紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)
(原作 第52話)(放映 1978.1.11)
今回の原作と大きく違うところは、お香が深く紋次郎に関わるように描かれていることである。それも紋次郎に思いを寄せるというバージョン。
もう一つは弓勘の描き方。
以下はテレビ版の展開である。

徳之助一家の者が弓勘の口封じにやって来る。役人が商人殺しの下手人を捜しているので、バレたら大事になるのだ。弓勘は自分から代官所に訴えには行かないが、尋ねられたら話すと言う。
「仕事はだれの仕事でも、敬意を払わなくちゃあならねえ。」と役人の仕事のことを指しているが、これは自分の仕事である猟師に対する誇りも言っている。
子分は借金の肩代わりだと、小判を積むが「痩せても枯れてもこの弓勘。金で己は売らねえ!」と一蹴する。気骨ある武士そのものである。

その夜弓勘は、徳之助一家の者に襲撃される。しかし弓と刀であっさり撃退する。弓の腕だけでなく刀の扱いも大したもので、一味の腕が長脇差を握ったまま、ゴロリと落とされる。

一方紋次郎は、また百文をすべて駒札に替えて賭場に坐る。壷振りは前回と違っていかにも一癖ある男。徳之助に、自分を売り込みに来ていた流れ壷振りでかなりの腕前……要するにいかさま壷振りなのである。向かい合う紋次郎と壷振り。二人の視線がぶつかり合う。紋次郎は気づいている。結局紋次郎は、立て続けに2回負けて賭場を後にする。
「あと、二日……」
紋次郎の呟き。

徳之助は弓勘の口封じを失敗して焦っている。弓勘に太刀打ちできる子分はいそうにない。そこにさっきの壷振り「金蔵」が、賭場に来る紋次郎がどうも金に困っているらしいから、使えるのではないか、と助言する。
金蔵は以前紋次郎が一瞬にして、敵を叩っ斬ったのを見たことがあると言って回想シーン。このシーンは「笛の流れは……」での、合羽が前にクルンと回ってしまった「道中合羽が涎掛け」の殺陣(笑)。
ここでも徳之助が、「大前田の八人衆、駒形の虎八を叩っ斬った野郎か?」と紋次郎を評している。どこまでも引っ張るらしい。

次の日の賭場で紋次郎は、壷振りの金蔵のいかさまを見破る。楊枝を飛ばして真っ二つに割れた賽子。中にはおもりが入っている。重心を変えて、決まった目が出やすく細工されたいかさま賽子である。見破られた徳之助一家は、紋次郎を拉致して縛り上げ、リンチ。

「金に困っているようだが、人斬りをしたらその金を用立てる」と徳之助は話を持ちかける。「誰を殺るのか?」と紋次郎は問う。そしてその相手が「弓勘」と聞いて、なんと紋次郎はその人斬りを引き受ける。もし自分が死んでもその金は手に入るのか、と念押しをして前金を手にする約束をさせる。
命を奪う相手が弓勘ということを知る、テレビ版の紋次郎。

取引を交わした紋次郎の表情は、「死」を覚悟している。七両のために、弓勘に殺されてもいいと思っている顔だ。
かくして弓勘の元にも「決闘状」が届き、弓勘も相手が紋次郎だと知る。お香は「これにはきっと裏がある」と必死に止めるが、弓勘は怒りの言葉を吐き決闘に臨む。

紋次郎が、人斬りを引き受ける……あり得ない展開である。しかし、原作も引き受けているのだ。
原作では、いかさま博奕云々はない。
ある親分の賭場に行くが、負けて一文無しになる。その後、心中者の所持金に心が動くが結局手を付けない。そして人足で稼いだ百文を元手に再び賭場へ……と思ったところへ、徳之助の子分が賭場に誘う。紋次郎は近場の徳之助の賭場に足を向けるのだが、賭場は開かれていない。
徳之助は金に困っている紋次郎を賭場を口実に誘い込み、敷居を跨がせたのである。敷居を跨いだ紋次郎は、徳之助から「客人」と呼ばれる。親分の元に草鞋を脱いだ者は「客人」となり、親分の頼み事は無条件で聞かなければならないのが、渡世の掟である。

原作での徳之助は、「渡世の掟」を口実にして紋次郎に人斬りを引き受けさせるのである。
以下は原作での紋次郎の心の動きである。

「二十五両の切餅が二つ、合わせて五十両であった。紋次郎の目は、二つの切餅に吸い寄せられた。長いあいだ捜し回っていたものを、いま見つけたというような気持ちだった。紋次郎の頭の一部が、痺れ始めていた。」

「礼金をもらって人斬りの役を引き受けたのは、これまでに一度もなかった。迷うというよりも、紋次郎には一大決心が必要であった。しかし紋次郎の気持は切羽詰まっていたし、目の前の五十両を逃がしたら二度と大金には縁がないだろうと、思えてならなかったのだ。」

そして紋次郎は、懐中にある百文銭で賭場に行き、三十両を稼げる可能性は千に一つもない、と考える。

「それより、目の前にある五十両を勘太郎父娘に渡したほうが、問題にならないくらい確かだった。そうすべきである。いや、そうしなければならないのだ。」
(原作より抜粋)

しかし、相手が誰であるのかは伏せてあるので、読者もわからず、その後の「どんでん返し」につながる。
この時点で、原作の紋次郎には正直失望した。
相手が誰であろうと、「五十両」という前金で人斬りを引き受ける紋次郎。なぜ引き受けたのか。弓勘やお香に義理立てするのはわかるが、だからと言って見ず知らずの誰かの暗殺を引き受けるのだろうか。どうしても納得いかない。
この回の紋次郎は、私の中では別人である。

この脚本を書いた中村氏も、その点が納得いかなかったのではないだろうか。原作の紋次郎のままでは、いくら客人としての渡世の掟があるにしても、人斬りを引き受ける道理がないということで、大幅に変更したのではないか。

そしてテレビ版の紋次郎は決闘の場面を迎える。何度も渡った例の橋である。徳之助一家は弓勘に見つからないように、身を隠して成り行きを見届けようとする。

弓勘と紋次郎の一騎打ちである。紋次郎は弓勘に
「一の矢を避けることができたら、二の矢をつがえる前にお前さんを斬る!本当に斬りやすぜ!」と宣戦布告。
「つべこべ言うな!」と弓勘は矢をつがえる。
紋次郎も長脇差を抜く。斜め下からのアングルは格好いいが、どのようにして撮影されたのだろう。橋の下から?下は川のはずである。
弓勘を絶対に斬るはずがない紋次郎が、この台詞を敢えて言うのは、弓勘のプライドを尊重してのことだろう。

この設定は、まさに西部劇の決闘シーン。限られた範囲で紋次郎は、合羽を翻し的を絞られないように激しく動きながら弓勘に迫る。弓勘もその動きに惑わされ一の矢を放つが、合羽を床板に縫いつけるのみ。
紋次郎はその言葉通り、弓勘に向かって突進するが、弓勘の放った二の矢が鋭く胸に突き刺さり橋の上に倒れる。
お香の叫び声「紋次郎さん!」と視聴者の心の叫びが重なる。
倒れた紋次郎の背後から、バラバラと徳之助一家が現れる。弓勘はその連中に向かって弓を放とうとするが、なんと紋次郎は起き上がってそれを制する。

矢は紋次郎の胸ではなく、振分け荷物に刺さっていたのだ。まさにマカロニウエスタン「荒野の用心棒」である。さすがに鉄板ではないが、振分け荷物とはよく考えたものである。
もともとテレビ版紋次郎は、マカロニウエスタンの要素が、そこかしこに散りばめられているのは確かである。この手のオマージュは、今までにも数多くあった。「荒野の1ドル銀貨」もその類であろう。

この後紋次郎は、
「弓勘さん、おめえさんは堅気だ。人なんか殺しちゃあいけねえ。ここはあっしにに任せておくんなさい。」と言って、徳之助一家に向き直る。

「裏切りやがったな!」と徳之助は驚いて叫ぶ。
「弓勘さんとの勝負はあっしの負けだ。あっしは一度死んだ男だ。おれはおめえさんとの約束は果たしたぜ!」
「いかさまやりやがって!」
「これがいかさまだったら、おめえさんの賭場のいかさまも命取りになるぜ。」

このやりとりは、もちろん原作にはない。
原作では人斬りを引き受け、偽の呼び出しで橋を渡ってくる相手が弓勘と知って驚く紋次郎。弓勘は何も知らずにやって来て、懐かしそうな笑顔を見せる。紋次郎は咄嗟に嘘をつく。
……呼び出したのは自分だ。弓勘の窮地を救おうとする甲府の旦那衆から金を預かったので、受け取って欲しい……と、徳之助から前金で手にした五十両を渡す。

紋次郎の裏切りを知った徳之助は、紋次郎の行く手を待ち受ける。

「渡世人の風上にも置けねえ野郎だ!」
徳之助が、そう怒鳴った。
「殺生禁断の紋日でござんしょう」
表情のない顔で、紋次郎は言った。
「やかましいやい!こっちが束になってかかっても、勝ち目はねえ紋次郎だとはわかっているが、渡世の道を踏みにじるようないかさま野郎を、黙って見逃すわけにはいかねえんだ!やい、紋次郎!おめえのほうに、言い分があるのかい!」
(原作より抜粋)

原作ではこの徳之助の問いに、例の答えを口にしている。
「あっしには、言い訳なんぞござんせん」

徳之助が吼えるのももっともである。渡世の道を外すことなどおよそ考えられない紋次郎が、頼んだ人斬りを反故にしたどころか前金を弓勘にそっくり渡している。
原作の紋次郎の判断と行動については、徳之助に対して少し同情してしまう。どう見ても「勝ち目がない紋次郎」に対して、長脇差を抜く徳之助たちは悲愴である。結果徳之助一家は、紋次郎に倒されてしまう。

第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

さてテレビ版に戻るが、徳之助を原作より卑怯な人物にしておかないと、紋次郎が掟を破ったことに正当性がなくなる。したがって、商人殺しだけでなくいかさま博奕という罪状を上乗せしている。いかさま博奕がばれたら、「ナマス斬り」にされても文句は言えないという渡世の掟があるくらいだからだ。

今回の殺陣はかなりハードである。狭い橋の上での殺陣から始まり、この寒い中、三人ほど橋から川へ落下している。この橋はかなりの高さであるから、スタントマンが起用されたか。
斜面を使っての殺陣もスピード感があった。
いかさま壷師「金蔵」、続いて徳之助も紋次郎の手により命を落とす。徳之助の死ぬ間際の台詞は、
「紋次郎……てめぇ、か……」であるが、これは徳之助の最期の抗議であろう。
「紋次郎、てめえ、騙りをしやがって……」と言いたかったのではないだろうか。

紋次郎とお香が佇むシルエット、向こうにはうっすら雪を散らした山肌が見え、情趣がある。

「……紋次郎さんに対する気持ちは、変わっていません。」
「そいつは叶わねえことでござんすよ。あっしら無宿人は、心も体も傷だらけの半端もんでござんすからね。」
「わたしはちっとも気になんかしてません。」
「お香さん、おめえさんの体には傷はあるが、心はまっさらにきれいなままでござんすよ。」
「紋次郎さん、まだなにもこたえてくれない。」

「あっしには、言い訳なんぞござんせんよ。」

(テレビの台詞より)

本当に、紋次郎はお香が聞きたいことに何も答えていない。
お香は、「私の事が好きか?」とだけを聞きたいのである。無宿人として所帯が持てない云々ではなく、男と女としてどうなんだ?というところを聞きたいのに、「心はまっさらにきれい」と言われてもどうなんだろう。
そして最後は「言い訳なんぞ……」となるのだから、お香の気持ちは宙ぶらりんのままである。

遠くにかすかな祭り囃子が聞こえる中、静かな会話が続いたが、最後は「御免なすって……」で締めくくられる。
紋次郎は、お香に背を向けて去っていく。お香は小判を握った手で涙を拭く。やはりお香にとっても叶わぬ夢だった。

今回の原作は、かなり理不尽さが残るが、テレビ版ではその点は大分薄められている。弓勘とお香のキャラクターを変え、武士道、マカロニウエスタン調の決闘、お香の悲恋を織り交ぜた作品になった。中村氏の苦労のあとが見られる。
私個人としては、この脚色の中で、弓勘との決闘場面を中村氏は一番楽しんだのではないかと思っている。
万人受けするような作品づくりを、テレビ界は要求する。今回の脚色はその結果だったと思う。

最後に芥川氏のナレーションは、「いつの日にも、紋次郎には紋日という日はなかった。」で締めくくっている。
紋次郎にとっての「紋日」は、姉お光の「命日」だけだろう。月命日のその日、紋次郎は人と争うことを避け、殴られてもずっと我慢する。この姿は、第1話「川留めの水は濁った」で見せている。しかし結局、お光を死に追いやった元亭主を手に掛けている。やはり、紋日は存在しなかった。

紋次郎は紋日とされた村祭りの前日に生まれた。間引かれる運命だった紋次郎を、姉のお光が連れ去り、翌日村中に「今日生まれたんだよ!」と触れ回った。祭の日は紋日とされ間引きはできず、紋次郎は紋日に救われ生を受けたのである。

その代償として、紋次郎には「紋日」という日は与えられなかったのかもしれない。

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Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

お夕さんの文章を読み、「これなら見てもいい」と判断し、鑑賞しました。
原作の骨格を生かしながら、紋次郎として間違っている部分を除去し、重厚な作品に仕上がっている!
思わず「素晴らしい!」と拍手を贈りました。

弓勘親子の熱演も魅力的でしたね。
私は、実際に映像を見たら、お香の紋次郎への思慕は必要だったと感じました。
ラストの「いいわけなんぞ…」は疑問ですが、相手が過失とはいえ自分を不幸に追いやった張本人と知りながら、その優しさに惹かれ、支えて欲しいと感じる。
ただ出てくるだけのヒロインではなく、「見かえり峠」のお八重のような純朴な乙女に仕上がっています。

杣人となる紋次郎、本当に映画版の「帰って来た木枯し紋次郎」と重なりますね。
これがヒントになったんでしょうか。

それにしても原作のあのシーン…
時代劇のみならず、色んなドラマを見渡しても、仕事をせずに前払いの仕事代金を私用し、挙句に依頼者を殺害するという卑劣な真似は、他に見たことがありません。

崖っぷちに立たされての行動がこれなら、13歳の私を心酔させ、生き方にも影響を与えたセリフの数々は、すべて口先だけだったということになってしまいます。
ですから原作のこの話は、絶対に有ってはならないのです。
リアル連載時にこれを読んでいたなら、私は作者に抗議文を書いて、単行本収録時は内容を変えるか、収録しないよう強く求めたことでしょう。

原作での紋次郎はこれしかお金を得る方法が無かったのか?
答えはノーです。
喜連川の八蔵や、稲妻の音右衛門は、大金を得るための代償として何を差し出したのか、そのお金を運んだ紋次郎なら、知らぬとは言わせません。

原作で、殺し屋を引き受けたあとで相手が弓勘とわかっても、渡世の道も通し、なおかつ弓勘にお金を弁済する方法だって有ります。
弓勘に斬りかかって、あとは音右衛門や小判鮫の金蔵と同じことをすれば済むことです。
紋次郎であることを捨て去って明日への命を繋ぐなら、たとえこれが最終回になっても、日頃の言葉通りの生き様を見せて、紋次郎を貫き通して欲しかったです。

笹沢さんもTV版を見て、「やっぱりあれはまずかったかな」と思ったことでしょう。(笑)

  • 20111104
  • TOKI ♦nhNJg39g
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  • 編集 ]
Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

お夕さん、こんばんわ。

「妖怪人間ベム」の番宣に来ました(笑)

公式HPのBBS・・・思わず私も書き込んじゃいました(笑)。2ch、個人のブログを見ても、評価が高く、妖怪人間の哀愁や苦悩は日本人の琴線に触れるものがあり、「木枯し紋次郎」を見始めた頃のあの気分を味わっています。

逗子王様さんや、ももぞーさん、十四夜さん、カミヤッカーさん達からも「木枯し紋次郎」を確かにリスペクトしている様だとの声を頂きました。

ぜひ「録画」をして視聴される事をお勧めします。

何故なら、何回も繰り返して見たくなるからです。私も何度も見返して、新たな発見をし、また涙しています。

お夕さんのご感想をお聞きするのを楽しみにしています。お忙しいでしょうから、気長に待ちましょう。

  • 20111104
  • おみつ ♦suWcSb.M
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Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

おおっ!ご覧になりましたか!ドラマ編を。
私の拙いレビューが、少しでもお役に立ったようで、嬉しく思います。

脚色から考えると、「これしかない!」という展開だったと思います。
細かい点は目をつぶるとして、見所は多々あったと思います。

他にどんな展開にするかと問われても、それ以上のことは考えられません。
と言うか、よくこの原作に挑戦されたなあ、と驚嘆します。
紋次郎の本質を少しでも知っている者であれば、敬遠したくなるストーリーです。

原作に対するお怒りは、よく分かります。
私もTOKIさんの仰るとおり、命をなげうってでも魂を売り渡して欲しくなかったです。

「死ぬべきときが来たら、黙って死ぬ」
紋次郎であれば、誰かの身代わりだったり、恩人のために命を賭すはずです。
この時の笹沢さんの心境は、どうだったんでしょうか?

今となっては確かめることはできませんが、お聞きしたいところではあります。

  • 20111105
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

おみつさま、コメントをいただきありがとうございます。

「妖怪人間ベム」の番宣、ご苦労様です(笑)。

先ほど、HPのBBSでおみつさんのコメントを覗いてきました。熱い応援コメントに、おみつさんの心の高鳴りを感じました。

1話、2話と見逃しておりますが、今晩視聴したいと思います。

おみつ先生から感想文の宿題を頂きましたが、元来怠け者の生徒ですので、いつ提出できるかはわかりません(笑)。
なが~い目で見てくださいませ。

  • 20111105
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

おみつさんに紹介を預りやして、お初にお目にかかりやす。

奥州は陸奥国、宮城郡塩竈村の小文太と発します。奥州一宮鹽竈神社傍の長屋住まいでござんす。
慶長三陸地震以来の大地震で、多少は根性がついたのかとは思いやすが、まだまだ貫禄とは程遠い半端モンにござんすが、お見知りおきを。

ところで、おゆうさんが載っけていなさる写真は、自分で撮っていなさるんですかい? あっしも若ぇ自分に、ちょいと囓ったことがあるんですが、雰囲気のあるいい写真ばかりあるんで、これから紋次郎を読みながら時折拝見させていただこうと思っておりやす。

最近めっきり冷え込んでめェりやしたんで、せいぜいお身体にはお気をつけておくんなはい。

では、ご免を被らせていただきやす。


Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

峠花の小文太さま

ご丁寧なご挨拶、恐れ入りやす。
おみつ姐さんのお引き合わせということで、姐さんにも御礼申し上げやす。

陸奥のお方でござんすか。
「奥州路・七日の疾走」を振分けにしのばせて(笑)、2年前奥州に足を伸ばして以来、三度ほど草鞋を脱いでおりやす。

いいところでござんすねぇ。あっしは、大好きな土地でござんす。
それだけに震災の件は胸が痛みやす。
さぞかし、ご苦労が絶えねぇことと存知やす。お見舞い申し上げやす。

写真でござんすが、恥ずかしながらてめぇが撮ったものばかりでござんす。
半端な写真ばかりを、ちっちゃいデジカメで撮っておりやす。
「紋次郎兄貴が、どうぞ写りこんでくれやすように……」と、念じながらシャッターをきっておりやす(笑)。まるで心霊写真でも撮るかのようで……。

そちらはもう、落葉の季節でござんしょうねぇ。
あっしはこれから、あったけぇ緑茶と、冷凍保存した「ずんだ餅」をいただこうと思っておりやす。

コメントをいただき、本当にありがとうござんした。
今後とも、よろしくお引き回しのほどをお頼申しやす。

  • 20111105
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

お見事な口上には恐れ入りやす。姉さんの貫禄には、到底かないやせん。まぁ堅苦しいことは抜きにさせてもらいやす。

姉さんのブログはあっしの備忘録として、これからも読ませていただきやす。これほど情緒に富んだ解説は、どこを探しても見つかりやせん。視覚的な意味でも、添えられてる写真は訪れてみたくなるような、いや訪れなくてはいけなくなるような味ってもんがにじみ出てる。あっしもいつかは紋次郎の辿った街道を、往ってみてぇもんです。
4度目の奥州路を往く時にゃ、鹽竈神社の頼蔵親分か颯之介親分のところに是非とも立ち寄りなせぇ。若ぇもんが案内してくれやすよう、言い含めておきやすんで。

紅葉なんざあっしには関わりのねえ事でござんすが、季節の移り変わりには目を止めぬ訳にはいかねぇのが人の世ってもんでござんしょうね。これからの季節、鹽竈神社には真冬に咲く桜ってぇのがござんすから、暇がございやしたら見てみるってぇのも悪くねぇかと思いやす。

では、ご免なすって。またどこかの街道でお会いしやしょう。

Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

小文太さま、コメントをいただきありがとうござんす。

身に余るお言葉をいただき、恐縮しておりやす。お礼を申し上げやす。

「木枯し紋次郎」の映像の魅力の中には、ロケ地の美しさがありやす。特に紋次郎兄貴が去っていくときの情景は切なくて、胸に迫るものがござんす。
ここに、夕映えが入ったりすると、涙モンでござんすねぇ。
そんな景色に出っくわすと、しばし見とれ「写真に撮らねば、いけねぇ。」って思っちまうわけで……。
また良ければ見に来てくだせぇ。

鹽竈神社のHPを見やした。由緒正しき立派な神社とお見受けいたしやした。
縁がござんしたら、ぜひ訪れたいと思っておりやす。

夜も更けてめぇりやしたんで、これにてごめん被りやす。


  • 20111105
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

お夕さんから早々にコメントを頂いて、「あ~、お夕さんも感動されたんだな」と嬉しく感じました。

私のブログは500字制限があるのでこちらに書かせて下さい。長いです。


1~2話を見て得た情報をまとめます。

1話の冒頭。ある建物に押し入った賊に数十人が人質になりべム達が救出、妖怪の姿を見られ別の町へ旅をする場面から始まる。ラスト、夏目刑事を助けるために変身し、姿を夏目に目撃されたと町を出ようとするが、2話の冒頭で夏目は犯人に暴行され失神し姿を見ていないと分かり、そのまま留まる。永い間流れ旅を続けているコンセプトは変わらないが、今回のドラマ化では全十話終了らしく、今の町で夏目一家や緒方教授一家と関わる。

妖怪への変身は喜怒哀楽の感情の爆発で起こり、コントロールできない。

ベムの杖と同じ物を、緒方教授・謎の男(江本明)も持つが、緒方教授は杖の由来を知らないか、記憶を無くしている。

涙で人間に変化すると分かるが、謎の男が緑色の液体をかけ悪の心が増幅した人間がベム達に成敗されて流す涙しか効果が無い。まだこの事実をベム達は知らない。

人魚姫の描かれた廃船が住処、人魚姫の様に泡のように消え去る暗示か?

ベムは聴力、べラは視力、ベロは嗅覚が発達。

ベムは妖怪らしさを出すために、極力瞬きをしないように演技をしている。

べラは名優・渡辺健の娘。モデルで身長175cm。べラを演じるため10cmのヒールを履き妖怪らしさを強調している。

妖怪の時の視界が、画面が緑色はベム、紫はべラ、青はベロ。

ポルトガル語でベムは「善」、べラ「美女」、べロ「美男」という意味らしい。

哀愁あるBGMはノコギリ演奏らしい。



ところで、3話のバイク便は、スピルバーグの映画「バックトゥザフューチャー」のパクリでしたね。

妖怪への変身が自分でコントロールできないので、和久井さんに正体を明かす為、手を切った後の感情の高まりで腕が妖怪へ変化しかけるのを感情を押し殺し耐えようとするベムの演技が素晴らしかったです。

亀梨さんの事を余り知らないのに、どうせジャニーズという目で見始めた自分を、「人を見た眼で判断しない」「物事を初めから決めつけない」とのこのドラマのメッセージに反省させられました。

彼はいい役者です。中性的な妖しさも男らしさも併せ持っています。

中村敦夫さんの若い頃のようにスラッとし、歩く姿も座った姿勢も背筋が伸び美しいです。顎から首~肩のラインも美しい。

惜しむらくは身長と横顔のライン。あとは声質と体の細さでしょうか。


長々と失礼しました。



  • 20111107
  • おみつ ♦suWcSb.M
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Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

おみつさま、コメントをいただきありがとうございます。

1話、2話と未見でしたので、丁寧な解説をいただきよく分かりました。10話で終わるんですか?なんか、もったいないような気がします。しかし、旅を続けるというのであれば、続編ができるかもしれませんね。

ジャニーズだから、と敬遠する向きもあるようですが、エンターティメント性のある才能豊かな人たちが多いように思います。
変な言い方ですが、結構「大化け」する可能性大だと思いますね。

時代劇なんかにも挑戦されると、また違う魅力が引き出せるかも……。

杏さんのベラもいいですね、あのツンデレぶり。伝法肌が板についていて、小気味がいいです。紋次郎に出てくる、姐御肌の女優さんに引けを取らない感じです。

福くんは、文句なしにかわいくて健気。自然体で嫌みが無く、好感が持てます。

次回も楽しみにしたいと思います。

  • 20111107
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

お夕さん お邪魔いたします

このお話の結末は、大変な驚きでした。
TV版では,一応、結末に至る整合性はとれていると思いますが、原作のほうは、本当に、非常に難解でした。

以下は、全て、原作の結末についての、私の感想です。

第一の疑問点は…
何故、相手も分からない人斬りを金で引き受けたのか?

紋次郎には『心の中の美しさが違っている』(ここが最も重要だと思います)弓勘父娘への償いが、何より大切となりました。
自分の信条においてもそれが最優先となり、どんな手段を講じても父娘に償うことが、彼が生きる目的となったのだと思います。

第二の疑問点は…
渡世の掟を破る以外にも方法はあったのか?

弓勘が徳之助一家の悪行の目撃者である以上、一家を全滅させるしか方法がありません。
もし全滅させなければ、弓勘が再び一家に狙われるか、あるいは、弓勘自身が人殺しになるか、の結末しか残されないからです。
そして、そのどちらも、紋次郎には耐えられない事であったでしょう。

つまり紋次郎が一家を全滅させたのは、50両を着服するためではなく、弓勘を守るためでした。
ですから、彼には、弓勘に勝ちを譲る選択はありません。

本来なら、いったん50両を徳之助に返してから、全滅させるべきだったでしょう。
しかし、既に弓勘にお金を渡してしまっているので、着服したということになります。

全体においてみますと、「紋次郎」における、堅気と渡世人に対する価値観が明確にされています。
・堅気は斬らないが、渡世人は斬る。
・堅気の金は盗まないが、渡世人の金は盗む。

こういう究極の選択は、生きていれば誰にでも訪れるものでありますし、
また、紋次郎自身の価値観に依るものですので、私には口出しできません。
『他人は他人、手前は手前』 つまり「紋次郎は紋次郎」ということになります。

しかし、本当に紋次郎をここまで突き動かしたものは、義理やルール、価値観といったものではないと思います。
それは、先にも述べました『心の中の美しさが違っている父娘』に対する感動であったと思います。

お夕さんの言われるところの『紋次郎は、人の美しい心に共鳴する。それは、紋次郎も同じ波長の心を持っているからだと私は思う。同じ波長の心が共鳴し合うことで、紋次郎はより確固たる目的を持って行動を始める』であります。

つまり、紋次郎の本質に響いたのですから、彼が父娘への償いを何よりも優先させたことは納得できます。

それにしても、私が疑問に思うのは、何故、笹沢先生が、敢えてこの作品を書かれたか?ということです。
この作品を読むことで、多くのファンが失望することを、無論、予測されたはずです。

私ごときには、先生のお気持ちは量りかねますが、
「先生は、ある意図を持って書かれた」
それ故、私には、とても大きな意味のある作品となりました。

長文、大変、失礼致しました。

Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。
さすが、白さま。深いご洞察に感じ入ります。

このときの紋次郎は、切羽詰まっていました。弓勘父娘に何が何でも、償いをしなければならない。「すべきである」ではなくて、「しなければならない」。
強迫観念に近いものさえ感じます。


今までにも、命を救ってもらった借りが返せなかったことはあったでしょうが、今回はそれ以上に重くのしかかります。
それは弓勘父娘は諦観の境地にあり、他人のせいにせずこの災難を静かに受け止めているからです。その「心の美しさ」がわかるがゆえに、紋次郎は胸を痛め針のムシロとなります。

どれぐらい焦り、困り、逼迫しているか……それは「人斬り」を引き受けようと決断するぐらい、人生最大の窮地だったのです。こんな紋次郎は見たことがありません。今までの紋次郎ではない……それはそうでしょう。今までの窮地や危機は、生命を脅かすような肉体的なものだったでしょうが、今回は精神的な窮地です。

笹沢さんは紋次郎に、一番辛く苛酷な試練を与えました。このときの紋次郎は、作家の手から離れているように思えてなりません。
「さあ、紋次郎よ。お前はどうする?」と生みの親の笹沢さんが、投げかけているような感じです。
そしてその投げかけは、読者という私たちにも投げかけられているように思えてなりません。

  • 20111110
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

お夕さん お返事ありがとうございました^^

仰るとおりですね。

笹沢先生は、紋次郎さんの在り方とともに、
私たちの在り方も問われている、と、感じます。

「白刃を縛る五日の掟」では、お捨さんの盾になりきれませんでしたが、
弓勘さんの盾にはなりきれた、と、
私は解釈しております。


Re: 第15話「 人斬りに紋日は暮れた」(後編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

価値観をどこに持っていくかが、ポイントだったと思いますが、ある意味、笹沢さんの実験的作品だったのかもしれません。

誰も、その生き方を真似できないと感じる超人的な紋次郎ではなく、揺れて惑い、今までにない大きな決断を下す紋次郎をどう思うか。
この論議は、これからも続くかもしれません。

しかし、それが笹沢さんが仕掛けた紋次郎の心理ミステリーだとすれば、シリーズ屈指の本格ミステリーなのかもしれませんね。

してやられた感がします。

  • 20111111
  • お夕 ♦wikz35BA
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