔を見せないでおくんなせえ~~!」とテレビの前で叫んでました。

私にとって中村敦夫さんは、四六時中紋次郎で居て欲しかったのです。
高級レストランでも汚れた合羽で入店し、紋次郎食いをする人であってほしい、という、本人が聞いたら呆れるような、ムチャクチャな要求をしていたのです。(笑)

それでも、紋次郎が終了した数ヵ月後に始まった、中村敦夫さんが出演された「追跡」は、やはり14歳の少年の憧憬の対象となる世界でした。
「紋次郎のかっこよさを現代で体現したら、こんな形になるんだな!」と。

少女ファンだったお夕さんやおみつさんが、他の中村敦夫さんの出演作品に詳しいのと対照的に、私は、中村敦夫さんは、時代劇なら紋次郎、現代劇ならベスパに乗ってサングラスを髪に挿し、喫茶店でコーヒーをすする「追跡」の人、以外は見ないようにしてたのです。
後年「八つ墓村」で中村敦夫さんが頭に懐中電灯をつけて暴れてるのや、即席ラーメンの宣伝に出ておられるのを見てしまった時は、もう成人であったにもかかわらず「紋次郎さんで いてくんねえ」と呟きました。

中村さんの人となりを知ったのは、もう私も壮年期に入った頃で、氏が世界壷売り団体や、その後ろ盾の、子泣きじじい似政治家を糾弾していた頃です。
紋次郎と同じく、間違ったことの嫌いな人なんだなあと思いましたが、紋次郎をやる以前から、不正と戦ってこられていたのでしたか。
不勉強でした。

私もそろそろ、少年時代はわざと知らないように努めていた、中村敦夫さん自身に目を向けていかなくっちゃ、ファンを名乗れないかなと思いました。

敦夫さんとの2ショット、モザイク入れてもいいから見たいです。

  • 20101029
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

原理主義者のTOKIさんとしたら、仰ることは当然だと思いました。
紋次郎以外の敦夫さんは、考えられない……私も紋次郎放映が終了直後は、そう思っていました。

当時、「追跡」を見ておりましたが、かっこよかったですね、敦夫さん。
ベスパを乗り回すところなんか、様になっていましたが、実はあの時彼は免許を持ってなかったので、一夜漬けの勉強で筆記試験をパスしたそうです。
「探偵物語」の松田優作さんよりも随分前に、ベスパに乗っていたわけですね。

「追跡」の前の原田芳雄さん主演、「真夜中の警視」も好きで見ていたんですが、原田さんの無免許での事故で打ち切りになりました。
ジープで走る、原田さんの野性的な魅力もあったんですけどね……。

「追跡」のサファリジャケットが格好良くって、私も男物のジャケットにジーンズ姿で
ずっと過ごしていました。
以来、学生時代のほとんどをジーンズで過ごし、スカートは制服以外、身につけませんでした。
今でもそれに近い格好です(笑)。

その後の「水滸伝」の林中役も好きでした。林中に心惹かれる「扈 三娘」(土田 早苗さん)が時々かぶっていた帽子(後ろにシッポが付いた)……本気で欲しかったです。

私の場合は中村紋次郎を中心として、興味があちこちに飛び火したような状態でしたね。
しかしいつでも核となるのは、中村紋次郎であったことは確かです。

その当時興味を持った数々は、今でも甘酸っぱい思い出の一つです。
そして核となった中村紋次郎だけは、今も恋い焦がれる対象です。

2ショットの件は、私の姿をすべてモザイクとしたらお見せ出来るのでしょうが、それでは2ショットとは言えなくなりそうです(笑)。

  • 20101029
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

 なんだか中村紋次郎=中村敦夫氏とお夕さんの間に、強烈な結びつきがありそうなことだけは、よくわかるんですが、反対に強烈すぎて、ぱっぱっと理解できないところもあります(笑)。

 いや、お夕さんがお好きなのが、てっきり木枯し紋次郎だと思っていたのが、いつの間にやら中村敦夫氏にすり替わっていて、どこからどこまでがどうなのか?境界線が見えないわけです(笑)

 いや、想像はつくんですよ。だけど中村敦夫氏はニュースキャスターであったり、国会議員であったり、テレビ「JIN -仁-」の火消しや「鉄の骨」の三橋萬造だったりするわけでしょう。

 なにか、今日はそんなことを感じました(笑)。

Re: 日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

小父貴さま、コメントをいただきありがとうございます。

ご指摘通り、私自身も境界線がはっきりしません(笑)。

中村敦夫さんが演じる紋次郎に心奪われ、原作での紋次郎にのめり込みました。
敦夫さんを通して紋次郎に惚れ、紋次郎を通して敦夫さんに惚れた……と言いますか。

紋次郎路線として、笹沢氏の小説、渡世人の世界という街道を進み、敦夫さん路線としてご本人が演じる作品、著書、生き方等々の街道を歩くということとなりました。

それと、テレビ映像から来る、日本の原風景の美しさにも心惹かれます。

私にとっては、紋次郎と敦夫さんは切っても切れない関係なんですね。

やはり複雑ですね?

  • 20101030
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

お邪魔いたしやす。

「木枯し紋次郎」「中村敦夫」への、お夕さんの
強烈な思いが伝わってきます。

私のことを申しますと、木枯し紋次郎=中村敦夫を
初めて観た印象は「若い」ということ。当時、
実年齢は知りませんでしたが、あの頃、好んで観てた
ヤクザ映画には強面のオジサンばかりで、それに比べて
優男でいつも走っていた中村氏は若々しかったです。
お兄さんのように思えました。

私自身、生き方としての「紋次郎気質」を目指して
おりますが、まだまだ程遠いようでございます。

Re: 日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

桐風庵の兄ぃ、コメントをいただきありがとうござんす。

兄ぃから見ると、当時の紋次郎さんは若かった……なるほど、比較する範疇が違いますものね。

私から見ると30歳過ぎの漢というだけで、圧倒的な大人の魅力を感じましたね。
今の30歳過ぎはどうなんでしょう。
当時に比べると、10歳ぐらい若く見えるように思います。

最近、江口さんが紋次郎を演じられましたが、私は未だに平成版紋次郎を探しています。
なかなか見つかりませんねぇ。
ファンのみなさんは、どなたかイメージをされている俳優さんがおられるんでしょうか?
それを思うとやはり、中村敦夫さんは紋次郎をやるべく運命にあったように感じます。生き方も含めて、そう思いますね。

  • 20101030
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

久しぶりにお便りさせていただきます。いつも拝見していたのですが、なかなかコメントが書けませんでした。
紋次郎気質・・・素敵なタイトルだと思います。お夕さんも、コメントを寄せていらっしゃる他の方々も、本当に紋次郎さんへの愛にあふれていて、読んでいて共感したり、わくわくしたり・・・また、生きて行くうえで学ぶことも多く、こちらのブログを知ってよかった!と思います。
私は紋次郎の本放送の時は小学校低学年で、両親の方針と時間的なことから見ることはできませんでした。なので木枯らし紋次郎という番組の存在すら知りませんでした。30才を過ぎて再放送を見てファンになり、国会図書館にかよって原作を読みました。
中村敦夫さんは外見だけでなく、人間的にも紋次郎に最もふさわしい役者さんだと思います。私が考える平成版紋次郎は・・・もう少し若かったら遠藤憲一がいいかなぁ?と思います。

  • 20101031
  • 百合子 ♦-
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Re: 日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

私も「水滸伝」や「徳川三国志」も、中村敦夫さんが出演されるというので、最初は見ました。
が、ストーリー的には面白かったのですが、個人的には紋次郎ワールドを求めていたので、すぐに見なくなってしまいました。

逆に「追跡」は、ストーリー的には難解でしたが、中村敦夫のかっこ良さに惹かれて見ていたのでした。

「追跡」のサファリジャケットまで着ておられましたか。
ま、負けました。

もっとも私は、夏の短縮授業で、教科書を束ねる十字のベルトを二つ縫い合わせて、振り分け荷物にして登校したり、文化祭のテーマ募集で「文化祭に死を呼んだ」とか書いたりしてましたが。(^^;

話は変わりますが、ツイッターで話題の「松屋の牛めしの最高に美味い食べ方 岩倉スペシャル」っての、まさに紋次郎食いですね。
こりゃもう、早速にもやってみなくては。
http://career.cobs.jp/level1/yoko/2010/10/post_759.html

  • 20101031
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

百合子さま、コメントをいただきありがとうございます。

私も、ブログに来てくださる方々からはいつも力を頂いております。本当にありがたいことです。
百合子さんにもお礼を申し上げます。

紋次郎への関わり方は人それぞれだと思いますが、一度その魅力を知ったら虜になってしまいますね。

当時紋次郎を、中村敦夫さんが演じておられなかったら、ここまで熱くはなれなかったと思います。

原作者、監督、俳優、スタッフ、時代背景……すべてが合致して集結したこのドラマは、奇跡に近いものだと思います。
何一つが欠けても、ダメだったんですから。

遠藤憲一さん、ナルホド。
なかなか渋い線ですね。候補に挙げておきましょう。
10歳若ければよかったんですけど。
(アンタ、ナニモノ?と突っ込まれそうですが)

  • 20101031
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「『紋次郎気質』の訳」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

紋次郎の後、連続していろいろな作品に出演されましたね。
ホントにあれよあれよ……という間にでした。
出演された作品のほとんどは視聴したと思いますが、やはり一番は「木枯し紋次郎」です。
苦手だったのは、メロドラマ風の「さらばかぐわしき日々」でした。音楽はよかったんですけど……。

振り分け荷物姿での登校……なかなかやりますな。
当時の私は渡世人言葉で日記を書き、壁新聞コンクールではコメント欄を担当、その名も「ご免なすって」というタイトル。
周囲はドン引きだったでしょうが、本人はどこ吹く風でした。

TOKIさんと同じ中学校だったら、最強コンビだったでしょうね(笑)。

牛めしの岩倉スペシャル……やってみたいですけど、さすがに店内では人目があります。
家でコッソリやってみます。

  • 20101031
  • お夕 ♦wikz35BA
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