紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)
(原作 第35話)(放映 1978.2.22)
水辺に座る、お鶴と紋次郎。このロケ地、今回は幾度となく出てくるが、スタッフもお気に入りだったのか。それともロケ地移動の時間と経費を、惜しんだのだろうか(笑)。

「やっぱり私の頼みを聞いてくれたんですね。」
「あっしはただ、義理を果たしただけでござんすよ。」
「それだけじゃないでしょう?」
その後お鶴は、幼い頃の三日月村でのことを話し始める。

あの頃は、紋次郎のおかみさんになるんだと心の中で決めていたこと。そのために恥ずかしいこともした。、肌を見せつけたりもした。わたしのここ(胸)に初めて触れたのも紋次郎さんだった……と言って、紋次郎の手を胸に押しつけるお鶴。紋次郎、明らかに困惑気味。
「胸に触れた?!」何もわからない者にとっては、「えーっ?そんなことあったの?」であるが、原作ではお鶴のことを「ひどく早熟であった」と書かれてある。

「上新田のお鶴坊は、ひどく早熟であった。紋次郎を物蔭に誘い込んで、まだふくらんでいない胸を触らせたり、笑いながら股を開いて見せたりした。……そのお鶴は、幼いときから器量よしであった。いまに水呑みでもお鶴のお蔭で楽が出来るようになると、上新田ではもっぱらの評判だった。お鶴が娘になったら玉の輿に乗るか、大金持ちの囲い者になるかだと、誰もが決め込んでいたのである。」(原作より抜粋)

しかし申し訳ないが新谷さん、あまりにも演技が稚拙過ぎて、どうしても違和感がぬぐえない。歌手業の方だから仕方ないのかもしれないが、原作のお鶴を彷彿とはできない。原作のお鶴は、もっと妖艶に紋次郎を誘う。

「いってぇこれは、どういう意味でござんすかい?」(テレビ版)
「いってぇ、何の魂胆があってのことなんですかい」(原作)

どちらも立ち上がって、お鶴を拒絶する紋次郎。それでこそ正しい紋次郎サンです。よかった……。

テレビ版でのお鶴は紋次郎に、「寂しい、心細い」「強い男に縋りたいもの」「江戸に連れて行って欲しい」「お金なら飛脚問屋に三千両ある」「こんな田舎は飽き飽き」と言って、極めつけは「江戸に行ってふたりで暮らそう」である。こんな田舎って……奈良井宿は三日月村に比べたらずっと都会じゃないですか。
「私をどこかへ連れて行ってくださいバージョン」は以前にもあったが、久々に同窓会で出会い、懐かしさでポッとなりよろめく女のようである。それにお鶴さん、お腹の赤子はどうするおつもりなんで……?

テレビ版の紋次郎の台詞「どういう意味?」のお鶴の答えは、「昔ちょっと好きだった男を口説いて、この状況から抜け出したい」である。お鶴は、身籠もった相手の男が大徳屋を強請っていたことを知らなかったという設定のようだから、それ以上深い策略はなかったと思う。

一方原作のお鶴の魂胆は……?については、どんでん返しのところで考えたいと思う。

さて、どちらのお鶴も簪に米粒をぶら下げている。紋次郎が七つか八つのとき、拾った米粒に針で穴を開け糸で通すという細工に興じたことがあった。それをお鶴にあげたらしく、その米粒を後生大事に結びつけているという。
幼い頃の淡い気持ちを、二十年以上抱き続けていたというのだろうか。それが本当なら、お鶴の本質は純情な女といえるが……どうなのだろう。

映像では、幼い頃の紋次郎とお鶴が登場する。紋次郎はさておき、お鶴ちゃん、お世辞にも器量よしとは言えない(笑)。真っ黒の顔に乱れた髪の毛、貧しさは十分表現できているが、原作の雰囲気とは随分違い、早熟どころか幼なすぎる。

「遠い昔のことなんでござんすよ」
紋次郎にとってはそれ以上の言葉はないし、感慨もない。

この後、テレビ版の紋次郎と玄斎のやりとりはかなり面白い。紋次郎は高砂屋の女中に呼び戻される。
長兵衛が伏せっている部屋には玄斎がおり、紋次郎をしかりつける。

「どこへ行っておったのだ!おまえは!」
「あっしはこれで、お暇しようと思いやして……」
紋次郎は頭を下げて、申し訳なさそうな様子。

「出立する?馬鹿を申すな!」
玄斎は紋次郎の三度笠と長脇差をすごい勢いで取り上げる。
紋次郎はその剣幕に全く押され気味。

「このワシを、福島くんだりからわざわざ引っ張り出しておきながらひとりで出立?!」
玄斎、今度は紋次郎の道中合羽をグイッと引っ張る。
「こうなったらお前も、始末を最後までよくつけなきゃならん!
ワシの手伝いをして、病人が良くなったらワシを背負って福島まで送り届ける!」

玄斎の言い分ももっともである。あの貫禄と凄みのある紋次郎が、玄斎の前では校長室に呼び出された学生のように見える(笑)。
紋次郎は玄斎の助手となり、指示通りにせっせと働く。二人は長兵衛の看病に徹夜までする。

それにしても、笹沢氏の漢方薬や医術の知識はかなりのものだと感心する。当時の史料を元にして書かれているのであろうが、専門的である。ちなみに姫四郎シリーズでは、ブッラク=ジャック顔負けの様相を呈している。

第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)


夜が明けて、長兵衛は回復して熱も下がる。玄斎と紋次郎は並んで朝飯を食べるのだが、ここで久々に紋次郎食いが見られる。
長兵衛は紋次郎に礼を言う。

「幼馴染みってのは本当にありがたいもんだ。二十年前、食べ物を恵んでやったなんて変な話をして悪かった。今度は命拾いをした。お前は命の恩人だ。ありがとう。」
紋次郎は無言である。

ここで長兵衛は高砂屋の主人から、大徳屋を殺した下手人を知っているのは長兵衛と吾市だけ。知っていることをみんなに話してくれ、と頼まれる。

長兵衛は「吾市はどうなりましたか?」と聞き、誰かに殺されたことを知る。そして、なにも話さずに死んだのか、と主人に尋ねる。
そのやりとりを紋次郎と玄斎はそれとなく聞いていたのだが、この短い会話が重要なのである。

高砂屋に押しかける宿民たちを前にして長兵衛は、下手人はもうこの世にはいない。それは吾市だと告発する。みんなは一様に驚くが、玄斎がおもむろに異議を申し立てる。

それは長兵衛の「どうなりましたか?」に引っかかっているのだ。「吾市はどこにいますか?どうしていますか?」ではなくて、「どうなりましたか?」。尋ね方がおかしいというのだ。
まるでどうかなるのを予見していたかのようだ、と言うのだ。それに吾市が殺されたと聞いても全く驚かず、何も喋らなかったかを確認している。
吾市じゃなく長兵衛が下手人じゃないのか、と推理してみせるのである。

このどんでん返しを、全くの部外者が短時間で推理して明かす。一見風采の上がらない、常田さん演じる玄斎だが名推理である。長兵衛さん、「口は災いの元」である。

長兵衛は顔色が変わりあわてふためく。
宿民たちは「長兵衛だ!長兵衛がやったんだ!」と騒ぎ始める。長兵衛は逆上して「殺してやる!」と、玄斎の胸ぐらを掴みかけるが同時に紋次郎が飛びかかる。

「幼馴染みの長兵衛さんよ。土砂降りの中、あっしに食わせる鯉はどこにあるんですかい!」(テレビ版の台詞)
紋次郎、やはり鯉にこだわっていた(笑)。
大徳屋を殺したのは長兵衛で、それを見ていた吾市も口封じに殺した。子種を餌に大徳屋を強請ったのも長兵衛だ!と玄斎に続き、見事な連係プレーである。しかし子種のことまで宿民に発表してもよかったのだろうか(笑)。

テレビ版ではクライマックスでの殺陣が必要なので、ここで浪人たちが出てくる。もしかしたら、クライマックスのために逆算して、浪人たちを今まで生かしておいたのかもしれない。
浪人たちと紋次郎の殺陣は、あまり目を見張る趣向はなかった。

ところで長兵衛は紋次郎に出会ったとき、江戸で殺めた男の親から命を狙われて…云々と喋っていたが、それはこの浪人たちを指しているのかもしれない。うまく事が進み、最後に雇った浪人たちを紋次郎に始末させよう、と考えていたのではないだろうか。そんな話をして、紋次郎を引き留めようとする展開は原作にはない。

テレビ版の長兵衛は、原作よりかなり罪が重い。
原作ではお鶴と通じていて、横流しを密告する。それを目撃された吾市を浪人たちに頼んで殺す。

テレビ版では、子種の件で大徳屋を強請る、大徳屋と吾市を自分の手で殺す、紋次郎を騙して雇った浪人たちをも始末してもらおうと企てる、紋次郎のために鯉を捕りに行ったと嘘をつく(笑)。
ここまで重罪にしておかないと、最後に丸腰の長兵衛を一刀両断で殺せないと考えたのだろうか。

長兵衛は紋次郎に震える声で言う。
「お前には俺を殺せねぇよ。三日間かかって助けた俺を、半日で殺すってのかい?俺を殺したら、この三日間の血の滲むようなおめえの努力が水の泡になるんだぜ。
それでも俺を殺そうってのかい?」
「それでもあっしははおめえさんを斬りやすぜ。」
「なぜなんだよ!」
「あっしには言い訳なんぞござんせんよ。」(テレビ版の台詞より)

原作でもほとんど同じような台詞であるが、「言い訳なんぞ……」は口にしていない。この台詞をどうしても入れたいがための展開のようだが、この台詞回しはあまりいただけない。紋次郎の方から、「斬る!」と宣言することに違和感を覚える。

「おめえは死ななくちゃならねえ人間だぜ。」
この台詞を「雪燈籠に……」で、紋次郎は政吉に言っている。
実の伜である幼子、「秀坊」を手にかけた政吉に対しての台詞は、私は納得できる。

「昔、食い物をさんざん恵んでもらったという借りがあるのに、恩を忘れたか!」と原作の長兵衛は叫ぶが、「この三日間で借りは返した。」と答える紋次郎。
実際この三日間の紋次郎の働きは、凄まじいものがあったと思う。昔の長兵衛に対しての恩返しは終わり、今、目の前にいる長兵衛は全く別人と考えているかのようだ。

「長兵衛を、殺しちまえ!」「嬲り殺しにしろ!」といきり立つ宿民たちをバックにし、「嬲り殺しよりは、楽でごさんしょうよ」と長脇差を振りおろす紋次郎。リンチで殺されるより、ましな引導の渡し方とでも言うのだろうか。

テレビ版の長兵衛の台詞にもあったが、もし宿民が長兵衛を怒りにまかせて嬲り殺しにしたら、宿民に罪が科されるのは必至。それより、地縁のない流れ者の紋次郎がバッサリ殺る方がいい、と言うことで、紋次郎自らがその役を引き受けたかのようにも思える。

しかし、どちらにしても丸腰で、戦闘意欲のない男を手に掛けるというあたりは私は好まない。せめて、懐に隠し持っていた脇差で紋次郎に襲いかかる長兵衛を、斬り捨てる紋次郎であって欲しかった。

事の成り行きを見ていたお鶴の正体も釈然としない。
原作ではお鶴と長兵衛は秘密裏で繋がっていて、共謀して大徳屋を陥れ身代を乗っ取るつもりだったという設定である。
では、紋次郎を誘惑したお鶴の思惑は何だったのだろう?紋次郎は長兵衛に、「お鶴さんはあっしにまで、色目を使いやしたぜ」と言葉をかけたが、この企みの主導権はどちらが握っていたのだろうか。それともただの色情狂だったのだろうか。

テレビ版のお鶴は長兵衛の子種を宿すことにはなったが、長兵衛が大徳屋を強請っていたことは知らなかったようだし、共謀したとも考えられない。
私としては、お鶴は悪女であってほしかったので、原作の展開の方が好きである。
幼馴染みのしがらみのためでなく、吾市を見殺しにした償いのため、苛酷な試練に耐えた紋次郎のほうが好きである。そしてその苛酷な三日間を、あっさり無駄にしてしまう紋次郎は潔い。

「生き返らせておいてすぐ殺すとは、わしも無駄骨を折ったし、お前さんの三日間の苦労も水の泡となったな」と言う玄斎に
「命ってのは、一度は捨てるもんでござんす」と無表情で答える紋次郎。
そして、立ちつくすお鶴の簪に揺れる、糸に繋いだ米粒。幼馴染みとの決別の意味を込めて、楊枝を飛ばして落とす紋次郎。これも紋次郎が作って、自ら壊す。

生あるものは必ず一度は死ぬもの。出会った者は必ずいずれ別れるもの。まさに「生者必滅 会者定離」である。それが早いか遅いかで、さほどの違いはないのかもしれない。

幼馴染みと相まみえて、命のやりとりをするのは「夜泣石は……」での弁蔵以来……。

「幼馴染みが、やがては果たし合いかい」
「世の中ってモンはそんなモンでぇ……」
幼馴染みが、長い年月を経て再会することの残酷さがあった。

紋次郎にとって、幼馴染みは何の意味も持たなかった。振り返る過去があり、懐かしい思い出があってこそ幼馴染みの良さがある訳で、紋次郎には全く関わりないものであった。
いや考えてみれば、第一作目「赦免花は散った」での幼馴染みの裏切りから、紋次郎のシリーズが始まったのであるので、この結末は当然と言える。

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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

ああやっぱり、同じ点を疑問に思っておられたんですね。

本来の紋次郎は、ただの無頼の徒とは違う、明確な一線が存在していました。
世の中における自分の存在を、卑下しすぎるくらいに見て、自分自身を縛る規律を作り、馬鹿正直なくらいにそれを守る。
けれども、この頃の原作では、この一線が時折かなり薄れてきておりました。

紋次郎が長兵衛を斬るには
・長兵衛が、かなり悪どい人殺しを働いている
・その確固たる証拠がある
・挙句に紋次郎の命まで取ろうとする
・まず長兵衛が紋次郎に刃物で襲い掛かり、紋次郎は鞘で応戦する
・もしくは「あっしは堅気の衆に向ける長脇差は持っちゃおりやせん。けれどもおめぇさんは…」のセリフを入れる
と、ここまで条件を揃えてからにして欲しいです。

原作では誰一人殺していない長兵衛を変更し、旦那と吾市を殺した悪人という設定にしたTV版は評価したいです。
ただ殺人の動機が不明で、大徳屋を殺したら500両が手に入らなくなるんじゃないの?という疑問が残りますし、鯉の一件も、どこかに居るかもしれないし、捕れなかったのかもしれないし、長兵衛の返答を待つべきでした。

「命ってのは、一度捨てるものでござんす」という言葉は、紋次郎の身代わりとなって業火に飛び込んだ越堀の浜蔵や、もう自分の生き甲斐が失われたと錯覚して引き受けた30対1の決闘へ出向く小仏の新三郎が口にするのなら分かりますが、人の命を奪った側の吐くセリフではないでしょう。
また、「言い訳なんぞござんせん」を口にすれば何をしても済まされる、などと思ってる紋次郎は、少年時代の私が憧れた紋次郎では断じてありません。

今回の写真も美しいですね。
絶妙の構図で、情感が本当に豊かです。
舟の有るロケ地は、嵯峨の罧原堤 だと思います。
昔はここで春にひなたぼっこし、大地に寝そべったり、繋いである舟でパイプふかしたりするのが年中行事だったんですが、現在は護岸工事でかなり変わってきてます。

  • 20120708
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

この作品はテレビ版も原作も、釈然としない部分がありますね。
大徳屋を訴えても殺しても、得をするとは思えないんですよね。
長兵衛の狙いはなんだったのでしょう。

米粒を大事に残していたお鶴も、紋次郎のことをどう思っていたのかわかりません。幼心に好意を持っていたとしても、ずっと紋次郎のことを思い続けていたとは思えません。

紋次郎のことをというより、紋次郎を含めた三日月村の思い出の一つとして、米粒を持っていたのではないでしょうか。
お志乃が紋次郎に、吹き鳴らし方を教えた楊枝をずっと持っていたことと似ているようにも思います。

紋次郎が、いくら悪党でも、堅気で丸腰の長兵衛を殺すことはやはり納得いきません。笹沢さん、どうしたんでしょうねえ。
ラストの畳みかけるドンデン返しのためかもしれませんが、紋次郎の愚直なほどの贖罪の姿とあまりにもかけ離れていると思います。

写真についてのおほめの言葉、恐れ入ります。
素直に、嬉しいです。

  • 20120709
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

こんにちは
まずこの写真、いい雰囲気ですね
我が町の「手賀沼」も汚れてはいますが、写真に似ています
手賀沼はこの雰囲気を醸し出し、紋次郎の舞台になった事のある沼です

さて、後半ですね
先生が紋次郎をあれこれと指図して看病する映像は、まさか人嫌いで通す設定が、ここまでやるとはびっくりでしたね

長兵衛復活の苦労も、先生の一声で急展開
こんなに一言の重みで、変わってしまうのは、さすが笹沢先生
、鋭い所をキーポイントにしていると、感心しきりの一言です

お夕さんの「口は災いの元」とは仰る通りですネ
村人達の集団リンチより、自分が殺して罪を被ると云うくだりも作者の言いたい事を鋭く突いた読みですね、共感します

ラストの米粒を繋いだ糸を、吹いた楊枝で切れるのか?
と言う疑問はともかく、昨日も明日もない紋次郎に、幼い貧乏だった過去と再び裏切られた結末で、より孤独感の増す回だったと思います


  • 20120712
  • makkun4 ♦v8iNFFOw
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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

makkun4さま、コメントをいただきありがとうございます。

手賀沼のお近くにお住まいなんですね。
私は琵琶湖の近くに住んでおります。
水辺の夕照は、殊のほか美しいですよね。
水郷もあり、和船が観光客を乗せて行き交うのも、なかなか風情があります。

玄斎先生の助手としての紋次郎は、なかなかの働きぶり。
足を洗って転職してもいいのでは?(笑)、と思えるほどの息が合ったコンビでしたね。往診するときは、絶対お呼びがかかるとか……(笑)。

もとより、故郷には何の未練もない紋次郎ですが、幼馴染みがろくでもない奴等ばかりなのも哀しいものです。

  • 20120712
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

殺人の動機、容赦ない切り方は、紋次郎にとって、たった一つの地縁、幼馴染を悪用した裏切り、無理やりに当時の恩義、義理を思い出させらた後の、どうにもならない空虚感、憤りにその要因があるように思えます・・・。「命は一度すてるもの」の言葉も、無駄骨を折ったのセリフの後ですから、命というのは、どんな経緯を辿ろうと、いつかは必ずなくなるものというような意味合いでしょうか・・・。〆「お夕さん、命もですが、昔馴染みというのもいつかは断ち切られるものなんでしょうかねぇ・・・」

  • 20120716
  • いなさ ♦-
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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

お夕様

 お久しぶりです。こちらでは初めまして。「本と映画」の管理者です。
 紋次郎が長兵衛を殺したのは、なぶり殺しにされないための最後のやさしさ(義理)だったのではと、原作を読み直してみましたが、無理がありました(^^;)。

 全体的に見てテレビ版に分があるなと。ご指摘の通り、よりあくどいし、降りかかってくる火の粉を払うという感じになりますしね。

 裏読みになりますが、冒頭の雨の部分は作者の「さあ、どう展開させようか」という迷いみたいに感じました。
 長兵衛かお鶴のどちらかが実は善人という設定の方が良かったのでは?と思ったりします。
 玄齋先生という推理もするユニークな人物(キャラ)もいるので、傑作になり損なった印象。
 
 奈良井宿の写真、いい雰囲気出てますね。紋次郎が歩いているのが想像できます(^^)。 

  • 20120716
  • Gplan ♦-
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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

いなささま、コメントをいただきありがとうございます。

紋次郎が長兵衛を斬る件は、やはりみなさんいろいろお考えなんですね。
紋次郎がどんな心境で、長脇差を振り下ろしたのか……。
考え始めると、きりがありませんね。
この回だけでも、「朝まで生テレビ」ができそうなくらい(笑)です。

幼馴染みを斬り、米粒の糸を切り、紋次郎は過去との縁を切りたかったことだけは、確かです。

  • 20120716
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

Gplan さま、ようこそおいでいただきました。
また、コメントをいただきありがとうございます。

今回の見所は、やはり玄斎先生の存在でしょうねぇ。あのキャラ立ちは、原作もテレビ版も素晴らしいと思います。
玄斎先生は助演男優賞ですね。

お鶴や長兵衛については、紋次郎の幼馴染みという付加価値があるものの、インパクトはイマイチ。
同じ宿場に、二人も幼馴染みがいるということも、何となく不自然ではあります。

シリーズもこれほど長く続くと、設定や展開を考えるのも大変でしょうね。
一家離散した紋次郎の兄が、出てこなくて良かったです(笑)。

  • 20120716
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

「証拠無しの推論を突きつけられても、真犯人は『証拠を見せろ』と言わない」
これはドラマのお約束として割り切るものなんでしょうか。(笑)

古谷金田一も「ボクの推理によると、犯人はあなたでなくてはならないのです。」とよくやり、真犯人は「さすがは探偵さん。よくぞそこまでお見通しで。」と、あっさり認めてしまいます。

紋次郎も、この場は自分が刀を持っていて相手が無腰でしたが、逆の立場の「桜が隠す嘘二つ」。
あの場で、真犯人がムキになって取り乱したから良かったものの、「てめえ、何の証拠があって!」と言われてたら、紋次郎は生きちゃあおりやせん。

>一家離散した紋次郎の兄
「顔役の養女」に出てきた弁蔵ですね。
(同名の幼馴染も「夜泣石」に居てましたなあ)
「紋次郎は、すぐ上の兄から出生の秘密を教えられた」ということなので、この男が教えたというわけなんですか。

  • 20120720
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

科学的捜査ができなかった江戸時代ですと、自白が一番の決め手になるんでしょうねぇ。
遠山の金さんが花吹雪を見せても、シラを切ったらいいような気がしますが……。
でも、拷問にかけられて吐いちゃいますかね(笑)。

「桜が隠す……」の紋次郎サンの度胸は、大したもので
した。
罪を犯した者は、動揺を隠せないという設定ですが、私
なんかきっとテンパってしまってしどろもどろになり、
無実なのにナマス切りになりそうです(笑)。

確か出生の秘密を聞かされてから、紋次郎サンは喋らな
い子どもになったはず。罪な兄ですなあ。

  • 20120721
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

新谷のり子さんってお名前、よく覚えてますよ。そう。「フランシーヌの場合」というタイトルと一緒に。
(考えてみると変なタイトルでした。(^^;;)
彼女が紋次郎さんに出ていたなんて初耳でした。

それから、ここにある写真に出ている百草とか奇おう丸とかの薬の看板。どちらも今も現役で、九子んとこにもおいてありますよ。
こういうのが残ってるって、本当に凄いと思う。

それにしても紋次郎って人は、壮絶な生い立ちを送った訳ですね。幼馴染すらも信じられないなんて。

それなのに生き様が美しいのは本当に不思議ですよね。蓮の花みたいなもんでしょうか?

Re: 第21話「 命は一度捨てるもの」(後編)

九子さま、コメントをいただきありがとうございます。
フランシーヌの場合は~♪あまりに~もお馬鹿さん~♪
ですよね。

当時は反戦運動が盛んで、反戦歌も流行していましたっけ。
敦夫さんと新谷さんは、親交があったのかもしれませんね。

昔の薬の看板があるんですか?
さすが、老舗でいらっしゃる!
あの看板って、すごく手が込んでいますし、量産はできないし、値打ちがありますよね。

紋次郎が信じることができる人間は、唯一姉のお光さんだけ。でも、もうこの世にはいない……哀しいですよね。
紋次郎の後ろ姿に哀愁が感じられるのは、原点にその現実があるからかもしれません。

紋次郎の生き様の根底には、お光さんの存在があったと思います。
自分が生きているということだけが、お光さんと繋がっている証になるわけですから、卑怯な生き方はできないはず……。
無様な死に方より、無様に生きる方が良しとしないんでしょうね。

  • 20120801
  • お夕 ♦wikz35BA
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