紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

(原作 第53話)(放映 1977.12.28)
尾張屋ではあの山勘が手下を連れて乗り込んでいる。山勘は気持ち悪い猫なで声で、善右衛門を「おとっつあん」と呼んでいる。しかし善右衛門はにこりともせず取り合わないし、山勘たちの周囲は、鳶口や手鉤を持った若い木場人足たちで包囲されている。
火傷の痕があることを認めた上で、善右衛門は山勘を「厚かましい悪党」「神仏を恐れぬ極悪人」と呼ぶ。あくまでも宗助だとは認めない。
そして質問をする。
「七つの時に怪我をさせたのは誰か?」
「乳をくれた人は誰か?」
「初めて博奕に手を出したとき、ここに乗り込んできた代貸は誰か?」
「亡くなったおっかさんはお前のことをどう呼んでいたか?」
山勘はどれも答えられるはずがない。
そしてとうとう善右衛門は、「火傷の話は作り話だ」と真実を話す。

総領息子は死ぬ間際に、自分を襲ったのは左手の甲に火傷のある男だと善右衛門に言い残す。善右衛門はその下手人をおびき寄せるため、番頭と結託してこのうわさ話を広めた。
するとおびき寄せられ、まんまと下手人の山勘がやって来たというのだ。
これはドンデン返しである。宗助探しだとばかり思っていたら、総領息子の平吉殺しの下手人捜しだったのだ。

「お前らごとき渡世人に、尾張屋の跡取りが殺されて到底許すわけにはいかんのじゃ!……何年かかろうと、尾張屋の身代を潰そうと、仇を討つと誓ったのじゃ!」

善右衛門の執念であり、総領息子への偏愛でもある。
そしてこの後、山勘たちが暴れ回るというテレビ版の展開なのだが、原作はもう一ひねりドンデン返しがある。

山勘が悔し紛れに洗いざらい喋ってしまうのだ。
実はお糸と番頭とは以前から不義密通の仲。平吉が邪魔になったので、山勘に頼んで襲わせたというのだ。平吉が死に、善右衛門も老い先短い。お糸は晴れて婿養子に番頭を迎えたら、うまくくいくという算段だったのだ。
これには善右衛門も驚く。本当の厚かましい悪党、神仏を恐れぬ極悪人は身内にいたのだ。お糸と番頭はその場を逃げ出すが、乱闘の中、山勘たちに殺される。
このお糸の扱い方が、テレビ版と原作で大きく違ったのである。今回のヒロインお糸は裏切ることはせず、待っていた宗助に逆に裏切られた感じである。

テレビ版の宗助は、山勘と善右衛門たちが一触即発の中に飛び込んでくる。
「俺が宗助なんだ!噂を聞いて戻ってきたんだ!」
これを合図のように、山勘たち一味は一斉に長脇差を抜いて人足たちに襲いかかる。

「誰にも渡すもんかい!親の身代、俺のもんだ!誰にも渡すもんかい!」と宗助は、善右衛門の前に出て長脇差を振り回し応戦する。
紋次郎に背負われてきたのに、結構元気じゃないですか、とここでツッコミ。
尾張屋の身代に執着する宗助の姿を、紋次郎は確かめるように見る。
しかし宗助は、悪漢の一人に斬られてしまう。とその瞬間、紋次郎は宗助を斬った男に鞘走らせている。
結局また関わってしまったわけである。

紋次郎は屋敷内から一味を遠ざけるつもりか、敷地内から外に走り出る。
この後の殺陣はなかなかいい。
広大な畑を走る。畑には何も栽培されてなく、長く畝が伸びているだけ。その畝に沿って一直線で疾走する紋次郎。後を追う男たち。斜光の中走る後ろ姿をロングで撮っている。

畑の向こうは刈り取った後の田んぼ。
紋次郎が走る向きを変えた途端、追っていた男が一人、紋次郎の身体に当たって尻餅をつく。これは演出ではなく、突発的なものだったのではないか。とにかくスピード感がある。全速力で走って急に止まり、向きを変えたり転げたりする。勢い余った敵は身体をコントロールできないまま、紋次郎に斬られる。
斜光に足元の雑草や三度笠が鈍く光るのも映像的には美しい。
中村氏の身体のキレはよく、脚力が物を言う野性的な殺陣だったのが良かった。

屋敷の庭で宗助は、山勘が答えられなかった問いを苦しい息の中、全部答える。
亡くなった母からは「親不孝者」としか呼ばれず、それが名前みたいになってしまった……という件には悲哀がこもっている。
宗助の顔には死相が浮かんでいる。何とも言えない顔色だが、ちょっとメーキャップ過剰である。
しかし善右衛門は無表情。

「言うことは、それだけですかね」
「へい、ほかには別に……」

「でしたら、早々にお引き取り下さい。もう宗助という次男坊捜しの件は、終わったんですからね」
「あっしは、何もそんなつもりで口をきいているわけじゃあござんせん」

「それなら、なおさらのことでしょう。さっさと、お引き取りを願いましょう。お前さんたちのような無宿人が、気安く敷居を跨げるような尾張屋ではないんですよ」
「よくわかっておりやす」

「宗助などという次男は、とっくのむかしに死んでしまいました。たとえ尾張屋の血筋が絶えようとも、無宿人の出入りを許すよりもまだマシです」
「へい」

「お前さん、工合が悪いようだから、これくらいのものならくれてやりやしょう」

(原作の台詞)

第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

そして善右衛門は、杖を宗助に投げる。
原作の宗助は一言も、自分が跡取りの次男坊だと口にしていない。どうしても尾張屋に行かなくてはいけない……と、紋次郎に頼み込んだはずだったのに、強く主張しない。
総領息子の仇を討つために、自分の噂を流しただけだったと知ったからか。
父親、善右衛門の気持ちはちっとも変わっていなかった。それどころか、無慈悲にも追い出してしまう。
一旦無宿人となった者は、血のつながりまでも拒絶されてしまうのである。宗助の胸の内には「もしかしたら」という一抹の甘い期待があったかもしれないが、現実は厳しかった。
思い知らしたのは、実の父親だった。

原作の紋次郎の台詞は
「参りやしょう。あっしが最初に念を押したように、わかりきっていたことじゃあござんせんかい」
である。
わかりきったこと……宗助は尾張屋には何の関わりもないという立場は、何も変わらなかったのである。

こうして宗助は、本当に退路を断たれた正真正銘の無宿人になった。
善右衛門は厳しい父親だった。無宿人となった宗助が、この渡世でこれからも生きていくのであれば、甘えを捨てさせなければならない。紋次郎に背負われるような生きざまではいけないのだ。自分の足で歩けという意味で、杖を投げたのか。としたら、善右衛門は厳しいが父性があるのかも……と見方も変わってくる。

善右衛門は紋次郎に
「こんな無宿人をなぜ運んできたのか。余計なことをしてくれると、文句の一つも言いたくなる。」と言う。
そこでこの台詞「あっしには言い訳なんぞござんせん」となる。

原作の宗助はこの乱闘には加わらなかったので、怪我はしていない。杖に縋って立ち上がり、紋次郎が気づかないうちに姿を消す。
街道に姿は見えず、そのかわりに紋次郎は天水桶に立てかけてある杖を見つける。紋次郎はその杖に楊枝を飛ばし、地面に転がす。
原作の宗助はこのタイトル通り、「明日も無宿」のままであろう。「白帆の宗助」はこの後、この渡世で名を上げたかどうかは知らない。

さてテレビ版の宗助は、可哀相だがその後死んでしまう。
息を引き取る前に宗助は、杖を貯木場の水路に投げ捨てる。後ろからゆっくり歩いていた紋次郎が、宗助に最後にかける台詞。

「だから言ったでござんしょう。渡世人に引き返す道なんか、端からなかったんでござんすよ」
その言葉を背後で聞いて、宗助は息絶える。
死に際の者にこの台詞は酷だなあ、と感じる。
こうしてテレビ版の宗助には、二度と「明日」は来ない結末となった。
この展開で宗助が生き残るとなると、お糸と夫婦になってハッピーエンドになり兼ねないので命を奪ったか。

亡骸を見下ろす紋次郎の背後でお糸が呼びかける。
「紋次郎さんは、初めからこうなることを知っていたんですね」
「なぜ?……なぜ、そうと知ってて尾張屋さんに宗助さん、連れてったんですか」

「あっしには言い訳なんぞござんせんよ……御免なすって」

テレビ版では、お糸にこの決め台詞を言い残し去っていく紋次郎。
紋次郎が連れて行かなくても、遅かれ早かれ宗助は尾張屋を訪ね、同じような結果だったろうとは思う。(命を落としたかどうかはわからないが)
因縁というか、因果というか。

紋次郎はお糸に別れを告げ橋を渡る。この橋が実に雰囲気のいい橋である。小さな橋には欄干がなく橋の下には水面は見えない。ただ枯れた葦が一面に広がる。
紋次郎は水路の石に杖が引っかかっているのを目にし、楊枝を飛ばす。杖はゆっくり動き、流れに乗って視界から消える。

エンディングのナレーションで、その後尾張屋は、三河の豪商、三州屋から養子を迎えた……と締めくくっている。

中村勝行さんの脚本3本目であり、前回は「鴉が三羽……」。今回も前回に続き、奇しくも渡世人が血のつながりを頼って親を訪ねるという設定であった。
そして二作とも、ほのぼのとした親子の対面は成されず、息子は死んでしまうという虚しい結末であった。

「渡世人には、引き返す道はない」
紋次郎にとっては自明のことであるが、宗助にはわからなかった。そして命と引き替えに、無宿渡世人の厳しい世界を思い知った。
なぜ、紋次郎とお糸の忠告を聞かなかったのかと言っても、後の祭りである。
これほど高い授業料はなかっただろう。

原作では最後に、お糸と番頭の企みというどんでん返しが用意されていた。そして宗助は命を落とすことはなかった。
テレビ版では、宗助を想うお糸という設定で情愛を感じる作品に仕上がっている。
どちらもそれぞれ味わいがあるが、後者はやはり視聴者を意識した脚色となり、殺伐とした中にもしっとりとしたものを感じる。

今回の主役は明らかに高橋さん(宗助)で、脇役は紋次郎だった。
生まれが豪商の跡取りであっても、寒村の一家離散者であろうと、紋次郎が言う通り渡世人には引き返す道はなかった。
宗助も、「鴉が……」の佐七も、決してハッピーエンドにはならない原作の本質を、踏襲していたところはよかったと思う。

原作の宗助は、紋次郎が言った通り昨日と変わらない今日を迎え、明日も無宿のまま流浪の旅に出る。
テレビ版の宗助は文字通り、引き返すことのできない道……死出の旅に赴くこととなる。


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Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

ラストの宗助、お糸が駆け寄らないので、昏倒したのだとばかり思ってました。
息絶えたとなると、紋次郎のセリフの響きも違って聞こえますね。

原作の更なるどんでん返しをカットしたので、テーマとなる「渡世人の生き様」がより明確になったと思います。

この貯木場、順光での池の倒立像に山並みが写っているのと、白壁の民家があるのを手がかりに、京都の地形図をかなり探したんですが、見つからないんです。
白壁の民家は、池とは別の貯木場なのかもしれません。

ところでこの回の高橋長英さん、カットによってはダウンタウンの浜ちゃんに見えませんか?(笑)

  • 20110903
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

宗助が貯木場で倒れても、お糸が駆け寄らず冷静でいたのは、こうなる結果を予想していたからでしょう。
予想していながらも、紋次郎を責めるあたりは、自分も宗助をとめ切れなかったという悔恨もあったと思います。
切ない展開にしたのは、なかなか良かったですね。

白壁の民家のシーンは何となく屋外セットではないか、と思うんですが……。積まれてある丸木が細くて整いすぎているようにも見えます。
宗助を背負って歩くのは、山影が映るのでロケ地でしょう。
貯木場は、新たな手がかりが見つかるといいですね。

楊枝を飛ばす前に渡る橋……ここもどこの橋か気にはなっているのですが、多分もう現存してないでしょう。
安全上やむを得ないことですが……。

高橋さんと浜ちゃん?
同じ系統ではありますね。
リメイクするなら採用候補です。(ちょっと歳いきすぎかも……)

  • 20110903
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

お夕さん お邪魔いたします。

ずいぶんとゆっくり進む台風ですね。
こんな時、紋次郎さんはどうなさっているのかな…などと、思い巡らします。

いろいろ選択に迷ったり埒が明かない時など、紋次郎さんならどうするかな~と考えてみると、不思議と決心がついたりもいたします。

最近、新・旧の紋次郎さんを並行してみることが多く(別に比較しているわけではないのですが)
やはり、新の紋次郎さんは少々大人っぽいかな…

今回は、特に、宗助さんとの距離感から、その印象を強く受けました。
私も、『死に際の者にこの台詞は酷』と思いますが、紋次郎さん(敦夫さん)に言われると、なぜか心にスッと沁みていきます。

ラストが原作と違うのですね。
今回のヒロインは、男性におもねったり騙したりしない芯のある女性で、わたし的にはとても満足でした^^
「紋次郎」の中の女性像は、少々、画一的に扱われ過ぎかな~と。。。



Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

台風の被害はございませんでしたか?
こちらはやっと雨が上がり、外では秋の虫が鳴いています。

紋次郎作品の中で、嵐と言えば「冥土の花嫁を討て」(原作版)と「奥州路・七日の疾走」でしょうか。
どちらも紋次郎は冷静に構えていましたね。さすがです。

以前、当ブログにおいでいただいた方から、「いつも心に紋次郎」という名言をいただきました。
ホントに窮地に立たされたときは、そういう心境になります。(紋次郎の窮地に比べると、他愛もないものばかりなんですけど)
勇気が湧いてくる言葉です。

紋次郎に出てくる女性はほとんどが悪女なんですが、それもパターン化すると「どんでん返し」も返らなくなりますもんね(笑)。
その辺の匙加減は難しかっただろうなあ、と思います。

  • 20110904
  • お夕 ♦wikz35BA
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  • 編集 ]
Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

お夕さん お返事ありがとうございました。
こちらの台風もようやく治まり、虫が鳴き始めました^^

「一家の掟」大変興味深く拝読しました。

紋次郎さんの「鉄則」
紋次郎さんの美しさの源ですね。
これが、紋次郎さんの痛みや苦しみから生み出されたものかと思うと、同時に、哀しくもなります。

「いつも心に紋次郎」
無意識のうちにも、紋次郎さんが語りかけてくれてますよネ。

なるべくなら、私に中で、紋次郎さんを奉るようなことはしたくないと思います。
どんな無様でもいい。
紋次郎さんが「幸せ」と感じる瞬間があればいい、と、そればかり願っています。


Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

白さんのコメントには、いつも紋次郎に対する深い愛情が感じられます。

紋次郎の生きざまには、すべてを削ぎ落とした虚無感が漂いますが、その芯にあるものは生きることの哀しみだと思います。
死に往く者は哀しいでしょうが、生き抜くことはもっと哀しい。
しかも旅を重ねれば重ねるほど、その哀しみは増していきます。

しかし、旅を途中でやめることはできないし、許されない。

哀しみがわかっている紋次郎だから、それを感じないように、虚無という鎧を身にまとっているのではないかとさえ思います。

紋次郎が味わった最初で最大の哀しみは、やはり「お光の死」だったでしょう。
最愛の対象であった者を亡くすという哀しみが、紋次郎を旅立たせるきっかけになったことでも頷けます。

虚無で隠した哀しみのはずが、関わってしまったことで頭をもたげ、それが怒りという形で出てしまう。
紋次郎の旅は、その連続です。

そう思うと、去っていく後ろ姿が余計に切なくなります。
秋風と共に、紋次郎の生きざまの哀しさをますます強く感じます。

  • 20110905
  • お夕 ♦wikz35BA
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  • 編集 ]
Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

お夕さん お返事ありがとうございました。

『虚無という鎧』 全く、同感です。
お夕さんの言葉のセンスは、本当に素晴らしいですよね!

紋次郎さんを評する言葉として
「虚無・孤高・無欲・諦観・仏教的…」等々ありますが、
私が彼に対して最も魅力的に感じているところは、
それら全てにおいて「完璧ではない」ところであります。

ほとんど無敵とも思える『鎧』ではありますが、所々ひびが入っているようです。
時折、その割れ目から垣間見えるもの。
それは、お光さんに象徴される『紋次郎さんの本質』であると思います。
(第7話「四度渡った泪橋」(後編)お夕さんのコメントより)

紋次郎さん自身は、彼の持つ本性(輝き)に対して、ほとんど自覚がないように感じますが、無意識のうちに、
ありとあらゆる『鎧』で守ろうとしている様が窺えます。
鎧に入ったひびは、勿論、紋次郎さんの弱さから生じたものではありません。
彼の放つ輝きのほうが、鎧より勝った為であると思われます。

紋次郎さんの探しているものは、紋次郎さんの中にある。
そのことを伝えられたらいいのに…

…これが、今のところの、私の紋次郎像でありますが、
まだまだ旅(勉強)の途中ですので、変わってゆくことと思われます…



Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

「完璧ではない」と評されましたが、私もそうだと思います。
もし、紋次郎サンが完璧なる求道者であれば、こんなにも魅力を感じることはなかったでしょう。
原作では、「自分らしくねえ」と胸の内で呟いて苦笑する姿が出てくるのですが、その時の紋次郎が好きです。
「自分らしくない自分」が、一番紋次郎らしいのですが、それに気づいていないんですね。

いつも思うんですが、いろんな方からコメントをいただき、お返事を考えるたびに紋次郎考が深まります。
ありがとうございます。

  • 20110911
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

お夕さん 
こちらこそ、いつも学ばせていただき、深く御礼申し上げます。

『紋次郎サンが完璧なる求道者であれば、こんなにも魅力を感じることはなかったでしょう』

そうですね。
傍から見れば求道者のようでありますが、紋次郎さんに、その(教えを求める)つもりはないように見受けられます。
私の乏しい語彙で申しますと、「手段であって、目的でない」ですか。

しかし、紋次郎さんの行動哲学の根底は「死を真正面から見つめること』でありますので、
そういう意味においては、求道者であるとも思います。

何れにしてもアプローチの違いというだけで、最終的には同じところへ向かう一本道なのだと思います。


Re: 第13話「 明日も無宿の次男坊」(後編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

『死を真正面から見つめること』
紋次郎の死生観ですね。
いつも「死」と隣り合わせの者だけが、たどり着ける境地なのでしょう。

「いつも今日が最期の日」と実感できる人しか、紋次郎を理解できないのかもしれません。
そう思うと、私ごときが紋次郎を論ずることがおこがましくて、申し訳ない気持ちになります。

  • 20110912
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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