紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

(原作 第41話)(放映 1978.3.1)
金三郎は、水仕女のお鶴に手を出して、孕ましてしまった。だが、邪魔になって追い出してしまう。親元にも帰れず、酌女になった身重のお鶴。人殺しをして無宿人になった弥一郎。この二人が偶然にも出会ってしまい、弥一郎はお鶴から話を聞いてすべてを知る。やがてお鶴は女の子を生む。お鶴の願い通り、赤ん坊は「お鶴」と名付けられるが、産後の肥立ちが悪く命を落とす。弥一郎は身寄りのない赤ん坊を、苦労して育て上げ、いつかは十文字屋敷に連れて行くと心に誓う。

そしてその道中、テレビ版での弥一郎は崖から落ちているが、原作では違う。
原作では弥一郎は芝居を打つ。自分の足を自分で傷つけ、傷を化膿させる。お鶴に命じて崖を登らせる。誰かが通りかかったら、お鶴を十文字屋敷に連れて行って欲しいと頼み、お鶴を探させる間に崖から自分が落ちたように装う……という芝居である。その場に誰が通りかかっても良かったのである。
なぜ、そんな込み入った事をしたのか。

「……おれと一緒の流れ旅より鳩十(十文字屋敷の屋号)の娘として育ったほうがいいってのは当たりめえだ。だが、それもお前に邪慳に扱われるんだったら、お鶴坊が可哀相だ。それで一つ、実の父娘の血と情がどれほど濃いものか、試してやろうって気になったのさ」(原作より抜粋)

ここで言う「父娘の血と情を試す」の意味が今ひとつわからない。弥一郎本人ではなく、誰かにお鶴を連れて行ってもらい、実の父娘が涙の対面を果たすというはずだったのか。しかし、あまりにも無謀な賭けだったのではないだろうか。原作ではこの一芝居もドンデン返しだったのだ。
テレビ版はその芝居は削除して、掛け値なしのうっかりミスで崖落ちをしている。

テレビ版の弥一郎はお照を責める。
「この五年の間に心根もかわってしまったのか。せめてお前だけは、おれの子だと言ったら黙って受け入れてくれると思ったが、どうやら甘かったようだぜ。」
いや、五年も音信不通だった前夫から、急に「おれの子だ、引き取ってくれ。」と言われて「はい、そうですか。」と受け入れる方がおかしい。
しかしお照は、黙ってうつむいたままである。

金三郎はお鶴が自分の子だとわかっても、「あれは端から遊びだったんだ。あんな女が産んだ子なんか認めない。」と突っぱねる。
弥一郎は、「お鶴はおれが10年、20年かかっても立派に育て上げる。」とお鶴の手を引いて出て行こうとする。そのままスッと出て行けば修羅場は回避されたのだが、そうは行かなかった。お鶴がまたあの唄を口ずさむ。
「お月さま、いくつ~♪ 十三、七つ、まだ歳ゃ若いな~♪」
それも金三郎を上目で睨みながら……この童唄は、母親のお鶴がいつも口ずさんでいたのだ。

テレビ版での映像は、一挙に怪談もどきになる。唄うお鶴と、死んだお鶴の顔が重なり合う。BGMは不吉な曲想。下からのライティングが、お鶴の顔に施される。すっかり、怨み節になっている。

「鬼だ……鬼だ……この子は鬼の子だ!」
金三郎は、死んだお鶴の幻影を見たのか恐怖に駆られて狂ったように叫ぶ。
「殺せ、殺せ!このあにさんも、薄汚いこの子も、紋次郎も、みんな殺せ!」

奥からバラバラと唐吉たち一味が出てきて、殺陣となる。今回は動きが少なかっただけに、やっと来ましたか!という思いである。

しかし殺陣の時間は短かった。小物を使うでもなく、走り回るでもなく、あっという間に終わってしまった。
ただ、紋次郎をハッキリ映さず、黒いシルエット状になるように工夫はされていた。部屋の奥から逆光になるように映されているのだ。殺陣そのものはスピーディで、激しい感じはするし紋次郎の身のこなしもシャープである。ただ、合間に真っ赤な血しぶきが映し出されるのは、ちょっとびっくりした。
黒いシルエットと真っ赤な血しぶきというコントラスト。暖簾、白壁が血で染まるという映像は、「もうここでは酒は作れない!」と正気を失ったような金三郎の表情を裏付ける効果にはなっている。

原作の紋次郎もかなり激しいのは確かである。
首が落ちたり手首が飛んだり、逃げる男までも追って殺している。
なぜこんなに激しいのか。それは、お鶴の行く末を尋ねられた唐吉の答えが導火線になったからだ。
「おめえの知ったことじゃあねえだろう。まあどっち道、生きちゃあいられねえさ。おれたちが、もう十五両ほど頂いて、始末をつけてやるぜ」
この台詞に紋次郎の怒りは爆発し、激しい行動となって表出する。

さて、テレビ版の金三郎は我が子とわかっても「殺せ!」と叫んだが、原作は違う。
「行かせない。お鶴は、わたしの娘だ」
と、金三郎は我が子と知った途端にお鶴を抱きしめる。
そして刃を向けたのは、事情を知らなかったせいだと弁解する。

弥一郎は言う。
「おい、お照が恐ろしい目つきで睨んでるぜ。手めえが腹を痛めた子でもねえし、お前が昔の女の生ませた娘だってんで、その鬼みてえなお照がお鶴坊にどんな仕打ちをするかわからねえもんな」
お照……私は原作のこの女こそが鬼ではないか、と思う。
テレビ版のお照は男たちに翻弄される被害者であるが、原作のお照は、稀代の悪女である。

お照と金三郎は以前から、不義を働いていたのだ。そして前々から、一緒になって弥一郎を追い出したいと思っていた。たまたま、逢い引きした後の姿を弥一郎に見とがめられたお照は、咄嗟に奸計をめぐらす。誰にやられたかは言わないまでも、うまく誘導して、茂助が犯人のように印象づける。
弥一郎はお照の芝居に引っかかって、罪のない茂助を殺してしまい家を出る。家を出るように進言したのは金三郎。この二人の企みに、弥一郎は面白いようにはまってしまったのである。

第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

原作の弥一郎は金三郎に尋ねる。
「お前は、お鶴のことに、そんなに関わりを持ちてえのかい」
「当たり前だ」
「鬼が一匹、関わったか」
ここでタイトルの「鬼が一匹関わった」が出てくるのである。弥一郎は金三郎を鬼としているが、そうだとすると、私の勘定では鬼は一匹どころか二匹になる。
しかし、今まで一言も「鬼」という言葉が出ていないのに、急にここで鬼が一匹、と言うのも唐突ではある。

テレビ版の金三郎は、血のつながりがあろうが、水仕女ごときの娘など殺してしまえ!と叫ぶ血も涙もない鬼である。しかし原作の金三郎はこの時点で、弥一郎が試したいと言っていた血と情を感じたのではないだろうか。
実の父娘だから、関わりを持ちたくなったのである。少しはテレビ版よりは、人間的にマシかもしれない。
原作は「鬼」より、「関わる」の言葉に重きを置いたのかもしれない。

紋次郎は作兵衛に百文貸してほしいと頼まれたが、関わらなかった。
金三郎は、その言葉をそっくり返上すると言って、お鶴のことは何の関わりもないことだと当初は言い放つ。
唐吉はその言葉に続けて「……よく聞いたかい、関わりねえとさ。どうだい、他人からそう言われたときの気分は……」と、紋次郎に当てこすっている。

テレビ版では「鬼が一匹、関わったか」という弥一郎の台詞はない。脚本家さんは、タイトルに直結するこの台詞を、なかったことにしている。しかしこの台詞がなかったら、タイトルはどこから付けたのか、ということになるので「鬼」はやはり必要である。そこで、十文字屋敷を「鬼の棲み家」とお浜に言わせ、お鶴のことを「鬼っ子」と金三郎に呼ばせた。
原作では、お鶴の母親の恨み辛みがあまり前面に出ていないが、テレビ版はこの部分を一つの柱として膨らませた。

原作では、紋次郎に斬られた唐吉が金三郎に折り重なり、金三郎は命を落とす。はっきり書かれていないが、多分唐吉の長脇差が身体を貫いたのだろう。
弥一郎は懐中から黄楊の櫛を取り出し、お照の足元に投げる。
「あの晩、おめえが土間に落した櫛だ。どういうつもりか今日まで持ち歩いていたが、もう用はねえ」と言って、弥一郎とお鶴は街道に姿を消す。その櫛にお鶴は手を伸ばそうとするが、紋次郎の楊枝がはじき飛ばし、お照の手元から遠くに飛ぶ。お照には、その櫛を手にする資格がないとでも言うように……。

テレビ版での紋次郎は、血で穢されたこの地では酒がもう作れないと、うろたえる金三郎を置いて屋敷を出る。
お鶴と手を繋いで橋を渡る弥一郎を、お照が追いかける。
「待ってください、弥一郎さま。」と前に回り地面に跪く。
弥一郎はそこで懐から櫛を取り出し、「どういう訳だか今まで持っていたが、もう、用はない。」とお照の前に投げ落とし去っていく。弥一郎よ、お照のために殺人まで起こした恋女房だったのに、あんたも随分冷たいねえ、と思う。
うなだれて肩を落とすお照は、ここでも弥一郎に向かって何も言わない。お照は弥一郎を呼び止めて、本当は何を言いたかったのだろう。

「待ってくださーい!」
その前を走って来るお浜の姿。お浜は小さな風呂敷包みを手にしている。
「旦那さま、わたしを連れて行ってください!わたしに、お鶴ちゃんの世話をさせてください!」と頼み、三人は連れだって歩いていく。
その気配を、お照は背中で感じ取っている。先を越されたという感じである。

お浜とお照は対照的である。お浜は自分に置かれた状況を、何とか打破しようと思っている。そのために行動的である。紋次郎にも弥一郎にも、「私を連れて行ってください。」とはっきり口に出して言っている。そして結局、弥一郎とお鶴と共に旅に出る。
一方お照は何事も受け身である。これは原作と違い、金三郎に無理矢理、手籠めにされたという設定から始まる。相手が誰かを言えなかったことから、この受け身体質が確定してしまった。

三人はお照を置き去りにして去って行き、お照は黄楊の櫛を手にして立ち上がる。
十文字屋敷の立派な板壁と白壁……下からのアングルなのでその重厚さが際立つ。本当に、この摩気にあるお屋敷はロケ地としてうってつけである。
お照が屋敷をバックにしてゆっくり歩く。

「ひどい…私が何をしたって言うんだ、あのとき、手籠めにされたあと、私は心底詫びていたのに……。そのことをわかろうともしないで、人殺しまでしてしまって、馬鹿な弥一郎。
二人の女の心を弄んだ、馬鹿な金三郎。
人が忘れようとしていることを、わざわざほじくり返しにやって来た、お節介な馬鹿。
十文字屋敷に鬼の子一匹持ち込んで……お節介な、馬鹿……。」(テレビ版の台詞より)

お照の独り言である。お節介な馬鹿というのは、もちろん紋次郎である。紋次郎の後ろ姿が映し出される。薄情な紋次郎がお節介と言われるのは、初めてではないだろうか。
お照よ、なぜそれを本人たちに叫ばなかったのだ?と歯がゆい思いである。

封建的な大屋敷、骨肉の争い、跡取り、生まれ変わり、童唄、鬼、死神などのパーツを組み合わせ、テレビ版では死んだお鶴にスポットを当てて、怪談めいた怨念話に仕立てたが、私は原作の方が好きである。
原作のクライマックスは、連続して様々なことが明かされていくスピード感があり、幾重にもドンデン返しが用意されていたのに、テレビ版では全部明かしている。これでは、笹沢作品の魅力が半減である。

原作もテレビ版も、屋敷にお照が火を放つ。テレビ版のお照が火を付けるシーンは、お照の姿がスーッと横滑りに動き、一瞬だが怖い……幽霊的な動き(笑)。
紅蓮の炎の中、「私の十文字屋敷が燃える!」と叫びながら、金三郎は倒れ、その上に屋敷が崩れる。
焼け落ちた屋敷を眺めながら、お照の繰り言が始まる。ちょっとしつこいです、この繰り返しは……。原作とは違うお照という女の哀しみも、今回の柱であったのはわかるが。

一方お鶴たち一行は、幸せそうに道を行く。お鶴はお浜に新しい草鞋を履かせてもらう。履き古した草鞋は、今までの過去と一緒に道ばたに捨てられる。新しい生活が始まる暗示である。
結局今回の紋次郎は、楊枝を鳴らさず、飛ばしもしなかった。

紋次郎作品としての、いくつかのこだわりや鉄則が、崩れていることに違和感を覚える。
今回も前回と同じく、女が被害者にすり替わっている。「新……」シリーズでの脚色では、虐げられる女、お涙頂戴路線が随所に出てくるが、私としては悪女は悪女のまま全うして欲しかった(笑)。
そして、ドンデン返しはやはり明かさないで欲しい。これでは普通の時代劇と、何ら変わりがない。新シリーズも終わりに近づき、手詰まり感から作品の軸がブレているように感じるのは私だけだろうか。

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Re: 第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

お夕さん、お疲れ様です。
今回は、原作・テレビ版共に難解で、私など、どちらも数回鑑賞してもいまいち飲み込めないのに、それを比較しながら、見ていない人にも分かるように書かれるお夕さんの文章力、熱意に脱帽です。

今回の原作が読み難いのは、舞台の移動やアクションが乏しく、メチャ多い会話シーンから、ややこしい過去の出来事を読み解いて、自分の中に構築する作業にエネルギーを消耗する点にあります。

どんでん返しや種明かしで、鑑賞者は「そうだったのか!」と思わず膝を打ってこそ笹沢作品です。
が、クライマックスの弥一郎と金三郎の会話も、「ここでこんなこと言うかぁ?普通」と不自然なものが多く、引っかかりながら読むので、なかなか先に進まないのです。
お照が他人の子をどうするかわかってるのに、自分の足に傷までつける弥一郎の思惑も、理解しがたいです。
なんか、タイトルを先に思いついたので、そこに無理矢理結び付けようと作者が焦っている感じすら受け取りました。
おそらく監督も、担当原作を読んで頭を抱え、イチから話を作り直す時間が無かったのではないかと思います。

表題の「鬼」の意味ですが、私は、お鶴@子供のことか金三郎か、どっちなんだろうと悩み、こんな諺でも有るのか、と調べたりもしましたがそうでもなく、結局分からないままでした。
お夕さんの解説を読んだら、あれはモノローグで、金三郎のことに思えてきました。

>新シリーズも終わりに近づき、手詰まり感から作品の軸がブレているように感じるのは私だけだろうか。

いえいえ。
私などは、「新」が始まって最初の数回でブレを感じました。
というか、この頃の原作がかなりブレてるように私は感じるんです。
初期の頃の原作を読んだ後にこの時期の原作を読むと、なんか、つっかえつっかえしながらであまり進まず、1ページ読むのにかなり時間が掛かるのがよくわかります。
この感じは何かに似ている…と思ったら、そうだ!ラジオ体操第1をやったあとで、第2体操をやってるときの感じだ!
なんか頭で無理に考えた感じでスムーズに動けず、とってつけたような感触。

冷静に考えてみたら、目的を持たず、関わりをも嫌い、道楽もしない主人公なので、作れる話に制約が出てくるのは当たり前で、むしろ、そんな状況の主人公でこれだけの話を作り続けてきた作者に敬意を表するべきなんでしょうね。

  • 20120902
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

TOKIさまこそ、お疲れ様です。
いつもじっくり拙文を読んでいただいた上に、充実した内容のコメント……
本当にありがとうございます。

原作の、金三郎とお照の企みを明かす箇所は、ホント不自然です。限られた紙面上、二人の会話でしか進められなかったんでしょうかね。
金三郎が、ベラベラ全部喋ってしまうのも変です。

原作もテレビ版も、どちらもそれぞれ苦労の跡が見られます。
監督さんも脚本家さんも、大変だったろうと思います。
私なんか、構想を練っている間に「ギャー!」と奇声を発して、頭を掻きむしって七転八倒していると思います(笑)。

初期の頃の原作には、勢いがあったように思いますし、モチーフに新鮮味がありました。
紋次郎以外の渡世人は、一話限りだったり、シリーズであってもある程度の回を重ねたら終了でした。
しかし紋次郎だけは、途方もなく長い旅を続けましたので、ネタが尽きかけることもあったでしょうね。
紋次郎道を踏襲しつつ継続することに、苦悩されることもあったと思います。

読者は気楽でいいです。「ああでもない、こうでもない」と、無責任に評していたらいいんですから……。

「お前、えらそうに言うんだったら、一作でも書いてみろ!」と言われたら、平身低頭で許しを請いますね(笑)。

  • 20120903
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

こんにちは。

昨日いつもどうりの6時の時報とともに紋次郎が始まり水割りを片手に見ようとしたところへ旦那の同級生がやってきた!今日来ると聞いていたので7時に来るようにたのんでいたのに、メールを見ていなかった様子・・・・・・・もう!なんでよ!!!!!
しかたなくお酒の準備をする、TVを見ながら^^;
結局、二人の話し声で内容は聞き取れずでも、前日にお夕さんのブログで読んでいたのでなんとかわかりましたけど・・ありがとうございました!
録画すればとお思いでしょうが、DVDは再生専用だし操作もよくわからず(機械音痴)いつも知り合いに頼んでました。すぐに録画してと連絡したものの彼女も急なことであわてたようで、録画失敗・・・・・・==

紋次郎が女の子の世話を焼くところなど本当に切なくなるくらいぐっときますね。^^

追跡の撮影現場でも近所の子なのか、スタッフのお子さんなのかわかりませんが、あの子役ぐらいの女の子が敦夫さんによくなついていて敦夫さんもやさしく頭をなでたりしてあげてましたが、まさにそのときの表情でした!
なぜか子供に好かれるいや子供をひきつけるなにかを持っていらっしゃるようでござんすねえ

今日は邪魔がはいらず、ゆっくり見ることができるでしょう。
ではまたお邪魔します。

Re: 第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

その櫛にお鶴は手を伸ばそうとするが、紋次郎の楊枝がはじき飛ばし、お照の手元から遠くに飛ぶ。・・・原作ではそうなっていたんですね。

テレビ版でもそろそろこの辺で、楊枝が飛ぶ筈・・・だと思っていたのですが、お照さんは櫛を手に取りましたよね。

それはそうと、お夕さんの文章力はお世辞抜きでプロ以上ですね。

Re: 第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

papiさま、コメントをいただきありがとうございます。

リアルタイムで観るというのは、大変ですね。しかし当時は、毎週そうだったんですものね。見逃してなるものか!という、緊張感と集中力で、画面に見入ったもので、濃密な時間が流れていました。

今は、「まあ、あとで録画したのを観ればいいや。」と思ってしまうほど、作品に対する比重のかけ方が軽くなってきているように感じます。便利なのはいいのですが、それがいいのか悪いのか……どうなんでしょうか?

紋次郎作品の初期(もしかしたら、地蔵峠の……かもしれません)のロケ地で、撮影開始の待ち時間に、敦夫さんは子ども達と釣りをしていた……とのことです。子ども好きな一面を持っておられたんでしょうね。
実際、紋次郎も幼子に懐かれることが、何度かありましたし……。

水割りというのは、なんともオシャレですね。私はもっぱら、焼酎のロックです。

  • 20140910
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

Nicoさま、コメントをいただきありがとうございます。

「新……」では、楊枝の使い方が随分変わりましたね。紋次郎と楊枝は、切っても切れない関係ですので、脚本家さんもそれぞれ趣向を凝らされたと思うのですが……。
楊枝のメッセージ性のランキングなんかも、面白いかもしれませんね。

私の作文力のピークは、どうも小学生だったようです(笑)。クラス代表で、学校の文集に掲載されることになったことが、嬉しかったです。

  • 20140910
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

子供の頃に褒められたりすると、信じちゃいますよね。自信に繋がりますもん。自分が言われたのは「マッサージが上手いねぇ~」この一言ですっかり自信が付きました。

Re: 第22話「 鬼が一匹関わった」(後編)

Nicoさま、コメントをいただきありがとうございます。
子どもの頃、先生にしょっちゅう言われていた言葉……「やればできる子なんだけどね。」
結局、できる子にはなれず、できる大人にもなれませんでした(笑)。

  • 20140911
  • お夕 ♦wikz35BA
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