紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八
小平次は紋次郎の元から逃げ、峠の茶屋に入るが、そこで酔っぱらいの浪人に絡まれる。
この浪人役に「上條恒彦さん」。言わずと知れた主題歌、「だれかが風の中で」を歌うシンガーである。上條さんはテレビ版「流れ舟は帰らず」で共演をしている。あの時は「釜石の木太郎」という流れ渡世人役だったが、今回は素浪人役。こちらも出世というのかどうか……(笑)。

小平次に、親分に掛け合って、自分を用心棒として雇うように頼んでくれと言う。ここの酒代もない、というから切羽詰まっているようなのだが、面白半分に小平次に斬りかかる。

危うし小平次!と思いきや、そこに紋次郎の姿。小平次は「渡世の義理だ!頼む、助っ人してくれ!」とその足にすがりつく。渡世の義理?
「こういう場合は、助けるのが当たり前……それも、同じ渡世人同士ではないか。」とでも言うのだろうか。全く勝手なモンだ。
そんな小平次を、紋次郎は助けるどころか蹴り倒す。紋次郎は親不孝な小平次に、怒りを持っている。しかしそれは憎しみの怒りではなく、「本当に、しょうがないヤツだ。」とでも言った感じ。できの悪い、弟分への仕置きのように見える。

小平次は、泥水のたまった池にはまって、ドロドロになり、這いずるように逃げる。渡世人とはいえ、実際の修羅場はこんな風に不様な様子だったのだろう。リアリティを感じる。

さて上條さんは確か敦夫さんと同い年だったと思うが、この記念すべき作品に彼もまた帰って来てくれた人である。20年前は、出演をしたくてたまらなかったようだが、今回も上條さんにとっては、嬉しい出演だったのではないだろうか。ただ、ストーリー展開には全く関係がないので、話題作りを兼ねての出演だったのかもしれない。(さすがに、たかじんさんは出演していない……笑)

しばらくは小平次をほっといて、成り行きを見ていた紋次郎。しかし小平次が腕を斬られ、浪人が刀を振り上げたとき、やっと動く。紋次郎が投げた振分け荷物が、浪人の刀にからみつく。紋次郎と上條浪人のツーショット。そのバックは、竹林と紅葉した木々が美しい。

「少しは強そうなやつだな。ついでに成敗してくれる!」と振分け荷物をほどいて投げ捨て、大上段で斬りかかって来る酔いどれ浪人。すかさず身をかわし、落ちていたさすまた状の大きな木の枝で対抗する紋次郎。向きを変えて踏ん張ったとき、少し足元が滑っていたのは、加齢のため?……とは、思いたくないのだが……(笑)。

「なかなかやるじゃないか、あの渡世人……。」と小平次がえらそうな独り言を口にして、物陰で様子を窺っている。
結局紋次郎は一度も長ドスを抜かず、柄で浪人の鳩尾を突き、鞘で首筋を打ち据えて倒す。
「思った通り……強い……」と言った後、前のめりでバタリと倒れてしまう上條さん。
お疲れ様でした。なかなか殺陣は堂に入っていましたよ。

ふと紋次郎が見回すと、すでに小平次の姿は消えていた。振分け荷物を拾い上げ、紋次郎はまた小平次の姿を追う。
紅、黄色、茶色と秋の装いに輝く広葉樹が、順番にフラッシュのように映し出される。この色彩の鮮やかさは、20年前のテレビ版では、あまりお目にかかれなかった映像であるが、今回は日本の秋の美しさを存分に出している。

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

水車小屋にお真知はいた。手桶に水を張り、天眼通を行っているのだが、血が滴り落ちてきたので、驚いて見上げる。小平次が先客で、その血は腕の負傷のものであった。お真知は小平次の傷の手当てをする。優しく面倒見のいい姐さんで、小平次もそんなお真知のことを横恋慕している素振りである。

さて、お真知の着物は、目が覚めるような新橋色と黒の市松模様。この時代に一般庶民が、こんなモダンな柄を、身につけていたのだろうか。メイキャップも現代的である。
テレビドラマの記念すべき第一話、「川留めの水は濁った」での小川真由美さんの衣装も、かなりモダンな柄だった。なんとなく、今回のお真知と重なるところがある。市川監督の美的センスなのだろうか。

水を操るので、この色を選択されたのかもしれないが、お真知の身につける物の色が統一されている。リアリズムを追求する一方で、遊び心のような衣装の選択。面白いものである。

お真知は、育ての親を殺した男を捜していると言う。お真知の育ての親は、上江田の十兵衛親分で、評判の良い親分だった。しかし十兵衛が死んだ後、縄張りと一緒に、木崎の五郎蔵にお真知は引き取られた、ということである。

水面にその男の姿がボンヤリ映る……紋次郎であった。お真知の仇は紋次郎ということになる。お真知は近くに紋次郎が来ていることを天眼通で知り、水車小屋の板戸を慌てて開けると……果たしてそこには、天眼通が示した通り紋次郎の姿があった。逆光の中で佇むその姿は、神々しくさえ見える。

「いた!」
お真知のセリフも面白い。
小平太を連れ戻しに来た紋次郎は、お真知が捜していた男でもあったのだ。
「久しぶりですね、お真知さん。もっとも望月の木賃宿で、竹槍の見当が少し外れたようで……。」
紋次郎は何もかも、お見通しだったようである。

「今度は逃がさないよ!」と、匕首を持つお真知。
「十兵衛親分を殺ったのは、あっしじゃござんせんよ。」と物憂げに答える紋次郎。
「この楊枝に、見覚えないのかい?」

天眼通に使っていた楊枝は、十兵衛が殺されていたときに、首に刺さっていたものらしい。
このパターンは今まで何回かあった。誰かが殺されていて、その現場に楊枝が残されている。下手人がわざわざ証拠となる物を置いていくはずがない……紋次郎が言うまでもなく、誰もが気付くはずである。真の下手人が紋次郎を騙って十兵衛を殺したのである。

お真知さん、天眼通を操れるのであれば、真の下手人の姿ぐらい見通せないものなのか。この疑問はずっと感じているのだが……(笑)。

紋次郎は咥えていた楊枝を吹き鳴らした後、柱に飛ばす。紋次郎の楊枝の長さは決まっている。お真知が持つ楊枝は明らかに短い。それに、紋次郎は語らなかったが、市川バージョンでは、人に向かって楊枝を飛ばすことはまずない。

小平次は「先手必勝!」と、紋次郎に斬りかかる。お真知も匕首を抜き、紋次郎に向かっていく。水車小屋の中は、穀物の袋が破れ埃っぽくなり、画面は白く靄がかかったようなソフトフォーカスになる。外からの光が柔らかい光の筋となり、小屋の中に差し込み、実に美しい。
小屋の中では、ゴトゴトと水車の太い心棒が回る。大道具さん、よく出来ている。

「逃げやしょう!」
小平次はお真知を連れて水車小屋から逃げる。また、逃げられた……それも5年前の、十兵衛殺しの濡れ衣まで背負うことになった。
紋次郎は後を追うことなく、水車小屋の中で溜め息をつく。紋次郎の溜め息というのも、めずらしい一面であり、人間らしさが見える。

人から頼まれ、誰かを連れ戻すというパターン。原作シリーズでは、「駈入寺に道は果てた」で、お染を連れ戻すために追う。しかし結局、お染の命は救えなかった。さて、小平次の結末はどうなのか?

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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

私が嬉しくなったのは、上条浪人を相手に、長脇差を一度も抜かずにやりあったことです。
前にも書きましたが、「紋次郎がどこで刀を抜くか」の描き方で、監督の紋次郎観がわかる、といっても過言ではありません。
それに、「寄らば斬るぞ」ではなく、峰打ちや鞘の一撃で切り抜けたり、最初から長脇差など持っていなかったりで、つまらないことでの命の遣り取りを極力避けるのが、初期股旅小説の登場人物の魅力でも有りました。
紋次郎は「龍胆は夕映えに降った」などでは、刀を抜いた大勢に囲まれても合羽を振り回して応戦し、挙句には合羽を腕に捲きつけて刃を防ぎ、最後の最後、もうダメかという時になって初めて刀を抜いていました。
少年時代の私は、剣の強さ以上の心の強さにシビレたものです。

もっとも、紋次郎の原作を読み返したら、峰打ちを使ったりはしているものの、ここまで「抜かない」にこだわってる様子は無く、有っても「姉の命日だから」という特異日だったり、なんですね。
これは、市川監督が、「姉の命日」や、他原作の「甲州路」の、酔いどれ浪人を鞘の一撃で退治するくだりを映像化し、第一シーズンの他の監督がそこから更にエスカレートさせた、というわけでしょうか。
このあたりも、いつかお夕さんに考察して欲しいところであります。

お真知の天眼通ですが、私も同じことを突っ込んでました。
まあ、「FBI捜査に協力して、これまで数々の難事件を解決!」との謳い込みでテレビに出てくる超能力者が、命題のオウム逃亡犯の居場所を誰一人当てられないんですから、あんなもんでしょ。(笑)

  • 20130804
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

紋次郎が長ドスを抜くか抜かないか……。
この場合は、やはり抜かないのがベストだと思います。

この相手には抜かない方がいいなあ、と思ったとき、その通りの進行だと「良かった……。」と思うんですが、そうじゃないときは、「そこまでせんでもええやろ!」と突っ込みを入れながら、読むときがあります。

もっとも、峰打ちや鞘での応戦でも、致命傷になるぐらいの一撃だったりしますよね。

テレビ版での、刀以外の応戦場面は、監督も殺陣師も協議したでしょうね。いつも同じような殺陣だと飽きられる……ということも、考慮されたんじゃないでしょうか?

精神論的には、必要以上に命のやり取りはして欲しくないし、グッと我慢するときの紋次郎もステキです。
考察とまではいきませんが、ざっと感じたところです。

「天眼通」の件、やっぱりですよね。
五郎蔵のもとでずっと居たのに、そんなことも気付かないなんて、お真知さんの立つ位置がわかりません。

五郎蔵が母親のいいなりでなく、もっとお真知に積極的だったら、お真知の心も違っていたんでしょうか?
そのあたりは、違う意味でも「謎の女」だと言えます。

  • 20130805
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

今日はコメントありがとうございました。
お夕さんは京都在住でしょうか・・!
明日は気を付けて行ってらっしゃいね^^!

  • 20130806
  • 荒野鷹虎 ♦-
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

鷹虎さま、コメントをいただきありがとうございます。

私、生まれも育ちも近江の国、琵琶湖の水で産湯を使いやした。
このあと草鞋を履き、安芸の国へ参りやす。
御免なすって。

  • 20130807
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

ご考察、ありがとうございます。
私のほうも、初期原作と映像を見比べました。
非・市川作品第一号の「女人講」冒頭の、川の中での立ち回り。
原作では、何時抜いたのかわからない早業の峰打ちでしたが、テレビ版ではまず振り分け荷物で戦ってから蹴りを入れ、その後に抜いたんですね。
この窪川監督や大洲監督が、「刀を抜くのは最後の最後で、それまでは持ち物や素手で応戦する」というスタイルを作り、それが今回の市川作品にも反映されたってことでしょう。

お真知やお勝の衣装やメイクですが、私はべつに違和感は覚えませんでした。
「馬子唄」のお政は、原作では髪を短く刈り込み、「女性捨て度80パーセント」でしたが、実際に映像化するにあたっては、パーマにメイクの新藤恵美さんで「女性捨て度20パーセント」くらいのものでした。
この点についてお夕さんは、惜しいと感じられたんでしたよね。
私は男性なせいか、あれくらいがちょうど良いと感じたものでした。
「女性としての魅力」と「リアリティ」の比重を、どう配分すればベストと感じるか、が、女性ファンと男性ファンの視点では異なっている、というのが面白いところです。

ところで8月15日に、時代劇専門チャンネルで「新撰組 呪いの血しぶき」がありますね。
敦夫さんが山南敬助、「鬼首峠」の松橋登さんが沖田総司。
紋次郎と伊三郎の共演です。

  • 20130809
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

広島研修会は無事終わりましたでしょうか!
子供たちへの歴史の伝承を実行したお夕さんの勇気に感動致します。!
ご苦労様でした。!

  • 20130809
  • 荒野鷹虎 ♦-
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

振分け荷物や道中合羽、すっぽ抜けた鞘、帯……など、長ドス以外の小物使いで、敵からの攻撃をしのいだ回がありましたね。
ポリシーと演出上の効果と、どちらもあるかと思います。それぞれ考えた方に、お聞きしたいところであります。

シリーズの後半になると、斃す敵の数も減り、路線の変更もありましたので、「無駄な命のやり取りは避けたい」というのが本質だと思います。
基本は「自分の身を守る」であり、「降りかかった火の粉は払う」ですからね。

今思うと、お真知の鮮やかな着物は、木曽の山奥で待つ「おたみさん」の慎ましい姿との対比なのかもしれません。
絹織物で賑わう町と、山奥での質素な暮らしの対比を、二人の女性の衣装で表現したのかもしれません。

お政さんの件ですが、やはりあのクルクル巻き毛(くせ毛と見るべき?)だけは、気になります。刈り上げまではいかなくていいですが、せめて剛力彩芽さんぐらいでお願いしたかったです(笑)。

「呪いの……」
情報ありがとうございます。やはり夏は、怪談ですね。
クオリティーが高いので、要チェックですね。



  • 20130810
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

鷹虎さま、コメントをいただきありがとうございます。

広島の件ですが、平和学習での下見から帰って参りました。
正直、暑かったです。
しかしながら、今から68年前に起こった惨状を想像すると、そんなことを口にするのも憚れるかと思いました。
子ども達に、どこまで伝えられるかわかりませんが、この体験は必ず生かされると信じて、これからの学習を計画します。

夜は、阪神・広島戦をマツダスタジアムで観戦。リョータのホームランが打ち込まれた辺りにいて、映像にチラ映りしています(笑)。

  • 20130810
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

よかったですねー子どもたちは必ず平和の大切さを覚えたと思います。‼あれ見ていたのですがお夕さんの顔写真見ていませんのでね^^。是非アップしてください(笑)今夜は藤浪が勝利投手になりましたねー。

  • 20130811
  • 荒野鷹虎 ♦-
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その八

鷹虎さま、コメントをいただきありがとうございます。

広島からの帰りは、新幹線で地震騒ぎに巻き込まれましたが、これもよい教訓になりました。

藤浪選手、あっぱれ!でしたね。
とても1年前、甲子園で学生野球をしていたとは思えない活躍ぶりでした。

テレビのチラ映りは、本人でさえ確認出来ないぐらいの瞬撮でした(笑)。
(スローで見ても一瞬です)

  • 20130812
  • お夕 ♦wikz35BA
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