紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第19話「 女郎にはたった一言」(後編)

第19話「 女郎にはたった一言」(後編)

第19話「 女郎にはたった一言」(後編)
(原作 第54話)(放映 1978.2.8)
テレビ版のお秀は泣き叫び狂乱する。
「ひと殺し!人間の屑!地獄に堕ちろ!」
罵詈雑言を浴びせるお秀。しまいには
「殺せ!この人と冥土に行けるなら本望だ!さあ、殺せ!」
と叫ぶ。

長脇差を振りかざした子分を制して、佐七は一点を見る。視線の先には、うっそりと立つ紋次郎の姿。
子分たちは色めき立つ。
「やっぱり後をつけて来やがった。」
「十蔵一家の回し者だ!」
追い打ちを掛けるようにお秀が言う。
「あいつだ!その添状ってやつを盗んだのはあいつだよ!」
余計なことを言うものだが、お秀にとっては紋次郎の印象はあまりよくないので腹いせに……というところだろう。
紋次郎にとってはさっぱり何のことやら、であるが、降りかかった火の粉は払わねばならない。

今回の殺陣は、荒野を走る、崖を駆け下りるという結構脚力が物を言う設定。疾走して、追っ手をちりぢりにする作戦である。
この荒野は「首ラグビー」をした「賽を二度振る……」と同じロケ地ではないだろうか。崩れた山肌は脆く足場も悪い中、追う者追われる者の修羅場は続く。

普通、追われる者のほうが形勢が悪いのだが、紋次郎ワールドでは全く逆であるのが面白い。今回は、何もない荒野なので仕方がないかもしれないが、殺陣にあまりハッとする演出がなされていない。ここに来て、紋次郎の殺陣のマンネリ化を感じる。
第一、第二シーズンではそれぞれ格好いい演出がされていたのだが、「新……」もこのあたりになると「流れでお願いします。」のような感じになってきていて、印象に残らないのが残念である。

原作での修羅場は、なんと西日がさす菜の花畑である。佐七一家の5人を敵に回し、足をひきずる紋次郎が咄嗟に駆け込んだのが菜の花畑だったのだ。紋次郎の周囲には、紋白蝶が舞う。菜の花畑に入り日、紋白蝶……こんな牧歌的な風景の中で、殺し合いが始まるのである。

 紋次郎は後退した。紋白蝶も、一緒について来た。
 黄色い海の中に、六つの人影が浮かんでいるような光景であった。そのうちの五つが徐々に、一つへと距離を縮めていく。太陽は西日になっていた、黄色い海の中で何本もの白刃が、キラリキラリと西日に映えて光を散らす。
(原作より抜粋)

原作での一番の見せ場である。臨場感ある記述に、その光景や菜の花の香まで読者は疑似体験する。のどかな菜の花畑と殺戮光景の意外な対比……白日夢を見るが如く感覚を読者に与える笹沢氏の筆致である。菜の花の黄色い海、光る白刃と紋白蝶、血しぶきと西日……。ひとりまたひとりと、血潮とともに黄色い海に没していく佐七と子分たち。
黄色い海からはい上がってきたのは、紋次郎だけである。

 赤く染まった菜の花の色は、夕日の輝きと変わらなかった。太陽は虹色となって、西の空にあった。その光線に映えて、菜の花の全体が鮮血を浴びたような色になっていた。そのうえを、紋白蝶が事もなげに群れ飛んでいた。
(原作より抜粋)

これほど色彩的に鮮やかな印象が残るシーンは、なかなかないように思う。

長五郎と広吉はこの修羅場を眺めている。長五郎は紋次郎が斬られることを願っていたが、裏目に出た……と広吉に話す。原作の長五郎は、テレビ版よりまだ少しマシな考えである。
自分がこれから売り出すには、有力な親分衆や腕の立つ渡世人が一人でも少なくなれば有利だというのである。そしてこの結末の引き金になった添状を、ここで懐から初めて出す。
驚く広吉を尻目に、仏になった佐七の墓に一緒に埋めてやろうと言う。

テレビ版の長五郎と広吉も、高みの見物をしていた。
とくに長五郎の台詞の「上から目線」には呆れる。
「広吉、よく見とけ。本物の渡世人同士のドスさばきを……」
オープニングの長五郎のドスさばきもひどかったのに、兄貴風吹かせてよく言うわ……である。しかし紋次郎の、百戦錬磨の俊敏な動きに圧倒され「スゲエ……さすがに紋次郎だ。」と呟くところは許してやろう。
長五郎が「ここまで巧くいくとは思わなかった。」と呟いているところをみると、すべて計算づくだったことがわかる。

第19話「 女郎にはたった一言」(後編)

お秀は、紋次郎と佐七一家の殺し合いに、「渡世人なんか、どいつもこいつも死んじまえ!」と何度も叫び、山砂を投げつける。お秀の気持ちはよくわかる。
渡世人に対しての悪口を女が叫ぶと言えば、「月夜に吼えた……」でのお春。
「ヤクザなんてみんな虫けらだよ!」
そう言えばお秀役の伊佐山さんの声質も、お春役の女優さんと似ていて、耳に残る。最近の女優さんで言えば「賀来千香子さん」の声質に近い。

BGMに、お秀の「死んじまえ!死んじまえ!」の連呼が重なる。紋次郎もお秀の言う「どいつもこいつも」の範疇だったのだが、佐七を斬り捨てて一人生き残る。

高見の見物をしていた長五郎と広吉が、「大したもんでござんすねえ。」と紋次郎に声をかける。
「添状を盗んだのはおめえさんたちでござんすね。」と、冷静な声で尋ねる紋次郎。長五郎はあっさり認め添状を懐から取り出す。
桑名の十蔵親分のところに持っていけば、いいみやげになる、と得意げに話す長五郎。
「この渡世で身を立てるということは、そういうことだったんでござんすね。」

これからの渡世人は、腕が立つだけでは大物にはなれない、それなりの知恵や器量がいる……長五郎が再び持論を口にする。
全く、嫌なヤツである。知恵は悪知恵、器量は奸計と読み替えたいぐらいだ。

「おめえさんたち、それで済むと思ってるんですかい!?」
と、紋次郎は鯉口を切りかける。
紋次郎の方から、斬りかかろうと身構えるのは珍しいことである。視聴者は「こんなヤツ、殺っちゃってください。」と期待するも、はたと「次郎長」だったということに気づく。
そうだった、ここで冥土に送ってしまっては歴史が変わってしまう……。ドラマの初めに、長五郎は後の次郎長と明かしてしまっている以上、殺されることはないとわかってしまうのが残念。
「あっしを斬ろうってんですかい!?」
たじろぐ長五郎。

「斬り合うんだ!みんな斬り合って死んじまえ!」
お秀は罵声を浴びせかける。

「冗談じゃねえ、こんなところで死んでたまるか!」
と叫ぶやいなや、長五郎は一目散に逃げていく。頭の回転も速いが逃げ足も速い。
紋次郎は追わない。基本的に相手が襲ってこない限り、自分から殺すということはしない紋次郎である。しかし視聴者としては、手にした添状に楊枝を飛ばし、谷底にでも舞い落とすぐらいして欲しかった。

足早に去る紋次郎にお秀の声が降ってくる。
「一体、あたいはどうなるんだよ。お前ら何の恨みがあってあたいたちの幸せをぶちこわしにするんだ!何とか言ったらどうなんだよ。また宿場女郎に戻れっていうのかい!?渡世人って何だよ!人間のクズじゃないか!クズッ!」

随分な言われようである。すべての渡世人への恨みつらみを、全部紋次郎にぶつけるお秀。無理もない。千人に一人かといわれた幸運を、全くのとばっちりでフイにしてしまったのだから……。
直接紋次郎は関わっていない……どころか、彦十郎を殺した憎い佐七一家を斃したのであるが、紋次郎はこの屈辱的な言葉を甘んじて受ける。

そしてお秀に聞かせることもなく、呟く。
「あっしには言い訳なんぞござんせんよ。」
そう、紋次郎は自分のことを「人間のクズ」と言われても、反論する術を持たない。

原作では、乗った駄馬が動かなくなり、立ち往生しているお秀と彦十郎に再び紋次郎は会う。
お秀はヒステリックに叫ぶ。

「やい、この野郎!いったい、どういう了見なんだよ!ついてくるなって言ったのが、わかんないのかい!」

ここで紋次郎は、お秀が捨てた折れたクシの半分を宙に投げ上げ、楊枝で道標に縫いつける。
お秀は事の次第がさっぱりわかっていない。

「へん、今度は脅そうってのかい!それが何の真似だってんだよ、このくたばり損ないめが!さあ、返答おしよ!理由を、聞かせてもらおうじゃないか!」
怒り心頭のお秀に、冷たい眼差しで紋次郎は言う。

「あっしに、言い訳なんぞござんせん」

この一言が、この日の紋次郎が口にした唯一の言葉だった……と記述されている。文字通り「女郎にはたった一言」である。
それにしても、原作のお秀は最後まで憎たらしい女だった。

テレビ版ではエンディングのナレーションで、少しお秀は救われる。
その後、身延山道に「お秀茶屋」という味自慢の茶屋が繁盛したが、女主人は渡世人だけは客にしなかった、という締めくくりである。

後に次郎長という大親分になる長五郎……腕と度胸は別にして、時勢を読む才覚に長け、人脈を利用して世渡りが巧かったとみえる。まさに、一頃流行った「勝ち組」と言えよう。
この真逆となる「負け組」が、山本一郎さん演じるうだつの上がらない渡世人。腕も度胸もないのに、無謀にも紋次郎を殺して名を上げようとする。また有力な情報を持っているのに、ペラペラと長五郎に教えてしまう。
そして紋次郎と言えば……全く別次元の存在である。勝ちも負けもないどころか、初めから何も求めない。人並みの幸せすら望もうとはしない。全く長五郎たちとは相容れない、孤高の姿が今回は際立ったと思う。

話は変わるが、その後紋次郎は次郎長の子分になる!?……と言うのは、1981年に西郷輝彦さんが次郎長役で「清水次郎長」という番組がオンエアされ、敦夫さんは「大政」を演じているからである(笑)。

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Re: 第19話「 女郎にはたった一言」(後編)

「あっしには言い訳なんぞござんせん」
前にも書きましたが、この新しい決め台詞が、この頃の原作や「新」の足を引っ張っている気がしてなりません。
自分にも言い分はあるのに、あえて罰を受け入れる時に使ってこそ紋次郎なのに、責任逃れのような使い方までされてしまって…。

今回の原作、紋次郎のセリフをこれだけにしようという、作者の実験作のような匂いが漂い、そのぶん自然描写はふんだんに描かれてるものの、「性格の悪い連中が幅を利かせ、主人公はわけのわからんとばっちりに遭うだけの話」として、あまり良い読後感は有りませんでした。
でもさすがは池広監督。
このセリフは紋次郎ならこう使う、を見事に見せてくれました。

ちなみに紋次郎、「悪党の居ない道」で、長脇差を抱き寝せずに盗まれて無腰で歩き、煮売り屋の親父に「まさか、盗まれたのでは…」と聞かれた時に、このセリフを言わずに苦しい言い訳をしてましたね。
紋次郎もこういうことには世間体を気にするんだな、と、苦笑してしまいました。

ところでこの回、どこで楊枝が飛んだのかわからないんですが、飛ばなかったのでしょうか。

>その後、身延山道に「お秀茶屋」という味自慢の茶屋が繁盛したが、女主人は渡世人だけは客にしなかった

このナレーションで、突っ込みたいことは皆さん同じですよね。
皆で一緒に言いましょう! せ~~の~
「紋カフェを見習え~~!!」(笑)

  • 20120401
  • TOKI ♦nhNJg39g
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  • 編集 ]
Re: 第19話「 女郎にはたった一言」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

「あっしには言い訳なんぞござんせん。」
の台詞が一番似合うのは、「馬子唄に……}での紋次郎サン。
お熊婆さんに詫びを入れて、長ドスで刺されるところだと思います。
あの時の紋次郎サンは、ゾクゾクするほどかっこいいですよね。

紋次郎シリーズも後半では、随分と人間味を感じる面が見えました。
「寄る年波には……」とまでは言いませんが、何となく親近感がわく場面がありましたね。

テレビ版では、楊枝は音も立てませんでしたし、飛びませんでした。
特に「新……」になってからは、楊枝を鳴らす場面はめっきり少なくなりました。
お約束だった、心情表現でもある楊枝飛ばしも無かったりで、何か意図するところがあったのでしょう。

「紋Cafe」は、どなたさんでも大歓迎です。
お素人衆に一家を構える大親分、旅鴉サン……どなたでもお気軽にお立ち寄りくださいませ。
お待ちいたしておりやす(笑)。

  • 20120402
  • お夕 ♦wikz35BA
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