紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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紋次郎の影を追う「中山道 太田宿 飛騨街道 下呂」

紋次郎の影を追う「中山道 太田宿   飛騨街道 下呂」

紋次郎の影を追う「中山道 太田宿 飛騨街道 下呂」
「四つの峠に日が沈む」に出てくる太田宿は、中山道51番目の宿場で、岐阜県美濃加茂市に現在はあります。
原作によりますと、江戸へ九十八里半、京へ三十七里四丁、人家118戸、宿民の数役500人、旅籠20軒で、中山道の宿場としては中位の規模とあります。
本陣、脇本陣はそれぞれ一つという尾張藩領の宿場です。
紋次郎の影を追う「中山道 太田宿   飛騨街道 下呂」

現在本陣は、残念ながら門だけしか残されてはいませんが、格式の高さは伺い知る事ができます。

紋次郎の影を追う「中山道 太田宿   飛騨街道 下呂」

紋次郎の影を追う「中山道 太田宿   飛騨街道 下呂」

脇本陣の林家は国の重要文化財の建物で、格子戸や立派なうだつなどが見られる堂々とした建築物です。

紋次郎の影を追う「中山道 太田宿   飛騨街道 下呂」

紋次郎の影を追う「中山道 太田宿   飛騨街道 下呂」

ここで有名なのは、木曽川を渡る「太田の渡し」です。このあたりでの木曽川は太田川と呼ばれていて、増水すると川止めとなり、旅人は越えることができませんでした。
旅人には「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」とうたわれたほどの中山道三大難所の一つでした。

紋次郎の影を追う「中山道 太田宿   飛騨街道 下呂」

お民のために賭場で手にした金を盗られ殺された若旦那、柏屋は旗竿、指物竿の問屋という設定です。「五街道細見」によりますと、名物として「竹の旗竿、指物竿など出ずる」
とありますので、笹沢氏はこの資料を参考にされたのでしょう。
そのほか五街道細見には関についても「鍛冶名人多し。美濃紙も此の辺より出るなり。」と記述されています。
そう言えば、浪人が懐から出して、鮮やかな刀さばきで切ったのは美濃紙でした。
原作で出てくる岩屋観音についても書かれてあります。
笹沢氏は街道や山野、宿場について記述するとき、資料を読み込み想像を膨らませて書いた、ということをどこかで読んだことがあります。
ですから現地を訪れなくても書けると……。
あの風景美を表現された文章は、作者の想像力の賜物なんですね。

紋次郎の影を追う「中山道 太田宿   飛騨街道 下呂」

紋次郎は太田宿の煮売屋で朝飯を食べます。「丼に盛った麦飯、とろろ汁、野菜の味噌煮、タクアン」という、いわゆる定食ですが、何となく健康食に思えますね。
原作ではこの煮売屋で、紋次郎はお民と赤犬の紋次郎に初めて出会います。



お民と煮売屋のお杉は太田宿を出て、飛騨街道を北に向かいます。行き先は下呂。、
岐阜県の下呂市にある下呂温泉は、有馬温泉・草津温泉とともに、日本三大名湯に数えられる有名な温泉です。
原作では「下呂」と地名が書かれていますが、下呂と呼ばれるようになったのは昭和以降だということで、それ以前は「湯之島」だったとか。
紋次郎の時代ではどうだったのでしょう。

紋次郎の影を追う「中山道 太田宿   飛騨街道 下呂」

紋次郎の影を追う「中山道 太田宿   飛騨街道 下呂」

以前訪れたときは「飛騨街道・湯乃島宿」と書いた立て札がありましたから、宿場名としては湯乃島だったと思います。
下呂は一度だけ、それも日帰りでしたのであまり散策はできず、「白鷺の湯」という共同浴場にお邪魔しただけです。
賑やかな温泉街かと思いましたが、意外と静かな雰囲気でした。無色透明で、なめらかな優しいお湯でした。「美人の湯」と呼ばれているようで、今思うともっと長く入っていれば良かったです。

テレビ版の紋次郎はせっかく温泉地に来たのに、川で体を拭くだけでしたね。あのシーンでは河原に小屋がけされていて、温泉の湯煙が見えていました。
現在、下呂市街に流れる益田川の河原に、噴泉池という露天風呂がありますから、それがモデルだったのかもしれません。

温泉関係といえば、「湯煙に……」「馬子唄に……」でしょうか。あとちょっとズレますが「地蔵峠の……」では、紋次郎は風呂に2回入ります。
「雪に花散る……」では、湯治費用のために草鞋を編んだりしました。
紋次郎にとっては、温泉でゆっくりするなどということは考えられなかったことでしょう。
原作の「雪に花散る……」の主人公武吉は、温泉に入っている間でも傍らに長脇差を置いています。

「湯につかっているのは、武吉だけだった。近づいて来る足音を耳にしたとたん、武吉は岩の上の長脇差へ左手をのばした。」
(原作より抜粋)

日々、安まることがなかったんでしょうね。
それに比べると、自分は呑気なもので申し訳ないぐらいです。
と言いながらも、記事を書いているうちにまた温泉が恋しくなってきました。

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Re: 紋次郎の影を追う「中山道 太田宿 飛騨街道 下呂」

私も太田宿は行きましたが「原作小説に出てくる場所だ」とは意識してませんでした。
撮影に使われた場所でないとノーマークの私は、まだ修行が足りませぬ。(笑)

夏の暑い夜、ベタベタな体のままで、クーラーも入れずに寝る。
私は学生時代はそうしてましたが、今ではとても出来ません。
この時代の人は皆やっていたわけで、とりわけ紋次郎のような旅人は大変だったろうと思います。
絵馬堂や神社の縁の下で野宿だと、ただでさえ汗まみれで体が痒いのに蚊の襲撃を喰らい、おまけに夏でも股引に手甲脚絆、皮足袋ですから。

紋次郎も本当は湯に漬かりたかったことでしょうけど、仕方ないことだと割り切ってたんでしょうねえ。
敵対する貸元が、紋次郎を風呂に入れて、長脇差を離したところを闇討ちしようと企む話もありましたね。

いつもながら素敵な写真ですね。
こんな観光名所だったら通行人も多かったことでしょうに。
誰も居なくなるまで待っておられたんですか。

  • 20101123
  • TOKI ♦nhNJg39g
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  • 編集 ]
Re: 紋次郎の影を追う「中山道 太田宿 飛騨街道 下呂」

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

宿場や街道を訪れた後、「しまった、もっと調べておくべきだった!」と後悔することしきりです。
この周辺もそんな感じで、岩屋観音や四つの峠も取材するべきだったと思っています。(仕事じゃないんですけどね)

野宿が多く、身につけている物も汗と埃だらけなのに、紋次郎からは不潔感やむさ苦しさを感じません。
たぶんに敦夫さんの風貌によるものが大きいんでしょうが、原作からもあまり感じませんね。
男臭さとオヤジ臭さとは、似て非なるものなのかもしれません(笑)。

野宿も難儀でしょうが、旅籠や木賃宿もひどいものがあったようで、シラミには随分困ったという記述の史料があります。
今と違って、快適とは程遠い旅だったのでしょうね。

観光名所といえど、季節外れだとグッと人混みは減りますから、そういう時期をねらうこともあります。
でも比較的私が訪れるところは、団体さんはいませんね。

景色や風景を撮影するのは好きですが、被写体になることは好まず、どこに行っても記念写真はほとんど撮りません。
お互いの写真を撮り合っているカップルを目にするのは微笑ましいのですが、自分を置き換えると「柄でもねぇ。」と思ってしまうへそ曲がりでもあります。
ホント、かわいげがありませんね(苦笑)。

  • 20101123
  • お夕 ♦wikz35BA
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