紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第19話「 女郎にはたった一言」(前編)

第19話「 女郎にはたった一言」(前編)

第19話「 女郎にはたった一言」(前編)
(原作 第54話)(放映 1978.2.8)
原作の登場人物は、紋次郎以外は誰も彼もがいけ好かないヤツばかりである。いや、下手をすると紋次郎サンにもその矛先が向けられるかもしれません(笑)。無口にも程がある紋次郎サン……言い訳はないにしても、説明はした方がいいと思います。

実弟の中村勝行氏、四作目の脚本作品である。監督は名匠、池広一夫氏。

テレビ版のオープニングは、白波が立つ海をバックに2対2で長脇差を振り回す男たち。片や地元のヤクザの子分、片や遊び人風の男で、賭場でのいざこざが原因らしい。「金を払え!」「いかさま博奕!」とお互いに叫び合っている。
この喧嘩の様子がひどい……と言うか、実際はこんな感じなのだろう。長脇差を構えてはいるがへっぴり腰だし、お互い恐怖心が先立っているので、かっこ悪い体たらくである。市川監督の作品である「股旅」を、彷彿とさせるリアリティである。こういう場合は、度胸がある方か勢いがある方に軍配が上がるようで、博奕の金を払え!と言われていた男二人が生き残る。

地元の子分二人を斬殺したのは「兄貴」と呼ばれていた長五郎。その弟分は広吉。二人の会話からここは清水であることがわかる。二人も殺害したとなれば、この地に留まってはいられない。兄貴分の長五郎は、渡世人として男を磨く!三年後は駿河一の大親分になる!と豪語して清水を離れる。この若者が後の「清水の次郎長」と呼ばれる大侠客となる……とナレーションが入る。

長五郎役に「大門正明」さん。鼻っ柱の強い長五郎役には丁度良い。弟分の広吉には「丹古母鬼馬二」さん。変わった芸名の俳優さんだが、確か「悪役商会」のメンバーだったと記憶している。
二人も手に掛けたとなると、この清水には居られないということで、旅に出てどこかの貸元の子分にしてもらおうと二人は算段をする。
原作にもこの二人は登場するが、前段の喧嘩の件は出てこない。これは脚本家の勝行氏の創作である。

「新……」には、実在した侠客の名前が何人か登場する。「大前田栄五郎」「神戸の長吉」「国定忠治」そしてこの「次郎長」である。今回の次郎長はまだ売り出す前の23歳という設定である。ウィキペディアで調べてみると、23歳のとき喧嘩が元で人を斬り、家督を姉夫婦に譲って出奔している。その後、無宿人になった長五郎は諸国を流れ歩き、渡世人としての修行を積んだ……となっている。
草鞋を履く羽目になった喧嘩が、テレビ版でのオープニングとなったわけである。

テレビ版は原作をそのまま踏襲はできない。なぜかと言えばタイトル通り、紋次郎はたった一言しか発していないからである。紋次郎の台詞がたった一言?!……いくら無口な役柄とはいえ、これではドラマは成立しない。だから……と言うわけではないだろうが、骨子は原作であっても肉付けは随分と違う。

原作は、今までと比較すると特異な感じである。それぞれの登場人物は、時系列や方向は同じだが平行線上にいる。絡み合っているようだが、当事者は気づかない。紋次郎作品としては、実験的な感じである。

尾張名古屋で二人の貸元が縄張りについて会談している。桑名の十蔵と三河の佐七。勢力は十蔵の方が上であり、佐七には勝ち目がないという状況。十蔵はより広い縄張りを提示し、受け入れられないなら力ずくで……と脅される佐七。穏便に事を収めたい佐七は一計をめぐらす。大親分である大前田栄五郎に喧嘩の仲裁を頼むというのだ。栄五郎とは縁もゆかりもないが、尾張の町奉行に添状を書いて持っていけば上手くいくと話を続ける。

栄五郎はむかし、箱根山で尾張の御用金を奪った盗賊を退治したのが縁で、尾張の家臣とはつながりがあるらしい。奉行所は、桑名と岡崎の積年のいざこざが収まるならそれに越したことはないと、添状を書いて佐七に手渡す。
この添状がドラマの重要な鍵となる。
「大前田栄五郎」という侠客は、関東随一の大親分で、その貫禄で渡世の喧嘩の仲裁役として君臨している。その大親分に泣きつこうというのである。

テレビ版での長五郎と広吉は、旅姿の桑名の十蔵たち一行を見つけ、子分にして欲しいと頼むが相手にされない。原作では「桑名の多郎右衛門」となっているので、名前を変更したようである。しかし長五郎はあきらめない。今度は「三河の佐七」一家を訪ね、身内に加えてほしいと頼むが門前払いをくらい、佐七親分は旅に出ていると聞かされる。

十蔵にも佐七にも断られ、広吉から文句を言われる長五郎。長五郎と、後を追う広吉のシルエットが水面に映り込む。絶妙のバランスでの映像作りで、さすが池広監督である。
自分はどこかの一家の身内で終わろうとは思っていない。3年後には駿州一の大親分になる。これからの渡世人は知恵と裁量が大事なんだ、と拗ねる広吉に喝を入れる長五郎。

長五郎と広吉は茶屋で、佐七と十蔵の状況を店の客から知る。佐七が添状を持って子分を連れて上州の大前田栄五郎に会いに行くと聞き、急いで店から出る。
佐七たちを追う二人は、紋次郎を殺して名を上げようと長脇差を抜く男の姿を見る。この男は山本一郎さん。久々の登場である。二人は喧嘩の仲裁に入る……と言っても、紋次郎は端から関わる気は毛頭無いのだが。止めに入った長五郎は、そのまま仁義をきりかけるが、「先を急ぎやすんで……」と紋次郎はその場をさっさと去っていく。

長五郎は紋次郎の実力を知っていて、知り合っておいて損のない男だと言う。残された男から、佐七が大前田栄五郎に会いに行く理由を聞き、長五郎は情報元だったその男を斬り捨てる。弟分の広吉は「何も殺さなくても……」と驚くが、長五郎の表情には期するものがあるようだ。
「広吉、よく見とけ。これから俺が何をするかな。」
長五郎の策略が始まる。

第19話「 女郎にはたった一言」(前編)

原作では、全く違う世界が淡々と同時進行する。赤坂の蔦屋で女郎をしていたお秀と、身請けした駿河屋の若旦那が仲むつまじく東海道を東に向かっている。そして同じ街道を添状を持った佐七一家、長五郎、広吉、紋次郎が歩いている。一見、何の接点もない者同士であるが、ある一点で繋がる。それが例の添状である。

原作では、初めからお秀と駿河屋の彦十郎が登場している。この二人が往く途上で事件が起こるのであるが、当の本人たちは何一つ知らないという特異な展開なのである。二人のイチャイチャぶりは読んでいても甘ったるくて、私なんかは微笑ましいどころか気分が悪くなるぐらいである。相当私も底意地が悪いのかもしれないが……。
脚本家の中村勝行氏も、そう感じたかは知らないが、テレビ版の展開の方がより紋次郎らしい結末へと向かっていく。

テレビ版での場面は、甲州鰍沢の宿場となる。飯盛旅籠である「蔦屋」でのお秀は上機嫌であった。今夜にも、信州の生糸問屋の彦十郎が身請けに来てくれるというからだ。原作とは所在地と職種が変えてあるが、若旦那の名前は彦十郎である。
このお秀役に「伊佐山ひろ子」さん。日活ロマンポルノ出身の個性派女優さん。整った顔の美人ではないが、存在感のある魅力的な女優さんで、こういう場末の女を演じれば天下一品の方である。

飯盛女たちが店に出る支度をしている。部屋の障子が夕日に染まり、女たちの声で賑やかだが叙情的で美しい映像である。照明さんの素晴らしい仕事ぶりである……と思って調べてみると、さすが中岡源権さんであった。夕日の傾き工合まで計算してあり、まさに職人技である。

驚いたことに、この飯盛旅籠に紋次郎が宿泊しているのである。野宿や木賃宿ではなく、飯盛旅籠に泊まるということは珍しい。その部屋に、長五郎が訪ねてくる。同じ宿をとっていたのだ。
長五郎は、佐七一家が尾張奉行所の添状を懐に、大前田栄五郎の元に喧嘩の仲裁を頼みに忍び旅をしていることを明かす。そして、この話がうまく行かなかったら佐七一家は破滅すると言う。
佐七一家を潰せば十蔵親分に貸しが作れるし、名を売ることができ、またとない機会……これからの渡世人は喧嘩や博奕が強いだけではダメだ。名のある貸元衆に顔を売って、裁量一つで一家身内を動かせるようにならないと大物にはのし上がれない……と持論を紋次郎にぶつける。そして紋次郎に力を貸してくれないかと話を持ちかける。

紋次郎にとっては、全く興味のない話である。相手の目を見て聞いているが無言。そして。無表情のまま「お断りいたしやす。」である。
長五郎は、「木枯し紋次郎」の名前と、筋金入りの渡世人ということは知っていたようだが、中身まではリサーチ不足だったようである。こんな話に紋次郎が乗るはずがない。

笹沢氏は、「国定忠治」の対極に「清水次郎長」を置いているように感じる。実像はどうだったのかはわからないが、次郎長の駈け出しの頃の人物像を策士に仕立て上げていることは興味深い。
実際、忠治は磔となり早世したが、次郎長は長生きをして明治の御代まで生き、大物政治家たちと親交を深めている。創作とはいえ、その片鱗が感じられる。

この飯盛旅籠には、佐七一家も宿をとっている。
佐七、長五郎、お秀、紋次郎……テレビ版では、すべての駒が偶然にもここに集まっているのである。少し強引な設定ではあるが、勝行氏の脚色はなかなか手が込んでいる。

原作は旅籠ではなく、茶屋である。昼飯を食べる旅人たちでごった返す中に、お秀と彦十郎、佐七一家、長五郎たちが同席している。紋次郎はその場にはいない。
ここでお秀は、彦十郎が勘定を払いに席を立った隙に、商人風の男に声をかけられる。どうも宿場女郎だったお秀が、以前とった客のようだ。お秀にとっては気分が悪いものではあったが、駿州一と言われる大店の内儀になるんだと得意満面で笑みを浮かべる。その様子は、全く上から目線で鼻につく。

普通、女郎が身請けされるということは稀である。その上囲い者ではなく、大店の内儀として納まるなど、千人にひとりも望めない幸運と記述されている。地獄から極楽、夢心地ともある。お秀が浮かれるのも当然であろう。
拙ブログの記事 「日々紋次郎」の『飯盛女』も良かったら読んでいただきたい。
(http://kogarashi1940.blog10.fc2.com/blog-entry-154.html)

お秀たちが店を後にした20分後、佐七は添状を盗まれたことに気づく。振分け荷物の上に油紙に包んで置いていたのが、消えたというのだ。ごった返した茶店なのに何とも不用心ではある。
背中合わせに座っていたお秀たちの仕業に違いない!と、佐七と子分たちは街道を東に走る。その様子を、好奇の目で見ていたのは長五郎と広吉で、この二人も佐七たちの後を追う。
わずか20分遅れであったが、川を渡る舟が連中を待たずに行ってしまったり、早めに旅籠に入った二人を追い越してしまったりで、佐七たちはお秀と彦十郎を見つけることができない。

佐七たちは追い抜いてしまったことに気づき、来た道を引き返すのだが、お秀たちは分岐点で東海道から外れて寄り道をする。彦十郎の伯父に挨拶に行くというのだ。そのまま東海道を進んでいれば、戻ってきた佐七たちと鉢合わせになるはずだったが免れる。
「何も知らずにいる者には、好運が訪れる。」と原作には書かれているが、本当に「知らぬが仏」である。

その脇道を、紋次郎は足早に歩いていた。早春の村は温かく、蝶が飛び交い、ヒバリが鳴くようなのどかな様子であるが、紋次郎はそんな風情にも全く関心を払わず、ひたすら歩いている。その先にお秀と彦十郎が、イチャイチャと歩いている。ここでお秀のクシが折れなかったら、この二人の命はなかっただろう。理由はこの後の展開で明らかになる。

お秀は斜めに折れたクシを草むらに捨てていく。そのクシが、なんと紋次郎の左足の裏に突き刺さるのである。お秀にとっては好運のクシだったろうが、紋次郎にとっては疫病神である。
軟膏を塗り、手拭いを巻き付けて歩く紋次郎の歩く速度はぐっと遅くなった。そして否が応でもお秀たちの後を辿る羽目になり、そのことがお秀を逆上させるのである。
(中編に続く)

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Re: 第19話「 女郎にはたった一言」(前編)

原作のこの回、私はあまり好きじゃない話でした。
うららかな春の自然描写はあるものの、どちらかというと実験作品的な意味合いが強く、お夕さんのおっしゃる通り、ヤなヤツばかりで後味が悪くて…。

が、旧作を幾つも手掛けられた上、あの「紋日」を見事に修復された池広一夫さんが監督ということで、「お夕さんの書かれた所までしか見ない」という決まりを破り、全部見ました。
やはり、良かった!
自然描写も美しいし、何よりもこの人、紋次郎ワールドを愛し、大切にしておられるんですね。

丹古母鬼馬二さんの起用もいいですね。
怖そうだがコミカルなこの人が出てくると、話の陰惨さがかなり薄まります。
この人と「女が二度泣く水車小屋」の清水紘治さんで、「風と雲と虹と」の藤原純友の子分の海賊・「鮫」「くらげ丸」の凸凹コンビやってたのが印象に残ってます。

お城が出てきたのは珍しいですね。
普通、時代劇というとよく出てくるものですが、紋次郎で出てくると、とても奇異に感じます。

ラストのナレーションで私が何を突っ込むか、紋カフェ主人のお夕さんならもうお察しが付いておられると思います。(笑)

  • 20120318
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第19話「 女郎にはたった一言」(前編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

原作は、あの二人の行く末を想像するも、裏切られるといった感じで、居心地の悪さがありました。

テレビ版はその点、「思った通り」の展開ではあります。
できれば次郎長云々ではなく、狡猾な一般渡世人(笑)という設定で進めて、何らかの制裁があればよかったかなあと思います。
そうなると、「紋次郎的予定調和」(笑)すぎるかもしれませんが……。

最後のナレーション、隙をつくっておきますので、どうぞ突っ込んでくださいませ(笑)。

  • 20120318
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第19話「 女郎にはたった一言」(前編)

本編の小説の背景には、芽吹いた青い春が描かれています。「・・・南国の早春という陽気である。・・・梅の花・・・ツバキの花・・・馬酔木の花・・・ヒバリの声・・・菜の花畑・・・」若い故の生意気さと掛け引き。笹沢佐保はこの風景に次郎長の若い時代を合わせたのでしょうか。池広監督のTV版はこの青春の季節感が消失させられ、砂地を背景に殺伐とした生きる泥臭さに整えられているようです。救いは、これから腕だけではだめ知恵がいる、という意の長五郎の言葉。その後の出世話への複線でしょう。〆お夕さん、「いつの時代も、若さの無鉄砲さが次の時代を切り開くんでござんしょうかねぇ。」

Re: 第19話「 女郎にはたった一言」(前編)

いなささま、コメントをいただきありがとうございます。

青い春……なるほど、そういう解釈ができますね。
若き日の血気盛んな次郎長と、幸福の絶頂のお秀……。
どちらも、紋次郎には関わりのねぇことでござんすねえ。

私個人としては、長五郎のような男は御免被りやす。

撮影時が冬ということもあり、原作の風情とは随分違いはありますが、紋次郎ワールドらしい映像ではありました。

  • 20120320
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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