紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第25話「生国は地獄にござんす」(前編)

第25話「生国は地獄にござんす」(前編)

第25話「生国は地獄にござんす」(前編)
(原作 第55話)(放映 1978.3.22)
今回の主人公は、紋次郎ではなく明らかに忠七である。この忠七役に「菅貫太郎さん」。菅さんと言えば、前シリーズ「大江戸の……」の十六夜小僧、「明鴉に……」の日下又兵衛と、今回で3回目の共演である。
十六夜小僧では、人の良さそうな男が豹変するドンデン返しが見事だった。日下又兵衛は、何を考えているのかわからない不気味な役作りが圧巻だった。
今までに何度か共演してきた俳優さんの中で、この菅さんが、一番存在感があると私は思っている。どんな役でもピタッと決めてくれる演技派の名優さんだったが、惜しくも59歳の若さで、交通事故で急逝されている。俳優座養成所に籍を置くも、敦夫さんらと共に1971年に劇団を脱退しているので、いわば盟友であろう。

脚本は、敦夫さんの弟である中村勝行さん、演出は黒田義之さん、撮影は森田富士郎さん。調べてみると黒田監督と森田氏は小学校の同級生だったというから、興味深いコンビである。この次の最終回も、同級生コンビで制作されている。

展開は原作と、ほとんど同じである。
原作は第13巻の最後に収録されており(光文社文庫)、ここで一旦第2期は終了する。他に収録されている作品は「人斬りに紋日は暮れた」「明日も無宿の次男坊」「女郎にはたった一言」である。ここで今までと違うのは、タイトルに数詞が入っていないということである。なぜ、最後の巻だけ鉄則を守らなかったのだろうか。
「明日も無宿……」は無宿なので「無し」、「女郎には……」は一言なので、「一」と考えられなくはないが、やはり無理がある。
ということで、今回のタイトルには数詞が入っていない。数詞が入らなかっただけでなく、「ござんす」で終わるタイトルは珍しい。「一体だれの台詞なのだろう?」と想像してしまう。

今回のテレビ版での異色の目玉は「やしきたかじん」さんの出演であろう。今でこそ関西地区では知らない人がいないほどの人気アーティストだが、当時はまだそれほど名前が売れていなかったのではないだろうか。(私も現時点は知らなかった)
歌唱力があり、少ないギャラで歌ってくれそうなシンガーということで、敦夫さんが白羽の矢を立てたということであるが、飲み仲間だったとも聞いている。
のっけから、このたかじんさんの出演となる。

「旅人さん、待っておくんなせえ。」
山道を行く紋次郎の前にいる旅人を呼び止める声。声の主は、たかじんさんが演じる三下風の渡世人。
「貫禄十分の旅人さんと見込んで、お頼みいたしやす。飯田の先まで、道連れにしてやっておくんなせえ。」
呼び止められた貫禄ある旅人が菅さん。飯田の半兵衛の身内に恨みをかっているので、自分一人では心許ない。貫禄ある旅人と同行したら、子分たちも手出しをしないはず、と言うのである。

たかじんさん、必死の演技であるが、どうしても素人くささ全開(笑)。いつもサングラスをかけているたかじんさんが、素の顔で登場するのは、後にも先にもないのではないだろうか。確か、カメラが回るというのにたかじんさんはメガネをかけていて、監督さんに注意されたと聞いている。彼のテンパリ具合がわかる。
たかじんさんに縋りつかれても、その渡世人は取り合わない。

「とにかくそこをどいてやっておくんなせえ。」
「あっしの知ったことじゃねえでしょう。」
「あっしは人様のことに、関わりを持ちたくねえんでござんすよ。」
「あっしは金輪際、道連れってものをつくらねえように心掛けておりやす。」

まるで紋次郎の台詞そのもの。
このやり取りの最中に、紋次郎はさっさと脇をすり抜けて行く。
たかじんさん、この時点で急に大阪弁にシフト。ここで、やっと彼らしさが出て大阪弁でまくし立てる。しかし、何とも中途半端である。たかじんさんは、シナリオのある台詞よりアドリブが本来の姿なのだろう。

彼はこのときの演技があまりにも酷すぎたのがトラウマになり、以後一切ドラマには出演していない。「人生最大の汚点」と言わしめる出演だったのである。
同じように主題歌を歌って、その後ドラマに出演した上條恒彦さんとは対照的である。上條さんはそのあと気を良くして、俳優業でも活躍された。

大阪弁のたかじんさんはその後も吠える。紋次郎の真似をしやがって、どうせ真似をするなら長い楊枝を咥えろと……。しかし当の本人は、紋次郎には会ったことがないし名前も聞いたこともないと答える。この渡世で紋次郎のことを知らないなんて大したことがない……という言葉を背中で聞いて,
旅人は去っていく。

紋次郎のドラマもあと僅かとなったので、主題歌を歌うたかじんさんの出演となったのだろう。
さてたかじんさんだが、昨年食道ガンが発見され手術を受け、現在は病気療養中。復帰の時期は未定ということだが、早く芸能界に戻って来ていただきたいと思っている。

第25話「生国は地獄にござんす」(前編)

原作では、紋次郎とよく似た言動をとるあたりは同じだが、若い三下に合う前にもう一つエピソードが入っている。
紋次郎の200~300メートル後ろを、ずっと半日も同じスピードで歩く渡世人。つかず離れずで歩く渡世人は、年の頃は36~37歳で、紋次郎と同じくらいの貫禄を身につけている。ただ決定的に違うのは、荒みきった顔に自嘲的な薄ら笑いを浮かべていること。

掛け茶屋で、生爪をはがして歩けない子連れの女を背負って峠を下りて欲しいと、客の男たちにその旅人は頼まれる。しかし上記と同じような台詞で断るのである。客の男たちは断った旅人が紋次郎の名前を知らないということに不信感を抱き、島帰りの忠七ではないか、と噂をする。
忠七は17年間島流しだったが、半年前に御赦免船で三宅島から帰ってきた。もし今の旅人が忠七だったら、伊那の唐木は大騒ぎになるだろう……という会話を紋次郎はそれとなく聞いている。
そして茶屋を後にする前に、茶屋の亭主に持っていた傷薬を手渡している。このあたりの紋次郎の優しさは心憎いし格好いい。

テレビ版ではこのあと紋次郎は掛け茶屋で忠七の噂を聞く。この先の唐木の町では、忠七という渡世人が意趣返しにやって来るとかでピリピリしているから、立ち寄らない方がいいと茶屋の女が忠告する。
この人の良さそうな茶屋の女……見たことがある……「お玉さん」である。
「笛の流れは……」での巨漢女郎役で、インパクトのあったお玉さん。「船場牡丹さん」という女優さんである。ここで出会えてなんだか嬉しい。相変わらず、ふくよかな体つきは愛嬌がある。

紋次郎は一人足早に歩く。山中の一本道や冬枯れの野原、瓦を載せた土塀や川に沿って歩く姿はなかなかいいのだが、そのBGMにギョッとなる。いつもは演奏だけだったBGMに歌詞がついているのだ。少し不安定な音程で歌う女性ボーカルは一体だれなのだろうか?
いやそれ以上にミステリアスなのはその歌詞である。

『あかい山から 風が吹く    枯葉集めて やって来る    鳥が羽ばたき 風に歯向かう
 
 鳥が突き刺しゃ 風がふくれて    風がふくれりゃ 鳥が墜落
 
 川が逆巻き 鳥が流れる    枯葉が追いかけ 鳥の葬式
 
 山が遠のきゃ 鳥がなく    山が遠のきゃ 鳥がなく』

意味不明で前衛的な挿入歌であり、これが流れるのは最初で最後である。
こうして歌詞を採録してみて、ふと思ったのは「マザーグースの歌」。何となく世界観が似ている。誰が作詞したのかは不明。

唐木の町外れ、橋の上で助造の子分たちが、通行人を手荒いやり方で調べている。
この木造の橋が秀逸である。頑丈な橋ではないが、ロケ地に美術さんが作ったものだろうか?それとも実際に使われていたものだろうか?時代劇にピッタリのすばらしい橋である。

男たちは、忠七かどうか検めているのである。その脇を、手下に囲まれながら若い女が通り抜ける。
「変わったことはないかい?様子の怪しい者を見かけたら、すぐに知らせるんだよ!」
伝法な口の利き方、腕を組んで歩く姿……唐木の親分の娘らしい。この娘は「お市」という名前で、手下が後ろから声をかける。
「お嬢さん、どちらへ?」
「どこへ行こうとあたしの勝手じゃないか!」

どうもこの女優さんの演技は引っかかる。台詞回しも板に付いていないし、動きもぎこちない。失礼だが容貌も今ひとつである。

ただこの後のテレビ版オリジナルの展開はなかなかいいと思う。お市の行き先は町外れの小屋である。この小屋がなかなか味わい深い。茅葺きと瓦の屋根にうっすら雪が積もっている。手前には小さな木の橋がかかっていて、画面の奥は薄紫の煙がたなびいている。
小屋といいさっきの橋といい、ロケ地で見つけた場所はどれもすばらしい。当時はまだこんな趣深い地があったのだ。なんだか羨ましい。

お市には恋人が居たというオリジナル設定。恋人は地元の親分の娘には似つかわしくない素朴な百姓の青年。雰囲気としては、祝福されそうにない感じである。
お市は「太吉!」と呼んで、「夕方、八幡さまの境内で待ってるわね。」と約束する。

一方、唐木の助造の元には町の有力者たちが集まっている。忠七が三宅島から御赦免船で帰ってきて、こちらに向かっている。町に火をつけて皆殺しにするというのも、あながち噂だけではない……と戦々恐々。頼りになるのは、助造親分の身内たちだからと頼み込んで帰って行く。

この助造の女房がお仙。およそ一家の姐さんには見えない、上品な愁い顔。助造は娘のお市に、都合のいい縁談話があるのに、百姓の太吉に逢いに行っていることにイライラしている。母親であるお仙は、好き合っているんだから親は口出ししない方が……と、若い二人に理解を示す。
しかし助造は許せない。子分によからぬことを命ずる。

太吉は、約束通りに八幡さまでお市が来るのを待っているが、あっけなく助造一家の身内に殺されてしまう。一足遅れてやって来たお市は、変わり果てた太吉に縋りついて、号泣する。
そして見つけた置き手紙「忠七 みなごろし」……自分の父親の差し金であることに、気づくはずもなく、忠七に恨みを抱くというテレビ版オリジナルストーリーである。
勝行さんの脚色は、原作を越えてよく考えられていると思う。
(中編に続く)

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Re: 第25話「生国は地獄にござんす」(前編)

この話は、この時期の原作で一番気に入ってるものです。

正直言うと私は、この頃の原作は紋次郎度が低いし、あまり好きではありませんでした。
この話の収録されてる巻を買った時のことはよく覚えてます。
まず冒頭の「紋日」で、紋次郎として以前に、人として失格である腐った姿を見せられ、情けなさと怒りでいっぱいになりました。
また、「女郎にはたった一言」は、後味が悪い上に実験作品の域を出ず、「この作者、壊れてしまった」と、もうこの本を打ち捨てようかとも思いました。

そして表題作品。
タイトルからして、あまり期待せずに読んだのですが…
これ、素晴らしい!
今まで鳴らなかった心の共鳴板が、ビンビン鳴り響く。
そうだ、初期の原作はこういうテイストだったんだ!
これでこそ笹沢左保股旅小説だ!
やっと原点に帰ってくれた。

一体、作者に何があったんでしょう。
紋次郎を使ってやってみたかったことは、全てやり尽くして、吹っ切れたのか。
それとも読者からの抗議の手紙が山のように届いたのか。

「新」は、お夕さんが書かれたら見ることに決めて、録画したままにしてあったんですが、この話は原作が気に入ってるので、録画した日に観てしまいました。

…たかじんの関西弁啖呵。
いつもの私なら、無理矢理ヌードや首コロンには拒絶反応を示すのですが。
今回は、テレビの前で笑い転げてしまった私の完敗です。(笑)
(しかも、巻き戻してもう一度見てしまった)

ただ・・・原作で一番の見せ場のはずの物件…(後編に続く 笑)

  • 20130114
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第25話「生国は地獄にござんす」(前編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

私もこの作品は、原作もドラマも好きです。
他人の事には関わらない紋次郎が、偶然同じ道中を歩くうちに、関わってしまう。それも自分の方から、興味を持ってしまう……。

紋次郎の心の底にある、純粋なものを感じる作品だと思います。
また菅貫さんの存在感も大きいです。
あの役にはピッタリだと思います。

話は変わりますが、先月、小判鮫の金蔵役の「佐藤允さん」がお亡くなりなりましたね。なんだか寂しいです。
思い返せば、もう40年以上前のドラマになるんですもんね。

そんなに月日が経ったのに、リアルタイムのように語り合えることに、TOKIさんをはじめ皆さんに改めて感謝いたします。
TOKIさん、この後もよろしくお願いします。

  • 20130114
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第25話「生国は地獄にござんす」(前編)

こんばんは♪
お邪魔致します。

リアルタイムで小説を読んでいました。
「小説現代」です。
紋次郎は初期の「馬子唄に命を托した」で終わらせたかったと思います。
その後は、おまけです。

出版社、放送局の事情で続いて来たのでしょう。
その当時、著者が述べています、発表もタイムラグがありました。

紆余曲折を理解しないで通しで読んでしまうとそんな思いをしてしまうのかと思います。
股旅物にミステリーを掛けあわせるストーリーがそんなに続けられるものでは無い事を一番理解していたのは笹沢左保氏本人だったと思います。
それでも、読者のために書いていたのだと思います。

途中、終盤の筆荒れは、その当時の読者は判っていたのです。
贔屓の引き倒しは聞きたくありません。

失礼しました。
では、又♪

Re: 第25話「生国は地獄にござんす」(前編)


お夕さん お邪魔いたします。

私がこの作品を好きなのは、やはり、紋次郎さんが主人公でないところです。
脇役どころか、紋次郎さん無しでもお話が成立しそうです。

紋次郎さんの、この第三者的な立場が、共感しやすいのかもしれません。

笹沢先生の感じた、人の弱さ、残酷さ、はかなさ、美しさ…等々
それらを紋次郎さんを通して表現されているように感じます。

そういう意味で、紋次郎さんは語り部なのかな、とも思います。

私たちが死んでも、紋次郎さんは生き続けます。
先生が、紋次郎さんを生かしてくださったことが、本当に本当に有難いです。




  • 20130117
  • 白 ♦FKr0ivYQ
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Re: 第25話「生国は地獄にござんす」(前編)

ぶんぶんさま、コメントをいただきありがとうございます。

登場人物が基本ひとり。
なんのしがらみもなくどこにも所属せず、流れ歩く先々で、関わりを拒むが故に面倒なことに巻き込まれる。
ドンデン返しを入れたミステリー仕立てに、アクションも入れて、命の儚さや無常観も表現……。
考えると、盛りだくさんでハードルが高い連載だったと思います。
笹沢先生のご苦労が偲ばれます。

いろんなファンが、紋次郎の作品を待っていたと思いますが、私は紋次郎という人物に惚れ込んでいます。
ストーリー展開の善し悪しはあるかと思いますが、極端に言えば、紋次郎が歩いていてくればそれでいい。ミーハーなんですね。

ただ、紋次郎の人物設定が曖昧になったり、ブレたりしたときは「ちょっと、ちょっと……」とは思いますが……。

  • 20130117
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第25話「生国は地獄にござんす」(前編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

仰るとおり忠七の作品ですね。
忠七と同じ道中を歩く紋次郎は、まるで忠七の影のような存在でいます。お互い干渉せず、邪魔もしない。

忠七に光を当てたので、紋次郎が影になったんでしょうね。
忠七の影が紋次郎ですから、やはりこの二人はよく似ています。

忠七のような愚直な人間が、利用され誤解され、命を奪われる理不尽さを目の当たりにして、紋次郎は影であることをやめ怒りの長脇差を抜きます。

今回はかなり、感情移入していますね。笹沢先生の感情も上乗せ……といった感じかもしれません。

もしかしたら、紋次郎は笹沢先生の影なのかもしれません。

  • 20130117
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第25話「生国は地獄にござんす」(前編)


お夕さん お返事ありがとうございました^^

「紋次郎は笹沢先生の影」
はい、そうですね。私もそんな風に感じています。

私は原作を全部読んだわけではありませんが、
先生の紋次郎さんに対するスタンスが段々と変わっていったように感じています。

初期の頃は、紋次郎さんを一人の主人公として描かれていたけれど、
続けるうちに、仰るように、先生の影のような存在になっていった。

もし紋次郎さんが先生の一部になっていったとしたら、
彼を完全無欠のヒーローと描くことに抵抗を感じるようになると思うのです。

人間なら、迷ったり、失敗したりの繰り返しです。
そういう中でこそ、「紋次郎」であり続ける意味があるんじゃないかと。

忠七さんと紋次郎さん。
似た者同士でありながら、何かが決定的に違っていたのか?

未だ、このお話を読み込めずにおります…




  • 20130118
  • 白 ♦FKr0ivYQ
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Re: 第25話「生国は地獄にござんす」(前編)

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

紋次郎は歳を重ねるにつれて、変容していきますね。
より深みを増すと言うか、人間らしくなると言うか……。
隙が出ることもありますし、「えーっ!それって、ちょっとズルいんじゃないの?」と思えるところもあったりして……。

笹沢先生がずっと長きにわたり、紋次郎と共に街道を歩かれた意味を考えたいと思います。

  • 20130119
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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