紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第8話「念仏は五度まで」(後編)

第8話「念仏は五度まで」(後編)

第8話「念仏は五度まで」(後編)

(原作 第34話)(放映 1977.11.23)
街道を急ぐ紋次郎の前にまた徳蔵一家の子分が四人現れる。長ドスを抜くと「徳蔵親分の意趣返しだ!」と叫ぶ。楊枝が突き刺さったような痕が発見されたからだろう。
鋭く細い刺し傷の痕がある遺体が、これでもう四人目となる。子分たちは紋次郎を取り囲むが、刀は震えているしへっぴり腰である。紋次郎はそんな連中に「つまらない見当違いから、命を粗末にすることはねえでしょう」と取り合わず長ドスも抜かない。
そこにお藤が止めに入る。「この方はそんなことをするお人じゃない、それより私と一緒に上諏訪の屋敷まで来て、旦那様に聞けば何もかもはっきりするはず……」と言う。
お藤は誰の差し金で、この事件が続いているのかに気づいたようである。

突然お藤たちの背後から声がする。
「その女、玉井屋六兵衛の女房、お藤に違いあるめえな!」

振り向いたお藤はその声の主を見て、驚きのためか言葉を失う。声の主は彦三郎だったのだ。と同時に、彦三郎は傍らにいる友吉に筒状の物を手渡す。どうも吹矢らしい。
友吉は慣れた手つきで吹矢を飛ばし、お藤の首筋に突き刺さる。お藤のうめき声を頼りに彦三郎は正確に歩いていき、お藤の胸を逆手に持った長ドスで一突きにする。
刺された直後から、お藤の動きがスローモーションとなる。

「着物の裾が乱れて、胸がはだけた。白い手甲脚絆をつけた腕や脚、それに胸のふくらみの色と対照的な鮮血が、お藤の着物にシミとなって広がった。
そんなお藤の姿も、また淫蕩的であった。紋次郎の脳裡に、国太郎に抱かれて狂乱を極めているお藤の姿が甦った。お藤はまだ、絶息していなかった。まるで男を求めるみたいに、お藤は腰をよじっていた。」
(原作より抜粋)

原作の記述を再現する手法として、監督はスローモーションを使ったようである。なるほど、痛みに悶える様は悦楽の境地をさ迷う姿と似てなくはない。
しかし何となく悪趣味だなあ、と食傷気味に感じてしまうのは女の目から見ているからか。

「すんだぜ、全部……」と口にする彦三郎は、事の顛末を話し始める。
殺された4人の男はみんな玉井屋に目を掛けられて出入りしていた。そして玉井屋の主人六兵衛の女房お藤と不義密通。お藤は根っからの淫乱女。年老いた六兵衛だけで満足するはずもなく、4人の男と関係を持った。自分は六兵衛から4人の男を殺し、最後にはお藤も殺すように命じられた。一人につき二十両、5人合わせて百両という仕事を引き受けたのだと言う。かわいさ余って憎さ百倍とでも言うのだろうか。

友吉の母親を捜す、ほのぼのとした親子と思っていたら大間違いで、親子でタッグを組んだ殺し屋稼業だったのだ。いつからこの親子はそんな裏稼業を始めたのか。今回が最初とは思えないほど、友吉も熟練しているし二人の息もピッタリである。しかし子どもまで殺しに使うとは、笹沢氏の意外性狙いもここまで来たかと思わせる。

しかしこの親子に、百両の金が必要だったのだろうか。母捜しと報酬百両の殺しの仕事……この親子のキャラクターからすると、かなりギャップがあるのだが……。

子分の4人の矛先は紋次郎から彦三郎に変わった。親分の敵とばかりに彦三郎に斬りかかってくる。だのにテレビ版の紋次郎は、この親子を助けることもなくクルリと背を向けるとその場を去って行く。
「えーっ!この親子を見殺しにする気なの?友吉には感情移入してたんじゃなかったの?」である。

「餓鬼も、敵の片割れだ!構わねえから、叩っ斬れ!」
友吉にも危険が及ぶのだが、紋次郎にはその声が聞こえているはずなのにまだ助けに来ない。友吉は地面に突き飛ばされ大声で叫ぶ。
「おじちゃーん!!」
その声が耳に届いたとたん、紋次郎は踵を返して長ドスを抜く。
そんなことなら初めから助けてやればいいのに……と突っ込みを入れたくなる。一度去ったのだから、友吉の声が耳に入っても少しは逡巡してほしい。
一旦関わりないと去るが、やはり情が動いて助けてしまう……というパターンを、無理矢理踏襲しているように思えてしまう。

原作の紋次郎は、窮地に立たされた親子を置いて立ち去ろうとはしていない。友吉に助けを請われるまでもなく、叩っ斬っている。
テレビ版では刀を持ったままの腕を斬り落としているが、これは原作と同じ。
4人の男たちはあっという間に紋次郎に斬られて倒れる。今回の殺陣の時間は短く、呆気なく終わる。

第8話「念仏は五度まで」(後編)

「ちゃん!」と駆け寄る友吉を抱きしめ無事を確かめる彦三郎の耳に入ったのはお藤の声。
「おまえさん……いっしょにいるのは友吉だねえ。わたしは、お縫だよ……」

おおよそ見当はついていたが、やはりお藤は友吉の母親で彦三郎の女房、「お縫」だったのだ。

「わたしは亭主と我が子の手にかかって、地獄に堕ちるんだねえ……」

その声に驚いた彦三郎は手探りでお縫の近くに這いずり、虫の息の女房を抱き起こす。
「縫!お前、お縫か!」
「お前さん、やっぱり目はダメだったんだねえ」
「おめえ……死ぬな!死んじゃあならねえぞ!」
「身勝手にずっといた罪の報いさ。恨んじゃいない……」

彦三郎の腕の中で、お縫は息を引き取る。残酷な結末である。
「友吉の為にも死ぬな!」と彦三郎は叫ぶが、テレビ版の友吉は「こんな女はおっかあじゃない!」と、涙ぐみながら否定する。

原作の友吉も同じくおっかあじゃないと否定するが、その声はひどく陽気であった、とある。
これはちゃんの思い違いだ、声を聞いても気がつかなかったんだから、と良い方に解釈しようとしている。

しかし監督はテレビ版の友吉に、口では否定しているが肯定せざるを得ない現実を、涙と共に与えた。友吉の、勝ち気そうな涙ぐんだ真っ直ぐな目が印象的である。

「紋次郎さん……この始末は一体どうつけたらよござんしょうねえ。たった一つの生き甲斐も消えちまいました。今まで何をしてきたのやら……紋次郎さん、今生の名残にあっしの言い訳を聞いておくんなさい」
「生きている限り、あっしには言い訳なんてござんせん。だから他人さまの言い訳も聞きたくはねえんでござんすよ」
(テレビの台詞より)

ほとんど原作と同じ会話である。ただ原作では「今生の」という言葉から、彦三郎は自害すると紋次郎は察しているが、敢えて留め立てはしない。生き甲斐とか言い訳とかに頼っている流れ者は所詮、長くは生きられないのであった、と切り捨てている。
ここで言い訳を聞いて彦三郎を慰めて、友吉にこの女はお縫じゃないと言ったとしても、現実は何一つ変わりはしないということを紋次郎は知っている。
因果には抗うことができないのである。だから紋次郎は気配を消すが如く、関わらない。多分、関わろうが関わらまいが結果はさほど変わらないのであろう。お縫が言った罪の報い……因果応報の教えなのである。

テレビ版の紋次郎はこの最後の台詞を、しっかり顔を上げて言っている。ブラウン管を通して、視聴者に向かって言っているようにも思える。違和感を覚える。決まり文句ではあるが真正面を向いて口にする台詞ではないだろう。三度笠からわずかに見える口許だけで良かったのに、こうも堂々と言われると「ちょっとなあ……」と思ってしまうのは私だけか……。

紋次郎が去っていく姿にかぶさって友吉の悲痛な声が聞こえる。
「ちゃんっ!」
多分彦三郎は友吉を置いて、お縫の亡骸の近くで自害したのだろう。生き甲斐を持つものはそれが失われたとき、呆気なくもろく崩れてしまうのだ。結局生き甲斐がない紋次郎の方が、何も求めないだけに裏切られることもなく、その日を生き抜いていく。
紋次郎は友吉の声に振り返ろうとはせず、去っていく。茶屋に翻る「六兵衛の蕎麦饅頭」とある幟に飛ばした楊枝が、この悲劇の幕引きとなる。

せめてもの救いはエンディングのナレーション。
「玉井屋の家系図によると『八代目・六兵衛』とあってその次に、『九代目・養子友吉』と記されている」

謂わば親の敵である六兵衛の許ではあるが、友吉は生き抜いたのである。
しかし友吉の胸の中も、空っ風だったに違いない。

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Re: 第8話「念仏は五度まで」(後編)

テレビ版は観てないのですが、紋次郎が彦三郎・友吉親子を最初見捨てようとした点、お夕さんは疑問でしたか。
私は逆に、原作を読んで、紋次郎がすぐこの親子を助けることに「紋次郎らしくないな」と感じたのです。

というのも、紋次郎が人を斬るのは
・己に降り掛かる火の粉を払うため
・相手が同義的に許されない
・意趣返し
が殆どだからです。
(他原作を紋次郎に直したため「渡世の義理での人殺し」も例外的に有りましたが)

この場合、彦三郎親子は同情すべき身の上である一方、殺し屋としての顔も持っており、この親子を親分の仇として殺そうとする子分たちのほうに理があるように思えたのです。

シナリオライターも、私と同じ疑問を感じて、「おじちゃーん!!」の声が聞こえるまで、紋次郎は無関心で居るようにしたのかもしれません。

「あっしには言い訳なんぞござんせん」
これ、前にも書きましたが、紋次郎の決め台詞としてはちょっとなあ…です。
原作を読んでいても「ここでこんな風に使っちゃダメだろ!!」と思えるのも多々有ります。

旧作でこれを使ってもいいラストは、「馬子唄」で老婆に足を刺される時くらいで、あとはラストで無理にこの台詞を使おうとしたら、作品のランクはかなり変わっていたように思えます。

  • 20110411
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第8話「念仏は五度まで」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

原作の紋次郎と脚色された紋次郎とは、微妙に違いますね。
今回の紋次郎は、かなり友吉と関わるように脚色されています。
賭場で助ける、一緒に野宿、「必ずおっかさんを見つけろよ。」と言葉をかける、友吉が紋次郎に危険を知らせる……等々、原作にはない甘さがあるように思います。

だのに友吉が殺されそうになったとき、さっさと立ち去ろうとするのはやはり違和感がありました。
さっさと去るのに、引き返すのも早っ(笑)。
去るべきか、助けに戻るべきか……「峠に哭いた甲州路」ぐらいは逡巡してほしかったです。
尺が足らなかったのでしょうか?(笑)
全体的に一貫性がなかったというか、紋次郎の設定が曖昧でチグハグな感じがしました。

「あっしには言い訳なんぞ……」の台詞は、私にとってもしっくりきません。
新シリーズとしての決めぜりふが、やはり必要だったのでしょうか。
この台詞がピッタリくるような前ふりを、無理やりつくるような強引さもありました。

いろんな意味で、無理をすると破綻が生じますし、クォリティーに差が出てくると思います。

  • 20110412
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第8話「念仏は五度まで」(後編)

お夕さん お邪魔いたします。

「あっしには言い訳なんぞござんせん」…
私もこの台詞が出てくると、物語の流れが止まってしまうようで、少しドキッとします。
紋次郎さんが、自分の行いの全てを引き受けているということの説明だとは思いますが、
そうであるなら、尚更、相手に向かって発するような言葉でもないような気がします。
むしろ、何も言わないでいただいた方が、かえって伝わるように感じます。

お藤さんの「あんたの胸の中も空っ風だねえ」という台詞…

原作にも『死ぬときが来たら、いつでも死ぬという覚悟もできている。だからこそ、生きようと努めるのだ。同時に明日のない身で、今日を全うしようとすることが、ひどく空しいのであった』と書かれているのでしたら、
紋次郎さんの胸の中は、やっぱり、空っ風が吹いているということなのでしょうが…

私には、どうしても、彼の心に空っ風が吹いているようには感じられません。

紋次郎さんは、孤独を自覚し受け止めておられます。
お夕さんのおっしゃるように『世間一般の情に、流されることがない確固たる自分がいる』と思います。
そういう人の心に、空っ風が吹くものでしょうか?

物語の最後、紋次郎さんの去る姿は、いつも…
静かにではありますが白く、強く輝く光を放っているように感じられるのです。
不思議なことです。


Re: 第8話「念仏は五度まで」(後編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

「あっしには、言い訳なんぞ……」の台詞、やっぱり引っかかりますね。
もとより紋次郎の言動に、言い訳があるはずはないんですから、敢えて言う台詞が余計に言い訳がましく聞こえます(笑)。

紋次郎も心に、空っ風が吹くかどうか?
難しいですね。

紋次郎は空しいことを、哀しんだり寂しがったりはしませんし、それを埋めようとも思いません。
私たちが思う空しさと、紋次郎の空しさとは、根本的に違うのではないかと思うのです。
結果や見返りを期待したのに裏切られた、苦労したのにやったかいがなかった、人のために頑張ったのに感謝されない、自分の存在を誰も認めてくれない、自分には生きがいがない等々の空しさは、紋次郎から言わせると「自分勝手な甘え」なんでしょう。

紋次郎が感じる空しさは、もっと崇高で哲学的なものなのではないでしょうか。
それが何かと問われても、私も答えられないのですが、私はそこに仏教的な悟りがあるようにも思えます。

紋次郎を修行僧のようだと評された方がおられますが、私もそれは強く感じます。

紋次郎は時々、人並みの感情を持ち「自分らしくもねえ。」とすぐに打ち消すことが原作にもあります。
まだ、修行の途上なんですね。だとしたら、心に空っ風を感じることもあるのかもしれません。

  • 20110810
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第8話「念仏は五度まで」(後編)

お夕さん お返事ありがとうございました^^

『紋次郎を修行僧のようだ』…
確かに、紋次郎さんの行いには戒律のようなものがありますよね。「不殺生」ということ以外には、ほぼ当てはまるのかもしれません。

でも…殺さなければ、殺されていたのですから、誰にも責めることはできませんよね。
そういう時代であり、社会だったのですから…

紋次郎さんの感じる空しさは、貧困や飢餓、それに伴う差別など、当時、どうしても抗うことのできないものに対してだったのかもしれません。
同じ命でありながら、どうしてこれほど重さが違うのか…?

「雪に花散る奥州路」で「明日も生きてぇと思うようになりゃ、今日を無様に生き延びることを考えるようになりやすよ」と、紋次郎さんが答えられましたが、
紋次郎さんの言われる「無様な生き方」とはどういう生き方なのかを考える日々であります。


Re: 第8話「念仏は五度まで」(後編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

確かに、私たちの時代と紋次郎が生きた時代とはあまりにもかけ離れていて、空しさの背景も違うかもしれません。

しかし今でも、命の軽重はあるように思います。
特に幼子が、大人のエゴで命を落とした報道を聞くと、「これは紋次郎、許せないだろうなあ。」と思いますね。
いつの世でも、弱者が生きにくいことは共通のようです。

「今日を無様に生き延びる」
自分が生きんがために、命乞いをしたり、人様の物に手を付けたり……と、人の道に外れてでも生きようとすることでしょうか。

「無様に生きる」と言っているぐらいですから、紋次郎にはやはり、生きざまに美意識を持っていたようですね。

  • 20110811
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第8話「念仏は五度まで」(後編)

お夕さん お返事ありがとうございました^^

私も、いつの時代であっても人のいる限り、この世から格差も差別も犯罪も無くなることはないように思います。(ごめんなさい…私は人間を余り信用していないのです)

第10話「鴉が三羽の身代金」で『住んでいる世の中が違う』という台詞がありますが、
この感覚が絶対であるか、無いか、が、紋次郎さんの時代と私たちの時代との、大きな違いかもしれません。

そういう時代・社会において、「無様に生きる」とはどう生きることなのか…?

おっしゃるように『人の道に外れてでも生きようとすること』であるとも思いますが、
もし盗まなければ、飢えて死ぬしかないなら、盗むことも仕方のないような気が致します。
それは、無様なのでしょうか?
実際、人殺しも、人の道に外れてる最たるものですよね…?

紋次郎さんが、心底、無様=醜いと感じているものとは何なのか?
逆に、真に美しいと感じているものは何なのか?

紋次郎さんの胸の内が、いつか、私にも、分かる日がくるかもしれません…
お夕さん、どうか、いろいろ学ばせて下さいね。


Re: 第8話「念仏は五度まで」(後編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

紋次郎の心の内は、私たち常人には計り知れないものがあるのかもしれません。
「人は人、あっしはあっしだと……」のように、紋次郎だけが心に課したものがあるのでしょう。

明らかに、人を殺めることは道に外れています。それが降りかかった火の粉であろうと……。
紋次郎の原作も、後半になるとめっきり斬られる敵の数も減ります。
笹沢氏も、考えるところがあったのかもしれません。

いろいろ考察すると、「紋次郎学」として世に発表できるかもしれません(笑)。

笹沢さんは、草葉の陰で苦笑いをされるかもしれませんが……。

こちらこそ、これからもよろしくお願いしますね。

  • 20110812
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第8話「念仏は五度まで」(後編)

お夕さん。
こちらこそ、いつも、大変お世話になっております^^

『紋次郎学』
ピッタリのお言葉ですネ。 ありがとうございます!
その中で私が追い求めているのは、紋次郎哲学ですか…

ブログでも、お夕さんをはじめ、多くの方が見解を述べられています。
私にとりましては、紋次郎学教授のような存在でいらっしゃいます。

制作された方々の手を離れ、紋次郎さんがどんどん広がってゆく…
本当に不思議な感覚であり、偉大な作品です。


Re: 第8話「念仏は五度まで」(後編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

紋次郎を愛する方々と交流できることが、私にとって何よりも楽しみです。

「キャー!かっこいい!」からはじまり、「紋次郎の人生哲学は……」という奥深いところまで語り合える、幅広さも魅力ですよね。

この場をお借りいたしやして、白さまをはじめ草鞋を脱いでくだすった方々に、御礼申し上げやす。
今後ともよろしく、お引き回しのほどをお頼み申しやす。

  • 20110821
  • お夕 ♦wikz35BA
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