紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第6話「三途の川は独りで渡れ」(前編)

第6話「三途の川は独りで渡れ」(前編)

第6話「三途の川は独りで渡れ」(前編)
(原作 第40話)(放映 1977.11.9)
この作品の脚本は「中村勝行」さん。中村敦夫氏の2歳違いの実弟である。1975年に脚本家としての仕事を始め、その後「必殺シリーズ」でも数多くの脚本を書いておられる。
また時代小説を執筆されるときは、「黒崎裕一郎」というペンネーム。
講談社の主催により行われた時代小説大賞に1995年「蘭と狗」で受賞されている。「冥府の刺客シリーズ」は、「幻十郎必殺剣」としてテレビ東京で放映され、中村敦夫氏は「楽翁」役で出演されている。
「新木枯し紋次郎シリーズ」での脚本は、この作品以外にあと4話手がけておられる。才能溢れるご兄弟である。

この作品で興味深いのは、登場人物「お国」の扱い方である。
お国役は「新橋耐子」さん。
前シリーズ「木枯し紋次郎」の第35話「雪に花散る奥州路」で、お絹役を演じておられるので共演は2回目ということになる。
今回の役どころは、女壷振り「丁目のお国」。テレビ版では原作にはない「丁目」という通り名が使われているが、いかさま博奕で思い通りに丁目が出せる壷振りとなっている。
このお国の役どころが原作とは大分違うのだが、これは脚本家の手によるものだろう。

紋次郎の弱みはいくつかあるが、今回はその中でも「間引き」がキーワードである。前シリーズを観ていない視聴者のために、「年に一度の……」で出生のトラウマを提示してあるが、初めてこの回を観た人は「間引き」に紋次郎が過剰に反応する意味がわかるだろうか。

ドラマは黒井の賭場から始まる。
お国が壷を振っている賭場で、紋次郎は博奕に負けてスッテンテンになった見ず知らずの百姓に、黙って一両を手渡す。百姓が「今夜にも五人目の子が生まれるが、このまま銭無しで帰ると、子を育てるどころか間引くほかはねえ」と、鍬をカタに金を貸してくれと代貸に懇願しているのを目にしたからである。
一両というと大金である。原作を見ると、二両勝った内の一両を紋次郎は差し出している。
無言で渡す紋次郎の優しさ……このシーンが、後の展開に大きく関わるのである。

越後の高田「高砂屋」で六人が斬殺され、二百両が盗まれたがテレビ版ではなぜか百両になっている。押し込みの人数は五人。店の前での人だかりを全く無視して、紋次郎は道を急ぐ。
原作での季節は冬。高田の御城下は20センチの積雪とあるが、テレビ版は草木がまだ青々としていて冬の北国街道の様子はない。撮影は多分10月初旬くらいだから仕方がない。

街道を行く紋次郎に声をかける者がいる。道ばたの地蔵の近くにへたり込んでいる貧しい身なりの男である。
小諸の在、小県郡の芝生田村の百姓で「卯吉」だと名乗る。この卯吉役に「小坂一也」さん。この方は独特の雰囲気がある。いわゆるソフトムードで小心な善人タイプ。原作の卯吉の雰囲気にはピッタリで、キャスティングは絶妙だと思う。
卯吉は布の包みを差し出しながら、自分は心の臓の持病が出て動けなくなった。自分の代わりに里の女房にこの荷物を届けて欲しいと紋次郎に頼む。
紋次郎はいつものように断るのだが、その背で聞いた言葉に立ち止まる。
「間引き」である。

卯吉の女房は今日か明日には赤子を産むが、自分が家に戻らないと絶望して間引きをするに違いない。しかし、自分はそれまでにとても帰れそうにない。赤子が間引かれる前に、この荷物さえ届けば……と荷物の布をほどく。出稼ぎで半年分蓄えた給金と土産の品々である。
原作には子供用の古着が6枚ほどと、円形に柄をつけたような黒塗りの箱とある。この箱の中身は鏡掛けに置いて使われる、青銅を磨き込んだ手鏡だろうと書かれてある。
テレビ版では中身はあまりハッキリ見せていないので、布きれぐらいしか見えない。問題の手鏡をなぜ見せなかったのか。

第6話「三途の川は独りで渡れ」(前編)


「あっしがそれを持ち逃げするとは、思ってもみねえんですかい?」
もっともな問いである。紋次郎にものを頼む人間は誰もが「絶対にこの男なら……」と、全幅の信頼をおく。頼み人が善人であろうが、悪人であろうが……である。
見る目があるというのか、自然とにじみ出る紋次郎の人間性か……。
紋次郎は安請け合いはしないし、まず関わらない。そのかわり、一旦引き受けたことはどんな困難なことでも遂行する。
愚直なまでに自己犠牲を払ってやり遂げるのだが、決まってそれは儚く、哀しい結末となる。

結局紋次郎は引き受ける。
「赤子を間引かせたくねえんで引き受けたんでござんすよ。」
と、あくまでも間引きにこだわっている。

小県郡の芝生田村までは二十一里で、普通なら三日をかける距離である。が、明後日の朝にはたどり着かないと、赤子が間引かれる確率は高いという。三日が過ぎれば情が湧いて死なせたくなくなる、と芥川さんのナレーションが入る。
タイムリミットがある中、紋次郎は道を急ぐ。テレビ版ではその途中でお国に出会うのである。

茶店で甘酒と豆餅が運ばれたとき、お国が賽子を片手に声をかける。丁目のお国というだけあって、丁目ばかりを出してみせる。いかさま賽子だろう。
原作と同じように道連れを頼むが、その最中四人の旅商人風の男たちが通りかかるのを見て、身を隠す。
「いかさま博奕が見つかって追われているから、助けて欲しい」と言うのだ。

「私を見殺しにしようってのかい。」
「関わりのねえことでござんす。」
店にお国を残して紋次郎は先を急ぐ。

しかし原作のお国が紋次郎に声をかけるのは、卯吉に出会う前である。
黒井の賭場で紋次郎を見かけ、「一目惚れ」をしたと言うのだ。追分宿まで方角が同じだから、道連れにしてくれと媚びるようにして迫る。
今で言う「肉食系女子」である。しかし紋次郎は歯牙にも掛けない。

「関わりたくないって言うけど、黒井の賭場で百姓に一両も恵んだのはどういう訳だい?」とお国に尋ねられ、自分は間引かれ損いの男だと答える紋次郎。
お国はそれを聞いて少し神妙になる。
しかしとりつく島もない紋次郎に、お国は逆上し紋次郎に罵声浴びせる。

「……この唐変木!女に恥をかかせておいて、一人前の男って面をするんじゃないよ!……紋次郎に関わりがあるのは、間引きだけってわけかい!……」

お国は銭を茶屋の奥に向かって投げつけ、ひとり憤然と歩き出し先を行く。「かわいさ余って憎さ百倍」というところだろう。
紋次郎は知らん顔で豆餅を噛み続ける。このあたりの対比が面白い。

先を急ぐ紋次郎の前にそれを邪魔するものが出てくる。
原作では松本の貸元、弥九郎に背負われたお国に出会う。お国は酔っぱらって紋次郎を罵る。ふられた女の恨みはかなりのもののようだ。

弥九郎は紋次郎にからみかかり、通して欲しかったら土下座をしろと言い放つ。弥九郎のバックには五郎兵衛という貸元もいるらしい。
ここでもめ事を起こすと、芝生田村へは大幅に遅れることになる。紋次郎は雪の中、土下座をし頭を下げる。子分に肩を蹴られ、お国に唾を吐かれても紋次郎は先を急ぐことを優先する。
この展開はテレビ版にはない。

土下座をすると言えば、「明鴉に……」と「雪に花散る……」があった。
腕が立つ紋次郎が、敢えて屈辱に耐えるというこれらの場面は、胸を打つものがある。真に強い男は、薄っぺらいプライドなど持ち合わさない。価値観が違うし、どんなときでも冷静である。
瞬時に状況を判断をし、自重すべきときはそれに従い観念する。紋次郎の生き方のひとつでもある。
(中編へ続く)


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Re: 第6話「三途の川は独りで渡れ」(前編)

初期の原作は六地蔵、女人講、湯煙、絵馬といった具体的な名詞がタイトルに使われ、それが話のキーワードになってました。
この頃のは三途の川、命、念仏といった、抽象的なものがタイトルになっているので、しばらく原作を読んでいないと、どれがどの話だったかごっちゃになっちゃうんですよね。(笑)

で、原作のこの話、ツッコミを入れたくなる箇所が二つあります。
一つは最後なので今は書きませんが、もう一つはお国の扱い。
「一応ヒロインなのに、こんだけ~~?」と思っていたのですが、何か変更があるとは楽しみです。

イカサマ博打の「毛返し」が紋次郎には「川留め」「顔役」で出てきますが、これがよくわからないのです。
壷に張った髪の毛で、中のサイコロを転がし、出目を変えるというものですが、外から壷の中が見えないことには何にもなりません。
「丁しか出ないオモリ入りのサイコロで、半を出したい時には毛返しをする」のかとも考えましたが、それだと「川留め」の最後の勝負を「大目小目」にしたことの説明が付かないのです。
お夕さんはどう考えられますか?

今回の写真も素敵ですね。
フリードリッヒの絵画を連想しました。

  • 20110129
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第6話「三途の川は独りで渡れ」(前編)

TOKI さま、コメントをいただきありがとうございます。

「唄を数えた……」で一旦終わったシリーズでしたが、それより後はタイトルに「数」がつくようになりましたね。
「唄を数えた……」の続きだから、ということでしょうか。

私もタイトルだけではパッと思いつかないことがあり、混同してしまうことが多々あります。修行が足りません(笑)。

お国はこの後も展開に絡みます。乞うご期待……(とも言えないかもしれませんが)
原理主義者のTOKIさんには、許せないかも……。

賽子博奕については、私もあまり理解できておりません。
「毛返し」の件ですが、仰るとおり出目がわかっていないと効果がありませんよね。

出目がわかる手段として、細工されたイカサマ賽子があります。
丁半一方の目しか出ないように角を削る、面の幅をいびつにする・賽子の中に水銀を入れ随意の目を出す・丁目、半目に針の先を付け壷が触れる感覚で目を読む等があるようです。

また壷には、角繰用壷皿というものがあり(形状はハッキリしません)その縁に賽子を引っかけて煽りながら押すと、コロンとひっくり返るようです。
それから例の「毛返し」ですね。
また壷の一部分に仕掛けを作り、指で押すと隙間ができ目が見えるというものもあるとか……。

もっと大がかりだと、盆ゴザの下に穴をあけそこに人が入り、白布の裏からすかして目を読んで伝達したり、下から布ごしに針を突き出して賽子をひっくり返すなんて、すごいやり方もあります。
複雑です。よくこれだけ考えるものだと感心します。

一番凄いのは丁、半、自由に目を投げ分ける天才的な技を持つ者がいるということです。
「投げ賽小万」という女無宿がいたようです。
しかし手先の器用さが災いして、手目博奕ではないのに疑われるので、身許を隠して流れ旅を重ねたという記述が「日本侠客100選」という本に記述されていました。

奥が深いです、ホントに。
で、お勝さんはそれに近かったんでしょうかね。

  • 20110129
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第6話「三途の川は独りで渡れ」(前編)

しみじみと読ませていただきました。
人間ドラマなんですね。
博奕に間引きに土下座どれもこれも生き延びる術なんでしょう。
なんとカントリー&ウエスタンの小坂一也が出ているんですか!雰囲気的に似合いそうですね。
カントリーなテーマだし(笑)
彼は今頃どうしているのかな?

Re: 第6話「三途の川は独りで渡れ」(前編)

小父貴さま、コメントをいただきありがとうございます。

紋次郎の人生は、本当に過酷です。
それは生まれおちたときから始まっていて、懸命に生き続けても、報われることはありません。
しかし紋次郎は旅を続けます。
それは姉お光の、無辜の愛に応えるためかもしれません。

小坂一也さんって、デビューは歌手だったんですね。私は俳優さんとしてしか知りませんでした。
調べたところ、1997年にお亡くなりになっています。
今頃、天国でロックンロールでも歌っておられるのかもしれません。

  • 20110131
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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