紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第14話「 白刃を縛る五日の掟」(後編)

第14話「 白刃を縛る五日の掟」(後編)

第14話「 白刃を縛る五日の掟」(後編)
(原作 第46話)(放映 1978.1.4)
五日目、一行は白い霧の中を往く。渓谷の音がする。右手は岩肌が見え眼下は崖という設定の中、三人は進む。お捨は一番後ろを怖々ついている。霧の中、三之助たちの襲来も警戒しながら歩を進める一行だったが、何も起こらずその内に霧も晴れる。

ここで十曲峠(十石峠)の説明がナレーションされる。原作でも説明があり、土地の者は十石峠と呼んでいるが一般には十曲峠(とおまがり峠)と聞こえているとある。
「木曽路名所図会」にも書かれているので、笹沢氏は参考にされたのだと思う。
お捨はこの峠を越えると美濃国なので嬉しくなって走っていく。
三之助たちは現れなかったが、きっと霧で姿を見失ったのだろう。美濃に入れば奴等は手出しできない……と吉五郎は国境が眼前なのでホッとした様子。
しかし紋次郎は
「吉五郎さん、ここはまだ美濃じゃござんせんぜ。お捨を一人にしちゃあ、危ねぇ。」
と言った途端、駆け出す。

しかし時既に遅し。お捨は峠の頂上で三之助たちにメッタ斬りにされる。あの女壷振りを執拗に斬ったのと同じである。その上スローモーションと叫び声入りという、残酷ぶり。
小娘一人を殺るのに、大の男がここまでするか……とまたまた気分が悪くなった。

その点原作は良くできている。お捨が殺されるシーンは語られていない。

「霧の中の人影は、三度笠をかぶっていた。二つ、三つと人影は増えてゆく。峠路を、下って来るのだった。やはり、悪い予感が的中したのである。三之助一行は、十曲峠の頂上で待ち受けていたのであった。
紋次郎は足をとめた。吉五郎も、それに倣った。二人は、霧を見つめた。黒い人影になったり、乳色に溶けたりしながら、男たちが道を下って来る。やがて二人の眼前に、最初のひとりが姿を現した。」
(原作より抜粋)

何が起こって何が終わったか……説明がないだけに、寂寥感と虚無感が漂う。
せめてテレビ版も、白い霧でシーンを隠して欲しかった。

下りてきた三之助は、
「紋次郎!とうとう小娘の楯にはなりきれなかったなぁ。あの小娘のことはすんじまったことだ。まあ、お互ぇ忘れようじゃねぇか。」
と紋次郎に言う。
「それでお捨は文のようなものを身に付けておりやしたかい」
「いや、どうやら見込み違いだったらしいぜ」
「見込み違いで殺されちゃあ、お捨も浮かばれやせんぜ」
紋次郎の口調はどんどん怒りモードに入り、中村氏の声色も変わってくる。

「あっしは申し上げたはずですぜ。お捨は故郷を見たさに美濃に向かったって……」

その後三之助は、紋次郎か吉五郎が使いの者かと尋ねるが、とうとう紋次郎は堪忍袋の緒が切れる。
「おめぇさんがた、どうやらドスを抜かねぇとわからねぇようでござんすね」

鍔に手をかける紋次郎に三之助は慌てる。
「てめぇ、抜くつもりか!今日いっぱい、抜けねえはずじゃなかったのかい、おい!」

三之助が言うのももっともな話である。今日で五日目ではあるが、五日の間という掟だからまるまる五日は経っていない。
さあ、この問題をどうクリアするか。

原作は、かなり狡いやり方と言えよう。

「吉五郎さん、霧が深くて見分けがつきやせん。もう今日という日はすぎて、夜中になっているんじゃあねえんですかい」
「その通りでござんすよ、紋次郎さん」
「すると、この封印はもう破ってもいいわけで……」
「差し支えござんせん。検分役として、そう申し上げやすよ」
「ありがとうござんす」

エエーッ!それでいいんですかい?紋次郎さん!というか、笹沢さん!どう考えても、夜中どころか夕刻でしょう。
ファンとしては納得がいきやせん。

テレビ版はそこまでは露骨なズルはしていないが、それでも釈然としない。

「封印したのは子の刻前だった。その日を勘定にいれりゃあ、約定の五日間はすぎたんじゃねえんですかい?吉五郎さん」
「その通りでござんすよ」
(この後の台詞は、ほとんど原作と同じ)

そう、あのとき紋次郎は与右衛門の子分に何刻かを訊いていた。「四つ半を過ぎた頃かと……」と答えているので今で言えば、夜の十一時を過ぎた頃。子の刻は十一時からの二時間を指すのである。日付が変わる前に封印したのだから、その日を一日目とすると今日は六日目になるというのか?これも何だかなあ、ではある。
昔は数え歳、今は満年齢で数えるといった違いか(笑)。

第14話「 白刃を縛る五日の掟」(後編)

とにかく紋次郎は、封印の誓紙を破って長脇差を抜き、三之助たちも全員ドスを抜き戦闘モード。吉五郎は地面に落ちた誓紙を、そっと袖の中に隠す。やっぱり……である。
「笛の流れは……」とよく似たやり方で、文を運んでいたのである。

紋次郎は抜刀したかと思うと、すぐさま何人も叩っ斬っている。
吉五郎もなかなか腕が立つようで、二人ほど斬り捨てている。
殺陣のシーンは、呆気ないほど短い。カメラが動きを追っているのだが、臨場感を出すと言うよりあまりに細かくブレすぎて、画面を見ていると酔いそうになる。

三之助は追い詰められて崖を背に
「待ってくれ!あんな流れモンの小娘ぐれぇ、どうでもいいじゃねぇか!」
と長脇差を捨てて命乞いをするのだが、今回の紋次郎は容赦しない。
「渡世人同士話せばわかること……」
と両手を挙げて丸腰状態なのに、紋次郎は長脇差を三之助に振るう。その回数何と、八回も!である。よほど怒り心頭だったのはわかるが、これほど何回も冷静さを忘れて斬りつける紋次郎は初めてである。

女壷振り、お捨、三之助と、斬殺されるシーンはどれも後味が悪く、せっかく紋次郎の、心優しいノスタルジックな面が見えたのに残念である。

紋次郎と吉五郎はお捨の亡骸に駆け寄る。お捨は往来切手を右手で握りしめ、美濃の方へ向けて事切れている。

吉五郎が、お捨はただ生まれ故郷の美濃国へ向かうだけだと言ったが、なぜ紋次郎にはそれがわかったのか、と背後から訊く。
「お捨は夕焼け空を飽かずに眺めておりやした。そいつは生まれ故郷を知らねえ者か生まれ故郷を捨てた者が、よくやることでござんすよ」
と紋次郎は遠い目をする。
原作とテレビ版の台詞は全く同じである。

紋次郎は十歳のときに故郷を捨てた。故郷を出てからどんな暮らしをしていたかは一切明かされていないので、想像の域は出ない。しかし、少年紋次郎はお捨と同じように、夕焼け空をよく眺めていたのだろう。まだそのときは、紋次郎の心は死んでいなかっただろうし、郷愁を誘う夕焼けを美しいと思う気持ちもあったのだろう。
長年アテのない旅を続け、虚無的な心になってしまった紋次郎には、峠を越えたり夕焼けを目にしたりしても何一つ心は動かされない。

しかしお捨に出会い、自分がまだ人並みの心を持っていた頃のことを思い出したのだろう。そしてそれが、「お捨の楯になる」という言葉を言わしめたのである。
紋次郎はお捨に自分を投影し、生まれ故郷を見たいという無垢な願いを叶えたかったのだ。お捨の楯になり、その純粋な気持ちを守りたかったのだ。

しかし結局、お捨を守りきれなかった……理不尽で残酷な死。ささやかな幸せも味わえずに、お捨の命は果てた。

吉五郎は「実は……」と事の顛末を話す。与右衛門に頼まれての使いは吉五郎だったのだ。
原作では文は吉五郎が所持していたが、テレビ版では封印の誓紙がそれと入れ替わっていて、紋次郎が運んでいたことになっている。あのとき、紋次郎が目を離した隙に、子分が文と入れ替えたのか……そんなことできたのかなあ、という疑問は残るが。
紋次郎はすべて推理していたようである。

吉五郎は「お別れいたしやす」と、ひとり先に峠を下りて去っていく。この吉五郎が後の「神戸の長吉」となり、荒神山で穴太徳次郎と血の雨を降らせるのである。
実在した渡世人との接点が「新……」ではよく出てくる。

この後テレビ版の紋次郎は、原作にはない行動をとる。
お捨を道標に凭れさせて、美濃の方に向けて坐らせてやる。
このときの服部さんの演技は大したものである。お捨は目を開いたまま死んでいるので瞬きは許されない。そして口許は少し開いている。この死顔のあどけない表情を、ずっと維持しているのだ。

初めもっと若い子役の起用を……と書いたが、このあたりの演技はやはり場数を踏んだ女優さんが必要だったようだ。
「お捨さん、おめぇさんの故郷ですぜ」
と顔をそちらに向けてやり、散りそうな往来切手に楊枝を飛ばす。
「峠に哭いた……」から始まり、最近では「笛の流れは……」でもあった一連のお約束バージョンである。
BGMは電子ピアノの音色。現代劇のホームドラマで使われそうな曲想である。やはり前シリーズの方が泣ける……。

去っていく紋次郎の姿。逆光の中、手前にはススキが白く光り、黒いシルエットは足早に遠ざかる。BGMはなく、木枯らしの音。これはなかなか良い。

今回で惜しむらくは、残酷な斬殺シーンに尽きる。この演出がなければ随分良くなったのにと思う。
それと原作でも問題だと思うのだが、長脇差五日間の封印。日数の数え方であったり、霧のため時刻不明だったり……紋次郎には卑怯な真似をしてほしくなかった。

紋次郎ほどの腕前であれば、長脇差を抜かずとも鞘で敵を倒せたはずである。「抜かずの丈八」もいたではないか。
ズシリと重い頑丈な鞘なのだから、致命傷ぐらいは負わせられただろう。
そちらの路線で切りぬけて欲しかったと思うのは、私だけだろうか。

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Re: 第14話「 白刃を縛る五日の掟」(後編)

この武器を捨てた相手を滅多斬りにするシーンだけを、かなり前にyou tubeで見てしまったんですよね。
それで、「紋次郎なら絶対こんなことはしない!相手が刀を再び拾って斬りかかったので殺すことになぜしない。紋次郎を理解していないにも程がある!」と激怒し、この作品は見ないことに決めたのです。

が…全体を通して見ると、純真なお捨を惨殺する代貸しの極悪さと紋次郎の怒りも描写されてるので、これはこれでまあアリかな、とも思えるようになりました。
「雪燈籠」を手がけた安田監督ですから、「どこか自分に似ている」と感情移入した子供(なんですよね、お捨は)を殺され、怒りに血が熱くなる紋次郎をもう一度描きたかった、と思えなくも無いのですが、やはり冒頭の滅多切りも含め、この作品のみならず、「新」ではバイオレンス色が強くなってるのは気にはなります。

(余談ですが、「白刃が消した涙文字」では、降参した敵が捨てた刀を肥溜めに投げ込んでましたが、あれで相手が気が変わって刀を拾いあげて斬りかかって来たらイヤでしょうなあ。)

日数の数え方、私は「紋次郎なら渡世の掟を守るだろう」という頭で読んでいたので、本当に日付が変わったのだろうと思って、じっくり考えずに居りました。
が、今一度読み直してみたら…。
これはまずいと改変したスタッフは、評価しましょう。
が、やはりお夕さんのおっしゃるように、鞘でやりあって欲しかったです。

最後の峠シーン、八木の紅葉峠の眺望に良く似ているなと感じ、私自身が撮影した写真と見比べると、山の形がピタリと一致しました。
展望台から亀岡盆地が一望でき、夕暮れや霧の朝は絶景です。

今回の写真も綺麗ですね。
これなら生まれ故郷を知らねえ者か生まれ故郷を捨てた者でなくっても、見入ってしまいます。

  • 20111003
  • TOKI ♦nhNJg39g
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  • 編集 ]
Re: 第14話「 白刃を縛る五日の掟」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

ダメ出しオンパレードをいただくかと思いましたが、お心の広さをお見受けし、嬉しく思います。

お捨に対する無条件な優しさと、封印を切ってからの凄まじい怒り。
この対比が、後半効きましたねえ。

「渡世の掟」も、まともな人間相手なら破れないでしょうが、風上に置けない輩なら話は別……と言ったところでしょうか。
このことは、次回作にも通じるところがあるように思います。

まともな人間と言えば、与右衛門。
紋次郎は、与右衛門のお捨に対する真心に感じ入ります。
怒りの刃は、お捨と与右衛門の真心を疑い、踏みにじった三之助に振り下ろされたとも言えますね。

  • 20111004
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第14話「 白刃を縛る五日の掟」(後編)

こんばんは、私もTOKIさんと同じく、先にYoutubeで見てしまい、とてもがっかりしてしまい、『新~』シリーズは見たくないな・・と思っていました。原作の中でも好きな回でしたし、あまりにも自分の中にあるイメージと違うと思ってしまったので。
でも自分の中には。当初恐れていた違和感もいつの間にか消えて『あれも紋次郎。これも紋次郎』と認めることが出来るようになって来たきっかけの回でもあるような気がします。

Re: 第14話「 白刃を縛る五日の掟」(後編)

ケンシロウさま。コメントをいただきありがとうございます。

その部分だけ見ると、「ええーっ!なんでそんなことをー?」と落胆してしまいますが、全体を見ると整合性が出てくるということ、ありますよね。

若いときはそういう見方ができず、ため息をつくか怒り狂うかだったんですが、今になって許容範囲が広がってきました。

これって人生経験が増えたからかもしれませんね。
いろんな角度から、ものが見られるようになってきたというか……。

同じ作品でも見方が変わってくるのは、いい作品なのかもしれませんね。

  • 20111005
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
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