紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第18話「 砕けた波に影一つ」(前編)

第18話「 砕けた波に影一つ」(前編)

第18話「 砕けた波に影一つ」(前編)
(原作 第37話)(放映 1978.2.1)
今回も、原作からは大分離れた展開で脚本化されている。
ブックレットにもあったが、これが原作通りの展開とすると、とても制作費が足りないであろう。
原作は海上での密室劇……乗っ取られた七里の渡し船での展開である。これが映像化されると、菅原紋次郎版「赦免花は散った」以上のスペクタクル映画になるだろう。

脚本は佐藤繁子さん。紋次郎シリーズでは初めての脚色作品である。脚本家はいろいろな制約の中、苦労して作品を生み出しておられるので、大変だなあとつくづく思う。
今回の制約は「船は使えない」ということである。これは大きな問題である。この原作の一番の売りが使えないのである。
ということで、スペクタクルは諦めた代わりに路線を変え、ストーリーは原作を離れ複雑になる。

テレビ版の出だしは船が嵐で難破。一瞬、ミニチュアの船が波に翻弄される映像があるが、いかにも……という特撮。当時はせいぜいこのぐらいだったのだろうか。チープ感が見えて残念。
場面が変わり海岸の砂浜。女がひとりで穴を掘っている。どうも誰かの墓穴のようで、横たわる男の亡骸を引きずり入れて砂をかぶせる。
「あばよだね、お前さん……」
女の亭主だったのか、この男は誰なのか、なぜ死んだのか、なぜここに葬られるのか。

海岸を紋次郎が行く。松原やえりが見えるので、ロケ地は明らかに琵琶湖、近江舞子と見られる。
松の木陰からひとり男が出てきて紋次郎を呼び止める。男は紋次郎を「勝五郎」と呼ぶ。どうも人違いをしているようだ。怪訝な顔をする紋次郎に構わず男は話し続ける。
「あの難破船に仲間と乗っていたことはわかっていたが、生きていたんだな……」
紋次郎は男に、人違いをしていると指摘して去ろうとするが、男はなおもしつこく食い下がる。十手をちらつかせ、「お縄にしようとは思っていない……話によっちゃあ……」などと言って、実に怪しい。

紋次郎はそんな男を無視してすり抜けようとするが、男は「野郎!なめやがって!」と組みつこうとする。しかし紋次郎は、長脇差の柄で男の鳩尾を一突きにし「あっしは勝五郎じゃあござんせんよ」と言って去っていく。男は腹を押さえてうずくまる。
この男、太兵衛を「小松方正さん」が演じている。方正さん、これで前シリーズを含めて三度目の出演。「見かえり峠の落日」では二足草鞋の十手持ちで、今回とイメージがオーバーラップする。

浜では道行く者たちが、噂話に花を咲かせている。沖で七里の渡し船が難破して、土左衛門があちこちで上がっているという。「七里の渡しとは、東海道宮の宿から桑名宿までを結ぶ海上七里の船路である」と芥川さんのナレーションが入る。浜に打ち上げられた屍を、太兵衛は調べている。誰かを捜しているようである。女房を亡くし、悔しがる商人風の男……一緒に乗船していたが、夫の方は助かったらしい。

茶屋で行商人風の男ふたりがうどんをすすりながら、噂話。
難破したのは、盗賊集団の「お高祖頭巾の勝五郎一味」に乗っ取られた船だったと言う。お高祖頭巾の勝五郎たちは、近江、伊勢にかけて荒らし回っていた凶暴な盗賊だと喋る商人は、過剰なまでの大阪弁。この地が関西に近いという雰囲気を出している。
ここで、紋次郎が間違えられた勝五郎の素性が視聴者にはわかる。
ここまではテレビ版だけの展開である。

茶屋には、先ほど墓穴を掘っていた女が、一人床几に腰を下ろしている。そして近づいて来る紋次郎の顔を見て、「あっ!」という顔をして見守っている。すると、男が木陰から飛び出して、紋次郎に匕首で襲いかかろうとする。
女は咄嗟に「あぶない!」と声を上げ、紋次郎はそれに気づいて身体をかわす。襲ったのは浜で女房を亡くし悔しがっていたあの男であった。
「てめえたちのために女房を……女房を返せ!」
「何かの間違いでござんしょう。」
と紋次郎は静かに言い、取り上げた匕首を鞘に収める。
男は「こいつが船を乗っ取った盗人の頭だ!」と指をさして大声で叫び、道行く者たちに「加勢してくれ!」と頼むが、いずれの者も遠巻きにするだけ。
紋次郎は左腕を負傷したようで、匕首を懐にして群衆から離れていく。

このあたりでやっと原作とリンクする。
原作では冒頭に、紋次郎が若者に襲われる。「三州無宿の吾助だろう!」と、人違いをされるのである。このときもテレビ版と同じく女が叫び声を上げたお蔭で、腕を負傷しただけで済んだ。
そして、襲った若者から奪い取った匕首を、胸の晒しの内側に差し込む。この匕首がこの後重要な役割を果たすのであるが……。
道行く旅人は紋次郎を畏怖して誰も近寄ろうとしない中、声を上げた女だけが近づく。

「大丈夫ですか」
女は草の上に両膝を突くと、渡世人の左腕を覗き込んだ。商家の女房ふうで、二十二、三の年増であった。色が雪のように白くて、小さな唇が可憐な美人である。富士額が、絵に描いたようだった。
餅肌の白さが目にしみて、女っぽさが匂うようであった。
(原作より抜粋)
いつもながら、原作者笹沢氏のお好みの女性像である。

第18話「 砕けた波に影一つ」(前編)

テレビ版の女とは随分雰囲気が違う。テレビ版では「吉行和子さん」が演じている。
名前は原作と同じく「お甲」であるが、商家の女房には見えない。原作より10歳は年増で、どことなく崩れた感じはある。
原作では若い手代の弥吉が供についているが、テレビ版ではお甲ひとりきりである。後でお甲は大垣の商家の者だと言うが、この時代、商家の女のひとり旅はあり得ないので、やはり不自然ではある。

テレビ版のお甲は、首に巻いた布で紋次郎の傷口の手当をする。
「もったいない」と言う紋次郎に、「死んだ男にもらった物で、私が持っていても仕方がない」とお甲は言う。
テレビ版では包帯にして巻くだけだが、原作は手厚い手当である。
まず、焼酎で消毒。次に「黒竜膏」なるものを塗る。水色のしごき帯を抜き取り左腕に巻き、首に回して腕を吊る状態にする。

紋次郎は命を救ってもらった上、手当までしてもらったことに恩義を感じ、いつか機会があれば借りを返すと礼を言う。テレビ版のお甲は生まれ在所の気賀村という漁師村に、急に思い立って墓参りに行く途中だと告げる。
そして、身延へ足を向けると言う紋次郎に、新居の関は詮議が厳しいだろうと教える。例の「お高祖頭巾の勝五郎一味」の件のためである。

お甲と別れた紋次郎は、お甲の忠告通り新居の関所を避け、浜名湖を迂回する。

原作の紋次郎は東海道の「宮」から伊勢に向かおうとする。紋次郎が、伊勢に足を伸ばそうとするのは意外である。テレビ版と原作では、紋次郎が向かおうとする方面はまったく逆である。
宮から伊勢湾を渡り、桑名へ向かう海路が「七里の渡し」であり、その船が運悪くシージャックされるのである。
どうも紋次郎は船との相性があまりよくなく、「赦免花は……」では島抜けした船で殺戮が起こり、「奥州路・七日の疾走」では台風に遭って、とんでもないところまで流される。

テレビ版の紋次郎は、浜名湖沿いを歩いている。そこへヒョイと太兵衛が飛び出して声をかける。まだ紋次郎を「お高祖頭巾の勝五郎」だと思っているようである。そして懐から「手配書」を取り出して見せる。なるほど、紋次郎に似ている……と言うより、紋次郎本人の人相書であると言ってもよい。「見かえり峠の落日」以来のソックリぶり(笑)である。太兵衛が間違えるのも無理はない。しかし人相書の方が若干紋次郎より若い感じではある。

太兵衛の調べによると、勝五郎の仲間たちは難破したものの全員助かったようで、上陸しているらしい。
太兵衛は十手をちらつかせてはいるが、どうも魂胆があるようで、しつこく紋次郎を追う。

結局、紋次郎と太兵衛は一緒に野宿をする。
原作にも、太兵衛という十手持ちは登場するが。テレビ版とは全く違う。紋次郎と言葉を交わすこともない。
テレビ版の太兵衛の狙いは、勝五郎たちが奪った金である。三千両とも言われている金を、手下と山分けせず自分と山分けしないか、と持ちかけるのである。手下含めて四人で分けるより、取り分が増える……山分けじゃなくて自分は千両、勝五郎は二千両ではどうか?何なら勝五郎は溺れ死んだと届けてやってもいい、とまで持ちかける。

「おめえさんの狙いは銭ですかい。」
紋次郎は藁で縄をないながら、少し呆れて言う。
「銭だい!ああ、銭だよ!」
太兵衛は開き直って怒鳴る。
紋次郎は今まで、ろくな十手持ちにしか会っていない。大体が二足草鞋か、卑怯で姑息な十手持ちばかりである。今回も正義感などかけらもない、典型的な嫌な十手持ちである。

小屋の中で焚き火をし、太兵衛は野鳥を丸焼きにしている。そして何度も、「食わねえか?」と機嫌を取る。紋次郎はもう反論する気もないし、食い物には目もくれない。しまいには目を閉じて眠ってしまうほど、紋次郎にとってはどうでもいい話である。

翌朝、湖畔を歩く紋次郎、小走りに追う太兵衛の目の前に、瀕死の村娘がフラフラとやって来る。浜からは真っ黒な煙が流れてくる。
「助けてください……」と倒れる娘の話では、気賀村が襲われて皆殺しになってしまうと言うのだ。娘を太兵衛に任せて離れていく紋次郎だが、「気賀村」と聞いて立ち止まる。気賀村といえば、お甲の生まれ在所で墓参りをすると言っていた村である。紋次郎は、気賀村目指して浜を走り出す。

村が襲われているから助けて欲しいと頼まれるシーンと言えば、前シリーズの「峠に哭いた……」であろう。あのときの紋次郎は少し逡巡する。それは、その村はただの通りすがりの村だったからである。しかし結局、意を決して村に戻り関わってしまったのだが……。
今回は違う。借りを返さねばならないお甲が向かった村が襲われている。紋次郎は迷うことなく疾走する。

借りのある女のために、自ら敵地に向かうパターンも今までにあった。
「背を陽に向けた……」では、「深雪」という恩義ある女の名前に騙されて、人質救出に向かう。
「飛んで火に入る……」では姉「お光」と同じ名前である女を助けに向かう。
そして今回であるので、もうこんなパターンはいくらなんでもやり過ぎであろう。

で、ここで追い打ちをかけるようであるが、残念なシーンがある。太兵衛が村娘を抱き起こし話を訊いているとき、バックに何と「電柱」が映り込んでいる。近江舞子の浜であるが、結構近くにある電柱のようで形状まではっきりわかる。チェックが不十分だったと見え作品づくりに粗さが見える。

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Re: 第18話「 砕けた波に影一つ」(前編)

お夕さんの書かれた所までを鑑賞しました。
今回のキモである「閉ざされた空間で逃げることも出来ず、外から助けも来ず、武器も取り上げられたヒーローが、どうやって戦うのか」というのはやっぱり無理なんですかねえ…。

原作のこの話は、引っかかる点が色々有りました。
まず、三重県まで紋次郎が来ている事。
三宅島を除いては、紋次郎が来た一番端ですね。
こんなところまで渡世人が来て、賭場とかあるんだろうか、と思ってましたが、清水二十八人衆にも四日市や鳥羽の人間が居るし、これは大丈夫だったんですね。

序盤の人違い、私は、数回読むまでは、紋次郎と勝五郎がそっくりだということから、こいつに間違われたんだろうと勝手に思ってました。
が、そうでないことに気付き、「結局、三州無宿の吾助って誰なんだ」とモヤモヤ感が残ってました。
テレビ版は、勝五郎に変更ですが、こっちのほうが良いでしょうね。

また、原作には私の出身地である高槻の侍が2名出てきて、1頁に4回も郷里の名前が出てきて嬉しくなってました。
が、どうしようもないヘタレで、「高槻市民の面汚しだ!」と憤慨してました。
テレビでも恥をさらすのかと思ったら、登場すらしませんでした。(笑)

この原作で目に付くのは、犯人グループの、他の話とは比べ物にならない残虐ぶりで、読んでいて目を覆いたくなります。
これは、70年代によく起こっていたハイジャック事件の犯人への、作者の怒りなんでしょうか。

  • 20120205
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第18話「 砕けた波に影一つ」(前編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

この時点で、バッサリ言うのもどうかと思いますが、断然原作の方が面白い!
前シリーズであれば制作費も倍はあったらしいので、絶対、原作路線で撮影されたでしょうねえ。
そう思うと、惜しいです。

紋次郎と伊勢……忘れてました。
神戸の長吉や穴生徳は伊勢の侠客、伊勢荒神山での血闘がありました。
ということで、十分渡世人が生きられる場所ですから、紋次郎が目指しても問題はないということでしょう。

「三州無宿の吾助」に間違われる件ですが、台本では原作通り書かれていますが(この回の台本、持ってます)、あとで修正され「勝五郎」に間違われるバージョンになってます。
TOKIさんが仰るとおり、その方がスッキリしますものね。

武士が二人も乗っていながら、何の役にも立たない。
この時代の、武士権力の弱さが出ているようにも思います。
権力でも信仰でも(雲水が二人乗ってました)、この窮地は打開できない。
結局「信じるものはただひとつ、己の腕と腰のドス」という訳になるんですね。

暴力シーンについては、この原作が一番残虐性が強いように思います。
さすがにテレビ版では変更されていますが……。

この先、地雷と思われるシーンはありますので、道中お気をつけなすって……(笑)。

  • 20120205
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
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