紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」
先を進みますと、見事な栃の木が群生しています。断崖の斜面にしっかり根をはって、太い幹は堂々としています。「木祖村天然記念物鳥居峠トチノキ群」の碑も見られました。
紋次郎もこの栃の木々を見上げたのでしょうか。いつも、うつむき加減に先を急いでいますから、気づかずに素通りだったでしょうね。
群生している中で、「子産の栃」と呼ばれている一際大きな木があります。

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

昔この穴に捨て子がありましたが、子に恵まれない村人が育てて幸せになったと伝えられています。なるほど、こぶ状のところに、ポッカリと穴が開いています。赤ちゃんならスッポリ収まりそうです。

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」


御嶽神社の鳥居です。「鳥居峠」の名前は、峠の頂上に鳥居があるところから付けられたそうです。境内にはたくさんの石碑や神像が並んでいて、厚い御嶽信仰を感じました。天気がいいと遠くに御嶽が見えるそうですが、当日はかすんでいて見えませんでした。
鳥居や石灯籠は傾いていて、「危険」と記された縄が張られていました。
いつから傾いたのか、気に掛かります。

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

神社を過ぎて少し下った所に「丸山公園」があります。芭蕉の句碑がたくさんあり、木曽谷の文学的環境の高さがうかがえます。

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

足元に、野生の菖蒲がひっそりと咲いていたのが印象的でした。

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

ここから、藪原宿が展望できます。

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

しばらく九十九折りの山道を下っていきますと、石畳の道。その後はカラマツ林を抜けます。

山里におりましたが、道の両側はすっかり現代風の家屋ばかりで、当時の面影は見当たりません。中山道と飛騨街道の追分周辺も新しい住宅地です。
この界隈は中山道と飛騨街道の合流地ですから、当時は賑わっていたことでしょう。ちなみに飛騨街道を進み、境峠や野麦峠を越えますと、高山に至ります。

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

元旅籠の「米屋」さん。創業1608年とのことですから、中山道の旅籠では最古ではないでしょうか。
建物は1884年の大火後、須原宿から移築された建物だということです。
現在も旅館業をされているのでしょうか。

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

藪原宿本陣跡です。20室を越える部屋、番所や馬屋等もあり、木曽11宿中最大規模の本陣だったといわれています。皇女和宮さまも宿泊されたとのことですが、今は面影はありません。

この藪原宿は何度も大火に見舞われているようです。

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」


これは元禄8年(1695年)藪原宿大火後に築かれた防火高塀の石垣跡です。この石垣を基礎にして、上に土塀を設け火事に備えたということです。宿民の火事に対する備えや工夫があったようです。

さてこの藪原、現在は「やぶはら」と呼ばれていますが、「五街道細見」では「やごはら」となっています。「死は遠い空の雲」でも「やごはら」とルビがふっています。いつから「やぶはら」になったのでしょうか。
「藪原宿」は人口が1500人、人家が266戸、旅籠屋が10軒と記されています。
この藪原宿の貸元が「富五郎」で、紋次郎の命を狙う沖之助たち四人が訪れて、仁義をきります。富五郎一家の者との作法のやりとりが、リアルに書かれていますが、これは「田村栄太郎」氏の著書を参考にされたのではないかと思われます。
手元に田村栄太郎著の「江戸やくざ研究」という本があるのですが、それには「楽旅」「急ぎ旅」、「仁義の口上や作法」などが細かく再現されています。この本は1964年に出版された「やくざの生活」から抜粋し、再編集したものですので、笹沢氏が参考にされた確率は高いと思います。

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」


「お六櫛」を扱う店や「塗り物」の看板、水場など、当時の風情を感じながら駅へ向かいます。
宿場通りの終わりに高札場の跡がありました。ここも跡を記しただけで、奈良井宿のように高札場を再現しようという動きはなさそうです。

「藪原駅」は無人駅でした。4時台の奈良井に向かう電車は1本だけ。それを逃すと5時台はなく6時過ぎになります。乗降客が少ないために本数も少なそうです。

奈良井宿に比べると当時の宿場の様相は薄く、観光客はほとんどなく静かでした。たった一駅違いの宿場ですがこの違いは大きく、分岐点はどこだったのだろうと思いました。
共に旅人を迎えて賑わっていた、峠をはさんだ二つの宿場。
分水嶺を流れる水の如く、時の流れと共に変容していき現在に至るのでしょう。

紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

藪原駅から奈良井駅までは、鉄道で行くとたったの5分。あんなに苦労して峠越えをしたのが、たったの5分とは……。
二つの宿場の変容だけでなく、昔と今の旅の様相があまりにも違うことに愕然としました。
タイムマシンから降り立ったような、錯覚を覚えたプラットホームでした。

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Re: 紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

あっしは旅は一人旅と決めておりやす。
が、20年以上前、中山道を歩いた時は同行者が居りました。
馬籠から妻籠、南木曽まで歩き、藪原で宿泊したのが、その「米屋旅館」だったのです。
建物は古くても手入れが行き届き、上級旅籠といった感じでした。
翌日は鳥居峠を越えて奈良井へ行く予定でしたが、同行者にかなり足の疲れが出てしまいました。
紋次郎さんのようにおぶって行くという選択肢は無しでした。
もちろん、「無縁仏」みたいに、誰かに同行者を背負ってもらう、というのも無しでした。

で、電車で奈良井まで行ったのですが、お夕さんの書かれている通り、アッという間に到着して、こんなのでいいのかなあと思いました。(笑)

豆餅…じゃなかった「反魂丹の受難」でも、奈良井から藪原へ歩いてましたね。
ここでも振り仮名が「やごはら」となっており、誤植かなと思ってました。
後年、ネットの時代になって検索したら、昔はこう呼ばれてたということを知り、ネットも無い時代の作者の取材力に驚かされました。

なおこの話では、「山と川が景色の主役となる木曽路は、何度往来しようと紋次郎を郷愁に誘うようであった。」と書かれています。
感情が死に、郷里への思い入れなど持たない紋次郎をして、そう思わせるとは。
きっと作者自身が歩いて、この風景に強く魅せられたんでしょうね。

  • 20120723
  • TOKI ♦nhNJg39g
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  • 編集 ]
Re: 紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

さすが兄貴、若い頃にもうこの街道は歩きなすったんで……。
お見それいたしやした。

「米屋」さんの敷居も跨がれたんでござんすね。
あっしが通りかかったときは、看板を下ろされてやしたんで、もしかしたらもう旅籠業はやっておられねぇのかもしれやせん。

昔から続いている家業を継ぐということは、なかなか難しいとお見受けいたしやす。
昔の旅籠に泊まることが、最近のマイブームになっておりやす。
どうか同業の方々、がんばっておくんなせぇよ。

中山道の中でも「木曽路」は、特にようござんすねぇ。
紋次郎兄貴には、一番似合う街道だと思いやす。
険阻な街道であるがゆえ、旅人にとっちゃあ、宿場のありがたさもひとしおだったでござんしょうねぇ。
もっとも紋次郎兄貴は、人恋しいなんて感情はなかったでござんしょうが……。
誰にも会わず、一人黙々と歩く事ができる街道が、良かったのかもしれやせん。

  • 20120724
  • お夕 ♦wikz35BA
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  • 編集 ]
Re: 紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

お夕さん、ご無沙汰致しておりやした。5月から百姓に転職致しましたケンシロウにござんす。甲州追分のすぐ脇に居を移して早三ヶ月、毎日忙しい日々を過ごしておりやす。テレビも持ち込まず、ネットもまだ開通していないシンプルな古民家での生活ですので、いまはなかなかこちらに草鞋を脱ぐ事が出来やせんが、いずれまた改めて、こちらでの生活の仔細をお聞かせ致しやしょう。

ところで昨年の秋風の吹く頃だったと思いますが、あっしも『木枯し紋次郎 中山道を行く2』をポケットにいれ、愛車スーパーカブで塩尻~馬籠の旧中山道ぶらり散策に参りやした。
この時の最大の目的は『旧街道をゆっくり野宿旅しつつ、奈良井宿をめざし、鳥居峠から御岳山を望む』というものでした。
果たして御嶽神社に到着し、静かな境内で御岳山を眺めながらやおらバッグからハーモニカを取り出し『誰かが風の中で』のメロディーをそっと吹いてみました。

また今年も、木枯しの吹く季節には旅に出たいと思っておりやす。
それでは・・ごめんなすって。

Re: 紋次郎の影を追う「中山道 鳥居峠(後編)鳥居峠~藪原宿」

ケンシロウさま、お久しゅうござんす。

生業を変えられ、古民家暮らしをされているとは、露知らず……。
真似はできやせんが、羨ましい思いでござんす。
紋次郎兄貴も一時は、足を洗って堅気になろうか……という回もござんしたので、何となく頷ける気もいたしやす。
自然が相手でござんすので、何かとご苦労もござんしょうが、お身体にお気をつけなすってお励みくだせぇ。

ケンシロウ兄貴も、鳥居峠を越えられたんでござんすね。
ハーモニカで吹く哀愁のメロディー……あっしも聴きとうござんした。

また、敷居を跨いでくだせぇ。
随分とお達者で……。

  • 20120725
  • お夕 ♦wikz35BA
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