紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第3話「四つの峠に日が沈む」(後編)

第3話「四つの峠に日が沈む」(後編)

第3話「四つの峠に日が沈む」(後編)

(原作 第39話)(放映 1977.10.19)
一方お民は、源蔵たち一行に見つけられて追いかけられている。
それにしても犬の「紋次郎」は忠犬かもしれないが、至る所でよく吠えるので、お民の居場所がすぐにわかってしまう。困ったものだ。
源蔵たち一行の最後尾は、あの浪人。原作では凄腕というふれこみだが、足を引きずりながらヒョコヒョコ走る様は、どうもそうは見えない。第一、貫禄がない。

身支度を調え河原を行く紋次郎の前にお民が走り寄り「助けてください。捕まったら、殺されてしまいます。」とすがりつく。
「あっしは道連れをお断りしたはずだ。」と顔を背ける紋次郎。
お民は殺されることはないはずだ。お民は高額で遊女として売られるのだから、源蔵は商品を無駄にする馬鹿なことはしない。

「紋次郎だ!やっちまえ。」と川の中での殺陣。胸近くまで川に入ってのシーンは、前シリーズでも何作かあった。残った一人を追いかけるシーンは、スローモーション。
何となく逃げる男を追いかけて斬るというのは、紋次郎らしからぬ非情さを感じてしまう。
川面には赤い血が帯状になって流れていく。このあたりも、前シリーズにはあまりない、リアルな映像。
源蔵は形勢不利となり浪人を呼ぶ。例の浪人、河原をヒョコヒョコやって来る。

川の中から紋次郎は、犬の紋次郎に「紋次郎!」と叫ぶ。(誠にややこしい)
犬は、大嫌いな万能膏の匂いがする浪人に噛みつき、浪人は犬の背中に刀を突き立てる。その隙をついて、
紋次郎は浪人の首に長ドスを振るう。
このあたりの戦法は、原作と同じ。
「紋次郎!」と叫び、倒れた犬にお民は駆け寄る。

その騒ぎに小太郎がやって来る。
「お前さん、来ちゃいけない、来ちゃいけないよう!」
お民が叫ぶ。小太郎も驚いて「お民!」と叫ぶ。

ああ、万事休す。源蔵は小太郎の顔を知らないから大丈夫とお民は言っていたのに、あからさまにばらしてしまっては……。
果たして源蔵は怒り狂って、小太郎のもとに走りその懐に刀を突き立てる。あくまでもお民を呼び出した元亭主「小太郎」に対して、源蔵は行動したのだ。
刺された瞬間お民はガックリ肩を落とし、眉間を曇らせて成り行きを見守る。
ここでどんでん返し、とはいうものの、テレビ版では煮売屋の客が小太郎の別名を彦市と言ってしまっているのでどんでん半返しか(笑)。
小太郎は実は女衒の彦市で、自分の女房を売り飛ばしに来たというのだ。

「女衒には、女房も娘もねえ。女はみんな、商売の品物よ。おれも、お民のことならよく知っている。これほどの上玉は滅多にいねえと売り込んで、潮来の遊女屋から百五十両って金を出させる話もまとまっていた。だが、これで何もかも、おしめえさ」
(原作より抜粋)

源蔵は驚いて、自分の早とちりの失敗を紋次郎にぶつける。
「くそっ、やい、紋次郎、てめぇのせいだぞ。関わりはねえとほざきやがって、お民、かばい立てしやがって!」
「あっしには言い訳なんぞござんせん。」
と紋次郎は、刀を振り上げた源蔵の右腕を切り落とし、腹に長ドスを埋める。
原作には上記の台詞はない。テレビ版ではやはりこの「あっしには言い訳なんぞ……」を決め台詞として続けるようである。

「私を連れて行ってください。うちの人は私を遊女へ……もうとっくに夫婦なんかじゃないんです。」
お民は紋次郎に訴えるが、ここから紋次郎の推理が語られる。この結末は原作とは大きく違う。

亭主に会ったのはこれで二度目。
一度目は獣道で赤犬を抱いて泣いていたあの時。女衒となった亭主の姿に出会い、泣きながら獣道を歩いていた。
山育ちであるのだから、慣れた道であろう。その早足で紋次郎の後先になり、源蔵をおびき寄せ、紋次郎にぶつからせて殺すというもくろみだったのでは……というのだ。

第3話「四つの峠に日が沈む」(後編)

紋次郎は続きを語らなかったが、お民は小太郎も殺したかったのではないか。
源蔵の前で「お前さん!」と叫ぶ。刺された犬の紋次郎には、叫んで駆け寄り嘆くのに、死んだ小太郎のもとには近づきもしないし涙も見せない。

「私の夫は、飛騨の匠の小太郎です。あの男はうちの人じゃない。」と言い切る。
このあたりの雰囲気は、前シリーズの「獣道に……」のお鈴とよく似た心情なのかもしれない。
ずっと信じていたのに夫は裏切った。目の前にいるのは、別人なのだと自分に言いきかせるかのようである。

どう考えても「未必の故意」にあたるのではないか。
お民を、純粋に健気で薄幸な女で終わらせたくないという監督、脚本家の思いのようである。
自分の女房を遊女に売る彦市が小太郎であった、というどんでん返しより、か弱く健気なお民が実は策略家だったという意外性の方にシフトしたわけである。

私としては原作のままの方が、夫婦の脆さ、人間の無常さ、お民の哀しみが表されていて良かったのではと思う。
テレビ版は複雑すぎる。

さて「四つの峠……」と題しながら、テレビ版では全く説明がされなかったので、視聴者は?だったのではないだろうか。
それもそのはずで、原作でしか登場しない煮売屋の女房「お杉」が提唱した四通りの生き方に関係するからだ。

「『もう、柏屋さんの若旦那もいない。太田の住まいにも戻れない。小太郎も死んでしまった。実の親のところへ帰りたくても、口減らしのほうが肝腎なくらいに貧しい。わたしの行くところは、どこにもないんだ』

お民はぼんやりと、そんなふうに呟いた。お民が失った四つの生活の場を暗示するかのように、夕日を浴びた四つの山がこの下呂の宿を囲んでいた。北に仏ヶ尾山、東に湯ヶ峰、南に舞台峠、西に八尾山と四つの山が日没を待っているのだった。」
(原作より抜粋)

原作のお民はテレビ版とは違い「連れて行ってください。」とは言わない。テレビ版の紋次郎は、やたら女性から連れて行ってくれと頼まれる。
敦夫さんの容貌の良さから、女性ファンなら誰しも口にしたい台詞ではあろうが……。連れて行かれたところで、何の希望もないはずであるのに、女は「連れて行って欲しい」と言うように設定されている。

「私も越後へ行きたい。」と頼むお民に「越後に行っても、遊女に身を落とすしかない。」と紋次郎は答える。
「亭主に売り飛ばされるくらいならその方がまし。」と、食い下がるお民だが、紋次郎は「御免なすって……。」と背を向け歩き出す。
足元には黄色い女郎花が見える。紋次郎は通り過ぎた後振り返り、その女郎花の茎に楊枝を飛ばす。くずれるようにひざまずく、お民の姿が遠景に見える。

遊女と女郎花……語呂合わせはちょうど良い。
エンディングのナレーションは「下呂に忠犬の石碑があるが、そのいわれを語りたがる宿民はいない」という内容で締めくくられている。
ススキの向こうに紋次郎が去っていく姿が見える。

今回の監督は「安田 公義」さん、脚本は「服部 佳」さん。お二人とも前シリーズから紋次郎には関わってこられ、「九頭竜に……」は、このコンビで作品を作っておられる。
それだけに、紋次郎の世界はよくつかんでおられる。逆によく知っているだけに、「女は強かで実は怖い」という路線に導いたのかもしれないが、やはり複雑すぎた。

健気で純粋な女は、紋次郎の作品にはやはり似合わないのだろうか。

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この記事へのコメント

Re: 第3話「四つの峠に日が沈む」(後編)

ガチガチ原理主義の私が、当時これを見てどういう感想だったかは、あえてここでは書かないでおきやしょう。(笑)

一度観ただけなので、どんなラストだったかは覚えてないのです。
原作でのラストのどんでん返し、彦市=小太郎を最初に明かしているのなら、どんな新たなどんでん返しが待ってるんだろう。まさか彦市がトンチを使って切り抜けるとか?…などと想像してましたが、こういうことでしたか。

お夕さんの文章を読んで「わかりにくい仕掛けだなあ、『九頭竜』の時みたいだなあ」と思ったら、同じ人だったんですね。
私としては、原作定番の「○○が実は●●と同一人物だった」のほうが、わかりやすくて好きです。

思惑関係のどんでん返しは、私のような頭の回転が遅い人間には、セリフを聞きながら「ん!?ちょっとまって。アイツとこいつが実はこう企んでたとすると…」と、脳内を整理している間にどんどん次へ行ってしまうので困るのです。(笑)

ところでワンちゃん、本当に殺されちゃいないですよね?

  • 20101112
  • TOKI ♦nhNJg39g
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  • 編集 ]
Re: 第3話「四つの峠に日が沈む」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

いくら山育ちでも、女の足で何度も行き来できる距離だったのでしょうか。
疑問です。

テレビ版はホントに複雑で、1回観ただけでは、ストンと落ちないもどかしさがあると思います。

しかし何回観ても、お民は何をしたかったのかが、釈然としません。

四通りの生き方が選べたと、原作のお杉は言いますが、テレビ版でのお民は五通りも六通りもあったように思われます。

例のわんこですが、DVDのブックレットによりますと
赤犬の紋次郎:ベル号(吉田ペットハウス)
と、キャスト紹介では池波志乃さんの次に掲載されています。
ということで、高額のギャラをもらっていたのかもしれません。
よって、殺されてはいないと思います(笑)。

  • 20101112
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第3話「四つの峠に日が沈む」(後編)

う~ん、最近見た映画、『十三人の刺客』に『桜田門外ノ変』の斬り合いの描き方は、昔からあったんですね。

私が頭にある東映時代劇なんてーのは、峰打ちだったり、振り下ろすだけだったりでバタバタ倒れていましたね。まるで力道山の空手チョップみたいに(笑)

『椿三十郎』の1962年や2007年作品では最後に血が噴き出しますが、最近はそれが普通になっているんですね。

女郎花を検索してみましたよ。オミナエシなんですね(笑)

>お民は高額で遊女として売られるのだから、源蔵は商品を無駄にする馬鹿なことはしない。

大奥も遊女この時代を表す文化なのでしょうかね~?

Re: 第3話「四つの峠に日が沈む」(後編)

小父貴さま、コメントをいただきありがとうございます。

リアリズムを追求することは必要ではありますが、目を覆いたくなるような映像はやはり遠慮します。
そこを求めてはいないんですけど……という感じですかね。

話はそれますが、江戸時代の江戸の娼婦は、全部で1万数千人いたとのことで、これは成人女性の78人に1人の割合だそうです。
ちょっと驚きですよね。
もちろん大奥の女たちは。その数には入っていないでしょうけど……。

  • 20101113
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第3話「四つの峠に日が沈む」(後編)

こんにちは。本当に「新・・・」は、今までの紋次郎とはいろいろなところが違いますね。これはこれ、という感じなのでしょうか・・・。
ところで先日、芥川隆行さんが朗読したラジオドラマ風木枯らし紋次郎のCDを見つけ、まぁ~!と喜び勇んで購入しました。
忠臣蔵などいろいろな時代物を朗読されているのですが、木枯らし紋次郎は「一里塚に風を断つ」が読まれていました。
もうご存知かもしれませんが・・・。
リラクゼーションや環境をテーマにした音楽(小鳥のさえずりや川のせせらぎの音など)を扱っているデラという会社から発売されています。
最初に、誰かが風の中でのメロディーが明るくテンポよくアレンジされて流れてきたのにはびっくりしましたが、編集も芥川さんがなさっているとあったので、ちょっと我慢して聞きました。
パッケージに、名調子・・・と書かれているだけあって、私には少し早口に感じましたが、紋次郎さんになりきって台詞を読む芥川さんのお声が新鮮で、ほほえましくもありました。
時間の関係だと思うのですが、原作を全部朗読しているわけではなく、ところどころとばしてあり、それが紋次郎の心理描写の部分がけっこう省略されていて、これじゃ紋次郎の魅力が半減しちゃう!と、そこが一番不満でした。
でも聞けてよかったです。長々とすみません。何かの参考になれば・・・と送らせていただきます。

  • 20101115
  • 百合子 ♦-
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Re: 第3話「四つの峠に日が沈む」(後編)

百合子さま、コメントをいただきありがとうございます。

芥川さんの朗読CDですか。貴重な情報です。
即決で購入されるあたり、なかなかの入れ込みようですね。

当時の時代劇ナレーターとしては、第一人者でしたね。
ちなみに江口紋次郎の女性ナレーター、平榮子さんは芥川さんのお弟子さんだったとか。
今なお、関わりがあるようでござんす(笑)。

最近は俳優、声優、ナレーター……職域が交錯していますが、昔はもう少ししっかり
線引きされていたように思いますね。

私が最近購入した紋次郎関係のものは、小島 剛夕さんのコミック「木枯し紋次郎 」です。
どれと比較するというものではありませんので、単独で楽しませてもらいました。
でももう少し、紋次郎さんの顔は面長であってほしかったです(笑)。

  • 20101115
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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