紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第25話「 生国は地獄にござんす」(後編)

第25話「 生国は地獄にござんす」(後編)

第25話「 生国は地獄にござんす」(後編)
(原作 第55話)(放映 1978.3.22)
忠七は、村はずれの冬枯れの田圃道を一人歩く。原作とは違い、単独行動である。雪がちらつき冷たい風が吹いている。荒涼とした雰囲気はまさに紋次郎ワールド。
一人の老農夫が、忠七を見つけて声をかける。この農夫も忠七が、意趣返しに帰ってきたと勘違いしている。
忠七は何の恨みも持っていない、ただ「命」を見たいだけだ……と答える。
「それなら余計に唐木に近寄らない方がいい。みんな頭から忠七が仕返しに来ると思って構えている。無事には済まない……」
と必死に止めるが、忠七は
「承知の上でござんす。御免なすって。」
と前に進む。

例の橋の上には唐木の住民たちがバリケードを築いて、忠七の襲撃に備えている。鎌を持つ者、竹槍を手にする者など、緊迫した様子である。忠七はそれを見て、山の急斜面を登っていく。それを見ていた薪拾いに来ていた男が、助造の元に報告に行く。
「八幡さまのほうへ、向かっておりますだ。」
助造たちは八幡神社に向かう。

原作では紋次郎と忠七が連れ立って歩いている。行く手に現れたのは、元名主の伊左衛門と若い雇い人。伊左衛門は恨みを晴らすなら、自分を斬れ、だから唐木の町の衆には手を出さないでくれ、と小判を十枚ほど見せる。
忠七は町の衆にも親にもお仙にも、恨みはない、ただ「命」を見たいだけだと言って伊左衛門を押しのけて進む。進む伊那谷の田園風景は、テレビ版と違ってのどかで美しい。梨の花、山吹の花、藤の花が咲いている、とある。この穏やかな田舎町で、この後血なまぐさい修羅場が……ギャップが大きい。

原作では、忠七たちを待ちかまえる先鋒はお市である。初めての登場である。
「色白で町娘らしい装いだが、可愛い顔がいかにもきつそうであった。鉄火肌の娘という感じで、敵意をむき出しにした目つきである。」(原作より抜粋)

そのお市の敵意というのは、「自分の父母に対して手出ししたら承知しない」という単純なものである。
ここでも忠七は、長脇差は抜かない、唐木には小半時も留まらない、唐木の八幡さまに寄って命を見たいだけだと、お市に繰り返す。お市にとっても「命」の意味はわからないが、「話して聞かせるだけの義理はない。」と忠七は打ち明けない。

忠七にとって目の前にいるお市は、昔惚れていたお仙の娘であるのだが、全く感慨はなさそうである。普通なら、自分に関わりがないとしても、しげしげと見たりお仙の面影を探したりするものだろうが、その記述は全く見当たらない。
やはり、昔のことにはこだわっていないのだろうか。恨み心だけでなく、感情そのものも三宅島に置いてきてしまったのだろうか。忠七の心も昔に死んでいるのだ。
しかし、「命」だけは見たい……忠七の感情は、その一点だけなのである。

原作では、忠七と紋次郎が肩を並べて歩く後ろにお市と若い者五人がついていく。唐木八幡社の鳥居の前に土地の渡世人が四人、そして助造とお仙が忠七たちを待ちかまえる。
忠七は助造に小腰を屈めてあいさつをする。

「これはこれはお仙さん、いや姐さんも、お久しゅうござんす」
忠七は、助造の背後の女に笑顔を向けた。忠七の笑いも言葉も決して嫌味なものではなかったが、女は慌てて助造の蔭に隠れるようにして目を伏せていた。(原作より抜粋)

笑顔でお仙に挨拶ができるほど、忠七の心にはわだかまりがない。
傍にいるのが紋次郎とわかると、助造たちは浮き足立つ。緊迫した中、忠七は構わず神殿に近づく。
「ここにおめえさんが見てえという命があるんですかい」
と訊く紋次郎に「へい」と忠七は答えてニヤリとする。
そこへお仙が追ってきて、何かを言いたそうにするが、目を伏せる。
忠七は
「まあ、いいってことよ。お仙さんは、あっちにいてくんねえな」と言って少し荒っぽく押しやったが、その拍子にお仙は足を滑らせて転倒する。
それに逆上したのは、意外にもお市だった。背を向けて神殿に近づく忠七目がけて身体ごとぶつかる。両手には長脇差が握られていた。

テレビ版では、忠七はひとりで八幡宮にやって来る。ロケ地は、最初のシーンは鳥居本八幡宮である。しかし立ち回りをするシーンは、どうも別の神社のようである。明らかに鳥居本八幡宮より、新しく大きなお社である。またじっくり考察したいと思う。

忠七は社の裏から石段を下りて、助造たちと出合う。
「もう、あっしの用は済みやした。」
と口にしているところを見ると、「命」を見終わったようである。
忠七は助造に意趣返しに来たのではなく、命を見るために立ち寄っただけ、もう二度と三州街道には足を向けないので見逃してほしいと静かに言うが、助造は取り合わない。忠七が生きている限り、唐木の町の者は安心して眠れない、死んでもらうぜという言葉と同時に、子分たちが一斉に抜刀して襲いかかる。

忠七は石段を駆け上がり、建物の蔭に回り込むが、突然背後からお市に匕首で刺される。うめき声と共に後ろを振り返ったときの菅貫さんの目の演技は迫真に迫っている。
刺した相手を確かめる見開いた目に、光が反射している。カメラワーク、照明と、計算された映像作りである。

「太吉の仇だ!」
とお市が叫ぶ。血が付いた切っ先をかざしながら、お市は忠七と対峙する。カメラはお市と忠七の動きと共に、背後からゆっくりターンする。ここも見事。
「いってえ、何の真似なんだよ。」
「仇だよ!太吉の仇を討つんだよ!」

原作では、母親を押しやって転ばせた……という些細なことに逆上してお市は忠七を刺す。これはあまりにも短絡的すぎて、釈然としなかったが、テレビ版の展開なら必然性があるし頷ける。

お市は再度金切り声を上げて忠七に向かっていく。忠七はかろうじて攻撃を避ける。
「てめえたち、まだわかんねのかい。」
と腰の長脇差を鞘ごと抜いて、無造作に投げ落とす忠七。子分が拾い上げて確かめると、何とそれは竹光だった。原作では、最強の武器と思われた大刀にも似た長脇差は、木刀であった。どちらも意外な展開であるが、原作のほうが驚きが大きい。

渡世人が、人を斬れない竹光や木刀を腰にしているとは、普通考えられないだろう。それも、相当貫禄のある渡世人であるにもかかわらずである。
竹光を腰にしていたと言えば、「雷神が二度吼えた」での堀田又兵衛。武士でありながら又兵衛は、自分が臆病者であるが故に竹光を差していた。

「恨み心も枯れ果てて、人を斬る気にもならねえ者に、刃物なんぞは要らねえのさ。十七年も地獄で暮らしていりゃあ、おめえたちみてえな生臭い心はなくなるぜ」
原作での忠七の言い分である。
私は、地獄のような島での生活もさることながら、赦免され上陸してからの半年は、どんな生活だったのだろうかと想像する。無宿者で島帰りの身となれば、渡世人としてしか、生きていけないだろう。
しかし、たったの半年で、渡世人としての立ち居振る舞いが身につき、貫禄が滲み出るようになるのだろうか、とちょっと疑問。この世の地獄を経験した者は、娑婆での出来事など取るに足らないぐらいに思える程、肝が据わっているのだろう。

第25話「 生国は地獄にござんす」(後編)

一つ目のドンデン返しは忠七の長脇差だが、クライマックスのドンデン返しはお仙の口から発せられる。
「お待ち!そのお人は、お前のおとっつぁんなんだよ!」
いい加減なことを……と忠七は、痛みをこらえて言う。
「本当なんだよ、忠七さん。十八年前、忠七さんがお召捕りになる前の晩に、あとにも先にもただ一度だけ、肌で契りを交わしたじゃないか。そのときのお前さんのタネを宿して、生まれたのがこのお市なんだよ。今日までこのことは、誰にも打ち明けなかったけど……」(原作より抜粋)

驚きの展開である。テレビ版ではこのあとすぐに助造が、「今までだましやがって!」とお仙を荒々しく引き寄せると、長脇差を胸に突き立てる。柱に縋りついて崩れ落ちるお仙に、お市は取り縋る。
原作では忠七が見たかった「命」とは何だったのかが明らかになり、忠七が事切れたあと、お仙が殺されるのだが、テレビ版では若干順番を変えてある。
原作の紋次郎は、お仙の死骸に助造が唾を吐きかけたのと同時に助造に体当たりをして、長脇差で何度も突き刺す。

「紋次郎が、忠七さんの意趣返しを致しやす。容赦はしねえから、そのつもりでいておくんなはい」
表情のない顔で、紋次郎は周囲の男たちを見回した。(原作より抜粋)

紋次郎は傍にいながら、お仙を救えなかったのだろうか、とちょっとくやしい。お仙だけでも生きていれば浮かばれるだろうが、そこがやはり紋次郎ワールドである。
このあとの紋次郎の暴れっぷりは、ハンパではない。戦意喪失の者であろうと、手を合わせて助けを乞う者でさえ容赦はしなかった。かなりのハードバイオレンスである。

テレビ版では、助造が「忠七、てめえも死にやがれ!」と抜き身の長脇差を振るう直前に、紋次郎が姿を現す。
「待ってました!紋次郎!」と言った感じである。

「紋次郎、てめえやっぱり忠七の助っ人だったんだな。」
「あっしは、命を見ようと思っただけでござんすよ。」
「命?」
「忠七さんの言っていた命ってものを拝見しようと思いやしてね。」
「訳のわからねえことをほざくんじゃねえやい!」
「そうですかい。じゃあ、あっしが忠七さんの意趣返しをさせてもらいやすぜ。容赦しねえからそのつもりでいておくんなはい。」

その後の殺陣はスピーディーである。逆手に持った長脇差で、次々に敵を斃す。神社の社殿裏の狭い空間での殺陣なので、転がったり走り回ったりはないが、斬られる者との息が合っていないと難しそうである。
容赦しないと言ってから助造が斬られ、紋次郎が長脇差を鞘に収めるまでの時間1分18秒。数値以上に早く終わってしまった印象を受ける。

「紋次郎さん」と忠七は呼び止める。
「唐木の町の衆に売られたこのあっしが、今度は実の娘に殺されるとは島も地獄ならここも地獄にござんすよ。」
「忠七さん、おめえさんが死ぬのも覚悟の上で見たがっていた命ってぇのは、一体どこのあるんですかい?」
忠七は痛みにうめきながら、
「この柱に刻み込んでおりやす。」
と答える。
「こんなものが見たくってこの唐木くんだりまで来たのかと、どうぞ笑ってやっておくんなせえ。」

紋次郎の視線の先にあるのは神殿の柱に刻まれた文字だった。

「ちゅうしちさん いのち おせん」

なんと、忠七が言っていた「命」とは、柱に刻まれた文字だったのだ。なるほど、「いのち」と彫ってある。今でもよく観光地に行くと、恋人たちの名前が彫られているが、まさか……の展開である。
しかし、映像でそれを見た途端「えっ?!」と思ったのは、その刻まれた文字があまりに達筆で美しく、新しい(笑)ことだ。まるでプロの彫刻家と思うほどの腕の良さである。それも相当大きい。ああいうものは、目立たないようにひっそり書くべきである(笑)。出来ればもっと稚拙に彫られたものであってほしかった。

お仙が、忠七との愛を誓った証の文字には、二人が幸せに暮らしていた思い出が凝縮されている。渡世人が自分の命を守るために必要な長脇差を持たなかった時点で、忠七はいつ死んでもいいと思っていた。
しかし、どこかで野垂れ死ぬ前に、どうしても見ておきたかったのだ。自分が生きていた証を、この目で確かめたかったのだろう。お仙に逢いたいというのではなく、自分さがしをしていたともいえる。
しかし皮肉にも、生きていた証だった実の娘に命を奪われるとは、なんて因果な結末だろうか。

島から生きて帰れないと思っていたのが、図らずも御赦免で地獄から帰ってきた。しかし、この生まれ故郷も地獄と変わりがなかった。
「紋次郎さん、問われるままになっているあっしの生国を申し上げやしょう……。」
ここからの菅貫さんの演技が胸を打つ。

死相が現れて焦点も定まっていない表情で、顎紐を力なくほどいて三度笠をパラリと落とす。最後の力を振り絞ってヨロヨロと立ち上がる。
腰を屈めて仁義をきる姿勢で、声を張り上げる。
「手前生国は、地獄にござんす……地獄にござんす……」
1回目は紋次郎に向かって、2回目の弱々しい声は自分に言い聞かせるかのように。
そしてパタリと前のめりに倒れて動かなくなる。

初めから最後まで、主役は菅貫さんの忠七だった。終始ニコリともしない、虚無的な表情で演じた菅貫さんの忠七は、原作よりも悲哀がこもっていた。
紋次郎は静かに忠七に視線を落とし、背を向けて去ろうとする。
その背後から、お市の泣き叫ぶ声。
「殺して!私も殺して!」

紋次郎は足を留め振り返って、楊枝を柱に飛ばす。
楊枝は刻まれた「いのち」の「の」の横に突き刺さる。「ちゅうしち いち おせん」と読み取れた。刻まれた文字に、楊枝を飛ばしたことは「無縁仏に明日を見た」でもあった。あの時は2本の楊枝が飛んだが今回は1本。
原作では、助造や身内までを殺した紋次郎を罵るお市に、「あっしには、言い訳なんぞござんせんよ」といつもの台詞が書かれているが、テレビ版はなし。なくて良かった。

エンディングのナレーションで「紋次郎が他人の意趣返しをやったのは、初めてであった。」とある。
今までは降りかかった火の粉を払ってきた紋次郎であったが、今回は自分の意志で他人のために長脇差を振るったことになる。
忠七を殺したのはお市だが、お市は突発的であって、実際は助造たちが忠七を殺そうと待ちかまえていたわけである。従って、忠七の仇討ちの相手であると言ってもいい。
今回の紋次郎は、忠七に今までになく関わりすぎた。忠七が見たかったという「命」にも、興味を持った。他人のことに興味を持つという紋次郎は珍しい。

紋次郎は忠七の、愚直なまでの純粋さに惹かれたのである。しかし、恨みも憎しみも欲もない忠七が、なんで理不尽にも殺されてしまうのか。この理不尽さや、子が親を殺すという抗えない因果に怒っている。それを「忠七の意趣返し」に置き換え、容赦なく怒りの長脇差を振るった。

初めて道連れとなった忠七……せめてあの世だけは、極楽への道を歩いていてほしい。






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Re: 第25話「 生国は地獄にござんす」(後編)

やはり、同じところが不満でしたね。
18年間、見たい見たいと思って生き続けてきた、一番のキモ。
お夕さんのおっしゃるとおり、ピカピカ・手間が掛かり過ぎ・目立ち過ぎで、見た瞬間にコケました。

おそらくは、原作を知らない下請けに、あまり説明せずに任せたのでしょうけど、何のためらいも無く、よく使用する気になったもんです。
即座にダメ出しして、適当な古い材木に、その場で小刀で刻んだほうが、よっぽどマシなものが出来るのに。

スガカンの演技は本当に迫真モノでした。
三度笠の縁からのぞく無表情な目など、島帰りの貫禄充分でした。
そしてあのラストときたら、もう、最高!

が、紋次郎として成り立たせるためには、やはり原作どおり、紋次郎はずっと忠七と行動を共にさせてほしかったです。
原作のメインである、「紋次郎が初めて他人に道連れを許す」を省き、話に聞いただけで気になった「命」とやらを見るためだけに、わざわざ乗り込んでくるというのは、ちょっといただけません。
ただ、究極の言い訳セリフを使わなかった点は、私も評価したいです。(笑)

昨日放映された「姫四郎流れ旅」を鑑賞出来ました。
時代劇としてはよく出来ていると思います。
ただ個人的には、「潮に棹さす桑名宿」は非常に好きな話なので、せっかくハッピーエンドだったものを、ああいう後日談にしてほしくはなかったです。

  • 20130127
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 第25話「 生国は地獄にござんす」(後編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

「命」の彫り物……小説で思い描いていたものと、あまりに違うので目を疑いましたね。
誰一人異論がなかったのかと、不思議でなりません。
あの作品の、それこそ「命」だっただけに残念です。

菅貫さんの、堂に入った台詞回しや演技はさすがでした。いつもはオーバーリアクション気味なのに、今回は寡黙で虚無的な雰囲気。
渋くて格好良かったですね。

乙姫さん、今日録画していたものを観ました。
こちらも、想像していたものとはちょっと違う雰囲気がありましたが、娯楽時代劇としては良かったと思います。
一行さん、若かったですね。
岡田奈々さんは、私たちと同世代ですが、今どうなさっているのでしょう。

  • 20130127
  • お夕 ♦wikz35BA
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生国は地獄にござんす

このストーリーの紋次郎の楊枝の使い方がまた粋でしたね。いのちの、(の)に飛ばして ちゅうしち いち おせんと親子の名前を並べたんだから。無縁仏に明日を見たでの自分の墓に向かって飛ばすシーンも良かったですが、あの時の紋次郎を刺した子供も紋次郎と同じ様な生き方になっていくんでしようね。

  • 20141026
  • ボバチャン ♦-
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第25話「 生国は地獄にござんす」(後編)

ボバチャンさま、コメントをいただきありがとうございます。

「いのち」と「いち」……娘の名前を「お市」にしたのは、最後の楊枝の使い方から
逆算されたのでしょうか。
「湯煙に……」でもお市さんが登場しますが、「ま、いいか。」(笑)だったんでしょうね。

  • 20141026
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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