紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

(原作 「さすらい街道」第2話)(放映 1978.2.15)
哀しそうな表情でお美代が話し始める。

お美代の夫は旅から帰ってくる途中、化け物に襲われて命を落とす。その現場に居合わせたお美代は驚愕するが、自分を襲わず手に持つ鈴を振る化け物に、誘われるようについていく。その鈴には「とも吉」と記されていて、とも吉はお美代の行方不明になった弟であった。毛むくじゃらの化け物とフラフラと追うお美代のツーショットは異様ではあるが、大谷直子さんは斜光の中、美しく撮影されている。

たどり着いた先は岩陰にある洞穴で、人が住んでいたような形跡があり、足元にはさっきの鈴と古ぼけた独楽が落ちていた。変わり果てた弟の姿に哀しむお美代……。そこに久蔵がやって来て、一部始終をばらされたくなかったら言うことを聞け!と、お美代を襲う。いつもの男のパターンである。
この久蔵役に「新田昌玄さん」。前シリーズでは「月夜に吼えた……」と「九頭竜に折鶴は……」で共演しているので、今回で3度目となる。悪役での出演が多いが、どちらかというとソフトな感じで、武闘派タイプではない。柔和な顔の裏で狡く立ち回るという役が多いように思う。

お美代は世間に知られるより、自分の母親に知られるのが辛いと言う。帰りを待つ伜が、化け物のようになってしまった浅ましい姿を母が見たら、どんなに嘆き哀しむか。お美代はとも吉はきっと山犬に育てられたのだと言う。

それからというもの、お美代は久蔵に言われるまま、宿に金持ちが泊まり笹子峠に向かったら知らせを入れるようになった。そし笹子の天狗を使って、旅人の金品と命を奪う久蔵の片棒を担ぐことになった。お美代は自分の罪深さを懺悔する。

しかしこの話を一番聞かせたくなかった老母が立ち聞きをしてしまい、自分のせいでお美代を苦しめたと詫びるのである。そしてどんな浅ましい姿になろうとも、伜には変わりない、一目会いたい。会ってとも吉に詫びたら、お美代ととも吉の罪咎を全部自分が引き受けて、自訴する。だから伜を何とか久蔵から奪い返してくれと、紋次郎に頼む。親子の情愛を絡めたテレビ版だけのオリジナル展開である。

紋次郎は大体、老婆に弱い。子どもを思う母の願いに後押しされて、紋次郎は動き出す。
お美代に久蔵のところへ走らせ、明日の明け六つ過ぎに鴉の森を紋次郎が通ることを伝えさせる。待ち伏せをさせろと言うのだ。きっとそこに笹子の天狗も現れるだろう。
他人のために策略を練るという紋次郎は、やはりいつもの人物像からは離れているが仕方ない。

明け六つ、朝霧が流れる中紋次郎が宿を出て鴉の森に向かう。その時のBGMというか効果音というか、これがなかなか面白い。歌舞伎や時代劇の舞台で使われるような効果音なのだ。なんだか化け物退治の演目舞台のようで、この演出はきっと中村氏のものであろう。一瞬、「江戸特捜指令」を思い出した(笑)。

この効果音の中、足早に歩く紋次郎、森の中で待ち伏せする久蔵一家、笹屋の囲炉裏端でじっと成り行きを案じて座るお美代とその母。それぞれの姿が映し出され、なかなか渋くてかっこよかったのだが、森に到着して本番の殺陣が始まるといつものBGM……。ドテッである(笑)。
紋次郎は久蔵一家のメンバーをグルリと見回し「一人、数が足りやせんねぇ。」と言うところを見ると、このカラクリを全部見切っているのか。圧倒的な強さで子分たちを斃す紋次郎だが、久蔵を追い詰めたとき天狗が木の上から襲ってくる。

木の枝にぶら下がったりするその姿から、紋次郎は見せ物小屋の軽業師を連想する。
天狗が加勢してから紋次郎は不利な状況になり、足を負傷する。逃げる紋次郎は、転げるように崖を滑り降りる。危険きわまりないシーンであるが、スタントマンはいつも使わない。経費削減というより、中村氏のポリシーだろう。生傷が絶えなかったに違いない。

足の傷を布で縛る紋次郎だが、この布はどこから出てきたのだろうか。振分け荷物は見当たらないし、懐にでもあったのだろうか……余計なことは考えないで次に進もう。

第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

結局、襲ってくる天狗に長ドスを投げて斃し、正体を見破る紋次郎である。天狗の正体はお美代の弟ではなく、軽業師の六助であった。紋次郎の口から唐突に「六助」という名前が出てくるので少々面食らってしまう。
あのときの連想シーンは回想で、この軽業師のことを紋次郎は知っていたのか。この辺の展開は結構粗くなっているが、気にせず次に進もう(笑)。

ここで、原作とテレビ版の圧倒的な違いが出てくる。
原作では、怪物のように変わり果てたのは、やはりお美代の兄の「友吉」であった。丹次郎は、その友吉の野性的な攻撃を受け、死闘を繰り広げる。その様相は人間に対するものではなく、まさしく獣との戦いであった。頭上を軽々と舞いながら攻撃する怪物に、丹次郎は左肩をやられる。
その動きを止めるために、丹次郎は怪物の四肢を狙う。まず左足、そして左手……怪物は唸り声をあげ苦悶する。起き上がれず地上に転がっている怪物は、長ドスで胸と腹を刺され悲しげに吼えた。
読者は、この怪物への同情を禁じ得ない。しかし、他に手段がなかったのは確かである。
笹子の天狗と呼ばれた友吉は、崖から落ちて死ぬ。

「お美代の兄の友吉は十歳のときに神隠しに遭っている。人買いにでも、連れ去られたのだろう。ところが笹子峠で何かが起こり、人買いは友吉を手放した。逃げ出した友吉は、足を滑らせて崖の下へ転落した。奇跡的に命は助かったが、大怪我はしたはずである。そのとき頭でも打って、友吉は自分が誰であるかも忘れてしまったのに違いない。
 その友吉を救ったのは山犬だとお美代は信じている。その理由は、友吉が棲んでいた岩の割れ目のすぐ脇で、四つ足動物の骨を見つけたからである。」
(原作より抜粋)

狼に育てられたと言われる「アマラとカマラ」の話を彷彿とさせる。しかしこの話は、学会では信憑性に欠けるということで、疑わしい部分が多いらしいが……。
笹沢氏が、この話をベースにしたかはわからないが、10歳以降であれば山中で生き長らえることは可能かもしれない。

友吉は酒好きでたびたびお美代の所に来るが、それを久蔵一家の者に見られてしまい、久蔵のいいなりになってしまったという件は大体同じである。

テレビ版では「とも吉」は、とうの昔に死んでいた。
ご隠居が殺された河原で、とも吉と書かれていた布の切れ端を紋次郎は見つけたが、あの近くにとも吉の鈴や独楽もあった。
それを久蔵は見つけ、軽業師上がりの六助を笹子の天狗に仕立てた。お美代にはとも吉だと思わせお美代を強請り、有力な情報を得ては金を奪う。実に手が込んだ脚色であるが、矛盾点も出てくる。
殺された者たちは、「手足が折られ、喉を食いちぎられている」という状態のはずだが、それも偽装したということか。面倒くさい手口である(笑)。

しかし紋次郎が、哀しい獣を殺すということを回避できたのはよかったと思う。
やはり原作が、「紋次郎」でないというのは、なかなか難しいようである。人物設定が違うので、紋次郎に近づけるにはどう改変すればいいか……というところから始まるのだろう。
脚本家の辻景子さんも、ご苦労されたこととお察しする。

第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

さてテレビ版では、久蔵の笹子の天狗のでっち上げも解明され、久蔵も紋次郎の手で斃される。
事の仔細を、お美代と老母に話すがそれも残酷な話ではある。お美代は大勢の旅人の命を奪った片棒を担いでしまったが、それも実の弟や母のため。しかしそれがすべて久蔵の企みだった訳である。老母は、伜はもうこの世にはいないだろうと聞かされ、怒りを紋次郎にぶつける。多分、頭ではわかっていても、心情的に認めたくなかったのだろう。

結局紋次郎は、すべてを解明したものの誰からも感謝はされず、それどころかとも吉の母親からなじられ、笹屋を後にする。
お美代はそんな紋次郎に、破れた三度笠の代わりに、宿にあった替わりの三度笠を手渡す。

紋次郎が出て行った後、お美代は逡巡するが、意を決して紋次郎の後を追う。嘆き悲しむ老母のそばに居るか、紋次郎を追うか……迷う大谷直子さんの複雑な表情は、女の気持ちとしてよくわかる。
三度笠を手渡すということは、紋次郎を旅立たせるということではあるが、お美代はこのまま、別れたくなかったのだ。

お美代は、先を行く紋次郎の名を叫ぶ。そして再度、あの怪物は本当に弟ではなかったのか、と念を押して尋ねる。

「弟じゃなかったら、久蔵の辱めにも耐え、人殺しの手引きをしたこともみんな無駄だった。そうとも知らずたくさんの人を殺めてしまって、死んだ人になんてお詫びをしたらいいのか。私は地獄に落ちることもできない。紋次郎さん、教えてください、私、どうしたらいいのか……。」
泣き崩れるお美代に紋次郎は静かに答える。

「あっしには、教える資格なんぞござんせんよ。あっしも今まで、随分と人を殺めてめぇりやした。それでもあっしには、言い訳なんぞござんせんよ。」

ここであの「言い訳なんぞ」という決め台詞が出てくる。
この返事では、お美代の問いの答えにはならないだろう。むしろ、逆効果であろう。
ここは、
「お美代さん、済んでしまったことは、なかったことと同じでござんすよ。」
の方がよかったのではないだろうか。

「紋次郎さん、行ってしまうんですね。」
お美代は、明らかに紋次郎に心を寄せている。紋次郎に、襦袢姿で身体を預けたことは、8割以上本気だったと私は見た。(いや、9割か)
未亡人に心を寄せられるのは、前シリーズ「女人講の闇を……」以来か。お美代にとっても切ない別れになった。

正直今回の作品は、ザッと観た当初は、ゲテモノ趣味感全開で(笑)取り上げたくなかった。しかし、長期にわたり(というか、グズグズしていたのだが)関わっているうちに、救いは「大谷直子さん」の清楚で正統派の美しさということがわかり、ゲテモノ感も相殺されたように今となっては感じる。
思い詰めて縋った襦袢姿と、裾を大きくはだけながらも思わず追いかけたラストの姿……どちらもお美代の健気な姿が見えて、この作品のクォリティーが上がったと思う。キャスティングは大切だと、思った次第である。

紋次郎が去っていくその視線の先には、お美代の母親の姿があった。崖っぷちで伜のとも吉を待つ姿は、依然と変わらなかった。子を想う母の気持ちを、紋次郎はどう感じたのだろう。
紋次郎は家族に恵まれなかった。生まれてすぐ、両親の手で間引かれそうになったという、暗い過去がある。姉のお光の機転で救われたが、その後も愛情を注がれることはなかっただろう。そんな紋次郎にとって、母親やお美代の存在はどのように映ったのだろうか。

「やっぱりこの世の中、おふくろなんてものはありやしやせんでした。」
この台詞は、前シリーズ「女郎蜘蛛が泥に這う」で、お甲の鬼婆ぶりを評して言った紋次郎の言葉であった。
その後も何人か、母親は出てきたが、母親らしい母親はほとんど登場しなかっただけに、今回は珍しい。
しかしこの世では絶対、親子の対面は望めない結末はやはり寂しいものである。

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Re: 第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

ラストのセリフも含め、いろいろとツッコミどころは有りました。

紋次郎も、わざわざ敵を計略でおびき出したのに、何の策もしてなく、結局襲われるとはどういうことでしょう。
樹上から敵が降下してくることを見抜いたんだから、太いトリモチ竿を持っていく、飛び移りそうな枝にあらかじめ切り込みを入れておく、地面に茶碗のかけらや生ゴミを撒き散らかす、合羽の下にヘビメタみたいな刃の突き出た衣装を着ておく、とか、なんぼでも方法があったものを。

天狗の正体は野生化した人間、という原作を読んで、白土三平の漫画を連想しました。
あのカムイ外伝にも、「人狼」が出てくるし、貸本漫画時代の大ヒット作「忍者武芸帳」でも、動物に育てられてトンネル掘りや最後っ屁のできるようになった忍者が出てきます。
でも漫画じゃなくて股旅小説でやると、荒唐無稽なような…。

いくら野生で育ったって歯牙の形や爪の強さなどが野獣並みになるというのは、この小説の世界観の中ではちょっと無理な気がしますし、だいいち10歳の時の衣服を、大人になっても着られているというのはどうなんでしょう。

原作の獣人のいでたちは天然ですが、テレビ版のは久蔵が天狗に見せかけようとした「仕込み」ですよね。
野獣みたいな手袋も自家製だと思われますし、エテ公みたいな動作もフゴフゴした鳴き声も、久蔵の指示なんでしょう。
この人の天狗に関する知識はかなり歪んでますなあ。

天狗の正体はとも吉でなかったにせよ、死んだという確証は無いんだから、「どこかで生きておりやすよ」と言えばまだ良かったのに、と私は思います。

  • 20120522
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

お夕さん お邪魔いたします。

このお話、私もお夕さんと同感で…どうも食指が進まないな~という感じでした^^

私にとっての救いは、紋次郎さんのラストの台詞でした。

これまで、自分のしてきた事は変えられない。それでも、その時は、そうするしかなかった。
自分の行いを真正面から見つめ、そして、それを引き受けて生き続けるしかない…

私には、とても、紋次郎さんらしい言葉に感じました。


  • 20120523
  • 白 ♦FKr0ivYQ
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Re: 第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

紋次郎は結局無策でしたが、久蔵も同じく無策。
紋次郎相手に、数だけを揃えても太刀打ちできないとは思わなかったのでしょうか?
紋次郎を搦め捕る網ぐらいは、用意しとけばよかったものを(笑)。

化け物に扮して、あれだけ俊敏に動けるものかも疑問です。(あれはほとんど着ぐるみですよ)

「友吉」は神隠しに遭って、行方不明となり……とありますが、考えようによっては本当に天狗に連れ去られたのかもしれません。
神隠しの類は、よく天狗の仕業といわれていますから……。

この下界の一部始終を、杉の大木の上から本当の天狗様が見下ろしていましたとさ……なんて結ぶと、全く違うテイストの作品になりますね(笑)。

  • 20120523
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

白さま、お久しぶりです。
コメントをいただきありがとうございます。

天狗の出来の悪さが先行して(笑)、この作品の良さがあまり感じられないのが、残念です。
これは、実写版にしなかったほうがよかったと思います。なぜこの原作を使いたかったのか、とも思います。

誰かに殺されるのも、誰かを殺してしまうのも、すでにこの世では、定められていること……となると、言い訳はないでしょうね。
「なるべくして、そうなった」ということでしょうか。

いつも窮地に立たされ、謂われ無き命のやりとりをし、それでも前に進まなければならない紋次郎。
そういう究極の、厳しい人生を送る人間でなければなかなか言える台詞ではありません。
薄っぺらい人間には、薄っぺらい解釈しかされないでしょうから……。

  • 20120523
  • お夕 ♦wikz35BA
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はじめまして

ブログにコメントを頂き、ありがとうございました。
江戸時代の旅装に関して調べものをしていて、こちらのブログにお邪魔したのだと思います。

記事の端々から、好きなものに対するまっすぐな気持ちがひしひしと伝わってきて、すてきです!

時代劇といえば私は去年初めて藤沢周平さんにはまったぐらいで、「木枯らし紋次郎」は小説もテレビも知らないのですが、記事を読んでいてなんだか興味が出てきました。
機会があったら触れてみようと思います。

長々と失礼しました。

それでは。

  • 20120526
  • くろす ♦-
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Re: 第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

くろすさま、コメントをいただきありがとうございます。

こちらこそ突然お邪魔しまして、申し訳ありませんでした。

紋次郎に興味を持たれましたら、ぜひご鑑賞ください。一作でも触れられましたら、きっと虜になると思いますよ。

くろすさんが、紋次郎を描かれたらどんな感じになるのかなあ、と思ったりしています。

またよければおいで下さい。

  • 20120527
  • お夕 ♦wikz35BA
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  • 編集 ]
Re: 第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

話は変わりますが、「峠に哭いた甲州路」のロケ地が嵯峨越畑か嵯峨樒原ではないかと友人の地理研究家に映像を送り、調査をお願いしたら、詳細に検証して、樒原であることを突き止めてくれました。
彼はこの春に4度も足を運んでくれて、地元の老人数人からも聞き取り調査をしたところ、撮影を覚えていた人が居て、色々証言を得られたそうです。
そして先日、5度目の訪問をし、新たに導入したGPSを駆使して詳細なデータをネットにアップしてくれました。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-194786.html

地図上の四角いポイントをクリックすると、写真が出てきます。

なお、下から二つ目の画像は「竜胆は夕映えに降った」で、仙太郎と会う場所です。

  • 20120529
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第20話「 甲州路の黒い影」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

早速ご紹介いただいたサイトを見させていただきました。
詳細なデータと調査力、そして何よりもロケ地の景観や風情に対する愛情の深さに感動しました。

かなり細い道で、カーブも多そうですね。
いつか行けるといいなあ、と思っています。
このロケ地までスタッフが機材を運び、天候も考慮しながら撮影したんですね。
時代劇のロケ撮影の大変さを思うと、テレビ界から時代劇が姿を消しつつあるのも、わかるような気がします。

情報、ありがとうございます。
お友だちにもよろしくお伝えくださいね。

  • 20120530
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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