紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編<strong>)

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)
紋次郎が歩く街道には、制約がありました。拙ブログ、日々紋次郎「紋次郎兄貴の道中範囲」をご参照下ください。
http://kogarashi1940.blog10.fc2.com/blog-entry-17.html

ですから水戸黄門のように日本中を歩くことはできない訳で、限られた範囲を往来することになります。
何とか私の住まいする近くに来てもらえないか、と願ったのですが、叶いませんでした。一番近づいたといえば原作第96話「夕映えの嫁入り」でしょうか。「鈴鹿峠」という文言にドキドキしたものです。

「その渡世人は、鈴鹿峠を越えて来た。」から、この話は始まります。
「えーっ!もう越えちゃったの?!その手前の話はないの?!」(笑)
ご存知のように、鈴鹿峠は三重県と滋賀県の県境。鈴鹿峠を越えて来たということは、近江国に紋次郎が足を踏み入れていたということなんですね。土山宿か水口宿を通り過ぎたのでしょうか。うーん、残念。

この「夕映えの嫁入り」に出てくる土地を訪ねてみました。
紋次郎は鈴鹿峠を下り、「坂下宿」を通過します。

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

坂下宿は東海道五十三次の48番目の宿場でした。鈴鹿峠を越える旅人が必ず通る宿場ですから、大層賑わったそうです。家康や家光も休息したことがあり、参勤交代の大名の宿泊地として、江戸時代後半には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒、戸数は300戸余りという立派な宿場でした。

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

本陣は「大竹屋」「松屋」「梅屋」、脇本陣は「小竹屋」と言ったそうで、まさしく「松竹梅」。それに「小竹」とくると、「八つ墓村」を彷彿とさせます。今は跡地に石碑だけが残っています。

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

唯一松屋の門だけは、法安寺の庫裏の玄関として現存しています。門だけでも、往時の立派な姿が想像できます。

賑わいを見せた宿場も、今はその姿はなく、民家が数十軒という山間の静かな集落です。

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

この坂下宿は「夕映えの……」に出てくる、おせんの実家が近くにあるとされています。


その坂下宿から一里半で「関宿」です。

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

天保年間での記録では、戸数は632戸、住人は1942人、旅籠数は42軒、本陣、脇本陣はそれぞれ2軒ずつ、とあります。

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)


関宿は昭和59年に、国の「重要伝統建造物群保存地区」に選定されています。

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)


東海道では、ほとんど宿場町の原形をとどめない中、唯一当時の町並みが残されています。今も古い町家が200軒ほど軒を並べています。

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

最近は観光客も多く訪れ、隣りの坂下宿とは随分様相が違います。

紋次郎は、関の東の追分を右にそれて南下します。この街道は「伊勢別街道」と呼ばれ、伊勢に通じる参宮道です。

原作の季節は陰暦の九月半ば。稲刈りが終わり、田んぼには稲掛けが行われています。
楠原宿近くの田んぼで、紋次郎はマムシに襲われそうな幼子を、咄嗟にちょっと手荒な手段で助けます。

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

楠原宿は、次の椋本宿の補助的な役割をしていたようですが、問屋場や高札場が置かれ、戸数は154戸、人口は563人の集落だったということです。
この辺り一帯を縄張りとしているのは、「楠原の十右衛門」で、マムシに襲われそうになった子どもはその甥っ子です。

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

この原作には、何人か実在した貸元の名前が出てきます。
穴太の徳治郎、神戸の長吉、丹波屋伝兵衛、美濃では水野弥太郎や竹川の森太郎等々。神戸の長吉は紋次郎とは同年輩となっていて、シリーズにも登場したことがあります。しかし、今回の楠原の十右衛門はフィクションのようです。
紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

紋次郎は十右衛門の甥を助けたのですが、誤解されて殺されそうになります。白刃を目の前にしても顔色一つ変えず、言い訳もしない紋次郎の肝の据わった様が、圧巻です。
結局その誤解を解いたのは、その場に居合わせた浪人小平太と女行商人のおせんでした。

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)
*上記2枚の写真は、地元近江国の田園風景

「マムシが草むらの中にいるのに、子どもが近づきましてね。それを通りかかった旅人さんが目敏く見つけて、いきなり子どもの襟首をつかんで田圃へ放り投げたんです。それも傷を負わないようにと咄嗟の気配りで、稲掛けを目がけて投げたんだから大したものでした」(原作より抜粋、おせんの台詞)

このおせんの証言で形勢は逆転し、十右衛門は平謝りとなります。
そして、紋次郎、小平太、おせんの三人は十右衛門の賭場に招待されますが、意外なことにおせんが一番博奕に勝ち、十五両の大金を手にします。しかしこの十五両が、おせんに災いします。

その後三人は、次の宿場の椋本宿方面に向かいます。
(後編に続く)

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Re: 紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

私も、すぐ近くの亀山市に紋次郎がやってきたということにエエッ!?となりました。
私の居る町は通らなかったのに血が騒ぐんですから、生活圏内を紋次郎が通り、ご先祖が会っていたかもしれないお夕さんなら、並々ならぬ感慨でしょう。

関の昔の宿場町は、私も通り、雰囲気を楽しみました。
が、紋次郎に出てきたことは考えませんでした。
ロケに使われた場所は血まなこで捜すのに、小説の中に出てきた場所にはそれほど興味を示さない私は、まだ修行が足りませんなあ。

あの土下座で「言い訳なんぞ」を使っていたら、やっぱりグレードが下がっていたでしょう。
ああいうのは声に出して他人に言うのではなく、自分に言い聞かせてこそ紋次郎なのです。
作者もようやく思い出してくれたんですね。(笑)

亀山駅前で予約をすれば買える幻の駅弁「志ぐれ茶漬」は食べられました?

  • 20121018
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 紋次郎の影を追う 「夕映えの嫁入り」(前編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

私のご先祖さんが、もし紋次郎サンに会っていたら、サインをもらってい
たと思います(笑)。もっとも、「堅気の方に名乗るほどのもんじゃござ
んせん」と断られると思いますが……。

関宿は3回ほど訪れていますが、その度に観光客が増えているように思い
ます。この先、どういう路線で展開していくのかわかりませんが、良き風
情だけは残していただきたいと思っています。

TOKIさんは、紋次郎の映像美を追求され、ロケ地に熱い思いを持っていらっしゃるんですよね。
私も重なる部分がありますが、小説内の地名や宿場にも興味があります。訪ねてみて感動することもありますが、落胆すること多々あり。
特に、宿場は残っていませんねえ。

「夕映えの……」の紋次郎サンは、正しい対応だったと思います。
ただ、あそこまで気づいていながらの油断はどうだったんだろうと思いますが……。

「志ぐれ茶漬」……知りませんでした。今度チャンスがあれば、是非いただきたいです。

いつもコメントをいただき、ありがとうございます。

  • 20121020
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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