紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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日々紋次郎 「江戸の旅、おこづかい帳」(後編)



日々紋次郎 「江戸の旅、おこづかい帳」(後編)
この国三郎さんは結構甘党で、菓子に団子や飴、饅頭に餅にしんこ、せんべい。飲み物は甘酒、白酒など毎日何かは間食しておりやす。道中あちこちの茶店に入っては小休止といった具合でござんしょうか。
各地にある名物も、よく食しておりやす。安倍川では安倍川餅(5文)日坂では蕨餅(16文)桑名では焼き蛤(8文)、南禅寺では「湯豆腐」(120文)と有名な物はしっかり押さえておりやす。
因みにあっしの生国も通過されたようで、神社の名前と餅15文と書かれておりやす。親近感が、自ずと沸いてきやす。

面白いところでは、伊香保温泉付近の記録でござんす。同じような項目が2日で4回も出てきやす。それは遊弓と楊弓。温泉街で弓とくれば矢場での遊びでござんしょう。

「楊弓場には矢拾女・矢場女(やばおんな)と呼ばれる、矢を拾ったり客の応対をしたりする女性がいたが、後に娼婦の役目を果たすようになった。また、的に的中させた時の景品も時代が下るにつれて高価になっていったことから、天保の改革では、売春と賭博の拠点として取り締まりの対象となった。」(ウィキペディアより)

時代劇に時々出てくる「当た~り~!」ドンドン♪というヤツでござんすね。1日目では1回12文、2日目では32文、48文、16文と払っておりやす。よっぽど弓遊びが面白かったと見えやす。
景品が良かったのか、矢場女が気に入ったのかはわかりやせんが、嬉しかったんでござんしょうねぇ。なんだか、現代の若者と通ずるところがあって微笑ましい感じすら覚えやす。

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後、時々出てくる「案内人」「案内賃」。今で言うと「ガイドさん」でござんしょうか。案内する距離にもよるんだと思いやすが、最高額だと「124文」、最安値では「8文」と、かなり開きはござんす。
安芸の宮島、厳島神社では案内賃に50文を払っておりやす。その他お札に12文、由来書24文、絵図40文といわゆるパンフレットも購入しており、今とほとんど変わりやせん。錦帯橋でも橋の絵図を24文で買っており、さしずめ絵葉書感覚でござんしょう。

江戸時代の商いは、実に種々雑多の数があり、現在存在するもののほとんどはあったといいやす。インターネット関係は別にして、なかったのは「生命保険」の考えだけだったと、どこかの文献で読んだことがありやす。観光地での賑わいが想像できやす。

さてこの国三郎さんは、江戸に戻った翌日、帰宅する直前に土産として300文を遣っておりやす。こんなにあちこち旅をしたのに、土産は地元の物。土産を持って歩くのは、大変なのはわかりやすが、こんな近場で買うとはねえ。

それにしても3ヶ月という長旅を、よくぞ許したものだと思いやす。遣った総額は、80~100万円ぐらいのようでござんす。
国三郎さんは、この旅を終えてから20年後に家督を継ぎやす。この旅で経験したことが、その後役に立ったのかは定かではござんせんが、見識を広めることはできたでござんしょうねえ。

同じ道中といっても、全く紋次郎兄貴とは違う旅の姿が、興味深いもんでござんした。


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Re: 日々紋次郎 「江戸の旅、おこづかい帳」(後編)

「旅人」といってもいろいろ有ります。
帰る場所の有る者、それが無いので旅をせざるをえない者。
紋次郎は後者ですね。

そして前者にも、物品の受け渡しや仇討ちなど、本人の意思にかかわらず旅をせざるをえなくなった者、自分の意思で神社仏閣などの参拝や物見遊山に行く者。
この著者は後者のようです。

車も電車も無く、徒歩なので、長期間仕事を休めることが条件になってくるわけです。
今と違ってこの時代は、そういった旅を出来る人間は、かなり少なかったのかと思いましたが、遊弓、楊弓 といった娯楽施設が存在しているということは、結構存在していたんですね。

それでもこの時代の旅は、決して安全なものではなかったでしょう。
スリやごまのはえといった軽犯罪から、食い詰め浪人や性悪人足、プロの窃盗団や凶悪集団に命すら奪われる危険というものが、紋次郎にもよく出てきます。

また、「東海道中膝栗毛」の、わりと原典に忠実な訳本を読んだことがあります。
が、出てくる連中は老若男女問わず、他人を騙して金を儲ける事ばっかり考えてる連中で、「善人は居らんのかよ、この時代は!」と思ったものです。
後書きでは訳者自身が「子供の頃読んだ弥次さん喜多さんの話はなんだったんだろう。お子様ランチを食べさせられていたようなものだった」と嘆息しておりました。
この文学で当時の人間がみんなこうだったとは断定できませんが、今の日本と同じ感覚ではとても旅なんかできないでしょうね。

話は変わりますが、先日、保津川の紅葉を見に行きました。
「水神祭」の冒頭で紋次郎が体を拭く場所。
あれは、落合トンネルを西に抜けてすぐの小さな沢だと確信しました。
が、現在は観光客用のゴミ箱がズラリと並べられている場所で、写真を撮る気が起こりませんでした…。

  • 20121121
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎 「江戸の旅、おこづかい帳」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

江戸時代も後期になると、物見遊山の旅をする庶民が多かったと聞きます。
今で言う「旅行ガイドブック」も、いろいろと発行されていたようです。

「東海道中膝栗毛」を読んで、旅に憧れた者も多かったようですが、結構ヘビーな内容だったんですね。そんな危険があっても、旅の空を目指したい……怖いモノ見たさがあったのかもしれませんが、日常生活から離れたいという気持ちが強かったのかもしれませんね。

所変われば……で方言も様々だったので、なかなか言葉が通じなかったようです。また宿屋では、その人のお国のことを悪く言うことはタブーだと教えるガイドブックもありました。今でも通じることですよね。

「水神祭……」のあのシーンは、女性ファンとしてはドキドキします(笑)。
逞しくもしなやかな上半身……素敵でした。
落合トンネルの近くなんですね。
美しい紅葉を想像します。秋は訪れたことがありませんが、観光客が多いんでしょうね。

  • 20121121
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎 「江戸の旅、おこづかい帳」(後編)

追伸
mixiからの情報です。
朝日新聞によりますと、現在、三谷幸喜さんが紋次郎にハマり、「モンジリアン」を自称しているとか。

この紋カフェで、モンジラー、モンジリアン、モンジリスト、モンジロリアンなどの候補が挙がってましたが、「モンジリアン」が市民権を得そうですね。(笑)

  • 20121121
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 日々紋次郎 「江戸の旅、おこづかい帳」(後編)

TOKIさま、情報をありがとうございました。

あの三谷幸喜さんが、「モンジリアン」だったとは……。
嬉しいですねえ。

もし三谷さんが、「紋次郎」を映像化したら……って想像するのも一興かと……。

  • 20121121
  • お夕 ♦wikz35BA
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