紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(中編)

第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(中編)

第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(中編)

(原作 第50話)(放映 1978.3.29)
清兵衛の団らんの場に紋次郎も坐る。囲炉裏を囲んでの食事である。清兵衛、お久、お弓、そして下男の姫太郎。この姫太郎は元渡世人で、足を洗ってここで堅気になっている。本来ならこの場に定吉もいたはずなのであるが……。穏やかな時間が流れる。紋次郎もいつもの「紋次郎食い」ではない。正しい作法で、ゆったりと味わっている。
姫太郎は昔を思い出して、しみじみと語る。
「ここは極楽だ。今夜の野宿する場所、明日の路銀、枯れ草の落ちる音にもびくついて……。あのまま渡世人でいたら、今頃はもう、拾ってくれる者もいない骨になっていただろう。」

テレビ版では、清兵衛の出自が明かされていない。裕福な堅気の大百姓で、流れ旅を続ける渡世人の世話をして堅気として住まわせている。これが生き甲斐だとも言う。
しかし原作では、「那古の清兵衛」として名の知られた元渡世人で、姫太郎はいわば子分だったのである。三年前に清兵衛は足を洗い、姫太郎と一緒に生まれ故郷の那古に帰ってきたとある。
その那古村に、間々田の六右衛門の身内衆が向かっている。不穏な動きである。

食事の合間に珍しく、紋次郎の方からお久に声をかける。
「ここへ来る途中、八幡さまの境内でお久さんをお見かけしやした。」
「おっかあはね、毎日お百度を踏んでいるの。どうぞちゃんが生きていますようにって、拝んでるんだってさ。」
答えたのはお弓だった。
清兵衛の話から、お久の亭主も長い間旅の草鞋を履いていて、帰ってくる当てもないらしい。

この後テレビ版では、紋次郎の入浴シーン。風呂が沸かせるほど、裕福な家らしい。お久は釜戸に火をくべながら、紋次郎に話しかける。原作のお久はひどく内気で、まともに紋次郎の顔も見られないような女であるが、テレビ版では紋次郎とよく会話をしている。お久だけではなく、紋次郎自身も今回はよく喋っている。セリフが多い方の作品ではないだろうか。
お久は紋次郎に、流れ旅というのは本当に楽しくも何ともないのかと尋ねる。紋次郎は、死ぬか生きるかの瀬戸際が毎日だと答える。

「それなのにどうして、旅に出たがるんでしょうねえ。」自分の亭主のことを言っている。
「生まれた土地がどんなにいいかということに、気づかねえからでござんしょう。」

「紋次郎さんもそうだったんですか。」
「あっしには、生まれた土地なんてござんせんよ。」と、話を打ち切り
「まあ、そのうちきっと帰って来なさる。」と紋次郎はお久を慰める。

生まれ故郷をあとにして旅に出る者には、様々な背景がある。故郷を追われて出奔した者もいるだろうし、男を磨くという目的で敢えて旅に出る者もいるだろう。帰るべき故郷があるのに、また、帰りを待つ者がいるのに、敢えて旅に出る者について紋次郎は語っている。

この入浴はテレビ版だけで、この後お弓が着替えの着物を持ってくる。
「着古しで申し訳ありません。よろしければ……」と実に丁寧な言い回し……清兵衛から言付かったのだろう。無宿の渡世人である紋次郎が、こんな丁寧な言葉をかけられたのは初めてはないだろうか。

夜、お弓が寝入った後、紋次郎は清兵衛と囲炉裏を囲んで酒を酌み交わす。
「えーっ?!酒を飲むんですか!」
であるが、ここは「新……」ワールドだった。
板の間が黒く光り、磨き込まれた重厚感がある。行燈の明かりもほのかに配置され、しっとりしたと静かな夜の様子を醸し出している。

第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(中編)

清兵衛が、ここへ来るはずだった小津川の定吉との経緯を話す。
成田不動に参りに行ったとき定吉と知り合い、定吉が流れ旅にケリをつけたいと言うので、自分のところへ来ないかと誘ったという。気っ風のいい男で、自分の若い頃を見るような思いだったと、定吉への親近感を明かす。

ここで紋次郎は、定吉の頼みを聞いたときの自分の思いを口にする。原作では胸の内だけが書かれているが、テレビ版では清兵衛に問われてはいないのに、静かに話し始める。それは視聴者にとっては、定吉のことではなく、まさに紋次郎自身のことを吐露しているように聞こえるのだ。
今回の紋次郎はいつになく情が深く、定吉が言ったとおり「人の子」である。しみじみとした雰囲気で見せる紋次郎の横顔は、穏やかで余裕がありまるで別人のようである。ファンとしても別人格の紋次郎を見る思いである。

この席でお久がポツリと言う。
「紋次郎さんに、ここに落ち着いてもらえばいいのに……」
この言葉に紋次郎は、ハッとお久の方に顔を向ける。
清兵衛も勧めるが、紋次郎はやんわりと断る。
「へえ、そうしてぇのは山々でござんすが、落としても落としきれねぇ、垢やシミがいっぺぇの身体なんで……」
紋次郎は目を落とし、盃を手に取りグッと飲み干す。

その後、スローモーションで映し出されるのは、敵と戦う紋次郎のイメージ映像。敵に刺されて苦痛の表情の紋次郎……うなされて目覚める……悪夢を見ていたようである。
敵に刺される悪夢といえば、第一シーズン「無縁仏……」の不気味な映像が印象に残っている。
「死」をいつも身近に感じ、死ぬときがくれば黙って死ぬだけ……とは思っていても、やはり「死」に対する恐怖心が夢という形で現れる。それが本能というものであろう。
ハッして上半身を起こす紋次郎だが、どうも長脇差を抱いて寝てはいなかったようである。それも夜はとっくに明けている。久しぶりに口にした前夜の酒のせいか(笑)……大丈夫か、紋次郎。

今までであれば、翌日には出立しているだろうが、今回は誘いを固辞することもなく逗留する紋次郎である。そのあたりの経緯が原作にもテレビ版にもなく、次のシーンでは既に数日が過ぎている。

原作では那古に来て三日目の朝に、紋次郎は野良着を着て畑仕事をする。紋次郎は慣れない手つきで鍬を振るっている。長脇差は、意のままに扱えるのに、鍬はそうはいかないようである。那古村は温暖な土地ということで、のどかで明るい陽差しが降り注ぐ。ここでは、持ってきている長脇差が場違いのようである。

「心が休まる。
小津川の定吉の代わりに、ここに腰を落着けようか。疲れている。もう流れ旅には、終止符を打ちたい。この機を逃がしたら、もう二度と落着けるときは訪れないだろう。この那古にいれば、世捨人にもなりきれるかもしれない。」(原作より抜粋)

いつになく弱気になっている紋次郎には、渡世人としての凄みは感じられない。そんな紋次郎に、軽い失望感を覚える。

原作では、渡世人が足を洗ってどこかの土地に落ち着くことの難しさと、その条件が書かれている。

1.過去との絆を断ち切るため、世間一般から隔絶された土地であること
2.その土地に住む人々から白眼視されたり、迫害を受けないこと
3.その土地で人に頼らず自活できること

それらがクリアできる場所は滅多にないのだが、この那古はそれに当てはまる希有な土地なのだ。
房州に渡世人は用がない……親分がいないし遊興の場もないので、過去のしがらみからは影響を受けない。従って、那古の人々は渡世人という者をあまり知らない。外海に面しているので、難破船や漂流する者を助けたりし、他所者に対しては鷹揚であるので、渡世人を毛嫌いすることはない。そして那古には、食べていける手段がある。畑があり海があり、人手不足ですらあるのだ。
こんなに条件が揃った土地に縁ができたのは、紋次郎にとって初めてであろう。

第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(中編)

原作のお弓はケラケラと笑う。紋次郎の、ぎこちない鍬さばきがおかしいらしい。
テレビ版での紋次郎は漁に使う網の繕いをしている。その様子をお弓が眺めて、「下手くそだねえ、おいちゃん。」と評する。
「あっ!じいちゃまもあれとおんなじの、持ってたよ。」
紋次郎の傍らに立てかけられた長脇差を指さして、お弓が言う。紋次郎はハッとして、「清兵衛さんがかい?」と思わず訊く。
「姫太郎おじちゃんも持ってたよ。でも今は持ってないの。捨てちゃったの。」

ここでテレビ版は初めて、清兵衛も元渡世人だとわかる。軽いドンデン返しである。紋次郎は繕いの手を止めて、思いを巡らしている。

「おいちゃん、どうしてあれがここにあるの?」
「用心のためにさ。」
「用心て何なの?」
「誰かが襲いかかってきたときのな。」
「誰が襲いかかるの?」
「さあ、そいつはわからねえ。」
そう、今まではそうだった。まさかと思う者に命を狙われたり、裏切られたり、不意討ちをされたりしてきた紋次郎である。子どもにまで、命を狙われたのであるから……誰も信じることはできない渡世で長年生きてきたのだ。

「でもおいちゃん強いんでしょう?」
「さあなあ……。」
「じいちゃまと姫太郎おじちゃんが、そう話していたよ。」
さすがに足を洗ったとは言え、元渡世人の二人は、紋次郎の噂と腕前を承知していたようだ。

お弓は紋次郎の野良着に差してある楊枝に指を差して「これ、なに?」と訊く。紋次郎はここでは楊枝を咥えていない。初めて清兵衛に会って口上を述べたときは、楊枝を咥えていたが、それっきり咥えていなかったようである。
紋次郎は「笛だ。」と答える。原作での紋次郎は楊枝を咥えて休息をとっているときに、お弓に尋ねられる。相手が大人なら「これは、癖ってもんで……。」と答えるところだろうが、相手が幼子だからか、「笛」だと答える。おまけにお弓にねだられて、楊枝を二度も鳴らしてみせる。

テレビ版では「わたしに貸して。」と頼むお弓に、紋次郎は楊枝を渡している。小判鮫の金蔵がねだっても絶対渡さなかった(笑)楊枝だが、お弓にはいとも簡単に手渡している。「人斬りに……」ではお香が、咥えている紋次郎の口からサッと抜きさったことはあったが……。お弓が楊枝を咥えて鳴らそうとするが、全く鳴らない。

このシーンは第一シーズン、「木枯しの音に消えた」の志乃との交流のオマージュであろう。あのときは志乃が楊枝を笛のように吹き鳴らし、紋次郎に教えていた。お志乃と紋次郎に、平和で温かい時間が流れていた。今回は立場が逆であるが、この二人にもゆったりとした時間が流れている。
お弓が楊枝を吹いて「鳴らない。」と言ったとき、紋次郎の横顔には少し笑みがこぼれる。目元に微笑んだときに現れるシワが見える。最終回にして紋次郎は、幼子に微笑んだ(と私は見た)のである

原作ではお弓は紋次郎の楊枝をねだったりはしないが、無邪気に紋次郎と会話をしている。
「どこにも行かず、ここで暮らしてほしい。そうしたら毎日笛を鳴らしてもらえる。あたいのちゃんになってくれればいい……」
お弓は実に子どもらしい。そして、草の上で仰向けに寝そべる紋次郎の耳を引っ張って、笑うのだ。原作での紋次郎も、まるで毒気を抜かれたような状態で、無防備である。

テレビ版では次に切り替わって、海辺のシーン。紋次郎と姫太郎が海藻を採っているところへ、村人がやって来て紋次郎に声をかける。
「精が出るなあ!おめえさんは、清兵衛さんところのお客だろ? 戻りにはおらのところ寄っていかれ……茶でも飲んでいくがいい。」
「ありがとうございやす。」
紋次郎は立ち上がって礼を言う。この礼の言い方や物腰が、いつもとまるきり違う。すっかり、村人Aになりきっている(笑)。珍しそうな表情で村人を見送る紋次郎は、楊枝を口にしていない。そして頭には三度笠ではなく、菅笠。何となく不思議な感じがする。

紋次郎は今まで、どこへ行っても白い眼で見られ、冷たい仕打ちをされてきたのに、ここでは違う……。姫太郎もこの土地の住みやすさをしみじみと語る。
紋次郎はこの後、誘われた村人の家に寄ってお茶したのだろうか(笑)。(後編に続く)

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Re: 第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(中編)

また普通に酒飲んでるよ…。
おまけにお代わりまでして。

前回書いた「つっこみポイント」のひとつはこれです。
これって、何の理由もなしにドラキュラが餃子を美味しそうに食べたり、オバQが犬を撫でてるのと同じなんですけどねえ。
頬に傷があって楊枝咥えてりゃ紋次郎ってわけじゃない、自分の決めた掟で自分を縛ってこそ紋次郎だ、と私は信じ続けています。

初期原作にも、酒を飲むシーンや女を抱くシーンなど、自戒からはみ出す行動は極稀に有りました。
が、初期原作では情景描写や心理描写にかなりの行数を割き、数ページに渡ってセリフが登場しないこともよく有ったものです。
ですから、自戒を破る「大江戸」では、市中引き回しの上に磔となる男に会いに行き、家族の無事を知って涙を流すその男を見送り、やるせない気持ちになる紋次郎の描写がありました。
テレビ版では、酒を飲むシーンの直前に、さっき見送った男が掛けられた磔台と篝火が漆黒の闇に浮かび上がる演出でした。
紋次郎の気持ちに感情移入できて、こっちまで陰隠滅滅とした気分になるから、「人間だし、仕方ない」と受け入れられました。

今回の紋次郎は、堅気になるよう心が動いたと言っても、執念深い六右衛門の恨みを買ってしまっているのだし、こういう描写無しにいきなりやるのは、「新」だからといっても、原理主義者の私はちょっといただけません。

それにしても紋次郎は、自分の中でモードチェンジした時、順応が早いんですよね。
ここで、子供の相手も充分できてますし、「旅立ち」で結婚を心に描いた時は石臼で粉挽きをし、杣人になった時は、先輩よりも鉈の捌きが上になったと言われてましたし。
何事にも真剣に取り組む紋次郎の性格の現れ、とも言えるでしょうけど、なんか、割り切れないものを感じます。
私としては、他のことには不器用な、骨の髄からの渡世人であってほしいと願うのです。

  • 20130322
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(中編)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

ドラキュラとオバQとの例えは笑わせていただきました。
紋次郎が蒟蒻を肴に酒を飲むぐらい、あり得ないことでしょう。

ギリシャ神話に
「美女ペルセポネが冥界の神ハデスに誘拐され、地下の冥界にあるザクロを食べたことで、地上に戻れなくなる」
という話があります。
冥界の食物を食べると現世に戻れなくなり、冥界の住人になってしまう、という観念ですね。

紋次郎は堅気世界の中で、堅気衆と共食し酒を酌み交わしました。もうこの時点で、堅気世界の住人になりかけているように見えます。
原作では、紋次郎が盃を手にしたことは書かれていませんので、テレビだけの飲酒だったのでしょうが、前シリーズを知っているファンとしては、あまり見たくないシーンとも言えます。

この回の紋次郎は、超えてはいけないハードルが低すぎるように思います。

モードチェンジの早さの件ですが、紋次郎の潜在能力の高さを感じます。
ご指摘の他に、泳ぐのも達者ですし舟も操れます。馬にも乗れますし、草鞋も作れ、薪も割れます(笑)。
器用で、何でもできそうなオールマイティー派ですよね。
しかし結局は、非生産者としてしか生きていけません。
生き方が不器用というか愚直というか……。
でも、そこが魅力です。

  • 20130324
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(中編)

こんばんは♪

いつも紋次郎の心理、生き方(というか、あの時代、制度的に、それしか選べない)微に入り細に入りの、考証に頭が下がります。 しかし、エンターテイントメントのキャラクターですよね。

笹沢左保氏も時代考証を調べ上げて、現代人にも判るような小説にしたんだと思います。
だから、一世を風靡したんだと思います。(テレビの力は否めませんが・・・)

もう少し、間口を広げるとか、現代だったらこうなのよ、とか一般参加出来るように工夫すれば入りやすいと思います。
DVDのアラをつくのでしたら、ノスタルジーだけのファンはついて行けません。

TOKIさんだけでなく、もっと裾野を広げて紋次郎ファンと語りたい人は多いはずですよ。

余計な事を言いました。
ゴメンなさい!
開かれた紋次郎ワールドあるように、心から望みます。

では、又♪

Re: 第26話「 お百度に心で詫びた紋次郎」(中編)

ぶんぶんさま、コメントをいただきありがとうございます。

仰る通り、間口が狭いですよね。
という自覚のもと、「紋cafe」を開店いたしましたが、本編を語り始めると、やはり超狭くなります。

笹沢先生も、エンターテイメントとして書かれたとは思いますが、読者は様々です。
作者が作品を生み出した意図とは違う価値や魅力を、読者が感じ取ることもあると思います。
言い替えれば、読者の数だけ作品への思いがそれぞれある訳で、私なんかはちょっと偏愛主義者なのかもしれません。

DVDとの比較・考察も、この回で最終となりました。「新……」になってから、愚痴も増えたかもしれませんが、それも紋次郎世界を(遍)愛するが故ですので、お許しくださいませ(笑)。

>もっと裾野を広げて紋次郎ファンと語りたい人は多いはずですよ。

そうですか~。
そうだとしたら嬉しいです。
「山を高くするためには裾野は広くしなければならない」と言われていますからね。
私は頂上も中腹も裾野も、すべて紋次郎山(もんじろうサン)としてステキだと思います。

  • 20130327
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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