紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一
その頃紋次郎は、村はずれの井戸を使っていた。そこへ百姓達が来て、
「どんなに巧いことを言ったって、俺たちは一揆には加わらねぇからな。」
「五郎蔵一家の口車には、乗らない百姓がいることを、忘れるな!」
「また人を集めに来たんだろう!」
と口々に叫ぶ。どうも紋次郎を、五郎蔵一家のものと間違えているようだ。

そこへ例の八州廻りの浅香が通りかかる。馬に水を飲ませに来たようだ。百姓達は逃げていくが、浅香は井戸の近くの紋次郎に声をかける。
「この辺りは運上金のことで騒いでいるんだ。裏では相当の金が動いてる。お前も金のにおいを嗅ぎつけに来たのだな。」

浅香も間違っている。
「ただの通りすがりのもんで……。」
と、口をすすぐ紋次郎。

「これから一騒動が起きる。俺はそれを見張っている訳だが、どうだ?俺の手先になって一稼ぎせんか?」
この浅香、紋次郎を雇ってどんな仕事をさせる気だ?
浅香の持つ鞭を、ゆっくり振り払う紋次郎。

「あっしには関わりのねぇこってござんすよ。」
出た!名台詞!
テレビ版では「あっしには関わりのねぇこって……。」だったと思うが……語尾が違う。

浅香の顔から視線を外さず、楊枝を咥えた後、
「ごめんなすって!」
と紋次郎は合羽を翻す。その語気は、怒りがこもっている。

「世の中には、欲のねえ奴もいるもんだ。」
足早に去っていく紋次郎の後ろ姿を眺めながら、浅香は独り言を口にする。

紋次郎は、五郎蔵一家で仁義をきる。仁義の作法は少々簡略化されているが、(紋次郎も「略儀にて、御免被りやす」と断っている)かなり忠実に則っているのではないか。
三度笠の中に振分け荷物を入れ、その上に長脇差を置いたり、仁義をきるときは親指を隠して拳をつくる(一家の親分であれば、親指を外側に出す)とかは、史料通りである。(さすがに三回ずつの「お控えなさい」のやり取りなどは、省略されているが……笑)
ただ、道中合羽は身につけたままなのだが、これは作法にかなっていたのかは不明。

虎之助が受け手であるが、その後ろにはずらりと子分達が控えている。
紋次郎はよどみなく仁義をきるのだが、自分の名を告げるとき、「木枯しの紋次郎」と異名を言うことには少し抵抗を覚えた。紋次郎は、弁天の小平次の一件で五郎蔵に会いたいという趣旨の仁義をきる。
その間、紋次郎や虎之助とたちの姿や、三度笠と長脇差などのショットが瞬時に何度も切り替わる。市川監督の映像技法である。ピンと張り詰めた、緊張感が増す。

紋次郎の仁義をきる姿は、いかにも貫禄があり、テレビ版のときにはなかった年輪を感じる。ただ、声質が違っているようで、残念である。今回の仁義は、声を張りすぎているというか、「演じている」という感が否めない。もっと淡々と言っても良かったのではないだろうか、と個人的には思う。
5年間のブランクがあっても、仁義をよどみなくきれる紋次郎はさすがである。

仁義を受けた虎之助は、「上げておくんなさい。」と型どおりの言葉をかけてから、五郎蔵には会えない、母親が亡くなったからと、申し入れを断る。
「そうですかい。」と紋次郎は答えて、虎之助から視線を外さず、長脇差を手に取り腰に落とす。一家の者に緊張が走る。
紋次郎は、チラリと虎之助を一瞥した後外に出て、後ろ手で腰高障子を閉める。子分たちが色めき立って、後を追おうとするが、虎之助はそれを制して感心して言う。

「いい度胸、してやがらぁ。」

全く、いい度胸である。降りかかった火の粉とは言え、10人もの子分を叩き斬った後、正面きって五郎蔵一家の敷居を跨ぐのであるから……。お互い、そのことについては触れないようにしているが、一触即発の空気だった。

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一

霧の中、あちこちに筵旗が立ち並び、一揆の様相。

小平次は、上江田の養蚕農家、多助の家でお真知から話を聞く。
「お前は、五郎蔵の金儲けの手先に使われていただけだ。」と言われ、小平次は驚き立腹する。お真知は多助から、五郎蔵の企みを教えてもらったと言う。

「上江田は元は十兵衛親分の縄張りで、その当時はよくしてもらっていたのに、五郎蔵の代になってからは……」
との多助の話を最後まで聞かず、
「親分のことを、今の今まで信じてやってきたのに!」
と口惜しがる小平次。

小平次は一体、何を信じてきたのか。長い間五郎蔵の子分だったのに、その化けの皮にどうして気づかなかった?と呆れてしまう。情報収集力と判断力の無さときたら……である(笑)。もっとも、天眼通のお真知でさえ、その本質が見抜けなかったのだから、仕方がないか。

「木曽へ帰れ。」と諭すお真知を振り切って、五郎蔵に会って話をつけると飛び出す小平次。一本気を通り越して、無鉄砲にも程がある。
血相を変えて、「親分に会わせろ。」と駆け込む小平次を虎之助はなだめ、「まあ、一杯やってゆっくり話をしよう。」と外に連れ出す。

映像は切り替わって、懐かしいロケ地。鳥居本八幡宮である。実は、この記事を書こうと思ったおり、また行きたくなって、6月に訪れた。今回で3回目。いつ来ても、だれもいない。静かな聖地である。
ここで、弔いに来ていた五郎蔵に紋次郎は出会う。

「おめぇさんと、サシで話がしてぇと思いやしてね。」
五郎蔵は紋次郎の出現に驚くが、すぐに冷静になる。
命の恩人である、小平次の父親から頼まれた。小平次を木曽に返してくれ、と言う紋次郎に「生憎だが……」と続ける五郎蔵。
「親分子分のつながりは、実の親子より堅い。一旦盃を受けたら、死ぬまで親分から離れられないのが、渡世の掟……。」
と、いかにも理路整然と断る五郎蔵。

「じゃあ伺いやすが、その子分に一揆をそそのかし、天下大乱の罪を被せる。それも渡世の掟ですかい?」
と、紋次郎。
ん?なかなか言うじゃないですか、紋次郎サン。

それにしてもこの映像も美しい。境内の林の中で対峙する二人。木洩れ日がまるで、間接照明のように柔らかく差し込んでいる。紋次郎の三度笠、低木の葉、なだらかに起伏する地面に光が当たる。そして、かすかに鈍く光る舞殿の瓦も、後方に見える。幾重にも重なる、光のグラデーションの妙は素晴らしい。

実際、現地を散策したが、映像の方が数十倍美しい。市川監督のことだから、きっと一番美しく陽が差し込む時間帯を狙ってのことだろう。
そしてこのシーンは、映像だけでなく、静寂感もいい。鴉の声の合間に、小鳥のさえずりが聞こえる。近くに有名な観光地があるにも関わらず、道路から少し山側に入っただけでこの静寂である。余計なBGMがないのもいい。

「なんだと?紋次郎。おまえ一体、何が言いてぇんだ?」
ここで同行していた子分達が、木陰からバラバラと出てくる。
紋次郎はそれを、目の端に捉えるが、全く動じない。

「人ってものは性懲りもなく、同じ事を繰り返すもんでござんすね。 自分の手を汚さずに、欲しいものを手に入れる……5年めぇの事を言ってるんだ!」
紋次郎にしては語気が強く、感情が表に出ている。

紋次郎は、何もかも見透かしている。いや、何もかもではない……。五郎蔵のバックに、富岡屋たち絹問屋の旦那衆がいることは知らない。そしてその後ろにも……。
5年前の十兵衛殺しの件は、ビンゴである。

「何言ってやがんでぇ。十両の金欲しさに、十兵衛親分を殺しやがった盗人野郎が!」

ここで意外な展開。窃盗罪については、物的証拠の書付けが提出される。それもナント、被った三度笠から?いや、もしかしてちょんまげから?黒柳さんなら、あのタマネギ頭から「アメちゃん」が出てくるんだが……(笑)。
5年前に十兵衛から託された十両を、武右衛門に確かに届けたという覚書きである。いわゆる領収書。大したもんである。5年間、ちゃんと保管してあったのだ(笑)。
それも崖から落ちて、木曽川の濁流に流されても、覚書きは流されてなかったのだ。もの持ちがいい、律儀な紋次郎である(笑)。
窃盗罪については嫌疑を晴らした。金のためという動機がなくなった訳である。そうなると、あの後誰が一番得をしたか、と言えば……そりゃ、誰でもわかるよな……である。

「本当の下手人はだれか……?」
物的証拠を突きつけられて、さすがの五郎蔵も冷静さを失う。
「うるさいっ!」と感情を露わにして、子分たちを呼ぶ。

「おっと、五郎蔵さん。大事なおふくろさんの喪が明けねえうちに、血の雨、降らせようってんですかい。小平次さんさえ返してくれりゃあ、あっしはさっさと引き取りやすんで……。」
と、足早にその場を去る紋次郎。口惜しくて言葉も出ない五郎蔵。
今回の紋次郎は、何かと雄弁である。そして、ちょっぴり皮肉屋さんである(笑)。本来の紋次郎は口数少なく、弁舌で相手を追い込むようなことはしないと思うのだが……。

*2枚の写真は、ロケ地である「鳥居本八幡宮」です。

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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一

毎回、写真とともに楽しませて頂いております。今回の鳥居の写真もいいですね! ところで、CSチャネルなのですが、映画「無宿人御子神の丈吉」が9/7から全三作放映予定です。疾風の伊三郎役の72年当時の敦夫さんを久しぶりに拝見できると、楽しみにしています。原田芳雄さんとのからみも楽しみです。

Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一

いなささま、コメントをいただきありがとうございます。

当時は、敦夫さんと原田芳雄さんの人気は高く、その二人の共演ですから注目されたでしょうね。

私は片田舎に住んでいましたので、子どもだけで都会の映画館には行けず、新聞の宣伝掲載の写真に、ワクワクしたものでした。

子供心に「原田芳雄さんもかっこいいなあ!」と思っていました。

また鑑賞後の感想など、お聞かせくださいね。

  • 20130901
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一

この紋次郎の仁義の切り方ですが、私は二つの点で「?」でした。
まず、「おひけえなすって」のポーズでやってますが、「鬼首峠に棄てた鈴」によりますと、
「上がり框に両手を重ねて置くという作法だけで、この渡世人が追われて旅をしているのではない、つまり楽旅だということがわかるのである。逆に指名手配で追われている凶状旅の場合だと、上がり框には手を触れず離れた土間で仁義を切るというのが、この世界での礼儀作法であった。」とあり、TV版でも松橋伊三郎がその通りにやってましたよね。
これは、どちらかというとトリビアなので、あえて「おひけえなすって」のポーズにしたのかもしれません。

もう一つは、この作品を見た時には、それが普通だと思っていたのですが、自分で「木枯しの紋次郎」と名乗っている点です。
後に書かれた「名月の別れ道」では、紋次郎に成りすましたニセモノが、仁義で自分からそう言ってしまい、「木枯しなんてえ異名は、仁義に織り込むのを控えるのが渡世の決まりだ。紋次郎でよかろうものを、わざわざ木枯しを付け加えやがった。」とバレて叩き出されてます。
…いらん情報まで叩きこまれている原作ファンってのは、厄介なもんですな。(笑)

今回の最後の、岸部五郎蔵の悔しそうな顔の見事なこと。
ふだん無表情なだけに、余計に悔しそうに見えるんですね。

  • 20130901
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

仁義の切り方がどこかに記述されていたなあ、と思っていましたが、「鬼首峠……」でしたか。
ところで紋次郎自身は、凶状旅なのか楽旅なのか、どちらに分類されるんでしょうね。

楽旅は修行の旅……男を磨く旅ですよね。紋次郎には、当てはまりません。

凶状旅は、罪を犯して追われている旅。
紋次郎は、降りかかった火の粉を払ったとはいえ、人を殺めていますから、こちらに近いかなあとも思いますが……基本的には、追われているようにも見えません。

となると、放浪の旅……この場合の仁義の切り方は、どうなるのでしょう。

考えすぎですかね。
素直に作品の真髄を鑑賞するのが、正しいファンの道なのかもしれません(苦笑)。

無表情な岸部さんが、「カオナシ」に見えるのは、私だけでしょうか?(笑)

  • 20130902
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一

紋次郎の場合、訴人されたり手配書が回ってる様子も無く、貸元の所に草鞋を脱いだりもしてますので、凶状持ちではないでしょう。
どこだったかで「凶状持ちも同然のあっし」というセリフがあったように思います。
「も同然」というからには、一応は凶状は付いてはないということですね。

今気が付いたんですが、敦夫さんも一徳さんも、「八つ墓村」で、頭に懐中電灯をつけた殺人鬼・要蔵をやってるんですよね。
敦夫さんは、普段のキャラと180度変えて演じ、「これがあの紋次郎の中村敦夫さん!?」と我が目を疑うほどでした。
かたや一徳さんは、素のままのキャラの方向性を殆ど変えずに、狂気の要蔵を演じていた点が対照的です。

カオナシ、確かに!
なお私は、八つ墓村の敦夫さんが、ヒゲと動き、ノリで、「花の応援団」青田赤道に見えてしまいました。(笑)

  • 20130903
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

手配書と言えば「見かえり峠……」で、楊枝を咥えていない紋次郎の人相書が回されていましたね。(清蔵の企みでしたが)

いつも思うのですが、ヤクザ同士の切った張ったは、役人に被害届を(笑)出さないんでしょうかね。

役人の方も、ヤクザや無宿人が殺されようが、どうでもいいと言うか、厄介払いができていいと思っているのかもしれません。

そうでしたか。要蔵つながりでしたか。
敦夫さんの怪演(笑)ぶりには度肝を抜かれましたが、紋次郎に固執しない姿勢は、その後の演技の幅を広げましたね。

青田赤道って、「クエッ!クエッ!クエッ!」の……?
実際に読んだことはなかったのですが、印象には残っています。

  • 20130904
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一

こんばんは♪
お久しぶりです。
いつも読み逃げで申し訳ありません。
何しろビデオを撮っていないので(購入も)
細部のエピソードは話に乗れません(笑)
お詫びの印に拙ブログにも書きましたが
紋次郎の切り絵を送りました。
どうか、ご笑納ください。

いつも楽しく拝見しております、ガンバって下さい。
では、又♪

Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十一

ぶんぶんさま、コメントをいただきありがとうございます。

おいでいただいているだけで、本当にありがたく思っております。
お詫びだなんてもったいない。
お気を煩わせてすみません。

お手間入りの作品をいただけるなんて、光栄です。
ありがとうございます。

  • 20130905
  • お夕 ♦wikz35BA
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