紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第25話「 生国は地獄にござんす」(中編)

第25話「 生国は地獄にござんす」(中編)

第25話「 生国は地獄にござんす」(中編)
(原作 第55話)(放映 1978.3.22)
テレビ版での紋次郎は、薬売りの男と木賃宿の相部屋で泊まっている。木賃宿と掲げているが、布団や畳が見えるので、商人宿の類であろう。ここに先ほどの渡世人も遅れて、相部屋となる。
原作では宿には泊まらず、二人は野宿で二晩一緒になる。同じ街道を往く二人の歩くスピードが、全く同じなのである。したがって、自然に道連れになってしまったのである。
貫禄ある二人の渡世人が同じスピードで歩く映像を観たかった。

テレビ版ではこの薬売りが、問わず語りに忠七のことを話し始める。原作では、二人が立ち寄った煮売屋で同席した老農夫が忠七の話をする。
18年前(原作では17年前)の唐木で起こった事件である。

居酒屋で土地の者と喧嘩をして、代官陣屋の十手持ちが殺されてしまった。十手持ちを殺したとなると、住民すべてがお咎めになる。町の有力者たちは慌てて大野屋吉兵衛のもとに集まって善後策を協議をした。
大野屋は町一番の有力者で、その腰巾着に助造が出入りしてしていた。
その結果、事件に関わらなかった人間を下手人として代官所に差し出そうと、大野屋が提案する。謂わば、その一人が人身御供となるのである。人選は大野屋に任せるということで、協議は終わる。そしてその罪を被せられたのが忠七なのである。

百姓の忠七は、大野屋吉兵衛の娘お仙と恋仲だったのだが、それを快く思っていなかった吉兵衛は、二人を引き裂くのに丁度良いと思ったからである。
吉兵衛は助造たちを使って、罪のない忠七を捕まえ、代官所につき出した……というのである。その後吉兵衛は病死して、娘のお仙は助造に引き取られ姐さんと呼ばれる身、お市という娘もいるということで、この話は終わる。

大分省略されてはいるが、原作に書かれた骨子は述べられている。省略された部分とは、五両で忠七の両親や兄は、忠七が罪人になることを認めたということである。忠七の家はそこまで窮乏していたのである。忠七が十手持ちを殺したところを見たという証人は、助造とその子分が引き受けた。
忠七が罪を認めたのは、親兄弟をはじめ唐木の住民全員がそれで納得していると、知らされたからである、と原作には書かれている。その時の忠七の落胆ぶりはいかほどだったろう。生まれ故郷の者だけでなく、肉親にまで見放され裏切られるとは……残酷である。
忠七とお仙の悲恋は、お仙の娘のお市と農夫との悲恋に重なる。テレビ版オリジナルに脚本化されている訳である。

五両を手にした忠七の父親と兄は雷に打たれて死に、母は井戸に落ちて死ぬ。二人の妹は身売りをし、15年前から行方不明……忠七の家は一家離散している。
大野屋吉兵衛はその後失火で家は全焼し一文無しとなり、その上暴れ馬に蹴られて死ぬ。忠七の祟りだと唐木では大騒ぎだったそうだ。このあたりを読むと、忠七が意趣返しをしなくても、十分な報復である。

テレビ版では、薬売りが話している間、紋次郎は繕い物をしている。遅れて宿に入った例の旅人は、荷物の始末をしながら、淡々とした表情で掴みどころがない。
そんな辛酸をなめた忠七が、意趣返しに唐木に向かっているという噂にピリピリしているから、近寄らないほうがいいと薬売りは忠告するのである。

原作の忠七は話をする老農夫に質問したり、合いの手を入れたりしている。そしてテレビ版と決定的に違うのは、ニヤリと自嘲的に笑うところである。
しかし、菅貫さんは笑わない。実に淡々としていて、諦観した表情である。

翌朝、薬売りは先に出立し、紋次郎と旅人は二人きりになる。ここで初めて二人の会話になる。
「楊枝を咥えてなさるんで、もしかしたら紋次郎さんと……」
という言葉から会話が始まる。紋次郎はそれを認めて名前を明かす。「娑婆に疎いもんで……」と謝る旅人に「おめえさん、生国はどちらで?」と紋次郎が訊く。
ここで初めて、タイトルにある「生国」が出てくる。

旅人は脚絆を着けようとしていたが、正座をし直して答える。
「失礼さんでござんすが、あっしには生国なんてものはねえもんだって、受け取ってやっておくんなせえ。」
物腰や口調は実直で丁寧であるが、「生国なんてものはない」と言う返事は、複雑なものがある。生国を捨てたのか、生国からはじかれたのか、……哀しく虚しい響きがある。

紋次郎は旅人の左腕に、2本の入れ墨が入っていることに目を留める。

「おめえさん、三宅島での島割りは南ですかい、北ですかい?」
旅人の動きが止まるが、無言。
「あっしは神着ってとこを知っていやすよ。」
「そうだったんですかい……あっしは南の端の坪田村ってとこに……。」

前シリーズの市川監督は、紋次郎が三宅島に流されたことにはしていない。新シリーズでは、紋次郎の腕に二本の入れ墨が入っていて、原作を踏襲している。
原作での紋次郎は、旅人の腕の入れ墨は見ていない。

紋次郎が三宅島にいた期間は短いが、それなりの苦渋の日々であった。忠七は17年間も無実の罪で苛酷な島流し生活を強いられた。この二人の共通点は、無実の罪でということと、裏切られたということである。そして紋次郎は貧しさゆえ、両親に間引かれそうになったし、忠七はたった五両で家族に引導を渡された。この二人の境遇はよく似ており、自ずと似たもの同士に見えてしまう。

「じゃあ、おめえさんの名は忠七さんって受け取ってもよござんすかい。」
「名前なんてぇは、どうつけようと大して変わりは致しやせん。忠七でも何でも結構でござんす。」
否定しないということは、やはりこの旅人は忠七なのだ。

「伊那谷の唐木に寄ると聞きやしたが……」
「紋次郎さん、ゆんべの話は忘れておくんなせえ。島帰りのおめえさんだったら察しがつくと思いやすが、島に18年もいると恨み心も憎しみも枯れ果ててしまうもんで……。
今更唐木に乗り込んで意趣返しをしようなんて気は毛頭ござんせん。」

「だったら何の為に唐木に寄るんで?」

このときの答えが、謎となって最後まで尾を引くのである。
忠七は
「ただ命を見てぇ一心から唐木に立ち寄るだけのことなんで……。」
と答えるのみ。「命」……全く意味がわからない。命とは誰かの命なのだろうか?

ここで頭をよぎるのは、「みちのくの母のいのちを一目見ん 一目みんとぞただにいそげる」
病に伏せる母の元へ駆けつけようとする、斎藤茂吉の有名な短歌である。誰かの命が、風前の灯火なのだろうか、と思ってしまう。

第25話「 生国は地獄にござんす」(中編)

自分の生まれ故郷に恨みを持って、意趣返しをしようとするストーリーは、今までに何回かあった。
「峠に哭いた甲州路」「女人講の闇を裂く」「砕けた波に影一つ」 等々……。今回もその類かもしれない。忠七は意趣返しは考えていないと言ってはいるが、油断をさせておいて豹変するかも……と思ってしまうのは、菅貫さんの「十六夜小僧」役があるからである。善人のふりをして、実は……というドンデン返しがあったからである。

しかし、菅貫さんの演技は実に巧い。渡世人言葉の台詞回しも板に付いているし、声色も渋い。抑揚がなく、感情が死んでいる。

テレビ版は時間的に制約があるので仕方がないが、紋次郎と忠七が共有する時間をもっと長くして欲しかった。
原作では舟小屋で共に野宿をしている。ここで互いの名前を明かす。忠七は、他人さまのことに関わりたくないのは、生きるための知恵であって、薄情なようだが頼み事には一切耳を貸さないのだと持論を語る。全く紋次郎と同じ考えである。紋次郎も、同じ考えの無宿者はこの世に数限りなくいるだろうと、同調する。

そして、忠七は唐木に寄るのは「命」を見たいだけで、他意はないと答える。眠りにつく直前、紋次郎は忠七が引き寄せる長脇差の頑丈な造りを目にする。武器として、かなり存在感のある長脇差……クライマックスへの布石でもある。

舟小屋を二人は午前4時に出立する。まだ暗い中を二人は歩く。

「人気のない街道を、二人は北へ向かった。速度が同じなので、紋次郎と忠七は肩を並べて歩くことになる。二人の渡世人が足を揃えて疾風の如くに歩いて行く姿は、端目にも緊張感を強いられるような凄みがあった。」
(原作より抜粋)

このツーショットを頭に思い浮かべるだけでも、鳥肌が立つ思いである。やはり、映像化してほしかった。

二人はお互い、道連れを拒む同士でありながら道連れになる。紋次郎が道連れを作ったのは、これが初めて……と原作にある。こちらが望まないのに、相手が一方的についてきたり、結果的に連れ立つことになったことはあるが、紋次郎が拒まず黙認した相手というのは、忠七が初めてだということになる。
「この忠七に対しては、どうもいつもの紋次郎とは違うようだった」とも原作にあるが、これを親近感というのだろうか。もしそうだとしたら、これは全く希有なことである。心が通じ合うというより、波長が合うといった方がいいのかもしれない。
この後二人は揃って煮売屋に入り、飯を無言で腹に流し込む。その食し方も同じである。そしてここで、前述した老農夫が忠七の話を聞かせるのである。

二人は野宿での二泊目を、薬師堂で迎える。紋次郎は豆餅を、忠七は干魚をそれぞれ焚火に焙って食べる。
ここでも忠七は、道連れになった奇遇を口にする。
紋次郎は
「道連れにしてもお荷物にはならねえ相手だと、互いにわかっているからでしょうよ」
と答える。そして
「あっしは未だに、おめえさんの胸のうちが読み取れやせんが……」
と続ける。

本当に、今回の原作での紋次郎は雄弁である。縁もゆかりもない忠七が、唐木に立ち寄る理由である「命を見る」ことに、珍しくこだわっている。これは判じ物を解きたい、という軽い好奇心ではない。忠七に紋次郎は自分を重ねている。

自分と同じような境遇である忠七が、一体何のために自分の生国である唐木に、立ち寄ろうとしているのか。
紋次郎も以前、生国である三日月村に立ち寄ったことがある。しかしそれは、無目的でありただの通過点であった。他の村と比べて、特別な感情もなかった。

そんな紋次郎にとって、敢えて災難が待ち受けている生国に立ち寄るという忠七の思惑が、計り知れないのである。何がそこまで忠七を動かすのか。
そしてこのままで行くと、忠七の件に関わってしまうのは火を見るより明らかなのに、紋次郎も唐木に足を向けるのである。

さてテレビ版では、オリジナルストーリーであるお市の仇討ちが絡んでくる。お市は家を勝手に飛び出して、太吉を殺した忠七を捜している。お市は葦原の先に歩く渡世人の姿を認め、匕首を手に襲いかかる。しかし相手は紋次郎。軽くあしらわれてしまう。
紋次郎から自分は忠七ではないし、忠七が太吉を殺したのではない、と言われ傲然とするお市。その様子をこっそり見ていた助造の子分たち。

助造は子分から話を聞き、紋次郎が忠七の助っ人になったのではと疑い、村人に警護を強めるようにと使いを走らせる。
恋人の太吉を殺され、沈み込んでいるお市の元に、母親であるお仙がそっと寄り添う。太吉を殺したのは忠七ではないし、18年前の人殺しも忠七は無実だとお市に話す。そして娘にまで、自分と同じ運命であることを嘆く。

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Re: 第25話「 生国は地獄にござんす」(中編)

お夕さん、早い時間に失礼します。年を取ると朝が早くなりまして・・・(笑)

敦夫さんも、紋次郎以降おびただしい数の時代劇やTVドラマに出演し、「正直どんなドラマに出ていたか記憶がない」とおっしゃったようで、主役級の方がそうなのですから、すでに名脇役だった菅貫さんもこの時期相当数の時代劇・ドラマにはしご出演されていたものと思います。

お夕さんもすでに見られたと思いますが、「新選組・呪いの血しぶき」の狂気の土方歳三の演技の凄さ・・・ドン引きしてしまうくらいでした。それに敦夫さんの静かで知性あふれる山南敬助! ドラマ冒頭の「新選組・山南敬助と知っての狼藉か!」のセリフにクラクラしましたよ(笑)

ところでテレ朝の「信長のシェフ」ご覧になってますか。これがなかなか面白いのです。戦国の料理人版「仁」の様なドラマなんですが、ミッチー(及川光博)の信長が実にいい。今年は時代劇の当たり年かもしれませんね。

画質は悪いですが「信長のシェフ」1~2話こちらで視聴できます。
http://www.dailymotion.com/video/xwp4zu_yyyyyy-1_shortfilms




  • 20130120
  • おみつ ♦aiP0wTO2
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  • 編集 ]
Re: 第25話「 生国は地獄にござんす」(中編)

おみつさま、コメントをいただきありがとうございます。

菅貫さんは、狂気を演じたら一級品だと思いますが、素顔はどんな方だったんでしょう。きっと知性あふれるジェントルマンだったのではないか、と思います。

私は未見なんですが、「十三人の刺客」(昭和38年)での松平斉韶役の、残酷な馬鹿殿様ぶりは相当だったようです。
平成版は見たのですが、稲垣吾郎さんの演技と比べてみたいと思います。(こちらも、相当でしたが)
早世されて本当に残念です。

「信長のシェフ」
ご紹介ありがとうございます。見逃しておりましたので、注目していきたいと思います。
及川さん、なかなかいいですね。

今年は信長がクローズアップされるかもしれません。(タイムスクープハンターの映画化では、安土城がテーマです)
地元としては、嬉しいです。

いつも情報、ありがとうございます。

  • 20130120
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第25話「 生国は地獄にござんす」(中編)

今回の映像作り、かなり良いですね。
屋根の北側に雪の残る茅葺民家と風景、芦原の中の木の橋。
また、照明もとても上手く、一部分にだけ当たるオレンジ色の残照など、かなり印象的です。
ああ、それなのに…(後編に続く その2)

テレビ版で、紋次郎と忠七の共有する時間が少ない点は、私も不満でした。
今回のテーマは、誰とも道連れを作らない筈の紋次郎が道連れを作り、1日行動を共にし、最後には心を開いて自分が島帰りであることまで明かす点にある、と私は思っています。
たった一晩の相宿で知り合った途端に、出自を明かすのは、ちょっと紋次郎らしくないです。
そして、ビジュアル面での売りは、お夕さんが書いておられるように、貫禄満点の渡世人が二人連れ立って歩くシーンであって欲しかったです。

お市を、原作のようなヤな性格じゃなく、多少はまともにしてあるのは嬉しかったです。
また原作で、忠七は「治部坂峠で若い衆から教えられたんですがね。楊枝をくわえた渡世人は上州新田郡三日月村の生まれで、たいそう名の通った旅人さんだそうで・・・」と言いますが、ページを遡っても若い衆のそんなセリフは無く、会話が聞こえなくなってからの場面で言ったんだろうということにしてたんですが、こちらではちゃんと「ながーーい楊枝くわえて歩かんかい!」と入れてあるんですね。
また、原作の煮売家の女房は「力士のような大女」と書かれていますが、それで、違う場面の茶屋に、お玉さんの船場牡丹さんを起用したんでしょうかね。(笑)

  • 20130120
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第25話「 生国は地獄にござんす」(中編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

今回はロケが多く、枯れた感じがあって良かったですね。
探してみたい所はたくさんあります。
お嘆きの点、私と思うところが同じかどうかわかりませんが、もし違っていたら教えてくださいね。

他にも紋次郎とのツーショットが見たかったと言えば、喜連川の八蔵です。原作では二人は賭場に同席していて、その後一晩、同じ屋根の下で過ごしています。
よく似た二人が、どんな様子だったのか、見たかったです。
そういう細かなところが、割愛されているのは残念ですが、時間内に収めなければならないので、仕方がないですね。

お市の恋人を殺させたという罪を、助造に与えたのは良かったと思います。より悪人に仕立てた方が、番組上いいでしょうから……。

原作を読んで勝行さんは、ピピンとお玉さんを思い浮かべたんでしょうかね。やはり彼女はインパクトがあります(笑)。

  • 20130121
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第25話「 生国は地獄にござんす」(中編)

今晩は、お夕さん、

ご無沙汰しておりますうちに新年へと、というか
もうすでに1月も末となっておりますねっ、笑

このきちん宿の旗がなんともいい感じで、
こんな宿に泊まるのもいいなぁ~とまた日本叙情
恋しさがもたげてきています。

先日TV現代ドラマ劇で中村敦夫さんが出ておられ素敵に
歳をとられているようにお見えしました。

お夕さんのここでの紋次郎さんもいいですよねぇ~、

最後になりましたが今年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ!


  • 20130125
  • 淡青 ♦pDmV/urE
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第25話「 生国は地獄にござんす」(中編)

淡青さま、コメントをいただきありがとうございます。

最近の宿泊先は、秘湯の宿か旅籠風の宿ばかりです。おしゃれな女子が泊まるようなホテルやペンションとは、無縁でございます。

紋次郎が宿泊する宿は、大体木賃宿と決まっているわけですが、実際は風情どころではなかったでしょうね。{野宿よりはマシだったでしょうが)
偏狭なブログですが、また良ければお立ち寄りください。
今年も宜しくお願いします。

  • 20130125
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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