紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第6話「三途の川は独りで渡れ」(後編)

第6話「三途の川は独りで渡れ」(後編)

第6話「三途の川は独りで渡れ」(後編)

(原作 第40話)(放映 1977.11.9)
お梅に納屋で休ませてもらいたいと頼み、紋次郎はやっと熟睡する。目覚めて納屋を後にする紋次郎は、お梅と話す男の声に気づく。聞き覚えのある声は確かに卯吉である。
話の内容から、どうも卯吉と名乗っていた男はお梅の兄であるようだ。なぜそんな嘘をついたのか。
ここで初めて、紋次郎が運んだ荷物の中身に漆塗りの手鏡の箱が出てくる。男にはお咲という女がいるようで、この手鏡は土産だという。

男は手鏡を持ってお咲に会いに行く。お咲は水際で足で洗濯物を踏んでいる。どうも少し知恵が足らない様子である。男とお咲は再会を喜び抱き合っているところに、紋次郎が声を掛ける。
「無粋な真似を、させてもらえやすぜ。」
ホントに無粋と言えば無粋である。前回も、音右衛門の女房と男がいちゃついているところを邪魔している。

「いってえどんな下心があって、あっしを騙したんですかい。間引きを口実に、あっしを騙すなんて悪い了見ですぜ。」(テレビ版の台詞より)

原作とよく似た台詞を口にしているが、原作はもっと重い。紋次郎の魂の叫びとも言える。

「おめえさんの悪い了見のために、あっしの道中で何人かが、生き方を変えなけりゃあならなかったんですぜ。その上、あっしにとっては何よりも惨い騙しようでござんした」
(原作より抜粋)

紋次郎の道中で……ひとつは賭場荒らしの疑いを掛けられて理不尽に殺された若い渡世人たち。そして騙されて襲われたお国……紋次郎が関わらなかったが故、人生を狂わされた者たちのことを指しているのだ。
先を急ぐために見殺しにしたといえば、「見返り峠の落日」が挙げられよう。

テレビ版はここで、お国の哄笑が入る。
五十両の為に、自分は身体を張ってここまで来た。女も抱けない紋次郎にはわからないだろう。だけど自分は金の為なら男に抱かれたって平気だ、とまくし立てる。
紋次郎はお国が、男の名前を「やい!定六!」と呼んだときすべてを悟る。

卯吉と名乗っていたこの男は、高田の高砂屋を襲った盗賊の一味で、金を持ち逃げした定六だったのだ。定六はお国にそそのかされて、金を持ち逃げし山分けをする算段だったのだ。
定六は、「お咲に楽な暮らしをさせてやりたかった。騙して悪かった、許してくれ。」と紋次郎に詫びる。定六はお咲に惚れ込んでいるのだ。

紋次郎が「間引き」という言葉に弱いことをお国は賭場で知り、定六に入れ知恵をして紋次郎を騙した。すべての筋書きはお国が考えたのである。その上お国は紋次郎に近づき、百両を独り占めしようとしたのであるから、定六よりたちが悪い。
テレビ版はやはり、女が後ろで糸を引くという展開に持って行きたいようである。

定六とお国は手鏡の箱を取り合い、中から小判がばらまかれる。手鏡の箱に百両?百両と言えば、かなりのかさと重さがあるのではないか。しかも原作では二百両である。

「漆塗りの手鏡の箱に重ねて詰め込めば、二百両ははいる。小判一枚の量目は三匁五分、二百枚入れても青銅の鏡と重さは大して変わらない。」
(原作より抜粋)

換算すると二百両は約2.6㎏。従って百両は約1.3㎏。もっと重いと思っていたが、そんなものなのか……。それなら紋次郎が、疑いもなく運んでも不思議ではない。

二人が浅ましくも小判を取り合うのは見苦しいことだが、もしかしたら視聴者自身の姿かもしれない。ブラウン管の(当時はそうでした)むこうから、「あなたもそうではありませんか。」と内省を促される。

小判に目もくれない人間が二人。ひとりは紋次郎、そしてもうひとりはお咲。お咲は目の前で散らばった小判を取り合っているのに、全く無関心で地面に座り込んだまま。

お咲を見ていて思い出した。小判に目もくれない人間と言うと、「土煙に……」のお花がいた。お花は気が触れた娘だった。正気でない者には欲がないのだろうが、欲のために正気でなくなるということも皮肉な話である。

第6話「三途の川は独りで渡れ」(後編)

紋次郎はそんな二人の様子に虚無的な横顔を見せて、その場を立ち去ろうとする。

そこへ盗賊の四人組がやって来て瞬時にお国を殺す。続いて定六にも刀を振り下ろす。
紋次郎は……というと、そんな騒動には無関係とばかりに背を向けて遠ざかっていく。
盗賊たちはよせばいいのに、去りゆく紋次郎をわざわざ追いかけていく。盗賊の顔のアップをはさんで紋次郎の後ろ姿が撮られているのだが、どうも上手く繋がっていないようで気になった。

原作では、定六と紋次郎に四人組が襲いかかる。

「紋次郎は、長脇差を抜き放った。紋次郎としては珍しく、好戦的で強引だった。」と原作にはあるが、なぜそんなに荒々しいのか。
怒っているのである。では何に対してか。

「間引き」という言葉を軽々しく使い、人の心を踏みにじった怒り。間引きをやめさせようとした紋次郎の行為は、とりもなおさず姉お光と同じ行為だった。だのに運んだものは人を殺して盗んだ悪銭……。紋次郎にとっては、お光を汚されたような思いだったのではないだろうか。
間引きをとめることを最優先し、助けを求められた人間を無視して道中を急いだことも胸中をよぎっただろう。

それら諸々の怒りを盗賊四人にぶつけたのであって、定六を助けるという意味ではない。
しかし、テレビ版には怒りという感情はあまり感じられない。どちらかというと、この事態にもうこれ以上関わりたくないといった雰囲気である。

今回の殺陣はすべて逆手に長脇差を持っている。道中合羽が紋次郎の身体の回転と共に見事に翻り弧を描く。スピード感がある。合羽の風切り音や、刀が空を斬る音が頻繁に入っているので余計にそう思えるのかもしれない。
血が飛び散ったり、首に刀が刺さったりと、ハードな映像もある意味原作に近いと言える。四人を斬りすてた紋次郎の背に虫の息で定六は言う。

「旅人さん、なぜおらを見殺しにしただ。なぜ助けてくれなかっただ。殺されるのを黙って見ているなんて、情けのかけらもねえんですかい。」
この台詞は原作にはない。
楊枝を咥え紋次郎は答える。

「あっしには言い訳なんぞござんせんよ。」

この決め台詞を引き出したいが為の展開である。
しかし定六が自分を見殺しにしたと責める展開のために、間引きを口実に騙した報いのようになってしまうのはいかがなものか。
紋次郎が手を下したのではないが、関わらなかったが故に定六は命を落とす。

しかし定六が生き延びて、一家を皆殺しにして手に入れた百両がそっくり手に渡るということは許されないだろう。やはり定六は死ぬ運命なのだ。

お咲を残して死にたくない。お咲の喉を刺してやってほしい。二人で一緒に死にたい。お咲を連れてあの世に旅立ちたい。と、お咲の腰紐を引っ張りながら繰り返し呟く定六。
しかし紋次郎はその腰紐に楊枝を飛ばして、定六の願いと共にプッツリと断ち切る。

「三途の川は独りで渡るもんでござんすよ。」

その通りである。お咲は死ぬ運命ではないのだ。不憫だからと勝手に人の命を絶つことは許されない。
無辜であるお咲を殺すことは、純粋無垢な赤子を間引くことと変わらないのではないだろうか。
無理心中をする現代人にも聞かせてやりたい名台詞、名コピーである。

紋次郎は小判には目もくれず、立ち去る。自分の金ではないので当然だが、全く執着していない。
人間が出来ている。

「しかしあの後、百両はどうなったのだろう。」とチラッと考えてしまう私は、やはり俗人である。

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Re: 第6話「三途の川は独りで渡れ」(後編)

お国、やはり黒幕でしたか。
これはひょっとしたら、作者も最初はそのつもりで書いたのかもしれません。
が、今までよく有ったパターンなので、途中で変更し、中盤で「あ~れ~たすけて~」だけで消えるようになったのでは、とも思えます。

けどお国が百両を独り占めしたいのなら、なぜ定六に入れ知恵して、紋次郎を運び役に仕立てたのでしょう。
色仕掛けで手懐けたゴロツキに、直接定六を襲わせたほうが簡単な気もします。

原作でもう一つ突っ込みたかったのは、お夕さんも書いておられる「おめえさんの悪い了見のために、あっしの道中で何人かが、生き方を変えなけりゃあならなかったんですぜ。」です。
たとえ急ぎの用事が無かろうと、果たして紋次郎は助けたのかどうか。
脚本家もここは無理があると見たので、このセリフをカットしたとも思えます。

小判、ねえ。
昔、どこかの海岸だったか川原だったかで、偶然小判が発見されました。
その後もその近辺を掘る人が居たのですが、周りから呆れられたものの、一ヵ月後に本当にまた小判を発見。
それが報道された翌日、その場所は熊手を持った人で埋め尽くされた、ってことがあったような。

  • 20110212
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第6話「三途の川は独りで渡れ」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

いつもながら、鋭いご指摘です。
紋次郎シリーズには女優さんが不可欠ですから、何とかしてからめないといけません。
苦肉の策だったんでしょうね、きっと。

原作には登場しなかったのに、女優さんをからめるということで、出演と相成った「六地蔵の影を斬る」のお久美さん。
このあたりも苦肉の策だったと思います。
脚本家さんも大変だったでしょう。

>たとえ急ぎの用事が無かろうと、果たして紋次郎は助けたのかどうか。

私もわかりませんねえ。でも、確率は低いでしょうね。
あの物言いだと、助ける気があったようですが……。

紋次郎がかかわるか、かかわらないかは気紛れ?と思う節が結構あります。
「馬子唄に……」では、お政を助けますしね。
「あっしの道中で何人かが……」ですが、原作では三人。テレビ版では二人となりますね。
若い渡世人二人だけを「何人かが」とするのは、やはり無理があると思います。

「小判欲しさに目がくらむ」のは古今東西、今も昔も同じなんでしょう。
定六も変な気を起こさず、稼いだ給金だけを持って帰れば、そこそこ幸せに暮らせただろうに……と思いますね。
必要以上に欲しがってはいけません……やはり「知足」の精神が大事です。

  • 20110212
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第6話「三途の川は独りで渡れ」(後編)

こんばんは♪

やはり、紋次郎の世界観、分析が鋭いですね。
当方、原作も映像も手元に無いので懐かしく思い出しております。

本来は無宿人ですので、世間と関わりあう事を避けるのが常套手段ですよね。
でも、それでは物語にならないし、原作も脚本も腕の見せ処ですね。

紋次郎が最初から最後まで、ただ歩くだけ周りの風景で一日を表す、という一本も見たい気もします(笑)

先日、テレビで庄内映画村の特番を観ました。
映画誘致が死活問題と改めて感じました。
そこに生きる人がいて、あの風景があるとつくづく感心しました。
本物そっくり、綺麗だなあ、だけでは済まされないビジネスなんですよね。
また、そういう人が居ないと映画も出来ないのですよね。
毎回エキストラで出演しているご家族も紹介しておりましたが、地元の方のご協力もあっての映画界と改めて感じました。

いつもありがとうございます。
では、又♪

  • 20110215
  • ぶんぶん ♦KWOxclv.
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第6話「三途の川は独りで渡れ」(後編)

ぶんぶんさま、コメントをいただきありがとうございます。
お返事が遅れまして、すみません。

>紋次郎が最初から最後まで、ただ歩くだけ周りの風景で一日を表す、という一本も見たい気もします

同感です。でも多分無言劇で終わるでしょうね(笑)。

庄内映画村の特集があったんですか。見たかったですね。
今は一面、雪景色だろうと思います。スタッフの方々は、雪下ろしに精を出しておられることでしょう。

映画撮影があってこその施設だと思いますから、誘致活動は必至でしょうね。
でも根底には映画を愛する気持ちがないと、「仏作って魂入れず」となりかねません。
その点、エキストラの方々がおられるというのは、心強いですね。

今後も注目したいです。

  • 20110216
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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