紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」
*上記の写真は中山道、奈良井の宿にある高札場

「大人」とはどういうものかと尋ねられたら、どう答えやすか?
この前、ある講演会でこういう質問をされやした。難しゅうござんすね。日本国は20歳が成人ってえことになりやすが、異国に行きやすとまた違いやすから、ただの年齢だけでは説けやせん。
親離れをして自分で稼げれば、大人といえやすか?これもどうかと思いやす。答が出せねえ内に講演者の旦那はこう言いやした。
「大人とは、自分独りででも生きることができ、みんなとも生きることができる人でござんす」
うーん、そうか、そういうことか、と妙に納得いたしやした。

独りでも生きていける……今の世の中、実際本当に独りきりで生きていくのは不可能でござんしょう。厳密にいいやすと、自給自足の生活でもしねえと無理ってなもんで。
もう少し広義的に考えやすと、人をむやみに頼らねえ生き方ということでござんしょうか。今風に言いやすと自己責任を全うするってことでしょうかねえ、紋次郎兄貴の生き方はまさにドンピシャでござんす。
紋次郎兄貴は、いつも一人であてのない旅を続け、連れを作ることも拒みやす。「あっしの旅は独りと決めておりやす」と、人から道連れを頼まれてもすげなく断りやす。人を信じたり頼ったりするから裏切られる、だから人を信じねえ、人を頼らねえ。
「頼れるものはただひとつ、己の腕と腰のドス」は、有名なフレーズでござんす。腕とドス、ふたつあるじゃねえかと言われる御仁もあるようでござんすが、腕の延長にドスがある訳でござんすし、ドスは紋次郎兄貴にとっては、身体の一部と考えておりやす。

「冥土の花嫁を討て」では、死に直面した尼僧の気がふれてしまいやす。
その時の紋次郎兄貴と武士の会話。

「どうして、狂ったのだろうか」
「弱えからでしょう」
「仏に仕える者でも、次第によっては弱くなるものだな」
「仏に縋っているうちは、仏を頼っているうちは……」
「何かに頼り、縋ろうとする者は弱いというわけか」
「頼れるのは、手めえだけでござんす。その手めえに頼れなくなったときは、冥土から迎えがめえるんじゃねえんですかい」 (原作より抜粋)

強い精神力でござんす。
「誰も自分のことをわかってくれねえ」とか、「独りが寂しい」「こんな自分になったのは、~のせいだ」「こんなことなら、死んだ方がましだ」よく耳にする言葉でござんすが、甘ったれちゃいけやせん。世の中誰かとつながっていねえと寂しいとか言って、連む輩に限って人の目が気になったり、ちょいと言われたことで悩んだりしちまうんでござんすよ。そういう連み癖はやめといた方がよござんしょう。
「人は人、あっしはあっしということに、しておいておくんなさい」(「木枯らしの音に消えた」より)
揺るがねえ己を信じる紋次郎兄貴の生き方を、ちっとは見習いてえと思いやす。

みんなとも生きることができる……集合体の中で生きるということは、紋次郎兄貴は無理なようでござんす。
しかしこれは、周囲の者がそれを許さねえということであって、兄貴のせいではござんせん。
もし、兄貴が無宿人じゃなかったら、間引きという過去がなかったら、きっと誠実な働き者だと言われ、村人たちからも慕われていたに違いござんせん。現に兄貴は、人様に迷惑は絶対にかけやせんし、約束は命を張ってでも守りやす。どんなお人であろうと分け隔てなく丁寧な言葉をつかいやす。金に執着することもござんせんし、質素な生活を旨としやす。ちょいと無口でござんすから、取っつきにくいかもしれやせんが、言葉で人を騙すなんて真似は無縁でござんす。
ただ、生まれ落ちたときからの定めで、無宿人としてしか生きられねえ宿命だったんでござんすよ。人間不信にならざるを得ねえ境遇でござんすからねえ……。無宿人として生きていこうとすれば、紋次郎兄貴の様な生き様しかねえでござんしょう。

所詮、どなたさんも生まれるときは独り、死ぬときも独りでござんす。まさに、三途の川は独りで渡れ、でござんすねえ。
だからこそ、いろんなお人と関わり合って生きていくことに価値があるのかもしれやせん。しかし和することはあっても、自分を埋没ささねえ、他人に流されて自分を見失わねえという心意気は必要でござんしょう。

あっしなど、兄貴からすると本の駆け出し者の半端者でござんす。しかしながら、手めえなりの仁義を通していきてえと思っておりやす。
手めえを頼りに、人様には迷惑をかけず、今日一日を真っ当に生きてえと思いやす。日々修行でござんすねえ。

それでは、御免なすって。

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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

お邪魔いたしやす。
一人前の大人ということ、まさにその通りだと思います。
昨今の事件を見ますと甘ったれとしか言いようのないものが多くございます。
紋次郎さんは仏さえも頼らず生きてきなすったんですねえ。菩薩道を行ずる者として意見を言わせて頂きますと、仏とは何か?仏とは何処か遠くにある象徴ではなく、自分の中にある仏性だと私は思っております。同行二人という言葉があります。これは弘法大師と道連れということですね。心の拠り所ではあるが所詮は一人でございます。芥川さん風ですと「頼れるものは唯一つ、己の腕と仏様」ってことになりますか。紋次郎さんはそれさえも頼らなくていいほどの腕っ節と心の強さの持ち主でした。私はそこまで強くありません。「冥土の花嫁」で気になってたのはこの点なのです。紋次郎さんも本来なら自身の仏性に随って、もっと自分を大事にし、もっと自分を愛すべきだと思うのですが、紋次郎さんの境遇では簡単にそんな気にはならなかったんでしょうね。長くなってすみません。

Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

こんばんは。今日、少し嫌な事がありムシャクシャしていました。自分の事こんな風にしか思ってくれていなかったのか?信じていてくれなかったのか?などと思いましたが、すぐにこんな時に紋次郎だったらどう考えただろう?などと考え直しましたよ。紋次郎の精神力はどうして培われたのでしょうね。何度も何度も裏切られ人様の表裏を見てきたからでしょうか?醜さを厭ほど見せられたせいでしょうか?「十五夜に錦絵は泣いた」でどこにも行き場を失った女性に連れて逃げてくれてと迫られる場面で、紋次郎は「甘ったれちゃいけません。お糸さん、ひとりぼっちは誰もがお互いさまですぜ」と冷たく突き放します。まさに人が生きるということは彼に尽きるですよね。結婚という形態にしても一人一人自分で立つ能力がある者同士の結びつきと言うすものでなくてはいけないはずです。
今の世の中、本当に「甘ったれちゃあいけやせんぜ」の御仁ばかりです・・・私を含めつつ。自戒。

  • 20090711
  • sinnosuke ♦QOo3.G9Q
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

桐風庵さま、コメントをいただきありがとうござんす。
紋次郎兄貴の自尊感情の低さは、やはり間引かれるために生まれてきたという過去のためなんでござんしょうねえ。生きている価値を見出せず、昨日も明日もなく道を急ぐだけの毎日。時には紋次郎兄貴も「いっそ死ねたら楽になれるのに……」などと思ったりもしやす。その辺は人間くささを感じやすねえ。
さて菩薩道を求道されているお方とは知らず、今までの失礼の段、お許しくだせえ。
その上でお教えいただきたいのでござんすが、仏性というのは、端から誰にでも具わっているもんでござんしょうか。それとも人としての道を示したり教えたりする周囲の者が存在して、初めて育ちの中で身につけられるものなんでござんしょうか。先天的なのか後天的なのかわかりやせん。
紋次郎兄貴は時々お天道さまを口にしやすが、それが兄貴にとっての仏性なんでござんしょうか?

  • 20090711
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

sinnosukeさま、コメントをいただきありがとうござんす。
さて「有り難い」から「ありがとう」という言葉になったと聞きやしたが、人に情けをかけてもらったり、助けてもらったり、自分のことを理解してもらったりすることは、本来「有り難い」(普通ならあり得ねえこと)ことなんでござんしょうねえ。
だから、そんな普通ならあり得ねえことに遭遇したときに人は感嘆して、「有り難い」と口にしたんでござんしょう。
となりやすと、自分のことを信じてもらえなくて当然、信じてもらえたら「有り難い」ことと考え直しやすと腹も立たねえはずでござんす。しかし、あっしも修行不足の身で「怒りのお夕」となることが多々ありやす。
手めえのことで、裏切られただの誤解されただのと怒るなどとはちっちぇ、ちっちぇ、もっとでけぇことに立腹しねえといけねえとあっし自身も思っておりやすが、なかなか現実問題、難しゅうござんすねえ。

  • 20090712
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

お夕様。お返事ありがとうございます。日々、「良い事はおかげ様。悪い事は身から出たサビ」と考えようと心に戒めておりますが、なかなか人間が出来ておりません。お恥ずかしい限りです。(@_@。でも、お夕様のお言葉で少し元気をいただきました。私は時代小説はあまり読んだことがありませんでしたが、好きな作家は藤沢周平、池波正太郎等です。勿論われら笹沢佐保氏もですが、彼らは皆人間を善悪で分けていません。「悪いことをしながら、善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。心を許しあう友をだまし、その心を傷つけまいとする」池波正太郎明神の治郎吉より。
そういう所が読んでいてホッとするのですよね。
そして、その時代の人って自分の分を知っている所にも惹かれます。

  • 20090712
  • sinnosuke ♦GZgNVSBU
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

お邪魔いたしやす。桐風庵です。
わたくし菩薩道などと大袈裟なこと言いましたが在家の者です。得度の道を考えたこともあるのですが、大酒はのむし博打もやるしで、どうせナマグサ坊主になるのは目に見えてますので、いまだ俗世の波間に揺られてる凡人です。あー恥ずかしい。
仏性は誰にでも生まれたときから具わっているものでございます。お釈迦様は法華経二十八品を通じて示されました。先天的にあるものを周囲から気づかされ確信へと成長していくといったものではないでしょうか。
お天道様については難しいところです。捉え方でございましょうね。自分の内なるものなのか、自分と懸け離れた大きな存在とみるか。私が考えまするのは 
神>自分 お天道様>自分 仏≧自分
という図式になります。絶対神やお天道様に成ることはできませんが仏には成れるようです。ありがたいことです。少しでも近づけるよう日々精進してまいりたいと思います。ナマグサ坊主の説教みたいになってしまってスミマセン。

Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

sinnosukeさま、おはようございやす。
あっしも齢を重ね、歴史物、時代物、仏教、伝承等々……に興味を持つようになりやした。
日本人が持つ精神性のルーツを探そうとしているんでござんしょうか。手めえながら理由なく、惹かれるものがあるようでござんす。
名もないお地蔵様に花が供えられていたり、朝早く村の神社にひっそりお参りに来るお年寄りを見かけたりすると、感慨深いものを感じたりしやすねえ。

  • 20090712
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

桐風庵さま、お教えいただきありがとうござんす。
仏性は生まれた時から具わっているんでござんすね。仏性の種みたいなモンでござんしょうか。それを育み花開かせ、実を結ばせるのが精進ということなんで……。

あっしも手めえの仏性を信じて、精進して参りてえと思いやす。
今後ともよろしくお願いいたしやす。

  • 20090712
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

 今から思えば、紋次郎って、「自己責任」をはじめて世に問うたテレビドラマだったんでね。(当時は自己責任って言葉があったかどうか知りませんが・・・。)

 他人に頼ってくる者には、「あっしには関わりのねぇことで」「甘ったれちゃいけやせんぜ」とはねのけ、「自己責任」の自覚をうながせ、かと言って放置せず、自分の生命を危機さらすほどの肩入れしてやって、最終的には裏切られ、でやっぱり失望し、また旅に出る。

 今までになかった、全く新しいヒーローだったんですね。

  • 20090713
  • カミヤッカー ♦a2H6GHBU
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

カミヤッカーさま、コメントをいただきありがとうござんす。
当時のヒーローといえば、来る者は拒まず、お節介かと思うほど弱い者の味方をし、悪をコテンパンにやっつけ、みんなから感謝され去っていく……めでたし、めでたし……。
そんな中で、紋次郎の作品は異彩を放っていたと言っても、過言ではなかったでござんしょう。
弱い者と思っていたのに、呆れるほど強かだったり、清純と思っていたらドロドロだったり、複雑な人間の内面をえぐるような作品ばかりでござんした。
紋次郎兄貴の生き方は、決して真似はできやせんが、それだけに憧れてしまいやす。
人生の岐路に立たされたときは、紋次郎兄貴の一言一言が標になりやす。

  • 20090713
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

「大人とは、自分独りででも生きることができ、みんなとも生きることができる人…」
シンプルにして深い言葉ですね。
この記事を拝読して以来ずっと心に残っています。

「人は人、あっしはあっしということに、しておいておくんなさい」
このセリフも、やはり、他人の価値観を認めた上で、自分とは違う人間がいるということを受け入れてはじめて成り立つ考え方だと思います。

どちらも、これから先、ボクの人生訓として、何かにつけ思い出しながら暮らしていこうと思います。

  • 20090728
  • 猫わん ♦19i8IDvU
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

猫わんさま、コメントをいただきありがとうござんす。
齢だけは重ねて参りましたが、なかなか本物の大人にはなりきれねえ我が身でござんす。
あるお人は、今どきの日本人は20歳で生まれてそこからやっと成長していくぐらいだと言っておられやした。
としたら、やっとあっしは30歳?へい、納得しやした。そんなモンでござんす。
だから今頃になって、また30過ぎの中村紋次郎に、はまっちまったのかもしれやせん。

  • 20090728
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

お夕さん、2年半もめえの記事にコメントすることを、許してやっておくんなさい。

最近コメントしたことで思い出したのですが、「紋次郎」「追跡」放映時に、ブラウン管の敦夫さんを見て、「こんな大人になりたい」という憧憬の対象とした思春期の少年は、私だけではなく結構居たのではないでしょうか。

紋次郎を見るファンの目には、「女性の目」「男性の目」の違いがありますが、それとは別に「少年の目」というのも有ると思います。
多くの少年が自分で楊枝を作って咥え、「あっしには関わりのねえこって」と言って自分と敦夫さんを同一視していました。

私も色々やりましたが、「追跡」で敦夫さんのやっていた「ベスパに乗り、サングラスを髪に挿し、ひとり喫茶店でコーヒーをすする」は、年齢的や経済的な事情で叶わなかったのです。

高校に入って、ベスパは無理だったので国産バイクを買い、紋次郎が歩いていたような京都北部の山里まで走り、国道沿いの喫茶店でひとりコーヒーをすすった時は、「ひとつ中村敦夫さんに近づけた」と喜んだものです。

大学に入って、同じ教室の男がベスパを購入しました。
「おっ、それ『追跡』で中村敦夫が乗ってたやつちゃうんか。」
「うん、オレもあれ見て、ずっと乗りたかったんや。」
他に居た者も「かっこよかったのぉ、あれ。」と言い、皆でそのベスパを借りては学内を一周し、「遊軍やぞ!」と叫んだり、「私書箱!」と探す真似をしたり(これは私ですが)、「ひとり中村敦夫さんごっこ」をしてました。

やはり、テレビの中村敦夫さんと同じことが出来るようになることが、「大人になること」と考えていた者は、ある限られた年代の男性にはそこそこ存在するようです。

尚このベスパですが、町乗りにはいいのですが、坂道に弱く、教室の仲間でバイク10台を連ねて日本海へキャンプに行った時、こいつが険しい峠道では時速10キロしか出なくて、かなり遅れました。
峠の上から麓を見ると、こいつがのろのろ進む後ろを、隊列厳守の決まりが有ったので追い越せず、頭から湯気を出して同じスピードで続く数台が見え、私のベスパへの憧憬はここで消えました。
敦夫さんも、市街地では颯爽とぶっ飛ばしてましたが、坂道では苦労されたんでしょうね。(笑)

まあ、こんなことしていてもまだ親の世話になっていたわけで、私が本当に自分で「一人前になった」と感じたのは、自分の働いたお金で自分の住居にクーラーを付けた時でした。

  • 20120103
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

楽しいお話ありがとうございます。
当時、憧れの対象が「中村敦夫さん」だったという少年たちは、今どうされているのでしょうか?
口にして言わないまでも、結構「隠れ紋次郎」はいるように思います。
このブログに来られる方々もその傾向が強く……ほとんどの方は、山道や街道を往かれますよね(笑)。
そして「ど~こかで~♪だ~れかが~♪」と口ずさんで、ちょっとニヒルな表情を浮かべたりして……。

私も自分が少年だったら、きっと中村敦夫さんの真似をしていたでしょう。
「追跡」の敦夫さんは、何から何までカッコよかったですもんね。
サファリジャケットを着てベスパに乗り、クールでカッコよくてスマートで……。
その後ですかね、「松田優作さん」が出てこられたのは……。
ジーパン刑事のときはサファリジャケット、「探偵物語」ではベスパにサングラスでしたね。
そういえば高校の同級生で、松田優作さんが好きで「ひとり松田優作さんごっこ」をしている男子がいました(笑)。(全く似ても似つかない人でしたが)

私たちよりもう少し年上の方々ですと、「高倉健さんごっこ」だったり「石原裕次郎さんごっこ」だったりするんでしょうか。
時代によって、「こんな大人になりたい」という魅力的な人がいたんですね。

さて、今だと一体どなたになるんでしょうか?

少なくとも自分自身、「こんな大人になりたくない」と思われたくはありませんが……。
ちょっと自信が揺らいできました(笑)。

  • 20120103
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

お夕さん、現在の天狗ネタから鞍馬天狗について調べていて、あの頭巾に関する面白い情報を発見しました。

ウィキペディアの「宗十郎頭巾」の項に、
【当時チャンバラ遊びで正義の味方といえば鞍馬天狗だった。
その鞍馬天狗に扮するために、子供たちは風呂敷を使って宗十郎頭巾をこしらえたが、どうしてもうまく出来ないのが錣だった。
宗十郎頭巾は1枚の布でできているわけではなく、錣の部分は別に縫い合わせてある。
したがってこれを1枚の風呂敷で真似るというのはそもそも無理な話で、逆に泥棒の頬っ被りのようなものになってしまうのが常だった。
こうして宗十郎頭巾は、ますます子供たちの憧憬の的となっていったのである。】とあります。

なんか、紋次郎を真似て楊枝を作って咥えたものの、全然飛ばなかった私たち少年ファンとそっくりですね。(笑)

「楊枝を飛ばせるようになりたい」と「オープニングの曲がりくねった道を歩きたい」は、紋次郎少年にとっての永遠の夢なのです。
もし「本当に飛ぶ楊枝」が発売されたら、高くても買ってしまうおじさんは私一人ではないと思います。

もしかしたら、「大人になったら本物の宗十郎頭巾を被れるようになりたい」と願う子供も多く居て、そのうち何人かは自分でお金を稼げるようになったら本当に購入して被り、ひとり悦に入っていたかもしれませんね。

  • 20120519
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎 「一人前の大人になることの定義」

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

鞍馬天狗のあの頭巾って、「宗十郎頭巾」って言うんですか。
初めて知りました。
あの頭巾と言えば、紋次郎のスポンサーCM、「桃屋」でアニメののり平さんが扮する鞍馬天狗を思い出しました(笑)。
「江戸特捜指令」のときの敦夫さんも頭巾姿でしたが、あれは宗十郎頭巾ではなかったと思います。でも頭巾姿、格好良かった!

風呂敷で子どもが遊ぶって、時代を感じます。
今エコロジーから、風呂敷が見直されていますが、風呂敷って変身グッズとしては使い勝手がありましたね。

「あんな大人になりたい」
「あんな風に格好良くなりたい」
どんな時代でも、きっと子どもは思うものなんでしょう。
コスプレする若者を見て、眉をひそめる年配者も、昔はヒーローに憧れたはず……。

さすがに紋次郎にコスプレしようとは思いませんが、(男ならしているでしょう)壷振りの姐さんか小料理屋の女将なんかになれないか、と未だに思っている私です。

  • 20120519
  • お夕 ♦wikz35BA
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