紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その九

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その九

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その九
紅葉する林の中を、小平次とお真知が駆け抜ける。
お真知さん、なかなかの健脚で、着物姿でありながらかなりのスピードで走る。膝上まで裾がまくれても、色っぽさを感じない。これは同性の目線だからそう感じるのかもしれないが、お真知にはそういうキャラを要求していないようである。

「木崎まで、ひとっ走り行って欲しいんだよ。大事な用なんだ、耳をお貸し!」
「誰も聞いちゃいませんよ。」
「いいから耳をお貸し!」
と、小平次の耳を引っ張るお真知。このあたりの掛け合いが面白い。

五郎蔵の元に、八州廻りの浅香が来ている。二人の関係は、以前から持ちつ持たれつのようで、五郎蔵は袖の下の五十両を渡す。
浅香は、一揆を画策していることを知った上で、「お上に、一揆の規模が一万人を超えたと報告したらどうなる?」
と、意味深な言葉を口にする。
「ほう……つまり……。」
「その時はもう少し、重いものをな。」
と言い残し、そそくさと出て行く。
取り締まる側までも、金目当て……一体どこに正義があるのか。体制側も反体制側も、砂糖に群がる蟻のごとく、動きひしめいている。

五郎蔵が一揆を操っていることは、浅香には筒抜けのようである。それもそのはずで、五郎蔵の子分の一人、熊太郎が、浅香の手先になっていたのだ。こういう存在を「蝙蝠」と称するようである。勉強になった(笑)。
しかし、密会しているところを丑松に見られてしまっていた。

この密会の場所は、雰囲気があっていい感じである。地蔵菩薩の祠なのだろうか。大きな屋根の下には、腰を下ろせる縁台があり、浅香が坐る。
セットではないと思うが、現存しているのだろうか?ロケ地が気になる。

小平次は五郎蔵の元に帰って、お真知と紋次郎に出会ったことを報告している。五郎蔵と紋次郎の関係を尋ねるが、五郎蔵は答えない。

中山道を往く紋次郎……ナレーションで中山道の説明が入る。
碓氷峠を越えて紋次郎は上州に入った。遠くに見える山並み、ススキの穂が風に揺らぐ。紅葉した峠道を進む紋次郎に、黄金色の落葉が舞い降りる。

河原にしゃがみ込んで、天眼通をするお真知の姿を、紋次郎は認める。紋次郎が近づいてきてもお真知は驚かず、声をかける。
そして、
「小平次がどこへ消えたかは知らない。」
と答え、
「よくないものが見えている。五郎蔵親分のおっかさんの容態が悪くなる。」
と、天眼通で見たものを口にする。

「どこでそんなもの習いなすった?」
と尋ねる紋次郎に、お真知は
「生まれつきだよ。」
と答え、自分の身の上を話す。
紋次郎に身の上を話したくなる女……この辺もお約束のパターンである。

川面がキラキラ光って美しく、背景のボケ具合が良い感じである。
市川バージョンで川面がキラキラと言えば、「峠に哭いた甲州路」であろう。あのときも、川辺でのツーショットだった。

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その九"

回想シーンでは、渡り芸人の母と旅暮らしをしている幼いお真知。ゴザを巻いて背負う母の後ろを歩く姿のシーンを見て、連想したのは、加藤剛さん主演の「砂の器」。
お遍路姿で父子が歩くシーンは印象的だった。あの映画も、日本の四季を情趣深く映像化していた。

客が振る賽子の目の数を言い当てるお真知。母親は天眼通を操れるお真知を、人寄せに使った。
不思議な力を持つお真知は、大間々の絹の六斎市のとき、上江田の十兵衛親分に見出される。十兵衛は、30両と引き替えにお真知を引き取り養女にした。
その大事に育ててもらった十兵衛が殺されたのだ。下手人を八つ裂きにしたいくらい憎い、と声を荒げてにらみつけるお真知。

「あんた、生まれ故郷はどこなのさ。」
「忘れやした。」
「帰れば誰かが待ってんだろ?」
「そんな者、いやしやせん。」
「へえ、ひとりぼっち……じゃあ私と、どっこいどっこいじゃない。」

生まれ故郷で待つ者はいないだろうが、木曽には伝吉とおたみが、紋次郎と小平次の帰りを待っている。

咥えた楊枝がピクッと動く。紋次郎にとって、楊枝は触覚のようなもの(笑)。振り返らずとも、背後に危険が迫っていることを察知する。この野性的な危険を察知する力は、衰えていないところが、嬉しい。
「お真知さん、向こう岸まで逃げておくんなはい。妙な奴等が近づいているんで……。」
紋次郎はお真知をかばうようにして、川岸の方へ追いやる。

道中合羽の下から振分け荷物が下ろされる。戦闘準備である。
今まであまり振分け荷物の存在がなかったのだが、今回はよく出てくる。戦う前にはやはりちゃんとどこかに下ろしている。

実はすべてお真知が仕組んだ罠だった。お真知は、やはりまだ紋次郎が仇だと信じている。
小平次を五郎蔵のところに走らせて、紋次郎を待ち受けて殺す手はずなのだ。

{殺っちまいな!」
お真知が向こう岸から、声を張り上げる。
河原に広がるススキ原から、いくつもの三度笠がニョキニョキと現れる。10人はいるだろうか。現れ方は、「獣道……」の鴉軍団に似ている。
全員三度笠に、道中合羽姿である。待ちかまえていたのであれば、どちらも身につけていない方が動きやすいだろうが、ここはやはり映像的にはこうあるべきだ。

紋次郎はざっと敵の人数を確かめ、咥え楊枝を投げ捨てる……と同時に、戦闘開始。
敵が紋次郎目がけて走ってくる。紋次郎は河原をチラリと見て、作戦を考える。
それは、とにかく走るということだ。紋次郎は浅瀬を走る。スローモーションで撮られた、水しぶきの輝きが美しい。走ることで、集団の足並みがバラつくことを狙ったのである。

石ころだらけの浅瀬を走ることは、50歳を過ぎた者には結構きついと思うのだが、さすが中村紋次郎。健脚ぶりは健在である。競輪学校で直前、トレーニングを積んだ賜物だろう。
しばらく走ったところで紋次郎は、急に向きを変えて敵に向かっていく。必死で追いかけていたものが急にこちらに向かってくる。この予想外の動きに、敵は慌てふためきフォーメーションが崩れる。そこがねらい目だった。

一人また一人と、紋次郎の長ドスで斃されていく。スローモーションでの殺陣の映像が入る。スピード重視での殺陣だけではなく、緩急をつけた演出である。
野獣的な殺陣ではなく、どちらかというと、オーソドックスな殺陣。突きや刀を合わすことはなく、すべて斬り捨てる感じである。
あの、中腰になって片手で長ドスを構えるシーンはなかったのが、残念。

その内の二人が、なぜか向こう岸に立つお真知に襲いかかる。
お真知は
「なんで、私を?!」
とパニックになる。
紋次郎はすぐさま駆けつけ、道中合羽を斬られるも、二人を斃す。
お真知が五郎蔵に頼んで寄こした子分たちなのに、なぜお真知を殺そうとする?
五郎蔵にとって、お真知はどういう存在なのか?

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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その九

私も三度笠ニョキニョキは、鴉軍団を思い出しました。
が、川面を背景に佇む映像は、画面に流れる空気が「憧憬」と「憎悪」の正反対なためか、お夕さんに指摘されるまで気付きませんでした。
そう言われてみると、このシーンは旧作の手法が結構有りますね。
スローモーションで敵を薙ぎ倒しながら、左から右へと駆け抜けるのは「地蔵峠」。
水しぶきバシャバシャのスローモーションは、「駈入寺」を覚えてますが、それ以前にも有ったような気もします。
これはオマージュの意図があったのか、聞いてみたいところです。

紋次郎の歩く風景は、信州でしょうね。
この辻堂は、ほんと、どこなんでしょう?

「砂の器」の加藤嘉演じる父子、印象的でしたね。
友人が、息子の大学入試の合格発表を一緒に見に行き、「砂の器状態で帰って来た…」と語っておりました…。

  • 20130813
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その九

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

仰るとおり、「帰って来た……」にはたくさんの「アルアル」が再現されていますね。
いろいろ見つけるのも、往年ファンにとっては楽しいものです。
基本、市川監督の撮影手法は変わっていないわけですし……。
ここにも、あそこにも、使われているなあ、と探すのは面白いです。

テレビ版に比べると、時間的に余裕もありますので、自然描写の美しい映像がふんだんに使われているというのが、バージョンアップですね。
お約束通りの、竹林が風に揺れるシーンなんかは絶対にはずしません。
未だに私は竹林が好きですし、紋次郎の影を探します。

しかしながら、この夏はあまりの酷暑なので、紋次郎の影を追えていません。
まさしくこの夏は、「♪陽は~いつまでも~沈まない♪」状態です。


  • 20130814
  • お夕 ♦wikz35BA
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