紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第16話 「月夜に吼えた遠州路」

第16話 「月夜に吼えた遠州路」

第16話 「月夜に吼えた遠州路」
(原作 1972.2月) (放映 1972.5.13)
*上記の写真は琵琶湖畔。海のシーンの時は琵琶湖をよく使用した。今回は遠州灘という設定。袖浦の賭場近くでの天竜一家とのいざこざシーンは、こういう場所で撮ったのかと推測する。

前作「背を陽に向けた房州路」に続いて、「オール読物」に連載された「小仏の新三郎」が主人公の原作である。
展開は原作とは別物といった感じである。今回は「お染」の代わりとなる女は登場しない。

かろうじて原作の形を残しているところ

○次期親分が、先代の意趣返しのため旅に出ていること

○跡目相続の件で、代貸たち3人が関わっていること

○先代の娘と仁太が恋仲であること

○先代を殺害したのは主人公だと間違われ、命を狙われること

前回も今回も恩を受けた女を探す、という設定はやはり無理なのでガラッと展開を変えたのだろう。
原作では結果的に二代目唐蔵こと勘八の命を助け、その後新三郎は心臓の発作を起こし、勘八の世話になっている。

原作では設定していないが、テレビ版では3人の代貸に跡目相続に関わる身分の違いをつけている。
笹沢氏は勢五郎が主人公の「木っ端が燃えた上州路」の作品内で、子分の身分について言及している。
跡目相続の優先順位はまず「手作り」と言われるその親分だけに盃をもらった子分、これが仁太である。
次に「譲り」。先代の親分の子分でもあり、新しい親分の代になって改めて盃をもらい直した子分、最年長の伊兵衛である。
そして三番目は「世話内」で、ほかの一家から何らかの事情で何度目かの親分と盃を交わしたという子分であり、跡目相続の資格を全く持っていない。この設定が清吉である。
3人の代貸の跡目争いという内容なので、この「手作り」「譲り」「世話内」を取り入れ、再構築されたようである。

原作では仁太が先代を闇討ちして殺害しているが、テレビ版では「世話内」の清吉が下手人で、紋次郎が飛ばした楊枝を現場に置いていったとなっている。清吉は、このままでは絶対に自分が跡目を継ぐことができないと考え、丁度紋次郎が通りかかり飛ばした楊枝が手に入ったので、紋次郎に罪をなすりつけようとしたのだ。「たまたまその日に通りかかって、楊枝を飛ばしたからって、そんな安直な」と言うのが感想である。そんな無計画に親分の殺害を企てるのか、と疑問に思う。

第16話 「月夜に吼えた遠州路」
*同じく琵琶湖。手前に見えるのは葦である。春先なので青々としている。

原作でのどんでん返しは、紋次郎が冒頭に助けた意気地無しの渡世人が実は天竜一家の二代目だったというところ。40人の天竜一家を敵に回して、新三郎一人が斬り込みに行くところで勘八(二代目唐蔵)が登場して危機を救う。そして本当の下手人が仁太ではないかと推理をしてみせる。さすがに頭がきれるという設定だ。「おとぼけの仁太」と「小仏の新三」の聞き間違い、というちょっと無理のある展開である。
こちらは、結果的に新三郎が下手人に間違われてしまったということで、意図はなかった訳である。原作の二代目勘八の見せ場は、最後に新三郎を助け、清吉と他の子分達とともに引き揚げるところだ。テレビ版では代貸は3人とも命を落とすが、原作では清吉だけは生き残る。

原作に比べるとテレビ版の勘八は情けない男である。命を助けられたのに、紋次郎が寝ているところを闇討ちにしようと忍び込む。
「そんな事をやれた義理じゃねえんだが……」と弁解じみた言葉をつぶやく源八。「地蔵峠の……」での十太は、世話になった紋次郎をどうしても斬れないと手紙を書いたのに、次期親分になろうかという人物がこの様である。
「義理?」と紋次郎は口にして、空を見上げるとその先に三日月が見える。月が映像として出るのは、この1回きりである。「月夜に吼えた」が表題だが、吼えてない!?
原作では、最後に新三郎が月に向かって吼えるように叫ぶ。
「お染さん!生きていておくんなさいよ!小仏の新三郎も、まだ生きておりやすぜ!」

別原作であるので仕方がないが、せめてクライマックスは月夜のシーンであってほしかったが、高くそびえる富士山を振り返る紋次郎でエンディングとなる。
「ヤクザなんてみんな虫けらだよ!」と吼えたのは先代の娘のお春であった。個人的な意見で申し訳ないのだが、お春を演じた女優さんの声がキンキン声で、どうしても耳になじめず、ずっと気になってしまった。

原作とは別物と前述したが、今回のメインは話の展開よりアクションであろう。第1シーズンもこの回を含めて後3話となったせいか、かなり殺陣には力を入れているように感じる。
まず、アバンタイトルの浪人者とその一味とのからみ。紋次郎の楊枝の使い方はいろいろあったが、私は今回の使い方はかなり好きな方である。アバンタイトルで、浪人に絡まれ刀の早抜きを挑まれるが取りあわず、青竹に楊枝を飛ばすところなどは実にかっこいい。
その後、浪人相手に長脇差を抜くまでもなく鞘で刀を弾き飛ばすところなど、自信満々の浪人者の鼻をあかせて、観ている側も気持ちがいい。
次は、1年半前に見付を通り抜けようとしたときの天竜一家とのいざこざである。こちらも自分の長脇差を抜くこともなく、ほとんど素手で相手をねじ伏せている。足場が砂地であるので動きにくいはずだが、俊敏な切れのある動きはすばらしい。刀を抜こうとする清吉の手元に楊枝を飛ばして一言……「たった一つの命だ。粗末にしねえ方がよござんすぜ」紋次郎はいつも、むやみな殺生はしたくないのだ。
一膳飯屋から出てきた紋次郎を、待ち構えていた清吉ら子分にも「くだらねえことで命のやり取りはしたくねえ」と口にしている。
しかし、聞く耳を持たない子分たちとの立ち回り。この時も刀の鞘を使っている。身体を低く構え両手で鞘をたたきつける殺陣は、さながらバットのスウィングのようだ。
ここで思い出した。中村氏が学生野球にのめり込んでいたことを……。そう思って他の殺陣を見てみると腰を低く落として構える姿はまさしく野球の守備姿勢だ。野球の練習で身につけた身体能力とあの体勢が、紋次郎の生きんがための本能的な殺法につながったのである。子分たちが逃げ去った後、錆朱色の頑丈な造りの鞘を肩に担ぐ姿も刀をバットに置き換えると、バッターボックスに向かうバッターそのものである。

クライマックスは、天竜一家との大立ち回りである。朝霧に浮かぶ水車小屋の陰から三度笠が飛び、抜き身を手にした紋次郎が現れる。実にかっこいい登場である。この回は、ここで初めて自分の長脇差を抜いたのである。敵から目を離さず、刀を地面に突き立て三度笠をかぶる。地面に刀を突き立てて刀は折れないのか、と「一里塚に……」を知っているだけにヒヤヒヤする。片手で顎紐をしめながら逆手に刀を持ち、敵を下から斬り上げる。斬られた男は体ごと水車に持っていかれ、川にもんどり落ちるところなど、斬られ役の体を張った演技はすばらしいし演出も面白い。

仁太とのサシの勝負であるが、仁太役は「郷英治」。あくの強い悪役俳優で、斜に構えて鋭い目つきで人を威嚇すると凄みがある。向こうっ気の強さが、刀を持つ手に唾をかける素振りに表されている。アクションスターでもあったので、チャンバラの動きも鋭いものがある。
この後川の中のシーンとなり、上條恒彦が歌う主題歌が流れる。カメラワークがガラッと変わり、臨場感ある映像となる。まるで視聴者も、この大立ち回り加わっているような錯覚に陥る。原作では、天竜一家は総勢40人。40人とまでは行かないにしても、かなりの数の敵と対峙している。
胸まで水に浸かり刀を振り回すシーンの撮影は、いつだったのだろう。春の初めだろうが、さぞ冷たかっただろうと推測する。こんなシチュエーションの時代劇は見たことがない。
着物や合羽が水に濡れると恐ろしく重くなり、激しく動くことが困難であったという。主題歌をバックに死にものぐるいで孤軍奮闘する紋次郎の姿は、胸に迫るものがある。
最後に清吉は残った子分に、「金をはずむから紋次郎を叩っき斬れ」とけしかける。渡世の義理など微塵も感じられない。
目新しい殺陣はお春の帯を使ったところで、帯を振り回して相手を撹乱する戦法に出る。「おしどり右京……」顔負けの鞭さばきならぬ帯さばき?!
ありとあらゆる戦法がこの回には試されたように思う。
第1シーズンがまもなく終わるということで、視聴者にはかなりのサービスシーンが用意されていた。また第2シーズンへの新しい展開を予感するような実験的な殺陣もあり、アクションについては盛りだくさんだったと思う。

紋次郎は立ち去る前に、振り向いて仰ぎ見る。視線の先は雪を頂いた富士山。滅多に振り返る事はない紋次郎だが、見付の地名の由来(西から来た旅人は、この地で初めて富士山を見る)からのシーンか、それとも気高い富士山に代表されるような任侠の世界と、跡目争いの醜さとの対比を狙ったか。エンディングとしても珍しいと言えよう。

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