紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」
初冬、紋次郎の故郷とされている「上州新田郡三日月村」に足を伸ばしました。現在は群馬県太田市藪塚町ですが、ここに「三日月村」という観光施設があります。
紋次郎ファンの方なら、誰もがご存知かと思いますが、架空の地でありながら笹沢氏もこの地と認めたとのことです。その顛末は「紋次郎の独白」にも書かれています。

昭和47年の3月に、当時の新田郡薮塚本町の観光協会長が、笹沢氏の家を訪ねました。

「観光協会長は、地図を広げた。なるほど藪塚本町は新田郡のやや北寄りの中央部に位置していた、あかがね街道が通り、南には例幣使街道が走っている。国定村が、すぐ近くにある。
確かにそんな感じが、しないでもなかった。それに、新田郡までは実在しているのだし、新田郡そのものもあまり広くはない。新田郡三日月村と明記した以上、ここがそうだと言われてそれを否定できる根拠がまるでないのである。」
(「紋次郎の独白」より抜粋)

紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

こうして三日月村が誕生したという訳です。その後今度は紋次郎の銅像を建てたいという申し入れがあったそうですが、さすがにそれは断られたようで……。
その銅像がある限り、面映ゆい思いをしなければならないのは御免だということで、碑を建てることで落ち着いたようです。
笹沢氏の要望は、文学碑の体裁はとらない、絵は岩田専太郎氏に、字は笹沢氏の小説の一部を使うということで、とにかく大袈裟なものを作らないという条件であったといいます。

かくして昭和47年11月15日、氏の誕生日に山口瞳氏、梶山季之氏も同席となる除幕式が行われました。

「ぼくは紋次郎の、生みの親とよく言われる。その生みの親が、息子の碑に向かって何度も拝礼をしなければならなかったのである。子どもというのは、親によく頭を下げさせるものなのだ。」と同書には書かれ、照れくさいやら嬉しいやら……とも書かれています。

紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

その当時の華やかなブームの様子が伺い知れます。
しかし、今は喧噪から離れ、ひっそりとした中に碑が建っています。この方が紋次郎らしいと思い、感慨深くその前に立ちました。

この「三日月村」のテーマパークは、その日は休園日でしたので入村はしませんでしたが、聖地に訪れることができ、私は満足でした。

この三日月村の近くに石切場跡があると、インターネットで見たことがありました。
原作「上州新田郡三日月村」でも石切場が出てきます。与作(泥亀の喜三郎)が流れ石工職人として小屋がけをして住んでいました。

近くの資料館で尋ねると北山古墳の裏あたりにあるということ。古墳の石室を覗いた後、小高い丘を行きました。丘と言っても鬱蒼とした樹木が生い茂り、道はほとんど獣道状態。本当にこんなところに石切場があるのだろうか、と半信半疑で進みました。

紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

草木が生い茂った丘を転げるように下りると、忽然と巨大な白い神殿が眼前に現れます。と思いきやそこが石切場だったのです。まるで密林を探検して幻の神殿を発見したかのような錯覚に陥りました。

紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

余りの規模と、その垂直に切り立った石の造形美に圧倒され、しばし見とれてしまいました。
テレビ版で見た映像の雰囲気とは全く別物でした。
シンとした中、ここはまるで異次元空間のようでした。

紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

「上州新田郡三日月村には、六つの山があった。山といっても二百メートルほどの高さでいわば丘陵だが、この六つの山から石が切り出されていた。」(「上州新田郡三日月村」より抜粋)
六つの山が村の東側を取り囲んでいる……とも書かれていますが、この丘陵というのは古墳群なのかもしれません。
ここ、藪塚町の周辺は数多くの古墳が発見されています。
また六つの山から切り出される石は良質で大谷石よりも色が白く、竈、石仏、土台石などの資材として使われていた……とも小説内では記述されています。

紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

後で調べてわかったのですが、ここで採れる石は「藪塚石」と呼ばれるそうで明治の中頃から採掘をしていたとのことです。江戸時代はどうだったのでしょう。
やわらかく細工しやすく建築物の土台や塀に使われ、熱に強かったので竈にも使われたともあります。
当てはまりますね。
最終的には昭和三十年頃に閉山になったようです。

小説には石を切り出した跡が巨大な洞窟になっていて、奥の横穴などは真暗な迷路みたいに入り組んでいた、と書かれてあり、子どもたちがよく遊びに行ったとも記述されています。
幼い紋次郎も遊んだのでしょうか。

紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

と、この記事を書いていて気づいたことがあります。
「上州新田郡三日月村」はこの地が三日月村だと認められてから書かれたものだということです。ですから笹沢氏はこの地を訪問し、「藪塚石」の存在を知って、与作(泥亀の喜三郎)のキャラクターを考えついたのかも知れません。
与作の孫娘、お市が「三日に一度ずつ、おじいちゃんと湯へはいりに行くんです」と紋次郎に話す場面が小説内にありますが、これは「藪塚温泉」のことでしょう。
記念碑の向かい側にあり、冷泉であることも一致しています。これらもこの地の特徴を、上手く取り入れて肉付けされているようです。
これはあくまでも想像ですが……。

紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

さらにこの後、わかったことがあります。
この石切場は「心霊スポット」として有名だったこと。そう言えば2回ほど、だれもいないはずなのに熊笹がガサガサと音を立てました。(獣がいたのかもしれませんが)
私としては紋次郎が、獣道を急いでいる音としたいのですが……(笑)。
後でわかって良かったです。そうでなければ、訪れてなかったでしょうから。

紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

今思い出すのは
見上げた上州の空は抜けるように真っ青だったことと、名物の「からっ風」が頬に冷たかったことです。

私にとっては、聖地巡礼の旅でした。

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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

自然の厳しさと趣きが
同居しているような風景ですね。
でもお夕さまにとっては愛する人の故郷。
特別な印象がおありだったでしょうね。

心霊スポット…(怖)

  • 20110217
  • ナラリーノ ♦SJMMuUIM
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

お邪魔いたしやす。

潮来には伊太郎の銅像がありましたが
紋次郎さんと銅像・・・
どうも似合いません。
笹沢先生、断ってよかったです。

Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ナラリーノさま、コメントをいただきありがとうございます。

紋次郎サンにとっては、生まれ故郷に何の感慨もないでしょうが、私はその地の空気を吸うだけでも嬉しかったです。

藪塚温泉にも入りたかったのですが、時間がなくて残念でした。

三日月村のテーマパークは「怖いもの見たさ」(笑)もあったのですが、幸か不幸か
休園……。
また行かれた方は情報をお願いします。

ナラリーノさまは、またしばらくお忙しいようですが、お身体ご自愛くださいね。

  • 20110218
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

桐風庵の兄ぃ、コメントをいただきありがとうございやす。

伊太郎サンの銅像、あるんですね。
モデルは誰なんでしょう。(まさか、橋幸夫?)

笹沢さんの作品ではかっこいい渡世人ですが、どんなお姿か興味がわきますねえ。

でも仰るとおり、紋次郎サンの銅像はなくてよかったです。

  • 20110218
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

お夕さん、おばんでございます、
誕生地が後で作られたというのも、
紋次郎さんらしいといえばらしいですよね~、

この石切り場は雰囲気は空気がひんやりと
お夕さん恐くありませんでしたか?・・・

この碑の除幕式に出席された方々は鬼籍に入られた
方々のようで、ところで佐保氏はご健在なんでしょうか?

  • 20110220
  • 淡青 ♦A0jF0/YQ
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

淡青さま、コメントをいただきありがとうございます。

石切り場は、どちらかと言うと長居はしたくない場所でしたねえ。
誰かに上から見られているような気がして、落ち着かなかったです。
地震でも起きたら、怖いようなところでした。

笹沢さんは、惜しくも2002年にお亡くなりになりました。
晩年は佐賀県の三日月町に居を移し、執筆活動をされていました。
三日月町と言う名前もすごいですよね。
今は市町村合併で消えてしまったようです。

もう二度と、紋次郎の新作にはお目にかかれない訳で……こちらも寂しい限りです。

  • 20110220
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

こんばんは♪

紋次郎生誕の地に出掛けられたのですね。
実際には「三日月村」を笹沢氏が想定した時は、薮塚村は頭に無かったでしょうね。
また、架空の主人公の出生地が実在するのも、なんかピンと来ませんが。
「木枯しの・・・」は周りからの異名で、紋次郎は「三日月の・・・」と仁義を切ったシーンがありませんでしたっけ・・・

「潮来の伊太郎」は笹沢氏も小説にしておりますが、あれは歌の大ヒットのかなり後に小説化しました。
何で今更「伊太郎」なのかと思いましたが、右手の痺れというウイークポイントを造り、「弓がけ」という手袋状のものをトレードマークする辺りが笹沢氏の真骨頂ですね。
そういえば、御子神の丈吉の赤いしごきと長い爪もトレードマークだった。

一時、これで一から十まで数が揃ったという人が多くいました。
伊太郎、紋次郎、伊三郎、姫四郎・・・丈八・・・真十郎
このくらいしか、覚えていません。
確か、著作の「紋次郎の独り言」に書かれていた記憶しておりますが・・・ 

三日月村のテーマパーク
確か、村の入口で当時の貨幣に替えるんでしたよね。
だんごが何文とかで支払うような、また、旅人や町娘の貸衣装もあったような・・・

薮塚村のテーマパークは、スネークセンターでしたっけ

有難うございました。
では、又♪

  • 20110220
  • ぶんぶん ♦KWOxclv.
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ぶんぶんさま、コメントをいただきありがとうございます。

「三日月の紋次郎」という口上はなかったと思いますが、「上州新田郡三日月村の紋次郎と申しやす」はあったかもしれません。
自分のことを「木枯し紋次郎」と名乗ることは滅多にありませんが、テレビ版では2~3回あったと思います。(新木枯し……も含めて)
どちらも、記憶が確かではござんせん(笑)。

笹沢氏が送り出した渡世人のほとんどには、何かしらトレードマークがありましたね。
またそれが、かっこいい!
銀の簪、お多福の鈴、風鈴、手首に巻いた紐、数珠……実にたくさんあります。
よく考えられたと思います。

「スネークセンター」が隣りにあったようでしたが、確かめておりません。
研究所のような建物はありましたが、何だか謎だらけなミステリーゾーンでもありました。
やはり聖地には、ある程度の神秘性は必要だということですね(笑)。

  • 20110220
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

お夕さん、あっしは昨年11月に紋次郎の碑を見たさに、静岡から愛車スーパーカブで3泊4日の旧街道野宿旅をしながら三日月村へ向かいました。
上州空っ風というには穏やかすぎる陽気でしたが、気分は木枯しの中を足早に突き進む孤独な渡世人・・。

朝イチから三日月村に乗り込み紋次郎テーマパーク(過剰な期待は禁物にござんす・笑)を満喫しました。
村内は紋次郎生家や等身大フィギュア(三度笠や道中合羽などの装備の痛み具合、顔つきはなかなかリアルだと思います)、旅籠や地蔵堂、水車小屋などが再現されています。
特に『笹沢左保記念館(またの名を”かかわり~な”)』内は笹沢先生の紋次郎原稿、TV撮影時のスチール写真、当時のメディア記事、などなど(”番組のダイジェスト版ビデオが視聴可能”とあったのですが、残念な事に機器の故障で観られませんでした)・・笹沢作品および紋次郎ファンには充分楽しめる内容となっております。
わたしが訪れたのは土曜日でしたが、ほかのお客さんは数組しかおらず、村内は閑散としており(個人的にはそんな雰囲気こそ似合っているのかもしれないな・・と思ったりもしましたが)商業施設としては苦しい状況・・と言わざるを得えません。(江戸時代を再現した施設が古いのはいっこうにかまわないのですが、設備・備品等の破損が目立ちました)
そんな中、受付兼煮売り屋の女性従業員の方に”ここを目指して来た事””笹沢作品と紋次郎に心酔している事”等お話ししたところ、とても喜んでくださり(ここだけの話ですが)笹沢先生が長楊枝を銜えたイラスト入りの”しおり”を10枚程頂いてしまいました。受付横の荒物屋(土産物屋)にはちょっとトホホな紋次郎イラスト入りの財布などがありますが、お土産に『長楊枝セット(これはなかなかオススメです・笑)』を買いました。

入場料\630(不思議土蔵・戯揶満館は別料金)のみで村内と記念館が観覧可能。村内での食事・飲み物は受付で交換してもらった門銭で支払います(余った分は払い戻し可)

また今年中にも紋次郎の足跡をたどり、銅山街道方面に足を伸ばしたついでに三日月村を再訪したいと思っております。
日本で唯一の”紋次郎テーマパーク”・・紋次郎ファンはこれからも三日月村の存続を支えて行けたら良いですね。。。

Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ケンシロウさま、コメントをいただきありがとうございます。

おおっ!行かれたんですね、三日月村。
詳細なご説明、ありがとうございます。

ちょっと怖いモノ見たさで(笑)、また行ってみたくなりました。
休園だったので仕方がなかったんですが、廃村の危機を救えず、申し訳なかったです。

リアルタイムで視聴していない人にとっては、この地がどういう価値のあるものか、全くわからないことでしょうね。

「かかわり~な」は、特に気になるところです。
笹沢先生の楊枝を咥えたしおり!?
一見の価値はありそうです。

40年近く営業されていることには、敬意を表したいと思います。
またブームが来るということは、そう考えられませんが、村内の方々には頑張っていただきたいものです。

  • 20110620
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

いつか三日月村でオフ会・・・なんてのも良いかもしれません(笑)
『紋次郎の碑』だけでも、ファンにとっては『聖地』たり得るものですが、記念館はやはり最重要施設です♪
新聞・雑誌の記事をまとめたスクラップブックは全部読み切れない程あります(読んでる最中に、一組の親子連れが入場。1分程でいなくなりました・笑)ので、また是非行って読破してきます。
しおりは多分、村内で販売してる著書に付けるオマケだと思われます。また紙袋に張る袋とじ用のシール(三度笠と道中合羽のデザイン)もいただきました~。

あと、わたしは次回にとってあるんですが、村内煮売り家で売ってる味噌田楽(だったかどうか?・・記憶が曖昧)は、この地方のファーストフード部門で賞を取ったシロモノだそうです♪

Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ケンシロウさま、コメントをいただきありがとうございます。

>いつか三日月村でオフ会……
いやあ、いいですね。
それも、集まるときはみんな着物姿で……なんてどうですか?(笑)

新聞・雑誌の記事……これは興味ありますね。私も時間をかけて、じっくり読みたいです。

味噌田楽……もしかして蒟蒻だったりして?
上州は、蒟蒻の生産が全国一だとか……。
ちなみに私の故郷の蒟蒻は赤色です。
ですから、ずっと蒟蒻は赤いものだと思っていました。

紋次郎サンは赤かろうが、蒟蒻はやはり口にはしないでしょうが……(笑)。

  • 20110621
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

お夕さん、こんばんは。
さきほど、三日月村のHP http://www.mikazukimura.com/
に飛んだところ、味噌田楽ではなく焼き饅頭でしたm(_ _)m
(自分でも『たしか(よりによって)蒟蒻ではなかった筈だ・・』とは思ってましたが・笑)
>『赤い蒟蒻』・・はじめて聞きました!

三日月村は北関東自動車道の藪塚I.Cからも近いですし、藪塚温泉(ここも次回入浴しようと思います。)もありますので、オフ会、是非実現しちゃいましょう!

Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ケンシロウさま、コメントをいただきありがとうございます。

よかった!
蒟蒻じゃなくて(笑)。

赤蒟蒻……おいしいですよ。
機会があれば、是非お召し上がりください。

藪塚温泉は、入れなかったので今度行く機会があれば入りたいですね。

オフ会……開催するとすれば、やはり木枯し一号が吹く頃かと……(笑)。
ご一考くださいませ。

  • 20110622
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

お夕さん、ご無沙汰いたしておりやした。
先月、暖かい静岡を飛び出し、銅街道・日光例幣使街道周辺をバイクで野宿旅して参りました(オフ会は開催せず・・抜け駆けにござんす・笑)
昨年は『空っ風』がほとんど吹かず、ポカポカ陽気で拍子抜けしましたが、今年は気合いの入った『木枯し旅』でした。

こちらのお夕さんの写真の石切り場がどうしても気になり、北山遺跡や温泉神社などの三日月村周辺の散策をしてきました(この日は定休日でしたので、ここを旅の拠点として銅街道で足尾・日光に向かい、日光例幣使街道を下って戻ってきて、三日月村を最終日に再訪・・という行程です)
石切り場・・・あの迫力と雰囲気。。写真では表現しきれませんね。私が行った時は『どなたか』がいらしたようで、絶えずどこからか声が聴こえました(それほど悪い『気』ではありませんでした。私は、そのテの感覚は強くはないのですが、『どなたかがいらっしゃる場所』に来ると頭皮と背筋がピリピリします)
その後、わたらせ渓谷鐵道、足尾(木枯しの似合う寂寥感漂う町ですが、とても気に入りました)を堪能し、旧日光街道の細尾峠を越えて日光に入り、東照宮参拝を済まし、帰りがけに聖地 三日月村へ。
昨年、受付で対応してくれた女性従業員の方は、私の事を憶えていてくださり、とてもうれしかったです。
そして今年はここの名物『焼きまんじゅう』をいただきました。
(『三日月村のプロモーション・ビデオクリップを勝手に作ってみました。よろしければご覧ください・・http://www.youtube.com/watch?v=3GBGHaTuWD8

実は名物がもう一個『木枯らし田楽』(出た!それはこの場所に限っては禁じ手ですね・笑)
他にいらっしゃった従業員さんで、紋次郎にかなりお詳しい方は、その件についてはもちろんご存知でしたが、わたしは今回は遠慮・・次回いただいてみようと思います(笑)

そして今回は紋次郎のイラスト入り小銭入れを入手し、無事旅を終えました。
*三日月村では”薮塚温泉ホテルふせじま”の日帰り入浴2割引券(\1,100が¥880になるのはうれしい)がもらえます。今回も時間の都合上入浴は出来ませんでしたが、次回こそ入ろうと思います。
実はもう一本、この旅のビデオクリップを作ってみました(こちらにいらっしゃる先達の紋次郎ファンの皆様にお見せするのも恥ずかしいのですが。。)
http://www.youtube.com/watch?v=RAhtbICvg9U

追伸:従業員さんから伺ったのですが、ドラマ『仁』の撮影は三日月村、石切り場の両方でも行われたようです(敦夫さんもいらしたようで、村内にはのサイン色紙もありました!)
それでは、長々と失礼いたしやした・・・。

Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ケンシロウさま、コメントをいただきありがとうございます。

三日月村を堪能されたんですね。うらやましい。
石切場はやはり、(どなたか)先客がおられましたか(笑)。

ビデオクリップ、本当にステキ!
感動しました。
あちこちに、紋次郎テイストが散りばめられていて、クォリティーが高いですね。
楽しんで作っておられるのがよくわかります。
ケンシロウさんのお姿が映っているということは、お連れがおられたんでしょうか。

私のお宝映像にします。
ありがとうございます!

「三日月村」や石切場が、「仁」のロケ地として使われていたのは、初めて知りました。
時代劇のロケ地としての生き残り作戦……いいかもしれません。

江戸時代の寒村での生活を体験できる……というコンセプトで、宿泊施設とするのもいいのでは、と思います。

もちろん、電気無し、水道無し、自炊が基本。

信州飯田の「大平宿」は、まさにそのタイプ。水道・電気はありますが……。冬期は行けないようですがすごい所でした。

また、心ときめく映像がございましたらご紹介くださいね。
きっとファンの方も、喜ばれると思います。

  • 20111214
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

お夕さん
ビデオクリップ、気に入っていただいて光栄です!
今まで8年以上使い倒してボロボロのパソコンとデジカメ(懸賞で当たった超小型のSony製。ズームなし・動画は音声なしの防犯カメラ並の画質。叩かないと起動しない気まぐれで、ボコボコになったボディーから『紋次郎カメラ』と名付けられた・笑)を買い替え、動画もきれいに撮れるようになり、またパソコンは動画編集がかなり楽しいので、最近はいろんな動画を作っております。
その作品の中には、毎回必ず紋次郎テイストを取り入れてます(^-^)
今回の旅も一人旅(連れを作るのが嫌ぇな性分でして・・)で、使用機材はデジカメ一台(『紋次郎カメラ』はサブでまだ一応現役)と三脚・・・以上です(笑)
なので自分の写っているシーンの撮影はセルフタイマー・・と原始的手法ですが、今回の旅では撮影に時間をかなり取られてしまう事が発覚いたしました。。
それでもこれからは、調子に乗ってたくさん作っていきたいと思っております。

今回の三日月村訪問でわかったのですが、最近ではこの界隈の『コスプレさん』達の写真撮影場所としてメジャー化しているらしく(個人の撮影は入場料無料、カメラマン同伴の場合ははカメラマンのみ入場料を払うシステムだそうです)、その日も女子高生と見られる二名が着替えと一眼レフを持って移動し、各所でポーズをとっておられました。
三日月村もいろいろな形をとりながら、これからもファンの聖地、観光施設として生き残っていってほしいですね。

ところで話は変わりますが(お夕さんはもうご存知かもしれませんが)先日とある業務用食料品スーパーにて『紋次郎イカ』(ヨッちゃんイカと同様の串刺しタイプ。大きな瓶入り)というものを発見いたしました(笑)
実は今日、『紋次郎イカ』で検索してみた所、こんなHPが・・・
http://www.monjiroika.co.jp/

わたしはこの『紋次郎イカ』の事は今まで知りませんでしたが(『三度笠と道中合羽がイカを連想させる』か『串(長楊枝)に刺さってる』で紋次郎のネーミングを取ったのかと予想していた)、HPを見ると、どうやらここの社長さんも紋次郎ファンのご様子・・!!
スーパーで見た時は『欲しいけど100本(\1680)もいらないなぁ』と思い、ひそかに超小型紋次郎カメラでその姿を収めるに留まりましたが、今度は買いにいこうかと思っておりやす・・・。
『日々紋次郎』『紋次郎 is my way』なファンが作る、『紋次郎』の名を冠した商品・・なんだか素敵だなと思いました(笑)

本日も長々と失礼いたしやした・・・・m(_ _)m

Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ケンシロウさま、コメントをいただきありがとうございます。

紋次郎作品を愛する人は、映像の美しさや哀愁ある風情に惹かれます。
そしてそれを、何とかして残したい……と思うんですね。

ケンシロウさんは動画で、紋次郎ワールドを楽しんでおられるんですね。
やり始めると、あっという間に時間が経ってしまうと思います。

私も下手な写真ですが、かなり時間がかかります。(数打ちゃ当たるタイプなんで…笑)でも、たま~にいい写真が撮れるとやっぱりうれしいものです。

またステキな動画を紹介してくださいね。
お待ちしております。

三日月村は、既に新たな展開をしているんですね。「コスプレ」という手……なかなかいいと思います。
私も以前カツラをつけて、番場の忠太郎の妹役をやりましたが、結構テンションが上がりました。http://kogarashi1940.blog10.fc2.com/blog-entry-120.html
視覚的にはかなり無理があり、見てる人はテンションが下がったでしょうが……(笑)。

「紋次郎イカ」のHP、知ってます!知ってます!
なんだか心強いですね。
こういう熱いファンがおられるということは……。

  • 20111216
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ケンシロウさま、はじめまして。

ビデオ見せていただきましたが、素晴らしい出来です!
紋次郎ワールドへの愛に満ちてます。

私はmixiの紋次郎コミュの管理人をしている(させられた)のですが、コミュメンバーの紋次郎ファンにも、この映像を紹介したいのですが、構わないでしょうか。

ご都合が悪いのでしたら、ご遠慮なくおっしゃってください。

  • 20111217
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

お夕さん
あとそれから、これも従業員さんからお聞きしたんですが、毎年木枯しの季節になると、三度笠に道中合羽、手甲脚絆に草鞋履きの出で立ちで、電車で来られるお客さんがおられるそうです(もしかしたら、こちらのページをご覧になられてる方かな?と思ったのですが・・)
私も実は、道中合羽風のもので、主にバイク旅やキャンプで防寒に使えるものが欲しいなと思ってます(三日月村やネットで売ってるものを改造するという手もあります)

Tokiさま
Mixi拝見いたしました!(さっそくコミュにも入会いたしました・笑)
このお話、お引き受けいたしやしょう(^-^)b
同志の紋次郎ファンの皆さんに見ていただけるのなら本望でございます。
『勝手に三日月村プロモーション』の方も、編集や造りも粗いのですが、まだ行った事のない方にも『行ってみよう!』と思っていただけたらいいなと思い作りました。
これからも紋次郎ワールドに想いを馳せながら、面白いものを作っていきたいと思います。

Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ケンシロウさま、ご了承有難うございました。
さっそく紹介させて頂きました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50063653&comm_id=18745

私も紋次郎の映像で日本の原風景の美しさに目覚め、オフロードバイクで山里や峠めぐりをするのが最大の趣味となっています。

ところでケンシロウさんとTOKI、どこかで聞いた取り合わせでござんすね。(笑)

  • 20111217
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ケンシロウさま、TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

思わぬ、兄弟のご対面となりましたね(笑)。

ますます「紋次郎の輪」が広がり、嬉しい限りです。

  • 20111217
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

お夕さん
この場をお借りしまして、お礼申し上げます。ご縁に感謝であります(^-^)
TOKIさん
『ケンシロウ』の名は、高校時代初めてついたあだ名で未だにそう呼ばれてるんですが、当時同じ学校に在学していた実の兄は、私の友人たちから密かに『ラオウ』と呼ばれてました(笑)

紋次郎ファンにはバイク乗りが多い・・・・バイク乗りには『峠越え』や『野宿』というものに接する機会が多いだけに、心情とかが少しは理解しやすい・・というのも関係あるんじゃないかと思ってます。

Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

お夕さん、私もケンシロウさんにマイミクシィになっていただけました。
これも紋カフェのお陰で、お夕さんにあらためてお礼を申し上げます。

ケンシロウさん、私はあの漫画以前からパーマのロン毛にヘアバンドというスタイルで、1984年からはTOKIが周囲からの呼び名になっておりました。

車と違ってバイクは自分の体が360度オープンですから、峠を越えた空気感などを肌で感じやすいんですよね。
また、峠の脇にバイクを止めて腰掛けて風景を愛でたりが気軽に出来ますが、車だと駐車スペースが無かったらスルーせざるを得ません。

  • 20111218
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ケンシロウさま、TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

私の方こそ、こんなに熱いファンの方々とご縁ができてありがたいことです。

私、お夕がHNですが、実は本名が「ユリア」と申しまして……というのは、嘘(笑)。

バイクで街道を往く。
いいですねえ。
紋次郎はやはり、木枯しを顔に受けないといけませんよね。

くれぐれも崖落ちだけには、気をつけてくださいね。

  • 20111219
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

お夕さん、ここで紋次郎から北斗の拳へ行っちゃいましたが、北斗の拳からまた笹沢左保股旅小説に繋がるネタがありました。

北斗の拳で、ケンシロウがジャギを成敗する時の「これは○○の分!」「これは△△の分だ!」とやるくだり。
かなり有名で、ほかの漫画でも使われたりしてますね。
ネットでは「これは雁屋哲『男大空』の影響を受けているのではないか」と、同作品にもあったそのシーンと比較されたりしていました。

が、もっと昔にこれが有ったのです。
「狂女が唄う信州路」のラストで、丈八が仙太郎を追い詰め、成敗するシーン。
「よし。これが、佐助の分だ!」と耳を削ぎ落とし、「これが、とっつぁんの分だ!」と手首を斬り落とす。
(なんか、ここのシーン、ケンシロウVSジャギのシーンをかなり髣髴とさせます)

原作者が参考にしたのか、偶然なのかはわかりませんが、今ではポピュラーなこのやりとり、元祖は笹沢左保股旅小説のようですね。

 追記
漫画原作者には笹沢左保股旅小説を読んでいる人が居るようで、1971年の少年マガジン連載の牛次郎・ビッグ錠「釘師サブやん」には、「御子神紋次」というパチプロが出てきました。
紋次郎ブームの前です。

私が初めて紋次郎の名前を聞いた時、まずこのキャラが浮かび、あとで御子神の丈吉の名前も知って、「あ~~~!」と気が付いたわけでした。

  • 20120310
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

「北斗の拳」と笹沢作品……こんなところに、共通点があるなんて、びっくりです。

当時、笹沢作品を読まれた方はたくさんおられるんで、ありえる話ですよね。

「ニヒル」という言葉……最近はあまり耳にしませんが、その言葉を初めて知ったのも40年前です。
そうそう「アウトロー」という言葉も、です。
その言葉の響きが好きで、レタリングした英語を紙に書き、自分の部屋に貼っていました。どんな女子中学生じゃ!です(笑)。
ところが随分年月が経って、重大ななミスに気がついたんです。

‘OUTLOW'(外角低め?)

'LAW'と 'LOW'を間違えてた?!

カッコイイ!と思って、悦に入っていたのが、一挙にトーンダウン……。私はずっと、「外角低め」の学生生活を送っていたのです。
道理で、成績がかんばしくなかった訳だ(笑)。

  • 20120311
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

笹沢作品と北斗の拳の共通点、まだ有りました。
紋次郎の強敵・峠花の小文太と、南斗水鳥拳・レイです。

[ 峠花の小文太]
木枯し紋次郎に妹をかどわかされたと付け狙い、「見つけだして斬ったあと、身体を八つに刻んでやると、玉村神社の神前で誓った」。

[レイ]
胸に七つの傷を持つ男に妹を連れ去られたと付け狙い、「おれにはたったひとつの目的がある。 この手で胸に七つの傷をもつ男を八つ裂きにすることだ!」。

どちらも名を騙ったニセモノの仕業で、そのニセモノは、本物の手で葬り去られます。

書かれたのは「北斗の拳」が1年ほど早いですが、当時50代半ばだった笹沢さんが少年ジャンプを読むとは考えにくく、偶然でしょうね。

  • 20120609
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

TOKIさんの、記憶力と洞察力に敬服しております。

「北斗の拳」との共通点、結構あるんですね。
笹沢氏と少年ジャンプとの関連はわかりませんが、確か笹沢さんには息子さんがお二人おられたと思います。
もしかしたらそのご子息が、ジャンプを読んでいたとか……?(笑)。

偽物が出てくるストーリーは、どのシリーズでも必ず出てきますよね。
「水戸黄門シリーズ」でしたら、ありとあらゆるパターンが出てきたと思います。

人の営みの中でのストーリーですから、似たり寄ったりはあるでしょうね。

「世間にありすぎるようなことは、お互えにやめておこうじゃあござんせんか」
これは紋次郎サンがお梶姐さんに返した台詞ですが、ストーリーテラーの信念としても通用しそうですね。

  • 20120609
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

こんにちは♪

共通点?

「八つに刻む」と「八つ裂き」ですか?

どちらも、恨み骨髄のセリフとして使われるのでは
ないでしょうか。
「八つ裂き」を共通点とすると、いろいろなシーンで
使われており・・・?

では、又♪

Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ぶんぶんさま、コメントをいただきありがとうございます。

「八つ裂きの刑」という極刑が、語源なんでしょうか。
この刑の残酷さを思うと、恨みと怒りの強さを感じますね。

誰かにになりすまして悪事をはたらくという筋ですが、現代ならさしずめ「なりすましメール」でしょうか。

時代が変わっても、この手のストーリーは続くでしょうね。

  • 20120609
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

こんばんは♪

見なければ良かったのですが、共通点・・・
第一弾も観てしまいました。

誰々の分だ・・・
抜かずの丈八の前に東映時代劇や昔の復讐物には「決め台詞」かと思います。
「オリエント特急殺人事件」でも、乗客全員で使っていました。

「北斗の拳」を中心に考えるとそうなるのでしょうが、敢えて紋次郎と結びつけなくてもと思ってしまうのです。

余計なお世話と感じつつ・・・

では、又♪

Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ぶんぶんさま

あのパターン、かなり昔からポピュラーだったのですか。
実は私も先日、60年代のカムイ伝で発見したところでした。

ご指摘、有難うございました。

  • 20120612
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 紋次郎の影を追う「聖地 三日月村」

ぶんぶんさま、TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

「これは~の分だ!」
という件……自分の怒りより、やられた者の末期の口惜しさをくみ取り、自分のパワーにしています。
心の熱さを感じ、胸がすく思いです。
日本人は特に、こういうシチュエーションが好きですね。

  • 20120612
  • お夕 ♦wikz35BA
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