紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(前編)

第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(前編)

第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(前編)
(原作 第50話)(放映 1978.3.29)
とうとうシリーズも最終回となった。

原作の出だしは「雪」を印象的に表している。
「雪が降る。」
「雪が舞う。」
「雪の街道に、人影はない。」
「雪は荒れ狂う。」
「雪が赤く染まる。」
「雪の中に、提燈が浮かび上がる。」

簡潔な描写の中に、ドラマチックな始まりがある。
一人の渡世人が、深手を負いながら敵に追われ、息も絶え絶えに身を潜める。原作は松の木の根元に倒れる渡世人だが、テレビ版では岩陰であり、雪は申し訳程度にうっすらとしか見えない。

「大丈夫ですかい?」と声をかけるのが紋次郎である。倒れ込んだ渡世人は、顔を上げる気力もないくらい疲れ切っているが、喋り始める。
「追っ手は間々田の六右衛門一家。六右衛門は野州で二番目の大親分で、大前田栄五郎が後ろ盾に控えている。六右衛門は執念深く、歯向かった者を容赦なく追いつめる男である。関わり合いを持つと、生きちゃいられなくなるから、ここから離れた方がいい。」と忠告する。
男は武州無宿、「小津川の定吉」と名乗る。紋次郎もそれを聞いて、自分の名を告げる。
定吉は相手が噂に高い木枯し紋次郎と聞いて、「地獄で仏」と喜ぶ。しかし紋次郎は、「何の役にも、立たねえでしょうよ。」とすげない態度で立ち去ろうとする。

そんな紋次郎がその後、定吉の話を聞こうとしたのは、「あてのない旅にケリをつけて、一つところに落ち着きたいと思ったことはないかい?」と尋ねられたからである。紋次郎は本音を言う。
「ねえと言ったら、嘘になりやしょう。」
紋次郎は、旅に疲れているという設定か。昨日も明日もない、あてのない旅に終止符を打ちたいと、紋次郎が考えているとは……。
意外ではあるが、以前もそれらしきことは何回かあった。

「一里塚……」では加代の清純さに触れ、「もしも自分が堅気であって加代のような妹がいたら、と紋次郎は漠然とした想像に捉われていた。」とある。
「女人講……」ではお筆が住む宿場外れを歩きながら、土地の人々と共に寄り合いに加わっている自分を想像したりもしている。
また「年に一度の……」では、「もうそろそろ、流れ旅に終止符を打つときが訪れても、いいのではないか。」と、弱音を吐きかけたりしている。
原作での展開ではないが、テレビ版の「人斬りに……」では、お香に言い寄られている。
そして極めつけは、「旅立ちは三日後に」での紋次郎。「許されるなら、異存はない。」とまで、お澄に返答する。
しかしいずれも叶わぬ夢となり、紋次郎はまた草鞋を履くのである。

定吉は紋次郎の本音を聞いて、「そうと聞いて、安心したぜ。木枯し紋次郎も、おれたちと変わらねえ人の子だ。」と言って話を続ける。
自分も八年の長旅に疲れて果て、落ち着く先も決まっていたが、六右衛門一家とのいざこざで、それも叶わないようだ。その落ち着く先だった房州館山の南にある那古へ足を伸ばして伝言を……と紋次郎に頼む。

「折角のお招きではござんしたが、どうやら遅すぎたようでござんす。小津川の定吉、日光道中は野木の宿はずれで二十八年の生涯を閉じやした。」という口上だった。
那古村の清兵衛にその口上を述べてほしい……原作ではその昔、那古の清兵衛は関八州では名の知れた人物だったとも付け加える。
テレビ版では、その部分は伏せてあるが、清兵衛が堅気ではなかったという意味である。

テレビ版も原作も、紋次郎は引き受け動き始める。
その行く手を阻んだのが、六右衛門一家に草鞋を脱いだ「熊川の勘八」である。いわゆる一宿一飯の仁義という訳である。一家に客人として草鞋を脱いだ者は、渡世の義理として、その親分の命令には従わなければならない。

熊川の勘八は六右衛門の命令で、賭場でいざこざを起こした定吉を追って一家の者と一緒にここまで来たのである。勘八は定吉とは面識がないので、紋次郎を定吉と間違え長脇差を抜く。紋次郎は人違いだと教えたが、結局降りかかる火の粉という形で、勘八を殺してしまう。
この時点で、紋次郎の運命は変わってしまった。

紋次郎は房州に向かう。
テレビ版では、ただ街道を急ぐ姿だけであるが、原作を読むとかなりの行程であることがわかる。野木から境町まで、徹夜で走り続けた距離は十里半、約42㎞。フルマラソンの距離である。おまけに雪の中である。
いつも思うのだが、草鞋履きで雪道が進めるのだろうか。雪の足元の装備については、原作でも言及されていないのでわからない。

その後舟を乗り継ぎ江戸川を下り、野州から房州へと急ぐ。
紋次郎が房州まで足を伸ばすことは珍しい。「背を陽に向けた房州路」(小仏の新三郎 翻案)と「海鳴りに運命を聞いた」ぐらいだろうか。房州は、渡世人にはあまり縁のない土地柄だったとある。

第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(前編)

人との関わりを拒む紋次郎が、頼みを聞くパターンとして「今際の際の頼み」というのがある。今回はそれにあたるのだが、原作にはその心情が詳しく書かれている。

「小津川の定吉の気持が、他人事のようには思えなかったからである。当てのない旅にケリをつけて、一つところに落着きたい。それは、流れ旅を続けている渡世人たちの、共通した願望なのだ。~(中略)~
小津川の定吉は、八年間の流れ旅で疲れ果てたと言っていた。その上、腰を落着けるところまで、決まっていたというのである。定吉は、好運だったのだ。紋次郎は八年の倍も流れ旅を続けているが、未だにケリをつけるなど夢のまた夢であった。
しかし、小津川の定吉は折角の機会を、ふいにしてしまったのである。その口惜しさ、もったいなさが、紋次郎には他人事と思えなかったのだ。それで定吉の頼みを、あっさりと引き受けたのであった。」
(原作より抜粋)

紋次郎は八年の倍も流れ旅……とあるが、十歳から数えると倍どころか3倍になるはずだが……。
他人との関わりは持たないという哲学で生きてきた紋次郎が、定吉のことを他人事と思えないとは……。そう言えば、渡世の世界から足を洗おうとする者を、紋次郎は今まで大事にしてきた。

第1シーズン「童唄……」では、子分にしてくれと頼む若者の横っ面を殴りつけ、親兄弟のところへ帰れと諭している。
第2シーズン「木っ端が……」での三下の伝八は、最後に足を洗う決心をする。
新シリーズでの「雷神……」では、堅気に戻ろうと郷里に向かう亀吉と同行し、結果的には亀吉の意趣返しをする。
テレビ版だけのオリジナルの部分もあるが、紋次郎は渡世人としての生き方は、敢えてするものではないと考えている。    

テレビ版での紋次郎の歩く姿は、比較的のんびりモード。原作のような必死さはあまり感じられない。
その後、間々田の六右衛門が子分に指図をしているシーン。
「近頃、大前田栄五郎の采配に逆らう不届き者が増えてきた。この際そいつらを始末しろというのが大前田の小父貴の指図だ。各地に散らばっている、裏切り者から血祭りに上げることにする。」と子分たちに命じる。
この展開はテレビ版のオリジナルである。六右衛門一家が、那古に乗り込んで来る理由が原作とは違うのである。

場面が切り替わり、紋次郎が歩く姿……那古村ののどかな田園風景、広がる青空、長い木製の橋を渡る。
打ち寄せる波が穏やかな砂浜で、砂山を作って遊んでいる女の子に紋次郎は声をかけられる。人なつこく声をかける子どもに、原作の紋次郎は戸惑っている。
那古村の村人は、見知らぬ渡世人に対しても知らん顔で、逃げる気配もない。今までは、警戒したり逃げ出したりする土地ばかりだっただけに、紋次郎はこの村を「別天地」だと思う。

「おいちゃん、どこへ行くんだい」と声をかけた女の子は五歳くらいで名前は「お弓」。清兵衛の家を尋ねると、紋次郎のことを「定吉だろう?」と言う。この子は清兵衛に縁のある子らしい。子役の女の子は利発そうな目をした子で、五歳にしてはしっかりしすぎている(笑)。
紋次郎は自分は定吉ではなく、定吉に頼まれて来たと言うと、お弓は「じいちゃまに訊いて来る」と言って駆け出す。その後を歩く紋次郎は、神社の石段を登っていく女の姿をチラリと見る。

お弓が案内した清兵衛の家は、立派な構えである。お弓は清兵衛の孫娘だった。原作では茅葺きの百姓家で、中二階まであると記述されているが、テレビ版では瓦葺きで立派な長屋門がある。茅葺きの大きな屋敷は、なかなか当時のロケ地でも見つからなかったのかもしれない。

清兵衛役には「水島道太郎」さん。ヤクザ映画では悪役での出演が多かったが、さすがの貫禄。ただ者ではないという清兵衛役には、うってつけである。

紋次郎は清兵衛に、定吉からの口上を述べる。原作では三度笠をはずし、道中合羽と振分け荷物も地面に置いて一礼しているが、テレビ版では三度笠姿そのままである。作法上、どうなのかなあと思ったが、テレビ版ではまだ清兵衛の地所には足を踏み入れていないので、それでいいのか、と思ったりする。

腰を屈めて口上を述べる紋次郎。いつ聞いても敦夫さんの声はいい。聞き惚れてしまう。
「ええっ?」清兵衛は驚き、顔を曇らせる。
紋次郎はそのまま立ち去ろうとするが、結局引き留められ屋敷に招かれる。
「おいちゃん、どうぞ、どうぞ!」
お弓が紋次郎の道中合羽をを引っ張るのである。お弓を見下ろす、紋次郎の眼差しが柔らかい。紋次郎は子どもには弱いのである。

「おっかあ!」とお弓が呼ぶ先には、神社の石段で見かけた女……お弓の母親、清兵衛の娘の「お久」である。
お久役に「中島葵」さん。原作では二十三、四歳とあるが、十歳は年上という設定であろう。
控え目で薄幸な感じのする女優さんである。ネットで調べてみると45歳で早世されている。有島武郎の孫ともあり、認知はされていないが父は俳優、森雅之氏。

原作では、お久の容貌についてかなり詳しく魅力的に書いてある。
「色は浅黒いが、横顔が整った女が恥じ入るように目をそむけて、井戸端へ釜を運んで行ったのである。女っぽいふくらはぎが紋次郎の目に触れた。」
ふくらはぎに紋次郎は目を奪われたわけではないだろうが、意味深な出だしである。

「歳は二十三、四あろう。女っぽさを秘めながら、女っぽさが匂うような年増であった。
色が浅黒いのは当然だろうが、顔立ちが実に美しかった。もちろん色気など表面に出すはずもないが、目や鼻が可愛いせいか、内気で控え目なりに女を感じさせる。唇も形がよくて、可憐であった。
無口で甲斐甲斐しく働く女である。ひどく恥ずかしがり屋なのか、女房というよりも娘みたいであった。」
(原作より抜粋)
結構笹沢さん好みの女性像に仕上がっている。
(中編に続く)

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Re: 第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(前編)

たまに見せる紋次郎の「堅気の暮らしへの想い」。
かなり前に少し書きましたが、初期の頃は私はこれがたまらなく好きでした。
紋次郎や新三郎は、超人ではなく、自分と同じ生身の人間だ、ただ自分と違うのは、鉄の鎖で心を縛って、煩悩を振り払う力を身につけていることだ、と。
が、こういう「人間臭さ」は匙加減をほどほどにしないと、キャラそのものが崩壊してしまいます。

初期の紋次郎は、このような想いが頭をよぎっても、馬鹿馬鹿しいぜとばかり、サトイモの葉についた水滴のごとく振り落としてました。
それがこの時期の原作になったら、水滴が転げ落ちずに染み込む様子が伺え、読んでて「マジ!?」と突っ込んだりもしました。

特に私は、紋次郎や新三郎への憧れがあったため、大学を出るときにフリーランスで生きていくことを決め、「野垂れ死にが来ても受け入れよう」と就職活動も一切せず、その日暮しで卒業後の人生を始めたので、紋次郎はずっと私の憧れた紋次郎のままであって欲しかったです。

それはさておき、今回の発端は紋次郎の過剰防衛ですよね。
自分の刀を抜かず、三下の刀を奪ってやったとはいえ、相手の太腿を割った後にわざわざ飛び込んでとどめをさすんだから、もう…。
体をかわすか峰打ちか鞘の一撃を加えたら、相手がよろめいて崖から落ちてしまった、というのはどこかでやったので、違うパターンに作者もしたかったのかもしれませんが、ちょっと紋次郎じゃないですね。

一応、最後まで見ました。
このあと私がテレビ画面に向かって「こらこらこら!」と突っ込んだ場所、おそらくお夕さんも突っ込んだことだろうなあと思いながら見てました。(笑)

  • 20130311
  • TOKI ♦nhNJg39g
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  • 編集 ]
Re: 第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(前編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

私も初期の原作内で出てくる、「紋次郎の苦笑」の部分が好きです(笑)。
柄にもないことを考えて、自分で自分を笑う。そんなとき、紋次郎にも庶民感覚があるんだ、と何となく微笑ましくさえ思えます。

この巻の紋次郎は、さすらうことに疲れが見えます。そして決定的なこの作品……。長年来のファンからすると、別人に見えてしまうでしょう。

紋次郎は今まで、数え切れない無名のヤクザを斃してきました。紋次郎にとっては仕方のない結果ですが、それぞれに地縁があり血縁があるわけですから、罪作りきわまりないですよね。
紋次郎ももう少し考えないと……ですね(笑)。

突っ込み箇所……もしかしたら、見えてはいけないモノが見えてしまった件でしょうか。
また、ご指摘くださいませ。

  • 20130312
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(前編)

お夕さん

たしかに口上のシーン、仰るように小説の「敷内の前庭」ではなくTV版は「玄関前」だからでしょうね。この「気質衆」の世界との接点、いつも悩ましく、一歩踏み入れてはそれ以上先に入れない。唯一逃れられる術なのに、紋次郎には許されない。なかでも「旅立ちは三日後に」は好きな作品の一つです。それにしても「お百度・・・」のタイトルいいですね。冬だから寒風の中だから「お百度」の辛さが一層伝わるのでしょうね。

  • 20130319
  • いなさ ♦-
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(前編)

いなささま、コメントをいただきありがとうございます。

堅気との境界線は、どこにあるのでしょう。
どのように自分を律しているかで、自分なりの境界線があるのでしょう。
紋次郎はその点、厳しく自分を律していますね。

お百度まで踏んで、帰りを待っていてくれる……紋次郎にとっては絶対にないことでしょう。
「だれかが風の中で」の歌詞と重なります。

  • 20130320
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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