紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第13話「 明日も無宿の次男坊」(中編)

第13話「 明日も無宿の次男坊」(中編)

第13話「 明日も無宿の次男坊」(中編)
(原作 第53話)(放映 1977.12.28)
しかし原作では、紋次郎に少し責任を負わせている。
原作の紋次郎は魚を食べた後、崖を上がる途中でキノコを見つける。紋次郎は賢明なので、その臭いから毒キノコだとわかったので道ばたに捨てた。それを後ろから見ていた宗助は、紋次郎が崖下でキノコをたらふく食べた後余ったのを捨てたと勝手に思いこみ、それを拾って食べたというのだ。
とんだ言いがかりであると思うのだが、宗助の訴えに紋次郎は返す言葉がなく、無言である。

原作の宗助は、「一日も早く、宮の尾張屋まで行きたい。街道筋で評判になっている尋ね人の一件で、どうしても尾張屋へ行きたい。」と頼むのだった。
紋次郎はこの男を尋ね人の宗助とは思わない。左手の火傷の痕がないし、年齢も合わないからだ。原作では尋ね人の宗助は三十一、二。目の前にいる宗助と名乗る男は、どう見ても二十八、九となっている。
そしてこの後、ならず者の「山勘」が出てきて、自分が次男坊の宗助だと言って、白帆の宗助を痛めつけるのである。

テレビ版では、宮の宿の旅籠でお糸は働いている。街道を往き来する旅人に、目を走らせているがどうも宗助を待っているようである。

回顧シーンが出てきて、宗助とお糸は義理の姉弟ながら、心を寄せ合っていたことがわかる。回顧シーンでの宗助は高橋さんなので、白帆の宗助は正真正銘の尾張屋の次男だと分かる。
原作にはない設定である。原作のお糸も、実は亭主以外の男と通じ合ってはいたが、宗助ではない。
どうもテレビ版では、次男坊と兄嫁との悲恋に変わっているようだ。

一方尾張屋には、連日ニセ宗助がやって来る。善右衛門は目が不自由なので、左手の火傷の痕を手で確かめながら検分している。
何人も自分の番が回って来るのを待っている中で、お馴染みの顔が見える。それは最多出演の「山本一郎さん」。やりとりの中で左手の親指、甲から手首にかけて火傷の痕があるのが宗助だと聞き、コソコソと列から離れる。
一旦来たものの、自分はそれに当てはまらないとわかったからだろう。

このあと山本旅鴉は受難となる。ならず者たちにに襲われ金を盗られそうになるのだ。襲ってきた首領格の男が「山勘」。その山勘の手の甲に、火傷の痕があるので、命乞いをするためにいい話があると持ちかける。
尾張屋が、百両の金をかけて勘当した次男の宗助を探している。その印が火傷の痕だから次男坊になりすますことができる……。
しかし哀れ、山本旅鴉の話は命乞いにはならず、背後から斬られて川に突っ伏して命を落とす。山本さん、紋次郎以外の者に斬られるのは、今回が初めてではないだろうか。
もうこの時期は、気温も下がり寒かったはずだ。お疲れ様でしたと言いたい。

原作では宗助になりすまそうとする山勘は、初めから街道の噂を聞きつけてやって来るので、この展開はない。わざわざこのシーンを入れたのはなぜだろうか。山本一郎さんの出番のためか、山勘の非道ぶりを表すためか。

橋のたもとで紋次郎と宗助はまた出合ってしまう。宗助は杖に縋ってフラフラと歩いて来る。足が速い紋次郎と足元が定まらない宗助がなぜ、同じ位置にいるのか不思議である。
宗助は紋次郎に「宮の尾張屋が人探しをしているが、その件でどうしても宮まで行かなくちゃならねえんだ。あっしが……その……」と言いかけたとき、山勘たちならず者がその言葉を制する。
「お前には手の甲に火傷の痕もないのに自分が宗助だなんて、間の抜けた騙りだ。本物の宗助は、この俺よ!」と火傷の痕を見せつけて、宗助を痛めつけ去っていく。

宗助は、自分が本当の尾張屋の次男坊なのだ。火傷の痕なんて何のことやらわからない。自分は尾張屋の身代が目当てじゃなく、女に逢いたいから宮へ行きたいのだ。兄嫁のお糸っていう女で、哀れな女だった。尾張屋なんかに嫁がなかったらきっといい女になっていたろうに……と述懐し回想する。

宗助はお糸に、簪を渡しているところを兄と父親に見とがめられ叱責される。
「働きもせず酒や博奕に現を抜かし、この穀潰し!」
と怒鳴られ、宗助も言い返す。
「どいつもこいつも金の亡者みてえな顔をしやがって!」
これには父、善右衛門も逆上して「出て行け!勘当だ!」と叫ぶ。
それ以来宗助は12年間、尾張屋の敷居はまたいでいないのだ。

「……こうして無宿渡世に身を落としちまったからにゃ、堅気の暮らしに未練なんか持っちゃいやせん。ただあの女に一目だけでも逢いてえと思って尾張屋を訪ねてみようと思ったんで……引きずってでもあっしを尾張屋に連れてっておくんなせえ。」
と宗助は必死で紋次郎に頼む。

紋次郎は暗い目をして宗助に言う。
「宗助さん。渡世人には引き返す道なんかねえんでござんすよ。決して後戻りのできねえ道を、おめえさんはずっと歩いて来なすった。甘ぇ考えは、捨てた方が身の為ですぜ。」

親、兄弟、親類、身代、故郷に住む人々……あらゆるものを捨てて無宿となり、渡世の道に入った者は、元の暮らしには戻れない。いくら親が「許す。」と言ったところで、それは無理な話なのだ。後戻りできないので、渡世人は前に進むだけ……それが破滅的な道であろうが、危険な道であろうが……。そのぐらいの覚悟があって初めて、渡世人と呼ばれる身になれるのである。

「おめえさん、人情ってものを持ち合わせてねえのか……女に情を移したことねえのかよ!」

紋次郎は今まで嫌と言うほど人に裏切られ、住む世界が違うという悲劇を見てきた。人情だの女に情を持つだの、すべて無常の世界での出来事だと達観している。
だから、絶対であったり永遠であったりはあり得ないのだ。

紋次郎は宗助に「本当にその女に逢いに行くだけなのか」と念を押す。そして宗助の「女に一目逢ったら宮を出て行く」という言葉を聞き、引き受ける。
このときの紋次郎は宗助に視線を移すことがない。実に淡々と無表情で、まるでこの先の結末が予測できるかのようである。

第13話「 明日も無宿の次男坊」(中編)

紋次郎は宗助を背負って歩く。「地蔵峠……」と全く同じシチュエーション。高橋さんは腹痛に苦しみ、紋次郎に背負われる運命にあるようだ。
原作も同じく、紋次郎は宗助を背負って宮の宿まで行くことを承諾する。しかしそれは、白帆の宗助が尾張屋には何の関わりもないということを、本人から聞いたからである。
原作の宗助は、自分が何者かは明かしていない。ただ、名前が同じであるということだけである。自分が捨てた毒キノコを口にしたという、取るに足りない負い目だけで、原作の紋次郎は宗助を背負う。テレビ版のように、女への情や人情は背負わない。

中村紋次郎は大の大人を軽々と背負って歩く。歩を緩めることもなく、背中を丸めることもなく姿勢正しく歩く姿は頼もしくて格好いい。
尾張屋ではまだニセ宗助が何人も来ているようで、「宗助には好き嫌いがあって、口にしない物があったがそれは何か?」と善右衛門から質問されている。
男が、しどろもどろで答える。

「油揚げ!」ブブーッ!

「コンニャク!」ブブーッ!それは紋次郎が食べられない物ですね。

「長ネギ、ニラ、ラッキョウ!」ブブーッ!

さてこの三品は、実は中村敦夫さんが嫌いな物なのである。確か彼の著書「渡世人気質」のエッセイに書かれていた。さすが、敦夫さんの実弟が脚本を書いているだけあって、ここはこの兄弟だけの笑えるところなのかもしれない。
もちろん、原作にはそんな記述はない。

二人は宮の宿に入る。旅籠で下働きをしているお糸が、その姿を目にして呼び止める。
旅籠の裏で二人は語り合う。宗助はお糸が家を追い出されたことを知る。お糸は尋ね人の噂を聞いたら、宗助はきっと帰ってくると信じて旅籠で働きながら帰りを待っていた……と健気な想いを口にする。

宗助は、長い無宿人暮らしをしたが、所詮柄にあってない。つくづくこの渡世に愛想が尽きた。親爺が跡継ぎの自分を探しているようだから、尾張屋に戻る、と語る。
お糸は「あなたは変わってしまった。私が待っていた宗助さんと違う。」と、きっぱり言う。自分が跡を継いだら、お糸を呼び戻してやると、尾張屋に戻れることを確信している宗助。
お糸は尾張屋に戻ることなんかできない、行っても無駄だと語気を強めて諭す。しかし、宗助は聞く耳を持たない。

お糸は、がんじがらめの尾張屋の格式の中、逆らいながらも生き生きとしていた宗助が好きだったのだ。だのに帰ってきた宗助は、あんなに憎んでいた尾張屋の身代が欲しいと言う。やはり金が欲しいと言う。
お糸が12年間も尾張屋の仕打ちに耐えてきたのも、宗吉への想いがあったからなのだ。
お糸は、地位や財産に目がくらむことのない純粋な宗吉を待っていたのだった。

紋次郎は二人のやりとりを聞いていて、宗助が嘘をついていたことを知り詰問する。尾張屋の身代には興味がなさそうにしていたが、その実、意欲満々なのだから……。
「宗助さん、やっぱり嘘をつきなすったね。おめえさん、ここへ連れてきたのはこの人に会うためじゃなかったんですかい?」
宗助はばつの悪そうに笑いながら、「俺を運んでくれたら、百両の礼金がもらえるんだ。もうひと汗かいちゃくれめぇか。」と紋次郎に頼む。開き直ったようである。

「まだ、わからねえぇんですかい?」
宗助のきょとんとした顔。
「わからねぇんなら、お連れしやしょう」

お糸は尾張屋に長年嫁いでいたので、よくわかっているのだ。第一、手の甲の火傷の件はおかしな話だと、宗助を知る者は誰でもそう思うはずだ。尾張屋は何かを企んでいる。
単に、宗吉を探しているのではないと……。

紋次郎もそのことに気づいている。渡世人には引き返す道はない……一度渡世の道に入った者には、帰る故郷はないのだ。住む世界が変わってしまうのだ。
宗助だけがわかっていないのである。甘ちゃんなのだ。

「言ってもわからないなら、自分の目で確かめてみろ!」とでも言うべく、紋次郎は尾張屋に宗助を連れて行くことにする。
尾張屋まで宗助を連れて行くという行動については、原作もテレビ版も同じではある。しかし、その経緯や紋次郎の思いには大分違いがある。

紋次郎にとって、渡世人の生き方とはどういうものなのか。
「童唄……」で、「子分にしてくれ」と土下座する百姓の横っ面を殴りつけた紋次郎。心配する者がいてくれる親兄弟の元へ帰れ、と諭す。

「木っ端が……」では、渡世人が生きる世界はどんな汚い世界なのか、己で思い知れ、と三下の伝八に何かとヒントを与え、行動に走らせる。
どちらもテレビ版だけの紋次郎の姿であり、渡世人に対する紋次郎の思いがよく出ているところだ。

尾張屋の貯木場の水面には、青空と山の稜線をバックに宗助を背負う紋次郎の姿が映る。なかなか巧みな撮影で趣深い。

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Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(中編)

「渡世人には引き返す道なんかねえんでござんすよ。…」
この原作に無かったセリフ、いいですね。
この時期、原作者自身が忘れかけていた、紋次郎の紋次郎たる所以をしっかり補完してくれていて。
「新」は監督によって全然違った紋次郎が出てくる、というのをお夕さんやおみつさんから聞かされてましたが、これほど極端とは。
この次の回が「旅立ちは三日後に」だったら、「この前あんなこと言うたのは、どの口じゃあ!」とつっこまれたでしょう。(^^)

当時子供だった人は「仮面の忍者 赤影」も見ていたと思います。
赤影も紋次郎も、大部屋俳優さんがいっぱい出演していたので、紋次郎をよく見たら赤影の脇役や敵忍者がかなりいるんですよね。
この「長ネギ、ニラ、ラッキョウ!」 のニセ宗助は紅影さん、千代田進一さんです。
「笛の流れ」で最初に声をかけてくる男は黒影さん、出水憲次さん。
「川留めの水は濁った」の旅籠で会話する商人二人はこの紅影&黒影の名コンビで、赤影をよく見ていた人なら「オオ~~!」っとなるのです。
あと「水神祭」お美和→いかるが兄妹・若葉 「水車」八五郎→不知火典馬 「日光路」治兵衛→不動金剛丸「鴉」勘吉→かげろう兄弟つむじ
あと紋次郎での役名はありませんでしたが、傀儡甚内、魚鱗流伯も出てました。(わかる人少なくてすみません)

そして、紋次郎準レギュラー(?)の山本一郎さん。
この人は、カニの怪獣を操る忍者・足切主水として出てきて、ギョロ目を生かした怪演を見せてくれます。
(このページの上から7枚目↓)
http://blog.goo.ne.jp/kamekichi1964/e/44690d91ac81f58cdfb0ec5eec6d8eb5

顔の真ん中に白い線を入れてますが、紋次郎で見ていたら、この人、額の中央に縦筋が走る特徴があるので、このメイクにしたのかなと思いました。

  • 20110829
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(中編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

新の紋次郎は、結構気紛れな面があります。
原作でも「あれ?」と思うところがありますので、それはそれでいいのか、と思うようにしています。

「赤影」にも精通していらっしゃるようで、お見それいたしやした。
私も観てましたが、それほど詳細には覚えておりません。
赤影さんのヘアスタイルが、全く乱れないのが不思議でした(笑)。
敵忍者のキャラ立ちが、ハンパなかったですよね。

忍者と言えば「忍者部隊 月光」ってありましたよね。
月光の手袋を買ってもらって、うれしかったことを覚えています。

今思えば、かなりのテレビっ子だったように思います。
あの頃は、一家団欒の中心にはいつもテレビがありましたが、今や一人ずつが違う番組を観ている時代……。
なんだか、寂しい気もします。

  • 20110830
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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