紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」(後編)

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」(後編)

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」(後編)
「茶店を出ると、峠路は下りになる。やがて陣場坂であり、馬籠の宿に入る。坂道の両側に十八軒の旅籠屋が軒を連ねている。人家は全部で、六十九戸の馬籠宿であった。」

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

馬籠宿は小さな宿場ですが、現在はかなり観光地化されていて、たくさんの観光客で賑わっています。急な坂に人家が並んでいますが、ほとんどがお店。道も歩きやすいように整備されています。どちらかというと、整備されすぎている感が否めません。

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

妻籠宿から馬籠宿までは8㎞弱、峠からは距離としては2.2㎞、高低差は200mほどとなります。
以前は長野県山口村でしたが、平成の大合併で岐阜県中津川市と合併されました。

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

馬籠峠が県境ですので、もうここは美濃国となります。
原作では馬籠宿は信濃国、次の宿場の「落合宿」で美濃国です。現在の国境でしたら、お捨はこの時点で無事に美濃国にたどり着いたことになります(笑)。

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

今回の旅では馬籠はあまり時間がとれませんでしたので、紋次郎たちと同じく素通り状態でした。

「次の宿場の落合まで、一里と五丁であった。落合はもう美濃国であった。一里五丁という短い距離だが、またしても峠越えである。土地の人々は十石(じっこく)峠と呼んでいるが、一般には十曲(とおまがり)峠で聞こえている。」

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

次に登場するのは「十曲峠」です。
この地へは随分前に訪れました。

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

十曲峠は馬籠と落合の間にあり、標高500メートルほどの峠です。この峠の頂には、新茶屋という地名があります。
新茶屋は、宿場と宿場の間にある「立場茶屋」です。かつての茶屋はここより岐阜県側に数百メートルほど入った所にあったそうです。江戸時代の終わり頃に現在地に移ったため、「新茶屋」と呼ばれるようになりました。

この頂には一里塚もあり、天保の頃は片方だけに松が植えられていたようです。平成の整備にあたり、松と榎が復元され今は両脇にあります。

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

この峠の頂が、お捨が目指した国境となります。

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

「高い峠ではないが、坂道がくねくねと折れ曲がっている。それで十曲峠と称するようになったのだ。その十曲を越えたところが、信濃国と美濃国の国境になっている。十曲峠を越えれば、もう目の前の落合は美濃国であった。」

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

お捨はこの峠の向こうには行き着くことができませんでしたが、この先には、石畳が続きます。以前「琵琶峠」の石畳を紹介しましたが、この十曲峠も石畳が敷かれています。
石畳が敷かれたのがいつかは分からないそうです。ただ、皇女和宮が通過する際に滑らないように砂をまいたという文献があるようですので、江戸末期にはすでに敷かれていたと思います。

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

この峠路を吉五郎が下って行き、後れて紋次郎も夕焼け空を眺めながら下って行きます。その足元には、石畳が続いていたのだろうかと考えながら、私も石畳を踏みしめました。

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Re: 紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

こんばんは♪

「十曲峠の石畳」懐かしく拝見いたしました。
思えば「中津川~馬篭」を歩いたのは40年以上
も前になります。
その後、木曽路は何回も行っておりますが、「中
津川~馬篭」間はバスで移動というコース取りに
なっています。

昔は夜行の鈍行列車が運行されていて、東京駅か
ら東海道線の最終便「大垣行き」に乗って、早朝
に名古屋着、駅で顔を洗って「きしめん」を食
べて、中津川方面の中央本線に乗り換えました。

その後、新幹線の普及で、夜行が無くなり中津川
到着の列車の時間では「中津川~落合宿~馬篭宿
~妻籠宿」の歩行コースは難しくなりました。
馬篭~妻籠をバスかタクシーにすれば可能かも
知れませんが、庚申塚、大妻籠の雰囲気を犠牲に
するのは惜しいと思ってしまうのです。

木曽路の「五平餅」(小判型の胡桃味)を始めて
食べたのが「落合宿」の茶屋でした。
あの辺りは変わっていないのでしょうか。
次回は2泊で計画しようかな。

長々と申し訳ございませんでした。
ありがとうございました。
では、又♪


Re: 紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

ぶんぶんさま、早々のコメントありがとうございます。

交通手段の発達で、目的地には早く到着できるようにはなりましたが、道中の楽しさは半減したかもしれません。

ひっそりと足元に咲いた野草、草の陰に隠れたお地蔵さまや道祖神、村の社や小さなお寺、冷たい清水の清廉さ……
その土地の風にふかれ、においを嗅ぎ、足を留める。

旅の基本は、やはり歩くことなのかもしれません。
この先も足を鍛えておかなければ……と思います。

私も、胡桃味噌のかかった五平餅が大好きです。

  • 20111119
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

こんにちは、お夕さん!、

いい写真が満載の中仙道の紀行記事ですねぇ~
特に最後の夕焼けがなんとも諸行無常の感があり最高!、

平成の統合で長野県であったのが岐阜県の市に統合とは
住民には異存はなかったのでしょうか・・・

  • 20111120
  • 淡青 ♦pDmV/urE
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Re: 紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

おばんです!
どうやら野球はソフトバンクの優勝のようですね~^^!やっと目が出たようです。

内容はすっかり疎く成りましたが、時代小説は、国の名前を知るだけでも、勉強に成ります。汗)
時代小説は、義理人情、勧善懲悪が分かりやすく現代に一番欠けている事を、再認識させられ、貴重な、存在です。時の浪人は現代の、浪人とは置かれた境遇に満足していることだと痛感いたします。現代社会に対する教訓として欲しいものと感銘いたします。!☆!お夕さんの健在を特に願う気がします。!!

  • 20111120
  • 荒野鷹虎 ♦-
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Re: 紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

いいですね~。
紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」
皇女和宮逸話も出てきて、
ほんと、歩きの話にはす~っと入ってしまいます。
家から神戸くらいまでの距離だったらすぐにでも行って歩いてしまいそうです。

>・・・お捨はこの峠の向こうには行き着くことができませんでしたが、

このあたりの記述で不謹慎ながら(笑)ロバート・レッドフォードの 『明日に向って撃て!』で銀行強盗して
南米ボリビアに逃げたり、メキシコへ国境越えするハリウッド映画を思い浮かべてしまいました。

峠というのは歩くのも、人生に於いても越え難いものなのですね。

写真全体からは、観光地化されているとは言え、木の壁を持つ家屋にしろのれんにしろ忘れかけている日本の造形が蘇ります。

京都の神社仏閣でなくともこのような石畳が敷かれていたとは文化的ですよね。
そうそう古代ローマにも戦略的にかたくさんの石畳があるようですね。

だけど・・・紋次郎にはなんとなく地道の方が似合う気がしますがどうでしょう!

  • 20111121
  • 小父さん ♦-
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Re: 紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

淡青さま、コメントをいただきありがとうございます。

写真を褒めていただき、うれしいです。

妻籠と馬籠は、セットで観光地として有名ですね。
共に中山道宿場町として、平成の大合併までは長野県内でしたが、今は馬籠は岐阜県。生活圏が岐阜寄りだったようです。

妻籠宿も馬籠宿も、島崎家同族が本陣を務めていたという経緯があったんですけどね。
時代の波は、いろんなところに及びます。

合併によって、昔から親しまれた地名が消えたり、聞き慣れない地名ができたり……。
私は未だに、地元でさえも覚えられていません(笑)。
地名は、その土地の歴史の履歴書でもありますので、旧地名が失われるのは寂しいものです。

  • 20111121
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

鷹虎さま、コメントをいただきありがとうございます。

いつの世も、根強い時代小説ファンはいらっしゃいますね。
フィクション、ノンフィクションと幅広く、奥も深い。
最近は女性ファンも増えてきました。
子どもたちも、ゲームで親しんできていますし、裾野は広がっていますね。

仰るとおり、学ぶべきところも多いです。
ロマンもあり、小説の原点かもしれません。

  • 20111121
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

小父貴さま、コメントをいただきありがとうございます。

峠や追分……と聞くと、鬼太郎の妖怪アンテナのように(笑)、反応してしまいます。

峠を越えると、違う世界が待っているのではないか、追分ではどちらを選ぶかで、全く違う世界があるのでは、と思ったりします。

小父貴さまが仰るとおり、人生そのものですね。

石畳は、当時は馬は歩きにくかったのではないかと思いますが、どうなんでしょう。
草鞋だと、滑らなかったのでしょうか。

紋次郎には、轍のない地道を歩いて欲しいのは私も同感です。

  • 20111121
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

お夕さん、こんにちわ。いつもなかなかコメント出来ずにごめんなさい。

今日はこの記事から上へ読み進みます。(^^;;

馬籠、妻籠、長野に居ながらまだしっかりと見たことがありません。長野から行くには結構時間かかるのよね。

石畳が敷かれているなんて不思議ですね。その上を和宮さまの行列が通ったなんてそれもロマンですね。しっかりと歩いて見学しようと思います、紋次郎を偲びながら・・。

馬籠が今は岐阜県というのも、信州人としては正直複雑なんですが・・。(^^;;

Re: 紋次郎の影を追う「妻籠宿~馬籠宿~十曲峠」後編

九子さま、コメントをいただきありがとうございます。

からみにくいブログですが、よくいらしてくださいました。
ありがとうございます。

山中なのに、長距離にわたり石畳を敷いた先人の苦労に思いを馳せます。

長野県(信州)は大好きで、今までに数え切れないほどお邪魔しました。
本当にステキなところですよね。
特に中山道沿いは、地名を見るだけでドキドキします。

これからもよろしくお願いしますね。

  • 20120213
  • お夕 ♦wikz35BA
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