紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第24話「 虚空に賭けた賽一つ」(後編)

第24話「 虚空に賭けた賽一つ」(後編)

第24話「 虚空に賭けた賽一つ」(後編)
(原作 第42話)(放映 1978.3.15)
原作では、それぞれ独自の武器を使い、鍛錬を積んでいるとしている。

24歳の太郎は、山刀。
23歳の次郎は、木か竹の槍。
22歳の三郎は、樫の棒。
21歳の四郎は、石投げ。
20歳の五郎と、19歳の六郎はともに手製の弓矢。
18歳の七郎は、木か竹の槍。
17歳の八郎は、山刀。

テレビ版ではいちいちそんな紹介もしていられないので、種々雑多な攻撃を仕掛けてくる。
今回の殺陣はとにかく体力勝負である。竹林の中を紋次郎は走る。竹に石つぶてが当たる乾いた音がする。起伏したところを跳躍する。3~4メートルは跳んでいるだろう。竹林には木洩れ日が影を落とし、なかなかいい映像である。

竹林から荒れ地に変わる。セイタカアワダチソウが見える。この植物は明治時代末期に海外から持ち込まれた帰化植物なので、当然紋次郎の時代では存在していない。
今でこそ大分勢いは衰退したが、昭和40年代のセイタカアワダチソウの繁茂はすごかった。ススキを駆逐する勢いだったので、今回映像化されてもやむを得ないところがある。

弓矢が飛んでくるのを、道中合羽ではたき落とすが、その内の1本が紋次郎の左肩に突き刺さる。この負傷は原作と同じ。紋次郎といえど7対1、相手は結束の堅いチームワーク。飛び道具もあるし、屈強な若者たち。かなり苦戦を強いられる。
まず二人を逆手に持った長脇差で斃すが、地面に倒れた拍子に刀を取り落とす。男に組み伏せられ、棍棒で押さえつけられる。武器がない紋次郎だが、咄嗟に肩に刺さっている矢を引き抜いて男の首に突き立てる。

「三郎~!」と他の兄弟が叫ぶ。三郎の武器は樫の棒…原作通りである。紋次郎は刀を拾い上げ、腕を押さえながらも疾走する。三人が後ろから追いかけてくる。崖の上から駆け下りてくる一人を、長脇差で斃す。植樹されている背の低い松原で身を隠し、近づいた太郎につかみかかり胸に長脇差を突き立てる。
「あにちゃー!」
狂ったように竹槍を振りかざして襲ってくる二人。次郎と七郎である。次郎の竹槍が紋次郎の合羽を地面に縫いつける。
「七郎~!突け~!突け~!」
必死の形相で叫ぶ次郎。槍を振り下ろそうとする七郎の胸に長脇差を叩きつけ、身体を回転させて次郎に体ごとぶつかる。斬られた七郎と次郎は、お互いの体を支え合うようにしてうずくまる。

「あにちゃ~。」
「七郎……」
「いてぇよう。」
「おらもだ……」
「あねちゃんに、叱られる~。」
「みんなで謝ればいい……」
「今は眠りてぇ。」
「おらも……」

二人は折り重なるように倒れ、静かになる。
今回の殺陣は、いつもより動きが激しく長い時間だったが、原作も緊迫する場面の連続だった。
一番のピンチは太郎と対峙したときである。操る山刀は頑丈で、もし長脇差が触れたら折れてしまう。刀を合わせることが出来ないのでよけるしかない。しかし立ち上がると、矢と石が飛んでくる。

「咄嗟に紋次郎は、身を伏せていた。そうしながら紋次郎は、これで終わりだと死を意識していた。当然、太郎の山刀が振りおろされると、思ったからである。それに対して紋次郎は、無抵抗な状態にあったのだ。」(原作より抜粋)

死まで意識した紋次郎だが、太郎の山刀は結局、振りおろされなかった。太郎の背中に矢が刺さったのである。……ということは、同士討ち?ということだろうか。その一瞬を狙って、紋次郎は太郎の腹に長脇差を埋める。

紋次郎が死闘の末、7人を斃したのだが、全く後味が悪い。紋次郎が、この兄弟たちを手にかける理由がないのだ。
兄弟たちが勝手に思い違いをして、襲ってきた……降りかかる火の粉を払ったまでなのである。山辺村に危害を加えているといっても、兄弟たちの生い立ちを考えると因果応報ともいえる。紋次郎とは全く関係がないことなのである。

第24話「 虚空に賭けた賽一つ」(後編)

ヨモギをもんで傷口にあて、手拭いでしばる。今回は、何かと細かいディテールにこだわりが見える。

通りかかった村人たちが噂話をしている。陣屋の牢内にいた八郎が、逃げたというのだ。鉄砲隊が出張っているともいう。亀穴峠の兄弟たちは、みんなもういない。残っているのは、八郎だけなのである。

紋次郎は気にも留めずに街道を急ぐ。その前に急に現れたのは掛け茶屋で同席した旦那様と呼ばれた男である。紋次郎の身体に突き当たって、土下座をして助けを求める。そして、自分は山辺村の名主の治兵衛だと明かす。その名主の後ろを後ずさりしながら近づいてきたのは、連れの女。牢を抜け出した八郎が、抜き身を手にして迫ってきていた。

女は必死に八郎に謝っている。治兵衛は紋次郎にしがみつき、「金ならここに……足らなければ村に帰って……」と、助けを求めるが「折角でござんすが、お断りいたしやす。」と紋次郎はすげない返事である。
「八郎!」
「あねちゃん!」とお互いを呼ぶので、ここで完全に姉と弟ということがわかる。

姉のお春役に「弓恵子」さん。撮影当時の年齢は41歳。失礼だが、少なくても20年は年季が必要であろう(笑)。あの太郎の姉なので、このぐらいの年齢詐称は仕方がないかもしれない。
お春は八郎が陣屋に捕まったのに、知らん顔をしていたことを謝る。

「私は二度と昔の暮らしに戻りたく無かったんだよ。生まれ変わったつもりで、新しく出直したかったんだよ。昔とはもう縁を切りたかったんだ。私は村とも八人の弟とも何の関わりもないんだ。私は、生まれ変わったお春になりたかったんだよ。」
「昔のあねちゃんとは、まるで違うだ」
「十年も女郎をやっててごらんな。考え方だってまるっきり変わってしまうんだ。人は元々変わるもんじゃないか。それが人間ってもんじゃないか。」
「俺たちは、変わらなかっただ。十年前からずっと墓を守り続けただ。あねちゃんの帰りを待って。」
(ドラマの台詞より)

この二人の主張は、どちらも頷ける。「変わってしまった哀しさ」と「変われなかった哀しさ」。ここで出合ってしまい、溝は深まるだけである。その上お春は、八郎たちがあんなに憎んでいた山辺村の名主に身請けされたのである。この設定は、原作とは違って凝ったものになっている。八郎の怒りの火に、油を注ぐようなものである。

名主の治兵衛は迫ってくる八郎に怯えて、紋次郎に「お助けを!」としがみつくが、
「あっしには関わりねえこって。」
とさっさと歩き出す。このいつもの台詞は、原作には出てこない。
原作では、名主ではなく大店の隠居なので、八郎の怒りを買うこともなく、紋次郎に助けを求めるシーンもない。

八郎は最後に詰問する。訴人したのは姉のお春だと……。残酷なドンデン返しなのだが、テレビ版では冒頭部分に暗示されているので、驚きもない。
原作では、掛け茶屋で八人兄弟の噂をして、「いじらしい」だの「訴人した薄情者」だのと言っていたあの女が……。実の姉であり、弟たちを裏切ったなんて……と衝撃を受けるのだが……。

その場を去りかけた紋次郎は、姉が訴人したと聞いて、足を留め振り返る。
陣屋の元締めから姉の裏切りの話を聞き、八郎は怒りのため牢から逃げた。そのために何人かを殺めてしまった。もう自分は生きてはいられない。

「あにさんたちもみんな殺されただ、陣屋の役人たちに……」と叫ぶ八郎。紋次郎はその言葉を否定する。手に掛けたのは自分だと……。自分が殺したなどと、愚直にも告白してしまうなんて……と思うが、そこが紋次郎である。自分を訴人だと思ったからだろうと、説明する紋次郎に、怒って向かってきたのは、意外にもお春だった。

「なんてことを!」と声を荒げたかと思うと、紋次郎の横っ面をひっぱたく。こんなに気持ちよくひっぱたかれる紋次郎もめずらしい。

「七人の弟たちを殺すことはなかったじゃないか!」

「あっしには、言い訳なんぞござんせんよ。」

今回のテレビ版は「あっしには関わりねえこって。」と、「言い訳なんぞござんせん。」の決め台詞が2種類出てくるが、原作にはどちらも出てこない。原作ではお春と紋次郎の絡みはないので、「言い訳なんぞ……」の台詞を入れんがために、付け加えた展開かと思ってしまう。
紋次郎に怒るお春の心情は、複雑だ。訴人して、弟たちが捕縛されたらまず死罪は免れないだろう。訴人した、自分の罪の重さがわかっていないのだろうか。

「この人でなし!なんて酷いことを!」

お春さん、あんたがそんなこと言えた義理かい?と言いたくなるが、それを代弁するのが八郎である。

「酷いのは、あねちゃんの方だ!」
そう、その通りである。そして八郎はお春をあの世に連れて行く、と言う。八郎の覚悟の形相に、お春と名主は醜い罪のなすり合いをする。見苦しい二人に、八郎は怒りの刃を振り下ろす。名主の治兵衛が悲鳴を上げて倒れる。

お春は恐怖に顔を引きつらせながら「お前を、我が子のように可愛がったこの私を殺すなんて!」と後ずさりをするが、八郎は容赦しなかった。紋次郎は振り返ったまま、成り行きを見ているがやるせない表情である。
ひたすら姉を慕い、姉の帰り待っていた兄弟の姿に、紋次郎は自分を重ねていたかもしれない。しかし、お春の変貌を責めることもできないし、そんな感情も持っていないだろう。
人を信じるから、裏切られるのである。だから人を信じない紋次郎である。とは言え、一抹の「信じたい」という気持ちも、封印してはいるがあるはずである。だが、今回も「やはり、信じられない」という結果に終わってしまった。

斬られたお春は、スローモーションで倒れる。八郎の悲痛な表情と叫び……意を決した八郎は、自分も姉の後を追うつもりで刃を自分に向けるが……。原作では、そのまま自刃して姉のお里(お春)と重なり合って果てるが、テレビ版はもう一ひねりしている。

銃声と共に八郎が倒れるのである。倒れる八郎の姿もスローモーション。竹林が風にざわめき、笹の葉が舞い落ち、なかなか印象的な映像である。しかしここで、陣屋という権力側がしゃしゃり出てくるのは、唐突な気がする。

名主の治兵衛とお春と八郎……三つの屍の上に、なおも笹の葉が降り注ぐ。紋次郎はその場に背を向けて、去っていく。
原作では去り際に、八郎の手から離れて飛んでいきそうな木綿の片袖に、楊枝を飛ばす紋次郎である。
テレビ版の紋次郎は、重兵衛が持っていた賽子の一つを空に投げ、楊枝で真っ二つにする。タイトルを意識した楊枝の使い方である。

所詮、虚空には何を賭けたところで「無」なのである。すべてそういう宿命であり、その虚空の中で人間は生きている。
「人は元々変わるもんじゃないか。それが人間ってもんじゃないか。」と叫んだお春。
人間だけでなく、すべてのものは無常なのである。

今回の作品は、考えれば考えるほど重いものがあった。
いつものことだが、誰も幸せにはならなかったし、希望も見えなかった。
どちらの作品も、「亀穴峠に八匹の妖怪が棲むとの噂……云々」で締めくくられている。
妖怪退治が、権力者ではなく無宿人だったので、うやむやにされたのであろうが、変わる者は「人」とされ、変わらぬ者は人ではなくなり「妖怪」とされてしまった。

一途に変わらなかった、哀しき妖怪たちであった。

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Re: 第24話「 虚空に賭けた賽一つ」(後編)

本来の紋次郎や、初期股旅小説主人公の強さの魅力とは、敵が何人居ようがバッタバッタと薙ぎ倒す…ことではなかったはずです。
やろうと思えばそれくらいは出来るにもかかわらず、つまらないことで命の遣り取りなど決してせず、避けられるものは避け、場合によっては土下座したり足蹴にされても耐え忍ぶことができるところにある、と私は考えます。

この原作で、一番不憫なのはこの兄弟です。
姉の言葉を守り、純真そのものです。
テレビ版では、連中の風貌が醜怪な分、そのいじらしさが余計に増大して見えます。

おそらく制作サイドも、この兄弟のほうに感情移入したのではないでしょうか。
総領の太郎の着物だけを、星条旗みたいに目立つものにしたり、「ねえちゃん」じゃなくて「あねちゃん」と言わせたり、作り込みにこだわりが感じられます。
この兄弟を、「村人から金品を強奪したり、娘を犯したりする悪党ではない」と書かれた原作とは180度変更し、冒頭の狼藉シーンを入れた気持ちもよくわかります。
(インパクト有り過ぎで紋次郎の印象が薄れる点と、時間帯を考えるべきではありましたが)

今回、紋次郎にしてみれば正当防衛が成り立つんですが、なんだかなあと思ってしまいます。
どうせなら、お春と身請人こそが黒幕で、兄弟を紋次郎に片付けさせる計画を練り、「訴人したのは楊枝を咥えた渡世人だ」とのデマの情報を兄弟に教える…とかにして欲しかったです。

「あっしには言い訳なんぞござんせん」
それこそが、究極の言い訳だっつーの!!

  • 20121214
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第24話「 虚空に賭けた賽一つ」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

仰るとおり、紋次郎は無益な殺生を好まなかったはずで、何度か忍従の場面があったと思います。
今までも、敵と戦わずに逃げたこともあったはず……本当に強い人間は、それができるのに、と思いますね。

今回と同じように、「あと、○人……」と敵を数えた「湯煙……」とは相手が随分違います。避けようとすれば避けられたのに、敢えて進む紋次郎の行動に、必然性はなかったように思います。

原作より悪人に仕立てるという脚色で、勧善懲悪的な要素が入りましたが、やはりあの兄弟の悲哀は残りますね。
ただ、演じた俳優陣の年齢層が高かったので、口にする「あねちゃん」も少し違和感がありました。
原作通りの年齢で、朴訥とした少年たちをキャスティングしたら、多分紋次郎の方が悪人に見えるでしょう(笑)。

TOKIさんのストーリーいいですねえ。
私が監督なら即採用ですよ!

  • 20121215
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第24話「 虚空に賭けた賽一つ」(後編)

知らない世界ながらも、とっても深いなあ~とおもいながら読み入ってしまいました。

※いまさらですが、リンクさせていただきました。
紋次郎のことはくわしくないのですが、こちらのブログでちょっと興味をもちました。毎回のきれいな写真と雰囲気だけでも味わいたい、と思っていますので、また遊びにこさせてくださいね。

  • 20121226
  • てのりぱんだ ♦C/Rcg83E
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第24話「 虚空に賭けた賽一つ」(後編)

ぱんださま、コメントをいただきありがとうございます。

リンクの件、誠にありがとうございます。
光栄です!
からみにくい記事ばかりで、申し訳ございませんが、これからも宜しくお願いいたします。
私もまた寄らせていただきますので、遊んでやってくださいね。

  • 20121226
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第24話「 虚空に賭けた賽一つ」(後編)

つい先日、BSで再放送を観ました。
アバンタイトルが復活!?
最終回が近付いて編集に気合を入れ直したのかと思いましたが、シリーズの途中から冒頭に入っていたアイキャッチは無く。
何らかの事情で、放送順が入れ替っただけなのでしょうか。
お夕さんご指摘のとおり、風に揺れる竹林の描写が優れているぶん、終盤の八郎狙撃の場面はやはり不要と感じました。
思えば「Gメン75」「特捜最前線」と、あの頃はこうしたエンディングのドラマが多かったですね。
ただ、シリーズ中盤に陰惨な人間模様を強調した作品が多かったので、紋次郎と八人兄弟の渇いた対決に軸足を置いた本作は、比較的好きな一話です。
兄弟の狼藉をもう少し抑制し、生きて行くため止むに止まれぬ範囲に留めて置いたほうが、むしろ無常感が表現されたのではないかと思います。

  • 20140913
  • ロクハンノリ ♦.VT8898c
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第24話「 虚空に賭けた賽一つ」(後編)

ロクハンノリさま、コメントをいただきありがとうございます。

「新……」は、途中で画面を縦に引き伸ばしたり、アバンタイトルが途中でなくなったり……といろいろとありましたね。理由は、わかりません。
今までにも、紋次郎に斬られても仕方ないぐらいの悪党に、仕立て直された人物がいましたね。(稲荷山の兄弟なんか)正当性を持たせるための味付けでしょうが、「盗人にも三分の理」とも言いますしね。
原作の八人兄弟は、本当に可哀相でした。

  • 20140913
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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