紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第7話「四度渡った泪橋」(中編)

第7話「四度渡った泪橋」(中編)

第7話「四度渡った泪橋」(中編)
(原作 第33話) (放映 1977.11.16)
伊兵衛の亡骸を背負い橋を歩いて行く後ろ姿に、「やまんば」と呼ばれた老婆が「友蔵に意趣返しをしろ!」とけしかけるが、紋次郎は無言。「やまんば」は、自分の思惑で友蔵と紋次郎とを戦わせたいことは明らかである。

友蔵は紋次郎殺害を失敗したことを知り、潜伏先と見られる山狩りをしようとする。
そこへ「やまんば」は道案内をかってでる。紋次郎は鴉が騒ぐ声に危険を察知し、樹上に身を隠しやり過ごす。野性の勘といったところか。
テレビ版の紋次郎はその足で市助の家を訪ね、末っ子の梅吉とその女房「お清」に出会っている。

門口で紋次郎は声を発するのだが、自分で「木枯し紋次郎」と異名を名乗る。これは滅多にないことで、珍しい。
ここで初めて梅吉の女房として「お清」が登場する。「お清」役に三浦真弓さん。よくテレビドラマに出演される女優さんである。
清純派の女優さんではなく、どちらかというと悪女役かサスペンスでは策を弄する役柄が多いので、何となく展開が読めそうな感じである。
紋次郎は「お久しぶりでござんす」と頭を下げ、市助たち三人の位牌に線香を上げる。

捨吉は兄たちの無念を晴らすために喪が明けた今日、訴人に行くと言う。
紋次郎の「友蔵たちは山狩りに疲れて今朝は寝入っているだろう……」の知らせに、捨吉は喜ぶ。

朝霧が流れる中、紋次郎は別れを告げる。稲刈り後の田んぼ、少し下がったところに茅葺きの大きな屋根が見える。美山か……「必殺仕事人2010」でもよく似たシーンがあったような気がする。

「捨吉さん、どうぞお気をつけなすって」と頭を下げ去りゆく紋次郎に、お清は声をかける。

「紋次郎さん、またきっと来てくださいね」

目を潤ませるお清に、紋次郎は軽く会釈をして背を向ける。

この後、お清の顔のアップと紋次郎の後ろ姿が交互に切り替わる。この撮り方は市川監督ばりであり、お清の微妙な感情の交錯が表されている。
しかし、いい雰囲気でススキ原を行く紋次郎の前に現れるのがまたしても「やまんば」。

本当に「やまんば」が異質すぎて、落ち着かない。しっとりした風情になるかと思えば急に出てきて、前衛的な雰囲気になる。

ススキ原が美しく、前シリーズ「馬子唄に……」のお政のシーンを思い出される。茅葺きの家やススキ原を考えると、ロケ地はやはり美山ではないだろうか。
それにしてもあまりにもシチュエーションが違う。
光輝くススキ原で紋次郎は「やまんば」を追いかけ、捕まえ、そしてあろうことか襟首を締め上げる。いくら良からぬ魂胆があるにしても、「堅気・女・年寄り」と三拍子揃った「やまんば」にその所業はないだろう。このあたりは白鳥さん、もう少し考えて欲しかった。

「あっしをたきつけ、友蔵をけしかけて、いらねえ修羅場を作ろうってのはどういう了見だ!」

「苦しい……!放してくれたら教えてやる!」
(テレビの台詞より)

こんなに怒って老婆を締め上げるとは、「新……」の紋次郎も随分変貌したものである。

「やまんば」は、村人たちからひどい扱いをされたことを恨んでいる。
紋次郎に対しても尋ねる。

「てめえは無宿人と呼ばれて石をぶつけられたり、村を追い立てられたりしたことはなかったか!」

紋次郎の顔のアップと重なる。紋次郎も同じような扱いは今まで何度もされてきた。「新……」シリーズの初回、紋次郎がまだ若いときの回想シーンで、石を投げつけられ村から追い出される映像は、観る者にはショックだった。

山奥に住んでいるというだけで蔑まれ排除され、名前さえ呼ばれず……。あろうことか本人でさえ、自分の名前を忘れてしまったらしい。嘆き哀しみ、怒る「やまんば」に紋次郎は声をかける。
「憎しみばっかりで生きている者にゃ、自分を見失うことがありやすよ」

第7話「四度渡った泪橋」(中編)

この言葉は原作には当然ない。白鳥さんの創作である。以前にも「済んだことはなかったことと同じ」とか「もう忘れてやりなせえ」とか、いつまでも過去の恨みを引きずることを良しとしない紋次郎であるのでこの台詞は頷ける。

「やまんば」の恨みつらみはまだ続く。そして握り拳を固めて言う。
「挙げ句の果て、おらのたった一つの大事にしていたもんも、おらの手から離れていっただ!」
それが何かという紋次郎の問いには「口が裂けても言えねえ」と、頑なな様子。
大事にしていたものとは何か?これはラストに大きく関係するものである。

「ヤクザ者同士が殺し合って村人たちの血が流れ、みんな死んでしまうことが自分の生き甲斐だ、それが復讐だ」と憎々しげに笑う「やまんば」。
「お前さんに、今日はうろつかれたら困るんだ。夕暮れまであっしと一緒にいてもらうぜ」と両手首を捕まえようとする紋次郎だが、「やまんば」はその手にガブリと噛みつくとするりと逃げ去っていく。
捨吉が今日、「訴人」に赴くのだが「やまんば」がからみそうである。

山奥に住む者に対するいわれなき差別。無宿者に対する偏見。高齢者の生きにくさ。これらの視点は、中村氏が現代社会における問題を訴えるものである。
そういえば前シリーズで監督をした「獣道……」でも、「差別意識」の問題を太吉を通して提起している。
さすが「アムネスティ・インターナショナル」(国際人権救援機構)に携わった経験のある中村氏であり、その精神が見事に脚本化されている訳である。

柔らかい陽差しが美しい竹林を歩く紋次郎の姿。足取りはあまり進んでいない。捨吉の思い詰めた顔と潤んだ瞳で見送ってくれたお清の姿が脳裏に浮かぶ。草鞋の紐が切れ足を留めた紋次郎は不吉なものを感じる。

一方、なぜか「やまんば」がお清の前に現れる。馴れ馴れしい態度と言葉遣い。お清は「またあんたなの。この家に近づかないでって言ったでしょう。犬みたいに嗅ぎ回らないで!」と邪険な言いようである。「やまんば」は、その態度に怒り「覚えてやがれ!」と呪いの言葉を吐く。

紋次郎は捨吉の安否を確かめに疾走していた。しかし、道ばたに斬り捨てられた骸を見つける。やはり捨吉だったのだ。またしても訴人に行くことが友蔵には筒抜けだったのだ。
一体誰が漏らしているのか。

捨吉の葬列が泪橋を渡る。お清が葬列でこの橋を渡るのはこれで三度目となる。その後ろに「やまんば」がついて行くのだが、橋の途中で友蔵一家に捕まり「紋次郎の居場所はどこだ」と、夜まで暴行を加えられ放り出される。

紋次郎はその夜、お清の家を訪ねる。お清はなぜか襦袢姿で、鏡に映して紅を引いている。紋次郎もその姿とひっくり返って倒れたままの位牌に目をやり、いぶかしげである。
お清は明らかに狼狽している。「捨吉と祝言を挙げて以来一年ぶりに化粧をした。今夜はそんなことを思い出したりしているのだ」と、何となく言い訳じみた言葉で取り繕っている。
紋次郎は「自分が止めなかったから、捨吉は殺されてしまった。自分が殺したようなものだ」とお清に詫びる。

「これも仕方がありません。あの人やあの人の兄弟たちの運命(さだめ)なのかもしれません」と、呟くお清に「捨吉さんが亡くなられたのに、哀しくねえんですかい」と紋次郎は尋ねる。お清が泪一つ見せないからであろう。

お清は言う。
「あなたは女の気持ちを知らないんです。女が本当に哀しいときにはいくら泣いても泪なんか出っこないんです……紋次郎さんは、私のことをどう思っておいでですか。もし、ほんの少しでも哀れだと思う気持ちがあったなら、私を助けてください。」

どう思うと言われても、紋次郎には答えようがないだろう。紋次郎は黙ったまま、三度笠を傾けうつむいている。ああ、何だかこの雰囲気、嫌だなあ……またあのパターンかなあ……と思ったらやはりそうだった。

お清は襦袢をスルリと脱ぎ捨て、半身をさらし腰巻き姿になる。
「紋次郎さん、私を抱いてください。そして私をどっか遠い知らないところへ連れて行ってください。私はこれ以上この村で生きていくことはできないのです」
三浦さんの思い切った演技である。原作からは随分離れているので、白鳥さんの脚色であろう。テレビ版の紋次郎は、原作より明らかにモテるし、よく迫られる。

前シリーズの深夜枠と違い、10時からの放映でもトップレスが許されていた時代だったようだ。男性陣の視聴率を上げようというもくろみかもしれないが、この展開は必要だったのか疑問は残る。。
原作のお清は、類い希な器量よしではあるが、友蔵と関係を持ったり紋次郎に裸身をさらしたりはしない。

しかし「御免なすって……」と、視線を落としたまま紋次郎はお清を後にする。正しい対応でした(笑)。

紋次郎が行く先にまたしても「やまんば」が飛び出す。「やまんば」は「捨吉や市助たちを売ったのは、おらじゃあねえ!」と叫び「お清が友蔵一家に襲われたぞ!」とまたけしかける。
紋次郎が確かめにお清の家に駆け戻ると、もぬけの殻。やはり友蔵一家に掠われたのか。紋次郎はお清を取り戻すために友蔵一家に乗り込む。

ここまではテレビ版の展開。原作はもっとシンプルである。「やまんば」のけしかけもないし、お清の誘惑もない。

茶屋の老婆に「渡世人のくせに義理も弁えないのか。恩を返そうとしないのか。意趣返しをしないのか!」となじられる。紋次郎は「恩は忘れないが、意趣返しなんてものは生きている者が勝手に考えることで、愚かなことだ。意趣返しをしたところで、死人は生き返らない」と反論する。きわめて科学的であり冷静である。

市助たち4人に線香をあげることもないし、お清の家を訪ねることもない。原作の紋次郎の足を鈍らせたのは、昼顔の花だった。

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Re: 第7話「四度渡った泪橋」(中編)

自分で「木枯し紋次郎」と名乗ったのは珍しいですね。
前作では、そう名乗る必要のあった「地蔵峠」くらいで、あとは原作で「木枯し紋次郎」と名乗っているシーンは「上州無宿 紋次郎」に変えられるか、他の人が「木枯し紋次郎!」と言うように変えられていました。

当時はもう観るのをやめてましたが、「おらをさしあげますだ」が定番化したのみならず、老婆を追い回し、締め上げるとは。
またそれが中村敦夫さん自身の手によるものだと知ったら…。
お夕さんの文章を読んだだけでもダブルパンチでショックなのに、実際に映像で見てしまったなら、私の中の紋次郎像にはヒビが入るどころか倒れてしまっていたでしょう。

「獣道」での、中村さんの手による美山の風景は美しく、逆光の茅葺民家や太吉の回想シーンなどは印象に残ってます。
で、その美しい風景とシュールな人物との対比ということですが、当時話題を呼んだ「八つ墓村」の予告もそうでしたね。
満開の夜桜を背景に、頭に懐中電灯をつけて刀を提げ、褌をピラピラさせながら走ってくる山崎努。

そう考えたら「やまんば」は、「たーたーりーじゃ~~」の濃茶の尼が入っているようにも思えました。
中村敦夫さんが八つ墓村を見て、気の毒な身の上なのに村人から「関わらないほうがいい」といわれている濃茶の尼に目を向け、このキャラを作ったのでは?と考え、調べてみました。
が、「八つ墓村」の公開は1977年10月29日。
放映とちょっと近すぎるし、考え過ぎだったようです。(笑)

  • 20110306
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第7話「四度渡った泪橋」(中編)

TOKIさまコメントをいただきありがとうございます。

「新 木枯し紋次郎」と前シリーズとは、別物ということを決定づけた作品だと思います。
それが中村氏の脚本、監督、主演となると動かざる事実となります。
「新」と銘打っているのですから仕方はありませんが、古くからのファンを置いてきぼりにしてしまった感はあります。

気を取り直して(というか気を入れ替えて)書いていくつもりですが、TOKIさんにとっては許せないことばかりになりそうで心苦しいです。
私としては「新……」の新たなる試みや魅力を、もっと見つけ出せたらなあと思っています。
鑑賞眼や洞察力、文筆力の無さはご容赦いただき、引き続きよろしくお願いいたします。

「八つ墓村」との関連……面白い考察です。年老いた者に対する畏怖や悲哀など、共通点はあるように思いますね。
「八つ墓村」といえばテレビ(古谷さんの)での敦夫さんの要蔵役。怪演でした。
多分TOKIさんは悲鳴を上げていたと思いますが……(笑)。

  • 20110306
  • お夕 ♦wikz35BA
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  • 編集 ]
Re: 第7話「四度渡った泪橋」(中編)

解説つきで、表現がすばらしくて
いつもストーリーにひきこまれます。情景が浮かびます。

私は紋次郎さんには詳しくないので読ませていただくだけですが、おもしろかった・・・といつも読み終えば思っているのです。

  • 20110310
  • てのりぱんだ ♦C/Rcg83E
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第7話「四度渡った泪橋」(中編)

ぱんださま、コメントをいただきありがとうございます。

お褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。褒められて伸びるタイプなので(笑)、今後も精進します。

紋次郎を全くご存知ない方もおられますので、ストーリーを追っていくと長くなり、収拾がつかなくなりがちです。
ご容赦ください。

これからも末永く、おつき合いくださいませ。

  • 20110310
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第7話「四度渡った泪橋」(中編)

今調べたら、この「やまんば」も、八つ墓村で「た~~た~~り~~じゃ~~!」と叫んでいた濃茶の尼も、任田順好さん。
同じ人でした。
「やまんば・濃茶の尼」説は濃厚のようですね。

もしかしたら中村敦夫さんが八つ墓村の原作を読んでいて、村の中でこんな存在になっている濃茶の尼にスポットを当てようと、撮影当時、八つ墓村の予告編によく出ていた任田順好さんを起用したのかもしれません。

  • 20110319
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第7話「四度渡った泪橋」(中編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

濃茶の尼役もされていたんですね。
当時、おいくつだったんでしょう?

小梅・小竹・濃茶の尼……同じ老婆でも随分待遇が違いましたね。
村の者から疎まれていた、濃茶の尼とやまんばは、やはり共通点があるようです。

今から思うと、豪華なキャスティングだったんですね。

  • 20110320
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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