紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第21話「 命は一度捨てるもの」(前編)

第21話「 命は一度捨てるもの」(前編)

第21話「 命は一度捨てるもの」(前編)

(原作 第35話)(放映 1978.2.22)
テレビ版は、「のっけからのけぞく」(笑)。女郎屋のシーンから始まるからだ。
女郎の一人が客に噂話をしている。紋次郎が地元のヤクザ五人に喧嘩を売られたが、てんで勝負にならなかった。さしずめ五羽のスズメが、(台詞では五匹と言っているが)鷲に食ってかかるようなもの……。
この女郎はその様子を見ていたような口ぶりだが、大体、宿場女郎が勝手に宿場外れにフラフラ行けるものなのだろうか。

原作では同じような噂話を、塩尻に買い出しにでかけた吾市が長兵衛に話している。長兵衛は、旅籠で使う座布団の見本と砥石を、洗馬から持ち帰るところであった。二人は奈良井宿の住人である。
「同じような」と書いたが、原作とテレビ版とでは大きく違う。原作での紋次郎は、喧嘩を買おうとはしなかった。小僧を相手に、長脇差は抜けないというスタンス。これは正しい紋次郎であろう。
紋次郎はむやみに長脇差は抜かないし、降りかかった火の粉は最小限に防ぐ。なのにテレビ版はなぜ、ここで一気に斬り捨てていくのだろう。原作の紋次郎のように無意味な殺生はせず、全く取り合わない姿であって欲しかった。

ストップモーションで、紋次郎の殺陣シーンが撮られている。その合間に竹林が、風にザワザワと揺れる画像が差し込まれている。このあたりはなかなかいい感じで、市川監督の作り方を意識しているようであるが、いかんせん女郎屋の閨房である。せっかくの風情もあまりよく伝わらない。

二人の女郎が客を取っている。男は長兵衛と吾市である。女郎部屋といっても、間仕切りが申し訳程度にあるだけで、実際そうだったらしい。お互いの声は丸聞こえなのである。
長兵衛は、吾市を相手にしている女郎から「木枯し紋次郎」という名前を聞いて驚く。紋次郎なら知っている、幼馴染みだというのである。その紋次郎は西に向かったと聞き、「明日は早立ちでここを出立する」と吾市に叫んでいる。
長兵衛と吾市は何者なのか。長兵衛は紋次郎に、何の用があるのか。

原作の出だしは、山道の情景が見事に臨場感をもって表されている。

「白昼の驟雨であった。」という簡潔な一文から始まって、夏に降る夕立の様子が実に細やかに表現されている。巻末の解説にもあるように、五感で感じたままの書き込みがされている。

樹木の葉ずれの音・土埃の匂い・蝉の声が嘘みたいに止み、雨の音だけが聞こえる・逃げまどい雨宿りをする旅人・銀色に霞む樹海・谷間からの冷気……等々。
本当にその山道で、自分も雨で足止めをされているかのような錯覚に陥る。
その雨宿りに使った絵馬堂の軒下で、長兵衛と吾市が会話をしている。そして、吾市が紋次郎の目撃談をするのである。二人の会話の様子では、吾市は朴訥な感じのする男だし、長兵衛も穏やかな印象である。
しかしテレビ版では、二人は女郎買い仲間。胡散臭い雰囲気は否めない。この長兵衛が、紋次郎の幼馴染みという設定は原作と同じであるが、後に出てくるお鶴との関係は違う。

奈良井宿の東外れに紋次郎はさしかかる。掛け茶屋で紋次郎を呼び止めたのは、原作とテレビ版とでは違う人物である。
原作では、最初に声をかけたのは長兵衛。年の頃は三十五、六とあるので、紋次郎よりは若干年上である。次がお鶴。お鶴は紋次郎とは同い年となっている。紋次郎が故郷を捨てた七年目に、お鶴は奈良井宿の大徳屋に嫁いだ。二人は幼馴染みの紋次郎に出会ったことで、興奮気味に喋るが、紋次郎は全く無感動、無関心である。

長兵衛は江戸に奉公に出たものの、盗みの疑いをかけられ店を飛び出し放浪の身。奈良井にたどり着いて旅籠で無銭飲食……半殺しの目に遭わされそうになったとき、大徳屋の内儀、お鶴に助けられたという。幼馴染みのよしみでお鶴は長兵衛を助け、いまは旅籠の番頭に納まっているのである。延々と続くこれらの身の上話を、紋次郎は無理矢理聞かされている。

「長兵衛とお鶴は、やりとりを続けている。その二人の幼馴染みの話を、紋次郎は退屈を覚えながら耳にしていた。紋次郎には、幼馴染みという言葉さえ、ピンと来ないのである。無縁の言葉であり、違和感を覚えるだけであった。
 幼馴染みの存在は、過去のことだった。紋次郎には、明日もない代わりに、昨日もないのである。過去を捨て去った男に、幼馴染みも何もあったものではない。過去の記憶はあっても、それに心が向くということはないのだった。」(原作より抜粋)

三人は三日月村で幼少の頃を共に過ごしたのであるが、紋次郎だけがテンションが異常に低いのである。
「先を急いでおりやす。」と振り切ろうとする紋次郎を長兵衛は腕を掴み、自分が働いている旅籠に無理矢理泊まらせる。紋次郎が断り切れなかったのは、長兵衛に借りがあったからである。紋次郎は幼いとき、本百姓の長兵衛の家で、時々食い物にありついていた、とある。

「それらを口の中に押し込んでいるときが、何よりも幸福であった。子ども心にも感謝したし、恩を忘れまいと思った。だから頼まれなくても紋次郎は、仁左衛門(長兵衛の父親)のところの牛を洗ったり、犬の死骸を片付けたりした。」
(原作より抜粋)

紋次郎は幼いときからすでに、恩義を感じそれに報いようとする精神が宿っていたのである。紋次郎のコアな部分を垣間見る思いであり、「三つ子の魂百まで。」とも言えるのではないだろうか。

第21話「 命は一度捨てるもの」(前編)

さてテレビ版で紋次郎を待ち受けていたのは、お鶴の亭主である「大徳屋 佐之助」であった。原作では四十年輩でなかなかの貫禄、とあるが、テレビ版の佐之助はもっと高齢で、六十過ぎといった違いがある。このお鶴と佐之助との年の差が、原作のストーリー展開との違いに繋がる。

大徳屋は奈良井宿で、問屋場の長を務める実力者である。テレビ版ではあまり触れられていないが、この大徳屋は、奈良井のひのき細工、曲げ物を総括する元締めで、宿場にとっては無くてはならない人物なのである。
大徳屋は自分の女房に頼まれて紋次郎を呼び止め、是非とも家に立ち寄って欲しいと丁寧に頼む。
こんな宿場の大物に「あなた様は、木枯し紋次郎さんでいらっしゃいますか?」という言葉を掛けられることは滅多にないことである。
紋次郎はその場を去ろうとするが、番頭から「おかみさんは、紋次郎さんと米粒の話をしたいと仰っています」と言われ、足を留める。「お鶴」と「米粒」で、紋次郎はお鶴のことを思い出したのだろうか。目の前にいないお鶴であるので、確認のしようがないが、テレビ版の紋次郎はとりあえず会ってみようと思ったのか、大徳屋と共に奈良井宿に向かう。
その姿を見送るように、三人の浪人が木の陰から姿を見せる。この浪人たちは、あとで関わりが出てくる。

大徳屋の敷居を跨ぐ紋次郎。店の奥から出てきたのは、お鶴であった。
お鶴役に「新谷のり子」さん。新谷さんは歌手で、「フランシーヌの場合」という反戦をテーマにした歌を1969年にヒットさせている。なぜ、女優を使わないで歌手の新谷さんなのだろう……と当時、思った記憶がある。
着物姿はなかなか美しいのだが、演技がぎこちなく、原作のような小悪魔的な妖艶さは感じられない。せめて原作どおり、唇の右脇にホクロがあってほしかった。

お鶴は「紋次郎さん、お鶴ですよ。上新田のお鶴坊です。紋次郎さん。」と、紋次郎を見つめて呼びかける。紋次郎はそこで「お鶴さん……」と、思い出したように呟く。そして、お鶴から上がってくださいと言われ、紋次郎は何の躊躇もなく腰を下ろし草鞋を脱ぐ。

そのあたりの展開が、私は納得いかない。請われたからといっても、堅気の、それも問屋場の長の家に上がり込む紋次郎だろうか。ここは紋次郎、固辞してほしかった。
そのとき、お鶴は口許を押さえて座り込む。気分が悪くなったようであるが、いつものパターン。つわりである。どうしていつも、ドラマでのつわりシーンはワンパターンなのだろうか、と思うが仕方がない。

佐之助は紋次郎を離れに通して深刻な表情で話をする。
「お鶴は身ごもっているが、実は自分の子どもではない。もうこの歳だから子どもはできないが、跡取りは欲しい。お鶴とも相談して、ある男の子種を買ったのだが、その男から礼金百両の上、五百両という大金を強請られている。何とかしてもらえないだろうか。」というのである。
原作とは違う展開である。

若い嫁に男をあてがって、身籠もらせる。……前シリーズ「和田峠……」の逆バージョンである。「何だかなあ……」といった感じ。お鶴を抱く男の姿は、後ろ姿なので誰かはわからないが、何となく見当はつく。
自分の女房が男に抱かれ悶えている姿を、襖一枚越しに苦渋の表情で亭主が見ているなんて、悪趣味きわまりない。
この悪趣味ぶりが「新……」では時々見られるが、お茶の間で親子で視聴するには毒が強すぎる。このあたりもいけません。

男から五百両を強請られていることをお鶴は知らず、佐之助は独断で紋次郎に頼んでいるようである。何とかして欲しいと言ってはいるが、結局暴力でカタを付けて欲しいということである。またしても紋次郎は利用されそうになる。
テレビ版の紋次郎は佐之助の頼みを断る。

「あっしには関わりのねえことでござんすよ。」

「新……」で、この台詞を口にすることはほとんど無かったので、今回は珍しい。
紋次郎はさっさと部屋を出て行くのだが、佐之助は必死で呼び戻そうとする。

「紋次郎さま!」

紋次郎が堅気衆から「さま」扱いを受けるのは初めてではないだろうか。堅気の者というのは、渡世人や無宿者には概して冷たく毛嫌いするが、利用するときになると「さま」扱いになると見える。

大徳屋を後にし、宿場内を歩いている紋次郎に次に声をかけたのは、長兵衛である。続けさまに幼馴染みに声をかけられるなんて、紋次郎にとっては不運であろう。是非とも自分が働く旅籠に泊まってくれ、と誘う長兵衛。今夜は旅籠「高砂屋」に泊まって、明日大徳屋のお鶴と三人でつもる話をしよう、と言うのだ。

暖簾越しにカメラが、二人の姿を捉えている。紋次郎の横顔からは、明らかにうんざりした表情が見て取れる。「暖簾越し」の撮影という手法はなかなか面白く、視聴者が店からのぞき見をしているような感覚になる。
「先を急いでいる」「旅籠に泊まれる身分じゃない」と断るも、長兵衛は腕を抱えて歩き出す。
そして道すがら、自分の身の上話をし始める。紋次郎は全く興味なし。この身の上話は原作とほとんど同じであるが、江戸で間違いを起こし、男を殺めてしまった。その男の親が仇を討つといって、自分の命を狙っているので助けて欲しい、と付け加える。長兵衛……お前もか……(笑)。しばらくここに留まって守って欲しい……というのである。
腰を下ろしている紋次郎の遠景に三人の浪人姿……茶屋で姿を見せていた例の三人。長兵衛の命を狙う者たちか……と思わせてはいるが……?

原作には強請られている大徳屋、命を狙われている長兵衛という設定はなく、これはテレビ版だけの展開である。
「噂じゃおめぇ、滅法強いっていうじゃないか。幼馴染みじゃないか。」と頼む長兵衛。
「長兵衛さん、あっしは手めぇ一人生きるのが精いっぱいで、とても他人様のことまで……」と断ろうとする紋次郎の言葉を遮って、長兵衛は紋次郎が貧しく幼かった頃のことを話し出す。
空腹で道に倒れている紋次郎に、タクアンと握り飯を持ってきてやったという昔話である。紋次郎は無表情だが、遠い目をする。思い出しているのだろうか。
「ごめんよ、こんな話をして……」と長兵衛は謝るが、恩に着せている何ものでもない。

軒灯に灯がともる頃、結局紋次郎は高砂屋で泊まることになる。相部屋ではあるが、旅籠に泊まるのは珍しいことであろう。不思議なのは、高砂屋にあの浪人たちも宿泊しているようで、こちらを窺う影が見える。(中編に続く)

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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(前編)

お夕さんの書かれたところまでを鑑賞しました。

「紋次郎がどの時点で長脇差を抜くか」
これは、おっしゃる通り、紋次郎を描く上で重要なポイントです。
ここを見れば、監督がどんな目で紋次郎を見ているかわかる、と言っても過言ではないでしょう。
といっても、原作でのラスト、ここで紋次郎が刀を抜いたのは、それでいいのかと個人的には疑問なのですが…。

旧作にあったように、抜き身を提げた敵が大勢居ても、鞘でやりあったり、合羽を腕に巻き付けてそれだけで応戦したりし、決して自分から好んで人を斬らない。
私は、これでこそ紋次郎だと思います。
「帰って来た木枯し紋次郎」で、上条恒彦浪人に絡まれた時、落ちてる木切れで応戦するのを見て、「やっぱり市川監督だ!」と嬉しくなったものでした。

吾市、「仮面の忍者赤影」に出てきた紅影さんなんですよね。
昔、赤影が好きで見ていた者としては、多少複雑な思いが。

今回の話、原作どおりに作っていたら、現在では児ポ法に抵触して、再放送できないかもしれませんね。(笑)

  • 20120624
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(前編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

更新が遅いので、TOKIさんの鑑賞も遅くなりそうで申し訳ないです。
義理立てしねぇで、先に行っておくんなせぇ(笑)。

ラストの件は、後編までお待ちください。(長いなあ……)

紋次郎のシリーズも、後半は斬る人数も減りますよね。
笹沢さんも、考えるところがあったのでしょう。

「赤影」……懐かしいです。
吾市さん、ご出演だったんですね。
赤影の髪型がちっとも乱れないのが、子ども心にも不思議でした(笑)。
ガマガエルのでっかいのが出てきたのが、記憶に残っています。
あの頃は忍者ブームでしたね。
当時の私の手袋は、「忍者部隊月光」の絵が描かれていましたっけ。
多分おねだりして、買ってもらったんでしょう。

  • 20120624
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(前編)

竹林の写真は、野宿をした朝の様で、想像力が働きます
映像では、女郎を買い会話するシーンなど、子供と一緒に観る事は出来ませんね
「検閲」が必要です(笑)


前半読んでいて、早く後半の先生を口説き(喋りはせずに)、根負けし、背負われて到着。
治療を始めると、紋次郎が小間使いさせられ、先生の一言で話が急展開するこの回も推理小説の様で、見ごたえがあります

中半・後半が楽しみです

  • 20120629
  • makkun4 ♦v8iNFFOw
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  • 編集 ]
Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(前編)

makkun4さま、コメントをいただきありがとうございます。

清廉な竹林は、気持ちのいいものですね。
特に京都の竹林は綺麗で、大好きです。
この写真も、京都の亀岡にある小さな神社です。

この後の玄斎先生、いい味を出していましたね。
「口は災いの元」の格言、身にしみます。

  • 20120629
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(前編)

今日再放送を見ました。
赤影が大好きで出演されているとあったので楽しみに見たのですが・・・・・あの吾市が赤影ですか?ほんとうですか?????==:

Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(前編)

papiさま、コメントをいただきありがとうございます。

赤影さんは、坂口祐三郎さんという俳優さんで、涼しげな目力が採用のポイントだったようです。ホント、格好良かったですよね。

お尋ねの件ですが、吾市さんを演じられた千代田進一さんは、紅影役でした。シリーズの終わりの方で出演されていたようです。(私も、あまり覚えていないのですが……)
「赤」とか「紅」とかややこしいですよね(笑)。
よく他の時代劇にも出演されていたと思います。

「新……」もあと僅かになってきて、寂しい限りです。
今度はいつ再放送をしてくれるのかなあ……。

  • 20140909
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(前編)

ご返事ありがとうございます。
やはりあの赤影ではなかったんですね^^;
赤影は本当に忍者界のジャニーズ、今でしたらう~~~ん(じつはジャニーズを余り知らない)亀梨君?!
紋次郎の魅力とはまたちがうものをもっていました。
仮面のしたの目は本当に魅力的でしたが、当時小学生の私…どんな思いで見ていたのでしょう^^;
再放送あと3回……帰ってきた…や江口紋次郎もついでに再放送してくれないかなぁ

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