紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)」

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)」

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)」
前回、前々回と鳥居峠の記事でしたが、その時お世話になったのはゑちごや旅館さんでした。
ゑちごやさんの創業は寛政年間ということで、200年以上この地で旅館業を営んでおられます。寛政年間といえば、紋次郎が生まれる以前です。紋次郎が奈良井宿を往来したときはすでに営業中。当時から続く旅籠はこの1軒だけです。
天保14年の記録では、旅籠が5軒とありますので、その内の1軒がゑちごやさんだったのでしょう。賑わった宿場にしては旅籠の数が少なかったのはちょっと意外です。

この旅館は一日に2組しか宿泊できないのですが、ラッキーなことに直前でしたが空室がありました。
宿場のほぼ真ん中、角地に位置するゑちごやさんの看板は時代を感じます。玄関を入ってすぐに目につくのが、壁に掲げられた講札です。安心して宿泊できる旅籠としての印ですね。
ゑちごやさんは旅籠業だけでなく、昔は漢方薬も扱っておられたということで「官許」と書かれた看板も見えました。「命は一度捨てるもの」の後編2枚目の写真をご覧ください。 

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)

次に店の間にある「旅籠行燈」。江戸時代の物だそうで、奈良井宿のあちこちに置かれている行燈の原型だということです。夕刻になるとこの行燈に灯が入れられ、旅人の郷愁を誘ったのでしょうねえ。
総檜づくりで、さすがに今は灯明ではなく電球です。周りの和紙は何回か貼り替えられてはいますが、つくりは当時のままで釘一本も使われていません。
ちなみに和紙に書かれた屋号の文字は、当主の手書きだそうです。

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)"

上がり框に腰を下ろします。三和土(たたき)土間は昔のままなんでしょうね。200年の間、一体何人がこの三和土を踏んだのでしょうか。
昔であればここで、桶に汲んだすすぎの水が出てくるのでしょうが……。すすぎの桶と言えば、「峠に哭いた甲州路」でのお妙さんを思います。健気に不自由な身体で水が入った桶を運ぶ姿。それを見守る紋次郎サンの優しさ……いいシーンでした。

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)

店の間の奥は昔、囲炉裏があったようで、名残の自在鉤と横木がありました。天井は煤で黒くなっており、壁には番傘が何本か掛けられていました。
女将さんの話では、油煙が水をはじくので、昔から囲炉裏の近くには番傘があったと言うことです。昔の人の知恵ですね。

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)

箱階段です。今も現役で使われていて、タオルなどが収納されていました。年季の入った木の光り工合がステキです。

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)

今回の部屋は奥の1階「薫風楼」と呼ばれるお部屋です。この旅籠は、島崎藤村・正岡子規・田宮虎彦・堀口大學・犬養木堂・西村天囚など文人や書家などからも愛された宿です。
この部屋からの眺めは風情があり、川を渡って山から清涼な風が流れてくるということで「薫風楼」と、ある文人が名付けたそうです。
「今は川が狭くなって、鉄道や国道が走り、風情が大分なくなったけど、昔はそれは素晴らしい景色だったんですよ」と女将さんが話してくれました。
「楼」という字が使われるほど、この部屋の風情に心を奪われたんでしょうね。

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)

八畳二間の部屋には、床の間や梁に宿泊した文人の掛け軸や額が飾られていて、静謐な雰囲気でした。調度品や器も手の込んだものや時代を感じるものばかりで、大切に保存してこられた思いが伝わってきます。

お部屋に通されてすぐに、九代目当主が直々にお茶をいれてくださいました。
小さな急須と茶碗でじっくりゆっくり用意してくださったお茶は「玉露」。
「お茶ってこんなに甘かったんだ!」と感動しました。
当主といってもまだ年若く、青年と呼ばれてもいいぐらいの方です。夕食の時は若女将も来られました。若いご夫婦で、この歴史ある旅館を継がれたんですね。
いろいろご苦労もあるかと思いますが、守り続けていただきたいと思います。

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)

廊下は、時の流れまでも磨き込まれたように美しく光り、坪庭も落ち着いた風情でした。

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)

決して華美ではありませんが、200年の日々が織りなす重厚な空間を感じました。

女将さんがお話好きで、昔の苦労話も聞かせていただきました。昔のままの設えですので、冬は本当に寒かったそうで、「なんでうちだけ、昔のままの家なんだろう。」と幼いときは恨めしく思ったそうです。
毎日の暮らしの中で、歴史ある家屋を守って行かなければならないという宿命。ご苦労もおありでしょうが、その風情を愛する人々、歴史的価値を認める人々がいる限り、続けていただきたいと思います。資料館などになる家屋もありますが、やはり旅籠は旅籠のままで現役であってほしいと思います。

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)

ゑちごやさんの近くに徳利屋さんがあります。今は、市の有形文化財に指定され郷土館になっています。蕎麦をはじめ飲食も提供されているのですが、昭和12年までは旅籠だったようです。江戸時代中頃には、代官の御用達商人をつとめ奈良井宿内では最有力の商人だったそうです。「五街道細見」にも、代表的な旅籠として屋号が記されています。
「命は一度……」では長兵衛が働く旅籠の「高砂屋」や、問屋場の長を務める実力者でひのき細工、曲げ物の元締めの「大徳屋」などを彷彿とさせます。

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)

紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)


ゑちごやさんに宿泊して、奈良井宿の夕景、夜景、早朝の風情を味わいましたが、どこを切り取っても本当に絵になる宿場です。私にとっては、至高の時間でした。
改めまして、ゑちごやさんをはじめ、宿場を守る方々にお礼を申し上げたいと思います。

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Re: 紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)」

ずっと読ませていただきながら「歴史秘話ヒストリア」で
渡邊あゆみアナウンサーのナレーションでも聞いている
気分でした。

古い家は懐かしいです。
私の育った福岡の家は、隣家の農家から買ったものでしたが、
そこの親父さんが生まれた家だったそうで、写真の
旅籠にいろんな面影を感じました。

内外の灯りは風情がありますね。
また中庭が渋い。
昔の日本建築はこんな贅沢をしていたんですね。
最近の鉄筋コンクリートの総合病院には必ず、このような
空間を設けていますね。
あのお起こりはこれか!と思ったところです。
その横の磨き込まれた廊下、これが福岡の家の随所に
ありました。

私は箱階段はテレビでしか見たことがないです。
一番下の写真、まるで山形の庄内映画村オープンセットみたいですね。
こんな素敵な空間でのんびりしたいものです。
いや、ネット上でも十分満喫できました。

  • 20120801
  • 小父さん ♦-
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Re: 紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)」

昨日ざっと読ませて頂いてコメントし忘れてしまって(^^;;、そうしたら今日は新しい奈良井宿のえちごやさんのお話が出ていてラッキーでした。

すごい旅館ですね!
紋次郎さんが実際に泊まってた可能性もあるなんて・・。

1日2名に良く当たりましたね。
わたしも行ってみたいけど、くじ運わるいからどうかしら?

長野からならそんなに遠くないんだものね。是非一度行ってみたくなりました。
お夕さん、ありがとう!

Re: 紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)」

小父貴さま、コメントをいただきありがとうございます。

歴史のある、日本家屋はいいですねえ。
土間があると夏は涼しげに感じます。
奥行きのある家屋は、風がよく通り、座敷でゴロンとお昼寝をしたくなりました。
日本の風土にあった造りは、機能面だけでなく、坪庭という自然美も取り入れられていて、先人の美意識を感じます。

洋風のオシャレな家も素敵ですが、この歳になると、やはり日本家屋が肌になじむようです。
幼いときの記憶も甦り、長い夏休みのゆったりした日々を懐かしく思います。

  • 20120801
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)」

九子さま、いらっしゃいませ。
コメントをいただきありがとうございます。

紋次郎サンは「命は一度捨てるもの」で、奈良井宿の旅籠に泊まります。
もしかしたら、この越後屋さんだったりして……(笑)。

越後屋さんは、以前NHKで取材に来られ、長期にわたり調査が実施されたそうです。
学術的に貴重な発見があったということですが、その間は営業もお休みだったようです。
奈良井宿を代表するような老舗の宿命でしょうが、名誉あることですね。

九子さんも機会がございましたら、是非お泊まりくださいね。

  • 20120801
  • お夕 ♦wikz35BA
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旅籠

おはようございます♪

奈良井宿・越後屋、懐かしいですね。
お夕さんはご存知でしょうか、その昔、サントリーウイスキー・オールドのテレビCMで外国の男性が、行灯の灯りに重そうな革の旅行鞄を店先に降ろし、暖簾越しに声を掛けます。外国人特有のイントネーションで「スミマセ~ン」
そこにあの有名なオールドのCM曲「夜が来る」が被ります。
そのロケ地が越後屋と知ったのは、ずっと後の事です。

しかし、さすがお夕さんですね、調査・取材がしっかりしています。
越後屋の今昔を余すところなくレポートしています。
今は若夫婦が跡を継いでいるのですね。
妻籠宿の「松代屋」も数年前にお世話になった時、若夫婦が迎えてくれました。
料理が今風に変わったのは、世代交代の流れですから仕方ないですね。
これからも古き良き時代の情緒を伝えて行って欲しいですね。
久しぶりのカキコに長々と駄文を連ねてしまいました、ゴメンなさい。

いつもありがとうございます。
では、又♪

Re: 紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)」

ぶんぶんさま、コメントをいただきありがとうございます。

オールドのCM映像……覚えてますよ!ここで撮影だったんですか?貴重なエピソードを教えていただきありがとうございます。

市川監督が、オールドやレッドのCMを手がけておられたので、もしかしたらこちらにもおいでだったかもしれませんね。
郷愁を誘うあの映像を観ると、誰もが旅に出たい……と思いましたね。

越後屋さんでのお料理は、多分当時と近いものだったと思います。当時といってもどの時代かはわかりませんが……(笑)。
少なくても創作料理なるものではなく、地元の旬の食材での郷土食でした。
使われていた器が、会津塗りの時代モノばかりで、このあたりもさすがでした。

また、事前に「鯉の甘露煮」をメニュー以外にお願いしていたのですが、ご無理をおききいただき、用意してくださってました。
おいしかった……!

やはり、色気より食い気……というオチでしたね(笑)。

  • 20120805
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)」

こんにちは♪

お詫びです。
先日、サントリーのCMが奈良井宿・越後屋さんと
知ったかぶりで書いてしまいましたが、完全な勘違いでした。
あの後、気になって調べたところ、飛騨高山・中田屋さんと判明いたしました。
謹んで、お詫びして訂正いたします。
誠に申し訳ございませんでした。

では、又♪

Re: 紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)」

またまた、ゴメン!

中田屋ではなく、「久田屋」です。
恥の上塗りだな、すみませんでした。
混乱させて、大変申し訳ございませんでした。

では、失礼いたします。
とほほ・・・

Re: 紋次郎の影を追う「奈良井宿 越後屋 (ゑちごや旅館)」

ぶんぶんさま、コメントをいただきありがとうございます。

律儀にご連絡をいただき恐縮です。
そうですか、飛騨高山だったんですか。

私こそ勘違いや記憶違いばかりで、あちこちにご迷惑をおかけしております。
この場をお借りいたしまして、ゴメンナサイ!

そう言えば紋次郎サンも「木枯しの音に消えた」で、「田丸屋」と「村田屋」を取り違えましたっけ……(笑)。

  • 20120807
  • お夕 ♦wikz35BA
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