紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第14話 「水神祭に死を呼んだ」

第14話 「水神祭に死を呼んだ」

第14話 「水神祭に死を呼んだ」
(原作 1971.7月) (放映 1972.4.29)
原作では第5話になる。
渡世人の末路とはどういうものなのか……紋次郎はいつも自覚しているのであるが、今回は自分を投影するような老渡世人が出てくる。

原作の設定では4月15日、放映日もほとんど同じ時期でめずらしく花があちこちに見える。紋次郎の世界のイメージは荒涼としたものであるので、できるだけ撮影にもその雰囲気を出すようにしている中で珍しい。ラストシーンに山桜が印象的に出てくるので、必要ではあるのだが……。
アバンタイトルでの最初のシーンが山桜の花、これはラストシーンと呼応させている。
次に、諸肌を脱いで山水で身体を拭く紋次郎の姿がある。原作にはないシーンである。

ところで、映像で見る紋次郎には不潔感というものが一切感じられないのはなぜか……、こういうシーンが功を奏するのである。このほかにも映像の中では、川で顔を洗う、口をすすぐ、塩で歯を磨く、体を拭くなどのシーンが結構出てくる。
もちろん主演の「中村敦夫」氏の端正な容貌の良さが、大きな比重を占めるのは言うまでもないが、身につけているものがどんなにすり切れ汚れていても、不潔なイメージには結びつかない。

白い木蓮の花とお美和の顔、お美和の清純さをイメージさせる。
話の展開はほとんど原作をなぞっている。
茂左衛門の頼みをいつものように断る紋次郎。「あっしはめんどうなことには関わりたくねえんで」
原作とほとんど同じセリフであるが、この作品ではじめてこの言葉を発する。未だ決めセリフとしては確立していないらしい。

紋次郎の前に急に現れる若い渡世人、洲崎の佐吉役に「寺田農」。いかにも軽薄そうな若者を上手く演じている。ちなみに第24話「女郎蜘蛛が泥に這う」では千代松役で再度出演する名脇役である。
茂左衛門(人斬り伝蔵)役に「田崎潤」。貫禄十分の名優である。原作よりかくしゃくとし、言葉遣いにも武家上がりを思わせるような丁寧さが見られる。
佐吉からも「人斬り伝蔵」の話を聞かされる。噂が噂を呼び、伝説の人斬りになっている伝蔵だが、紋次郎の噂も広まっているようである。
原作はまだ5話目であるが、テレビ版ではすでに14話。視聴率も深夜でありながら、20%を超える勢いだったという。佐吉が「頬の傷とくわえ楊枝」で紋次郎と分かるあたり、如実にそれを表している。原作での紋次郎は自分で名を明かしている。

紋次郎が、人形師の惣助から五十両を頼まれる件は、原作とテレビ版では若干違う。
テレビ版では、惣助の今際の頼みで引き受ける紋次郎である。この件は「地蔵峠の…」「大江戸の…」「龍胆は…」でお馴染みであるがこの後もよく似た設定が出てくる。
因みに惣助役の俳優は「湯煙に…」の金吾役の方。
原作では、死の直前の頼みではないが引き受けている。

「惣助が命を賭けて、女房のお敬の自由を願っていることが、紋次郎の胸にしみたのである。それに紋次郎にとっては、他人からこれほど信用されたのは初めての経験だった。
どこの馬の骨ともわからない渡世人に、五十両という大金を預ける。渡世人はそのまま、五十両を持ってどこかへ消えてしまうかもしれない。…中略…堅気の人間なら、紋次郎には一両だって預けたりはしないだろう。渡世人同士にしても、同じことだった。信じられるのは、自分だけである。自分以外の者は、信じない。その代わり、誰からも信じられない。それが渡世人紋次郎の、これまでの生き方だった。
 だが、惣助は違った。知ったばかりで、まだその名前さえ聞いていない紋次郎なのに、惣助は頭から信じきっていた。必ず届けてくれと念も押さずに、紋次郎に五十両を手渡したのであった。そのことも、紋次郎が惣助の頼みを引き受けた理由の一つになっているのである」(原作より抜粋)

原作ではまだ5話目なので、「甘いな」という感じである。胸にしみた、初めて信用された経験……人間らしさがまだ残っている時期だったのか。テレビ版では第14話。すでにかなり騙され、裏切られ、人間不信の塊になっている紋次郎であるので、今際の際の頼みだから引き受けたか。

「惣助さんはあっしにとっちゃ行きずりの人だが、今際の際に頼まれた使いを果たす気になったのは、まあ渡世の意地ってもんでござんした」(ドラマより)

しかし原作でも結局、その後惣助は殺されてしまう。
テレビ版は単に「渡世の意地」という漠然とした言葉で表しているが、五十両の重みが原作とは違うように感じる。

第14話 「水神祭に死を呼んだ」


佐助と別れ、お敬のいる宮田に急ぐ紋次郎。小料理屋「福茶」から出てきたお敬役に「赤座美代子」。ほぼ原作通りの容貌とセリフ回しである。よく見るとえくぼがかわいい女優さんであるが、それだけに人を小馬鹿にした言いぐさが憎々しい。
原作では自分はだれに何と嘲笑されようとも、腹は立たない。人間らしい感情もなく、結局は拒絶される渡世人は、大抵の仕打ちには馴れている、としている。

「しかし、惣助が哀れだった。それを思うと、紋次郎の胸のうちも冷たくなった。惣助は紋次郎を信じきって、五十両の金を預けた。お敬はそれを、間抜けた渡世人だとして嘲笑した。惣助の気持ちは、すべて無視されている」(原作より抜粋)

紋次郎は自分を嘲笑されて立腹しているのではなく、自分を純粋に信じてくれた惣助の真心を踏みにじられて心が冷たくなったのだ。自分のことより、自分を頼りにした惣助のことを考える紋次郎に、私は人間としての限りない優しさを感じる。
自分はどんな仕打ちにも傷つかない、自分の事を思う心は死んだも同然だから……。
しかし、自分というフィルターを通して汲み取った純粋な人の真心が、正当に報われなかったことに立腹しているのだ。
原作では「お敬の背後には、徳太郎がいる。やはり徳太郎を敵に回すようにできているらしい」とこの時点で自覚して、伊那宿の方へ引き返す。お美和や茂左衛門のことが気になったからである。

テレビ版では、お敬の店を出て徳太郎一家の前を通り過ぎ歩く紋次郎に、目的は感じられない。しかし途中で茂左衛門にバッタリ出合い、お美和が掠われたことを聞かされ、宮田に戻りこの件に関わることを選ぶ。
「あっしは自分自身に訳あって、気が変わったんでさあ」
と、茂左衛門の問いに答える紋次郎。
この後宮田宿の徳太郎の住まいを訪ね仁義をきる。この時の作法に則った姿や発する声は、実にかっこよくて堂に入っており、貫禄さえ感じる。

話は宮田宿、大田切神社、伊那宿と目まぐるしくあちこちに舞台が移動するので正直、方向音痴の私は訳が分からなくなってしまう。
原作にはない、茂左衛門の心臓の持病。老いと病持ちという設定である。実際、紋次郎の小説も回が進み、齢を重ねた設定のシリーズでは目を痛めたり、心臓に違和感を持ったりする。いつかは紋次郎も、老いて病持ちになるのかと思うと切ない。

テレビ版では紋次郎は馬を操れるようであるが、原作にはない。紋次郎はいつ、乗馬を習得したのか?とつっこみを入れたくなるが、サービスシーンということで許そう。中村氏は確かこの時点では馬には乗れないと思うので(足の怪我が完治していない・乗馬は未だ習得していない、 「水滸伝」の撮影で乗馬を習得するので)このシーンは、吹き替えである。(これ以上つっこむのはやめる)
茂左衛門は馬に乗り、紋次郎は韋駄天走りで麦藁船を追いかける。走る紋次郎の足もとには、一面に咲いた黄色いタンポポの花。既出だが、やはり花のイメージが見える。放映日と撮影時が、かなり接近していることを実感する。

この麦藁船は実に良くできていて、大道具さんの仕事ぶりはすばらしい。あれだけの船を作るのに、一体どれだけの労力と費用がかかったかは想像するしかないが、制作費が縮小されている現在では難しいのではないかと思われる。このリアルさが作品の完成度を高めるのであり、テレビ番組といえど決して手を抜かないスタッフの心意気を感じる。

テレビ版での宮田の徳太郎役は「南原宏治」。髭が頼りなく、貫禄をあまり感じない。お敬は倒れかかる徳太郎の長ドスに刺されて命を落とす。原作では、斬られた徳太郎ともつれ合って川に流され消える。早春とはいえ川に流されるシーンは、やはり女優には酷と思われたか。

しかし茂左衛門はお美和を助けるため、水をもろともせず船に近づく。回り込んだ瞬間足が滑って、全身水に浸かる茂左衛門。あれは演技ではなく、実際足を滑らせたと思う。回り続けるカメラ、熱演する田崎氏、リアルな映像だと感じた。

ラストシーンは、「茂左衛門!茂左衛門!」と泣きながら取りすがるお美也と、紋次郎に看取られて息を引き取る「人斬り伝蔵」。
原作よりはずっと余韻が残るのは、やはり「田崎潤」の演技のせいか。原作通り、山桜の花を楊枝で落とし刀傷の残る胸に散らす紋次郎。
ここでエンディングかと思われたが、紋次郎はお美和と言葉を交わす。

「茂左衛門さんも務めを果たして、十五年間の堅気の生活に死に花を咲かせた訳でござんすんね」

「あっしは訳あって、徳太郎とはこうなる因縁でござんした」

「あてのない旅でござんすが、先は急ぐものと決めておりやすんで、御免なすって……」

2回目の「訳あって」の言葉だが、「訳」とはやはり、惣助の真心に報いようとした紋次郎なりの仁義の通し方なのだ。
この回は噂が先行する「人斬り伝蔵」と、名もない人形師「惣助」の死に様に自分を重ね、想いを馳せる紋次郎の姿が見える。

あてのあった一日が夕闇の中に消え、またあてのない紋次郎の旅が始まる。

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Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

いつもながら現代のドラマには見られない人間くささですね。
昨今のドラマにリアリティが感じられないのは、
我々視聴者がまねをして面倒を起こすのを防ぐための作り手の配慮でしょうかね?
「嘘っぽいなぁ~」としらければ、決して真似はしませんから。
な~んてことはないでしょうね。

  • 20090619
  • マイタ ♦B2BsuZNw
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Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

マイタさん、コメントをいただきありがとうございます。
最近のテレビや映画は、規制がいろいろと厳しいようですね。すべてをクリアして作り終えたらホントにクリア過ぎて、無色透明・無味乾燥・人畜無害(笑)な作品になったりして……。
なんだかなあ、って感じですよね。
真似をしてバカなことをしようとする輩は、どんなに嘘っぽいことでも真似したがるもんですけどねえ。

  • 20090620
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

お夕様。初めてコメントします。前から拝読はしてたんですけどね。「饒舌は人を感動ささない」と言いますが、紋次郎は普段が寡黙なだけに、その発する一言にたまらなくシビレます。(*^_^*)

  • 20090620
  • sinnosuke ♦GZgNVSBU
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Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

sinnoskeさま、コメントをいただきありがとうございます。お近づきになれて嬉しいです。
紋次郎のセリフには無駄がなく、簡潔ながらも的を射ており心に響きますねえ。
紋次郎の作品は、どの哲学書より人生の糧になると思っています。

これからもよろしくお願いします。

  • 20090620
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

お夕さん、こんにちわ。
中村紋次郎が笹沢原作の容姿の表現と唯一違うのは「無精髭がうっすらと伸びている」の所でしょうか。これが黒澤明監督であったら、原作より無精髭が伸びていたかもしれません。
市川監督の美学がここでも感じられます。楊枝を刀で削る場面があるので、視聴者はきっと顔を洗う場面に連想して、剃刀で丁寧に髭を剃るシーンも容易に想像できるのだと思います。
敦夫さんは私が見た出演作全てで、吹き出物や髭剃り負け等の肌のトラブルを見た事がありません。歯並びも、更に言えば首に皺もなく綺麗で、この清潔感が、ギラギラした男臭さではない、サラリとした男の色気を感じさせて女性ファンの支持を得たのでしょう。髭が濃い体質で無くて良かった~(笑)
今でこそ韓流男優が「陶器のような肌」と賞賛されているようですが、敦夫さんは時代を先取りしていたんですね・・・というか、肌や歯の清潔感には相当気を使っていたのだと思います。
唯一残念に思うのは、花風鈴さんも書かれてましたが、第2シーズンぐらいから見られたメガネの痕です。
拙ブログの「35年ぶりの紋次郎」で書いた、やけに体を拭くシーンや、入浴シーンが多いなと感じるのは私だけでは無かったようですね。

  • 20090623
  • おみつ ♦aiP0wTO2
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Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

おみつさん、コメントをいただきありがとうございます。
無精髭を排除したのは、やはり正解ですね。
原作では彫りの深い顔で、病的に青白かったとありますが、映像で観る紋次郎は青白いとは思えません。従来のベッタリ白塗りのドーランではなく、茶色のドーランを使用して日焼けした顔をつくった、と「俳優人生」に書かれている通り、こちらも正解だったと思います。(田宮二郎さんなら青白い顔も似合うのかもしれませんが)
とにかく魅力的で、女性ファンの支持は圧倒的だったんですね。
清潔感というのは、いつの時代でもやはり重要ポイントですものね。
男の色香は漂わせても、悪臭を漂わせるのはやはりNGです。

  • 20090623
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

こんばんは。今、笹沢佐保氏の告白的自伝「詩人の家」を読んでいます。一部、引用します。
「貴様なんか、刑務所へ行け!死刑になればいいんだ!」父の怒鳴る声が三郎(笹沢氏)の耳の奥に蘇る。その通りになるのだと思えば、気が楽であった。もうどうなろうと構わない。最初から生まれて来なかった人間だということにすれば、別に大した事ではなかった。この世で頼れるのは、自分だけなのである。自分以外の人間を頼っておいて、裏切られたと嘆くほど、愚かな事はないだろう。信じて頼れるのは自分だけ。その自分に裏切られた時は、自分と心中すればいいのであった」

読んでいて、余りに切なく、泣けて来ました。そこに紋次郎その者が存在していました。紋次郎は笹沢氏自身なんですね。

  • 20090626
  • sinnosuke ♦GZgNVSBU
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Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

shinnosuke様、コメントをいただきありがとうございます。
笹沢氏が不幸な少年期を過ごしたことは、やはり作品世界に色濃く出ていますね。特に父親との関係が、酷かったようですね。
今の世の中も虐待が増え、「生まれてこなければよかった」と感じる子どもが多いことに胸が痛みます。
子どもの頃に親から受けた行為は、人生を左右するほど重大で、人格形成上の影響が大きいとされています。自暴自棄になる人も多く、転落の一途をたどる人の割合も多いようです。
紋次郎と笹沢氏は、「頼れるものは己だけ」と自分を信じ、自分を律することができた強い精神力の人だと思います。

  • 20090627
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

話題を変えてしまいますが失礼いたしますm(_ _)m
わたしは手拭いが大好きなんですが、ドラマの中で頻繁に出てくる柄の手拭いがあります(この回にも切り餅50両×2を包んであります)→http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/edo-noren/cabinet/00130896/img55723145.jpg?_ex=400x400

わたしもこの手拭いはお気に入りなんですが、出てくるたびに『おぉっ♪』と思います。小道具さんのお好みだったのでしょうかね・・。

Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

重ね重ね失礼いたします。
切り餅25×2=50両・・でした。。。

Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

お夕さん、わたしはどうやらとんでもない勘違いをしてしまったようで・・・例の手拭いが出てくるのは第13話『見返り峠・・』だったようです。何度も申し訳ありませんでしたm(_ _)m

Re: 第14話 「水神祭に死を呼んだ」

ケンシロウさま、コメントをいただきありがとうございます。

映像に出てくる小道具……いろいろと気になりますね。
私もお梶姐さんが持つ長キセルが欲しくて、修学旅行のお土産屋さんで、買った覚えがあります(笑)。

和柄モノは私も好きで、最近は和柄の布製ブックカバーを集めています。
やはり渋めの柄を選んでしまいます。

持ち歩く巾着袋は、紺の縦縞に赤い布が一本入っている和柄です。
なぜこの柄かは、もうおわかりですよね。

  • 20110624
  • お夕 ♦wikz35BA
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