紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

(原作 第29話) (放映 1977.12.14)
テレビ版ではこの後、紋次郎と追いすがるお千代をお笛が見とがめる。お千代のことを「盛りが付いた猫」呼ばわりし、紋次郎のことを「ただの男だったんだ」と批判する。お笛の言動は、紋次郎に対する自由奔放なお千代への嫉妬からくるように思える。

ここで紋次郎は、赤岩の源太郎が話していたことを問いただす。
お笛が紋次郎を客にとった。それからずっとぞっこんだということ。
紋次郎はお笛とは面識がないと言う。
ここでお笛が、はにかみながら明かす。
まるきりの嘘ではない。半年前追分宿で客に絡まれていたとき、紋次郎に助けてもらった。それ以来紋次郎のことが他人に思えなくなった、と言うのだ。
このパターンは、前々回の「旅立ちは……」と同じ。紋次郎は全く覚えていないが、女が一目惚れをする……。

特に今回の紋次郎はよくもてる。お千代に言い寄られ、お笛に他人と思えないと告白され……。

後ろ姿のお千代の頭上から、パラパラと小石が降ってきたかと思うと、地響きのような音を立てて大岩が落ちてきた。
お千代は悲鳴を上げるが足がすくんで一歩も動けない。
紋次郎とお笛が駆け寄った時は、既に頭から血を流して虫の息のお千代。

紋次郎とお笛が見守る中「女郎の死に様なんてこんなもの。自分とお笛は相州出じゃないから、どうせ山越えしても行くあてはない。せめてお駒とお玉だけでも、頼む。男好きの私が、最後の夜にいい思いができずに口惜しい……でも紋次郎さんを恨みはしない。」と言い残し息を引き取る。

紋次郎を前にして死んでいく女は、紋次郎を恨まない……とよく口にする。少しは紋次郎も気が軽くなるというものか……。
お笛もお玉も涙をこぼし哀しんでいる。

五人の女郎が三人になった。原作では七人の女郎が三人になり、信州から甲州に入る。原作では転落で二人、岩が落ちてきて一人、首をくくって一人次々に死んでいく。
「そして誰もいなくなった」風に、一人また一人と命を落とす恐怖が感じられるのだが、テレビ版ではその点は薄い。

お玉は甲州の向こうは相州だと喜び、お駒を背中から下ろす。

「お笛さん、もう笛は吹かねえんですかい?」
唐突に紋次郎はお笛に声をかける。
お笛の表情が変わる。

「名残に笛を聞かせておくんなさい、と頼んでるんでござんすよ。」
「ホントに笛だけでいいのかい?」
笛だけでいい?お笛は本当に紋次郎の言葉を真に受けているのか?

「いつものあっしなら、とうに御免被っておりやすがね。」
じゃあ、今回はなぜ違う?

原作では「ご免被りたくても、もう間に合わねえんで……十人は、おりやすね」と紋次郎は斜面をのぼって来る人影を数える。
テレビ版では追っ手は七人。こちらも三人リストラされている(笑)。

「だったら、すぐに逃げておくれよ!」
とお笛は慌てて言うが
「連中はあっしやお玉さんを殺すつもりでおりやすよ。」
と紋次郎。
お笛の名前がないのはなぜ?

「いいから早く逃げて!お前さんやお玉ちゃんを死なせたくない、もうこれ以上死なせたくないんだよ!」

「何もかも端っからのカラクリだったと、認めるんでござんすね。」

紋次郎はお笛のカラクリを見抜いていた。
お笛がすべてを話す。

お駒が折檻されたのをしおにみんなをそそのかして巴屋を抜け、信州から山越えする。しかし女だけではとても無理。
道案内として旅慣れた者が必要となる。そこへ紋次郎が来たので、丸太棒で気を失わせてそれを助けて仲間に引き込む。そして山越えの途中で自分以外を殺し、口を塞ぐ。そこまで危険を冒して運びたかったのは、硝薬を買った者の血判がある書き付けで、まだ代金をもらってないからその証文を持って回れば何千両にもなるというのだ。
これを計画したのは佐久の庄助で、自分は昔庄助の世話になっていた。礼金の三百両が欲しかったのだ。

三百両は大きい。しかし飯盛女郎に、三百両もの大金を佐久の庄助は払うだろうか。普通はお笛も、口封じのため殺されるだろう。

「逃げて!」と叫ぶお笛だが、テレビ版の紋次郎は
「命がけで足抜けした女郎衆を、みすみす殺させるわけにはいかねえ。」
と結局関わってしまう。

原作では
「宿場女郎が、四人死んだ。目の前に助かるかもしれねえって光が射していて、みすみす殺されなきゃあならなかった。そのことが、あっしにはどうにも我慢できねえんでござんすよ」
と言って長ドスを抜く。

テレビ版は生き残った女郎、お駒とお玉のために長ドスを抜く紋次郎である。しかし原作は、初めから死ぬ運命を背負い仏になった女郎たちのために怒りの長ドスを抜く。
どちらの紋次郎も確か「連れては行かないが、ついて来るのは勝手」と言って、それ以上の関わりは拒んでいたのだが、結局紋次郎は関わりの無いことで命のやりとりをすることになるのである。

第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

追ってきた連中はみんな竹槍を何本も持っていて、紋次郎めがけて投げつけてくる。丸太攻撃も苦戦したが、宙を飛んでくる竹槍もやっかいである。

紋次郎は、地面を転げ回って竹槍をかわす。この辺の動きは前シリーズから5年も経っているが、中村氏の動きは俊敏である。
原作とテレビ版の違いは、お玉が連中の手に掛かって殺されてしまうところである。捕まえられた手から逃れて、紋次郎の許に逃げてくるところを後ろからバッサリ斬られてしまう。
それと同時に、紋次郎の殺陣がスローモーションになる。これは大洲監督の演出であろう。道中合羽が翻ると共にバサッと効果音が入る。

しかしスローモーション映像なのでよく分かるのだが、合羽が翻りすぎて、本来後ろにあるはずが前に来て、いわゆるお地蔵さんの涎掛け(それも長めの)…笑)になってしまっているのはちょっとかっこ悪い。
実際の斬り合いになったら、そういうこともあり得るということか。

七人の追っ手を斬り捨て、血で汚れた長ドスを血振りして鞘に収める。
お笛は紋次郎に告白する。

半年前にチラッと見かけた紋次郎を男だな、と感じたのは嘘じゃなかった。宿場女郎が見る気紛れな夢さ。でも足を洗ってちっぽけな店でも持てるかも、と紋次郎より三百両の方に未練があった。宿場女郎なんてそんなものなのかねえ……。

「赤の他人同士、仕方ねえことでござんす。」

自分のエゴで、苦楽を共にした仲間を騙し、命を奪う片棒を担いだ女だが、紋次郎は咎める言葉を口にしない。
仕方ないこと……惚れたところで、同じ釜の飯を食ったところで、所詮他人同士なのだ。だから自分可愛さで、他人を裏切っても仕方ないことと言うのか。

紋次郎は生まれてすぐ、肉親に間引かれそうになった。親子の縁があるものでさえ、エゴで裏切るこの世の中なのだ。他人なら、なおさら……なのかもしれない。

「ところでお前さん、その証文書き付けはどこにあるか察しはつくかい。」の問いに紋次郎は、楊枝を飛ばしてお駒の髷を結んでいる赤い布を落とす。
お笛は「さすがだねえ。」と言わんばかりの表情でにっこりする。

お澄が死んだとき、形見分けだと言ってお駒の結綿の布をお澄のものと替えたが、あのときにカラクリが分かったと紋次郎は言う。
視聴者もさすがに、あの効果音だから、「何かあるな?」と感じていただろう。
5人の女郎がひとり、またひとりと姿を消して生き残るはお駒とお笛だけとなった。

お笛はおもむろに笛を吹く。テレビ版でははっきり明かしていなかったが、原作を読むと、笛の音は源太郎たちへの合図であったと記されている。
すると、まるでその合図が聞こえたかのように、生き残っていた男が最後の力を振り絞って竹槍を投げる。竹槍はお笛の胸に吸い込まれるように突き刺さる、と同時に紋次郎は男にとどめをさす。
お笛はやはり、死ぬ運命だったのである。

原作のお笛も殺されるのであるが、相手はお玉だった。お玉は、お笛の所業が許せなかったのだろう。源太郎が落とした長ドスを拾い上げ、お玉はお笛を刺したのだ。
お笛は笛を吹いていたのだが膝から崩れ落ち、紋次郎に一目惚れしたのは本当だったと告白する。そして、証文がどこにあるかわかるか?と尋ねる。
紋次郎は亡骸となったお駒の髷の赤布に楊枝を飛ばし、「ごめんなすって……」と去っていくのである。原作では、紋次郎とお玉だけが生き残ったということになる。

テレビ版での紋次郎は、事切れたお駒を背負って峠に下ろし、相州の方に向けてやる。
「お駒さん、おめえさんの故郷ですぜ」
デジャブである。市川監督の「峠に哭いた……」のエンディングのオマージュであろう。大洲監督はきっと、市川監督に憧れがあっったのだと思う。
「峠に哭いた……」ではお妙を静かに下ろし、お妙の着物が風でめくれないように楊枝を飛ばす紋次郎だった。
エンディングのすばらしさは一、二を争うクォリティーである。
原作にはないこのシーンをやはり入れたかったようだ。

遠くで笛の音が流れる。お笛の最期の調べであるが、パタッとやむ。それは何を意味しているか……テレビ版の女郎たちは、「そして誰もいなくなった」というわけである。

峠からお駒の故郷の山並みが見える……しかし、よく見ると一番遠方の峰に鉄塔らしき影が二つほど見える。やはりロケで、時代劇を撮影するには難しい環境だったようだ。

芥川氏のナレーションと紋次郎が去っていく後ろ姿。
「記録によると、信州追分宿の宿場女郎が解放されたのは明治五年のことである。そのときの人数は二百七人だったという。」

原作にも同じ文言で締めくくられているが、「宿場と飯盛女」(宇佐美ミサ子 著)によると、「めでたし、めでたし」とはいかなかったようである。
解放されても女たちの親元は極貧であり、とても帰れる状態ではなかったこと。女たちは生活していくための術がなかったこと。

結局解放したものの新たな名目で、旧飯盛女を遊女として旅籠は雇用したとある。
実質の解放とは言えなかったという哀しい女の歴史が、明治という時代になってもまだ続いたのである。

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Re: 第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

今回、「紋次郎でこんなことすな~~!」というシーンが無く、原作よりもヒューマン路線になってるなあ、と思ったら、旧作のいくつかを担当された大洲斉さんが監督でしたか。
お笛の最後も、こっちの方が紋次郎らしいですね。

私はこの原作を読んで、怪奇大作戦「死神の子守唄」を連想してました。
(元ネタはマザーグースですが)

 10人の娘が旅に出た 10人の娘が旅に出た
 滝にうたれて 1人目が死んだ

 9人の娘が旅をした 9人の娘が旅をした
 橋から落ちて 2人目が死んだ

 8人の娘が旅をした 8人の娘が旅をした
 崖から転げて 3人目が死んだ

 7人の娘が旅をした 7人の娘が旅をした
 熊に食われて 4人目が死んだ
http://www.youtube.com/watch?v=mBOORWiLtQM
(なお、この話には稲荷山兄弟の戸浦六宏さんと、「房州路」の草野大悟さんが登場します)

鉄塔ですか。
旧作でも「甲州路」や「水車」にチラッと映ってましたね。
これらは斜面にあったので、よく目を凝らさないとわからないのですが、山の稜線なら目立ちますなあ。

まあそれでも、全体として美しい風景に仕上がってるのなら、江戸時代に存在した「鉄塔木」という樹木だと思うことにしましょう。(笑)

今回の写真も美しいですね。
残雪が残るのに田に水が入っているところを見ると、信州かどこかでしょうか。

  • 20110714
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

写真の件ですが、ご推察通り信州白馬の青鬼地区で、棚田百選にも選ばれている有名なところです。
タイムスリップしたような感覚でした。
この棚田を守られている住民の方々には、頭が下がります。
以前、今森さんの番組で紹介されていたので、興味があった場所です。

今回は大洲監督の作品だけに、前シリーズの雰囲気が感じられ、紋次郎の優しさやストイックなところも出ていたと思います。

時間の関係で、7人の女郎の出演はやはり無理……5人が限界でしょう。
書状を隠密で運ぶということでは、「白刃が……」とよく似た感じですね。
大洲さんの作品は「新……」では、今回だけのようです。

大洲監督の作品といえば、松田優作主演の「ひとごろし」が面白いです。
松田優作の臆病侍ぶり……キャスティングの妙を感じました。

「怪奇大作戦」……懐かしいです。
内容は大分忘れていますが、いい番組でした。
今でも通用すると思いますね。

いつもコメントを早々にいただき、うれしいです。
ありがとうございます。

  • 20110715
  • お夕 ♦wikz35BA
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  • 編集 ]
Re: 第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

今日はコメントありがとうございました。!
今のところ、熟読できず、小説の、コメントが出来ないことをお許しください。汗)
しかし紋次郎の、ニヒルな中の、優しさにほれています。現代風に、お夕さんの分析、開設が素晴らしいことと感銘します。

今も、遊女のおかれた悲惨が続いているのが情けないです。人間の平等をうたっている様に思い感動する次第です。!

最近、TVの「水戸黄門」が視聴率の低下で休止に追い込まれたことは残念に思います。
勧善懲悪の歯切れ』はあっても良いのではと思いました。!

  • 20110716
  • 荒野鷹虎 ♦-
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

鷹虎さま、コメントをいただきありがとうございます。

男の真の優しさを体現したのが、紋次郎だと思います。
男も女も惚れてしまいますよね。

「水戸黄門」は視聴率が低かったんですね。
ガッカリされる方が、たくさんおられるんじゃないでしょうか。
昔はお茶の間に、たくさん時代劇がありましたね。
今は「お茶の間」自体が、死語になりつつあります。
一人一台のテレビですものね。
「水戸黄門」と共に、家族の形がなくなっていくようで寂しいです。

  • 20110716
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

こんばんは♪

ご無沙汰しっぱなしで申し訳ございません。
拙ブログには沢山コメントを頂戴していますのに
・・・ゴメンナサイ!

しかし、いつ見ても画像が素晴らしいですね。
しかも、ストーリーに即した雰囲気を醸し出して
おります。
和のテイスト、なおかつ時代を感じさせる良い画
です。
しっとりとした情緒が何ともいえません。

なんだかんだで、巻き込まれてしまう紋次郎。
人と関わっては生きて行けない無宿人と判って
いながら他人に同情?してしまう。
虚無と言いますが、心を鬼には出来ない、ほんとは
ウエットな心情の持ち主なのかも知れませんね。

いつもありがとうございます。
では、又♪

Re: 第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

ぶんぶんさま、コメントをいただきありがとうございます。

こちらこそかえってお気遣いいただき、申し訳ありません。

紋次郎ワールドの魅力の中には、風景美があります。
原作では笹沢氏の筆力、テレビでは映像美、どちらも卓越したものがありました。
「新……」になってからはその点が少なくなり、不満はありますが……。
私が写真をとる理由は、少しでも紋次郎ワールドに近づきたい、紋次郎にどこかで会いたい、という想いからなんですね。

紋次郎の真の心情は、仰るとおり人間味溢れるものだと思います。
ただ、それでは無宿渡世では生きていけません。

時々、人間らしい感情を持つ自分に、心の中で苦笑する紋次郎がいます。
そして、自分で自分に言い聞かす……。
生きる世界が違えば、紋次郎は本来の姿で生きて行けただろう、と思いますね。

コメントをいただく度に、いろいろ考える機会をいただき、感謝しています。
ありがとうございます。

  • 20110720
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

こんばんは、このところずっと録りためてあったのに観れなかった分を少しずつ見て、その後にこちらを拝見しながら復習・・という楽しみ方をしています。
一回通しで見ただけでは気が付かなかった事など、こちらに詳しく書かれているので、何倍も楽しめます(舗装路、鉄塔には気が付かなかったので、もう一度観る楽しみも増えました・笑)

『もしこの回がリメイクされるとしたら・・』お玉役は森三中の大島さんが良いと思います(笑)

新シリーズになってから最近やっと気が付いたのですが、紋次郎の頬の傷が上の方に移動してませんか・・・??

Re: 第11話「笛の流れは三度まで」(後編)

ケンシロウさま、コメントをいただきありがとうございます。

原理主義の方々は、「新……」をどのように評価されているのかなあ、と思いつつブログ記事を書いていますが、この回は結構イイ線いってたんじゃないでしょうか?

お玉さんに大島さん!!
気がつきませんでした。これも結構イイ線いってますね。

紋次郎サンの頬の傷。
仰るとおり、その都度違うように思います。
頬傷移動説?!
右頬でなくて良かった……と私は思っています(笑)。

  • 20110819
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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