紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第5話「賽を二度振る急ぎ旅」(後編)

第5話「賽を二度振る急ぎ旅」(後編)

第5話「賽を二度振る急ぎ旅」(後編)
(原作 第48話)  (放映 1977.11.2)
二人は茶屋で丼飯を食べる。紋次郎より若干音右衛門の方が繊細な箸の使い方である。
ところでお楽の姿は見えないが、どこへ行ったのか。原作ではずっとお楽も一緒なのだが……。

今度は音右衛門が先を行き、紋次郎が後を行く。木が一本も生えていない荒野を歩く二人のBGMは、かき鳴らすギター演奏。マカロニウエスタン風の決闘をイメージする。
相州と武州の国境である小仏峠の頂上で、音右衛門は歩みを止める。

「このあたりにしようぜ」
空は抜けるように青く、白っぽい山肌とのコントラストを見せている。鴉が、枯れた木の根っこの上でコツコツと何かをついばむ。
吹きすさぶ風の音。荒涼とした景色の中、二人のシルエットを遮る物は何もない。

音右衛門は、振分け荷物を無造作に投げ落とす。続いて紋次郎の振分け荷物も地面に落とされる。振分け荷物については、敵と戦う時、どうしているのか疑問に思ったことがあったが、やはり適当なところに下ろしているようである。

峠の下からお楽が二人の様子を見上げている。やはり何か狙いがあるようである。

音右衛門が刀を抜き構える。紋次郎は楊枝を捨てるのと同時に抜刀して音右衛門に向かって走る。
テレビ版は展開が早い。音右衛門と対峙してジリジリしながら隙を窺う様子など見られない。
原作の紋次郎は、もっと音右衛門の脅威を感じている。手に汗握るという感じである。

「自己流の喧嘩剣法と、鏡新明智流の剣術との差が、すでにはっきりと表れていた。紋次郎のほうから、斬り込むことはできなかった。相手に隙がないというか、どうにも手が出ないのである。
カー。
かあ。
二人の頭上に、五、六羽の鴉がいた。その声が、紋次郎の焦燥感を煽った。脂汗で、全身が濡れていた。どっちにしろ死ぬのだから落着けと、紋次郎は何度も自分に言い聞かせた。」
(原作より抜粋)

こんな紋次郎は初めてである。「焦燥感」「脂汗」「落着けと自分に言い聞かせる」……この後も紋次郎らしからぬ言葉が記されている。
「必死になって」「よろけて」「腰砕け」「苦しまぎれに」……
こんなマイナスイメージの紋次郎は今までなかったのではないだろうか。
それだけ音右衛門の威圧感が半端でないという証明であろう。

テレビ版の紋次郎は、音右衛門と刀を交えたとき、その勢いに負けて自分の長脇差を落とす。前シリーズでも演技でなく、思わず刀を取り落とすシーンがあったが、今回は演出であることはよくわかる。
紋次郎は拾った長脇差を咄嗟に諸手突きで繰り出す。そんな攻撃など難なくかわせるはずなのに、その瞬間大手を広げて身体で紋次郎の長脇差を受ける音右衛門。
意外な展開である。

原作とテレビ版との大きな違いはこの後である。原作の紋次郎は、その展開に狼狽したように背中まで突き抜けた長脇差を引き抜くが、テレビ版は違う。
刺された瞬間、音右衛門は紋次郎を突き飛ばし、腹に刺さった刀に手を添えより深く刺す。あたかもそれは武士の切腹のようである。
音右衛門が元武士だったということから、そういう展開にしたのだろう。
切腹というのはある意味、名誉な死でもあるのだ。テレビ版の音右衛門に、武士としてのプライドを持たせたかったのか。この場でそのプライドは必要だったのか……微妙なところである。

もう一つ原作と違うのは、この場にお楽がいないということである。
原作では、音右衛門がなぜ紋次郎に斬られたのかという経緯をお楽に話している。お楽は、音右衛門に親身な様子で話を訊き出している。
しかしテレビ版では、お楽は離れたところから様子を窺っているだけで、話をする相手は紋次郎である。

自分はもうとっくに死んだも同然だ。
自分の首に二十五両の値がついたと知ったとき、斬られてもいい相手がいたら斬られようと思った。そしてその金は自分の妻子に渡したい。
しかし出会う奴は礼金目当てばかりで、とても金が妻子に渡るとは思えない。紋次郎なら自分の思いを察してくれるだろうと見込んだ、というのである。

第5話「賽を二度振る急ぎ旅」(後編)

今回のタイトルは「賽を二度振る……」だが、賽を振るとは何か?
「人生の上で、重大なこと決める」という意味だと思うのだが、その決断を二度するというのだ。二度とはいつか。
テレビ版を観る限りわからない。実は原作をざっと読んでもわからなかった。

音右衛門は急ぎ旅に疲れ、自分の首に二十五両の値が付いたとき、その金を残してきた妻子に渡したいと決めた。
まさに命を懸けた決断である。それが賽を振る一度目。

二度目は、斬られたい相手を紋次郎と決め、紋次郎に頼みを委ねたときであろう。
はじめ私は「二度」ということで、寝込みを二度襲われたことに関係して……と思ったのだが、「賽を振る」とは辻褄が合わない。
このあたりの事情は、テレビ版はあっさり流しているので気づきにくいが、原作では音右衛門とお楽の会話で明かされている。その説明がテレビ版ではなされていないのは残念である。

原作での音右衛門は金を妻子に渡して欲しいと告げて、ボロボロになった守り札を握りしめ、口許に微かな笑いを漂わせて息を引き取る。
紋次郎はお楽を離れた所に行かせて、音右衛門の首を斬る。

テレビ版では守り袋を懐に入れ、切腹状態の刀を抜き取った後、紋次郎はまだ息のある音右衛門の首に刀を振りおろす。いわゆる介錯である。
さすがにその様子は映像化されておらず、音だけであるが、遠目でお楽がその様子を見ている。
紋次郎に刺されたとはいえ、切腹して介錯となれば、何も紋次郎に喧嘩をふっかけなくても良かったのに……と、またいらぬ突っ込みを入れたくなる。

苦しい息の中、咳込みながらの綿引音右衛門の演技はジリジリと迫るものがあり、虚無的な中村紋次郎とは対照的だった。

原作ではこの後、紋次郎はお楽の誘惑をはねつけて、首を八王子の和泉屋に持って行くが、テレビ版ではこの後立ち回りがある。
二十五両を山分けしようと持ちかけられるが、お楽も音右衛門の首をねらって、使いの者を黒野田一家にに走らせ笹子峠で待ち伏せをさせたのだろうと、紋次郎は問いただす。一連の怪しい行動から視聴者はおおよそ見当をつけていたことであろう。

そこへ黒野田一家の者たちが斬りかかってくる。原作通りだと紋次郎の殺陣がないままとなってしまうので、脚本家は付け足したようである。
樹木のない禿山での戦いである。脆い山肌、砂埃、迷路のように入り組んだ所を、敵と紋次郎が走り抜ける。日本の風景美や情趣など、一切を排除した乾ききった映像である。
どちらかと言うとマカロニウエスタン調であり、それはそれでいいのだが、絶対に許せないことがある。

殺陣の中で、道中合羽に包んだ音右衛門の首をまるでラグビーのように扱うところだ。よりによって、感動的なシーンの要である音右衛門の首を、そんな風に扱う演出には私はついて行けない。
音右衛門に切腹まで用意して元武士の意地を見せたのに、首がラグビーボールというのはあまりにも情けない。

原作では、「畜生!」「馬鹿野郎!」と罵声を浴びせるだけのお楽だが、テレビ版では、紋次郎の背後を匕首で襲うもかわされて崖から墜ちる。

もう一つ情けないのは、紋次郎が和泉屋に訪れたときである。無言の和泉屋に小判を投げつけられるのだ。
格子越しに紋次郎が小判を拾う姿と上がり框に置かれた音右衛門の首が見える。
原作ではそのやりとりを「嘉兵衛は、二十五両を差し出した。」と書かれていて、投げつけてはいない。ここでも「新……」の無宿人に対する蔑みを感じる。

ラストの極めつけは、音右衛門の妻、お春の変貌ぶりである。紋次郎が訪ねたときは、男との睦みごとの真っ最中。あられもない姿のお春を目にしても、紋次郎は表情一つ変えない。
「これは稲妻の音右衛門さんが命に代えての二十五両、確かにお渡し致しやす。」
と小判を置く。
「あの人、死んだのかい。」
とだけ言ってお春は男に、この金を元手にして賭場へ行こうと誘う。こんな女のために、音右衛門は死んだのかと思うとやるせないが、紋次郎フリークなら「ああ、やっぱりね。」という展開でもある。
男は残してきた女のために命をかけるのに、当の女はすっかり様変わりをしている……というバージョンは今までに何回もある。
女性不信になること、この上ないのが紋次郎のシリーズである。

紋次郎は、音右衛門に託された守り袋を川に流し楊枝を飛ばす。
「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」
方丈記の冒頭部分を思い出す。
川は、人生の無常をまさに表している。
そう言えば紋次郎のシリーズでは、よくいろいろな物を川に流す。そしてその大体が遺品である。前回もそうだった。

昔のままの人間などいないのだ。時が過ぎ、環境が変わり生活が変わり、人格も変わるのである。誰もそれを責めることはできないのである。
光る川面をバックにして、紋次郎のシルエットが足早に去っていく。

音右衛門は無駄死にだったのか……無駄に死ぬより、無駄に生きることのほうが音右衛門にとっては耐えられなかった。
としたら、これもよしとするべきかもしれない。

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Re: 第5話「賽を二度振る急ぎ旅」(後編)

新シリーズ原作では、「こんなことする紋次郎は考えられない」と言いたくなる箇所が幾つかあります。
足を洗うことを考えたり、死を前にして焦ったり、お金を工面するのにムニャムニャ(まだお夕さんがここで取り上げられてない話なので以下自粛)。

紋次郎に出てきた「凄腕」といえば、峠花の小文太、猿田の巳之吉、正木進之丞、丹羽宗次郎、大関左源太、「四つの峠」の用心棒、そしてこの稲妻音右衛門。
対峙せずに済んだり、弱点を握ったり奇策を用いたりで勝ってましたが、今回はまったく自分に勝ち目が見出せなかったのでしょう。

とはいえ、あの繊細そうな松橋伊三郎でさえ、数段上手の相手に自分から挑み、顔色一つ変えなかったのだし、感情をもっと持たない紋次郎なら平然としていて欲しいものです。

それにしても首をラグビーボールとはねえ。
「獣道」のラグビーアクションを、もっと悪乗りさせたんでしょうか。
「後味」というものを考えて欲しいですね。

この話のラストは「竜胆は夕映えに」の原作と同じですが、こちらのTV版は後味が悪くならないよう、既に死んでいたことに改変したのと対照的です。

ところで、今回の切り株の写真なんですが…
実は…
昔、これとそっくりな絵を描いたことが有るんです。(汗)

  • 20110114
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第5話「賽を二度振る急ぎ旅」(後編)

TOKI さま、コメントをいただきありがとうございます。

テレビ版だけでなく、原作における紋次郎像も変わってきているのは確かです。
個人的には、第一シーズン(唄を数えた……まで)の紋次郎が好きですが、TOKIさんはいかがですか?

紋次郎と音右衛門……貫禄ある渡世人同士の攻防ということで、いい感じで終わって欲しかったのですが、残念です。
終わりよければ……ではありませんが、やはりクライマックスは、作品の質の高さを占う上では重要でしょう。

「竜胆は……」は深夜枠でありながら、ラストを変えました。今回はゴールデンタイムでありながら、この部分は原作通りでした。

どこを変えてどこを変えないかで、受ける印象が全く変わります。監督の意向でしょうか。
好みはそれぞれですから、何とも言えませんが、これが新シリーズの特徴なんでしょう。

  • 20110115
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第5話「賽を二度振る急ぎ旅」(後編)

お夕さん お邪魔いたします。

昨日、この第5話を観ました。
第1話と比べ、紋次郎さんのお顔もようやく精悍さが戻り、どうにか違和感なくお話を楽しめるようになりました。

かなわないと思われる相手に対する「焦燥感」…
きちんとした剣法を学んでいないという劣等感もあるのでしょうか?

自分で自分を守る為、強くならざるを得なかった紋次郎さんの人生が伝わってくるようです。

紋次郎さんは、よく、「甘えなすっちゃいけません」と言われますが、誰にも何にも守られることなく生き続けるしかない彼にしてみれば、他に方法が無いということなのだと思います。

お夕さんの解説は各話ごとに必ず拝見しております。
TVドラマだけではない世界が広がり、紋次郎さんをより身近に感じることができます。

私は、このお話の最後、お守り袋に楊枝をとばして見守る紋次郎さんの、少し寂しげな表情が大好きです。







Re: 第5話「賽を二度振る急ぎ旅」(後編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

音右衛門の出現で、より紋次郎の魅力が増したように思います。綿引さんの凄みあるオーラは、なかなかのものでしたね。

自分の命を狙う男と、同じ道を行く心境は如何ほどか、と思いますね。それも謂われのないことで……。

策を弄したところでどうにもならない……後は、自分を信じることしかなかったでしょうね。

「頼れるものは手めえだけでござんす。その手めえに頼れなくなったら冥土から迎えがくるんじゃねえんですかい」
これは「冥土の花嫁……」での紋次郎の台詞ですが、まさにその通りの心境だったでしょう。

楊枝を飛ばした後の表情と、去りゆく姿……シリーズドラマの最後の楽しみですね。
余韻が重要ポイントだと思います。

またよければ、おいでくださいね。

  • 20110804
  • お夕 ♦wikz35BA
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  • 編集 ]
Re: 第5話「賽を二度振る急ぎ旅」(後編)

はじめまして。
今回の話は何話かつづいた湿っぽさがなく、秀作だったのではないでしょうか。伏線が関係付けられるドラマの終盤に、たいてい、論理的な爽快感でなく情緒的な押し売りが勝ってしまう傾向があるところがもったいないと思ってましたので。
ところで、最後の25両をもっていく女房が元旦那とは決別した新生活をはじめているのは当然のことで、それを倫理的な悪、堕落、女の裏切り、浅薄さ等々と印象付けられるとしたら、このドラマあるいは原作もふくめて、その質の限界を示すものではないか。お約束の通俗的な道徳観の枠から一歩も出ないとしても、エンターテイメントとはそもそもそのようなものですし、市川崑時代の紋次郎から、絵的な面白さ、その作りこみ、練りこみを愛でるものだと個人的に思っています。

  • 20140815
  • Atum ♦bNT85VK.
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第5話「賽を二度振る急ぎ旅」(後編)

Atumさま、初めまして。
コメントをいただきありがとうございます。

「噂の木枯し紋次郎」では実の妹のため……今回は女房のために、名のある渡世人が命を賭けます。これが「男の美学」かと思いきや、どんでん返しが待っていたというラスト。ホント、ハードですよね。

ところでAtumさんは、紋次郎ワールドにどちらから入られたんでしょうか?
原作?映像?
私は映像からなんですが……。

またよければ、おいでくださいね。

  • 20140815
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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