紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十三

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十三

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十三
最後の見せ場、大立ち回りは屋内撮影である。この百姓家は養蚕農家という設定で、いろいろと家屋内に作業道具があるので、殺陣に変化がつけられる。
敵はざっと、三十人か。この殺陣については、かなり綿密に動きが練られている。
以前、特集番組があったのだが、その中で市川監督自筆の絵コンテが紹介されていた。また、殺陣の動きが細かく書き込まれた図もあり、この一番の見せ場にかける情熱を感じる。

大胆且つ緻密な演出の中で繰り広げられる死闘は、見応えがある。スピード感があり、紋次郎は常に動いている。カメラワークも工夫されている。
私が気に入っているのは天井裏から撮られたシーン。囲炉裏の周りで、転げながら敵と戦う紋次郎。次のシーンではローアングルになり、囲炉裏端にあった鍋がひっくり返り白煙と灰が舞い上がる。
紋次郎の動きに合わせてカメラが動く撮影は、躍動感と臨場感があり、まるで自分も紋次郎を追いかけている気持ちになる。

腹を押さえて、「いてててて……」と横たわる男や、戦意喪失で呆然と座り込む姿が合間に入るのも、リアリティを感じる。
蚕棚が倒れ、繭玉が散乱する。大勢を相手に戦う紋次郎は、周りにあるすべての物を防御と攻撃に使う。

この屋内撮影で特筆すべきところは、息もつかせぬ殺陣と、照明の妙ではないだろうか。すべてを見せない照明。黒をしっかり際立たせている。締め切った空間なので、昼とは言えど必ず闇がある。闇があるからこそ、照明が生きてくる。照明は下村一夫氏。市川監督とは、長年コンビを組んでおられるので、あうんの呼吸での仕事ぶりだったのではないだろうか。

逆光の中、喧嘩支度の子分を随えて、五郎蔵が余裕の表情で現れる。五郎蔵の姿を見て、珍しく紋次郎の方から攻撃に出る。しかし、多勢に無勢……と言うより孤立無援。敵は数に物を言わせて、紋次郎を追い詰めていく。
板壁に追い詰められた紋次郎に、五郎蔵の指図で槍を構えた虎之助が近づく。至近距離から槍で狙われ、動きが取れず絶体絶命!さすがに紋次郎の表情にも焦りが見える。
しかしくり出す為に槍を手前に引いた瞬間、紋次郎は体をずらし、危機一髪、攻撃を避ける。顔のすぐ横に突き刺さった槍を、紋次郎は切り落とす。形勢逆転なるか?

虎之助、攻撃をかわされて驚くが、咄嗟に長ドスを抜いて紋次郎に襲いかかる。不覚にも紋次郎の長ドスが手から離れ、積まれた藁の中に……。紋次郎は素手で対峙するが、虎之助の長ドスが腕をかすめる。しかし、濡れた和紙のガードのため無傷!やはり「備えあれば憂いなし」である。よかった。

虎之助は唸り声を上げてなおも襲いかかってくるが、紋次郎は藁の中にダイビングして、長ドスを手にしてカウンター攻撃。紋次郎の長ドスは、虎之助の腹部に埋め込まれる。
ギリギリと埋め込まれる刀なのだが、今回の撮影では一切血しぶきはない。リアリズムを追求するとしても、私はスプラッター系は遠慮したいので、その点は良かったと思う。

虎之助は刀を抜かれた後、ストンと座り込み、バタッと倒れ事切れる。虎之助さん、呆気なく死んでしまった。もう少し槍と長ドスの戦いを見たかったなあ、と思う。
尾藤さんの、キレの良い身のこなしを見たかったのだ。尾藤さんは幼少時、太神楽の曲芸師だったというから、多分槍や刀さばきも卓越していたはずなので惜しい。

五郎蔵の右腕だった虎之助が斃され、残された子分たちも大分数が減った。
後は五郎蔵と決着をつけるだけである。紋次郎は抜き身の五郎蔵と対峙する。激しい動きの後なので、息も荒く汗ばんだ紋次郎の顔だが、五郎蔵は全く無表情。動と静の対比。

その時、屋根裏から「五郎蔵!」という声。お真知である。お真知は階上から、白い絹糸の束を五郎蔵目がけて投げ落とす。まるでクモの糸のように、五郎蔵の体に絹糸はからみつく。振りほどこうとする五郎蔵に、紋次郎は体ごとぶつかり、長ドスで胸を貫く。うめき声を上げて仰向けに倒れる五郎蔵。おそらく即死。
絹糸に纏わる策略で暗躍していた五郎蔵が、絹糸に纏わられ最期を迎えるとは、皮肉なものである。

親分が殺され、残った子分達はあわてふためいて逃げていく。
お真知が階段を静かに下りてきて、放心状態で水の入った桶を眺めて言う。
「まるで、この世の終わり……。」
この死闘の様子を言っているのか。

紋次郎は刀を鞘に収めて、楊枝を口にする。
「天眼通ですかい。」
「年が明けて間もなく、上州と信州に地獄のような災難が……。」

弘化4年に何が起こったのか。気になったので検索してみると、「善光寺地震」が春に起こっている。かなり大きな地震だったようで、マグニチュード7.4はあったらしい。山崩れ、地滑り、家屋の倒壊、火災、水害により、多数の死者を出した。(ウィキペディアより)
お真知が予知したのは、多分それであろう。しかし、ここでなぜ、急に天眼通が出てきて、天災を予知するのかは不明。

紋次郎はおもむろに、懐から「も」と書かれた「もくざ」の紙を取り出す。伝吉から渡された、一人前の杣人の証……言い替えれば、堅気の生活が保障されるものである。紋次郎は躊躇せず、その紙を空中に投げ上げる。そして、咥えた楊枝を吹き鳴らし、紙に向かって飛ばす。もくざの紙は柱に縫いつけられる。堅気の生活からの決別である。

「お真知さん、小平次さんを頼みます。」
紋次郎の後方は木戸が開いていて、そこから光が差し込み、逆光となる。

「紋次郎さんは、どこへ……?」
「あっしはどうやら、堅気にはなれねぇ運命(さだめ)のようで……ごめんなすって。」
と、道中合羽を翻して去っていく。この翻すときの、「バサッ!」という音が胸にしみ入る。お真知は柱によりかかって紋次郎の後ろ姿を見送り、溜め息をつく。

普通なら、ここでエンディングなのだが、この映画には後日談がある。

「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十三

幕府は大規模な一揆が起こることを危惧して、絹、糸、真綿の運上金制度を中止した。
満面笑みの絹問屋、富岡屋惣左衛門と旦那衆。何事もなく運上金が白紙状態になったことに喜んでいる。

「これもすべてあなた様のおかげでございます。」
と酒を勧められているのはなんと、八州廻りの浅香。これもドンデン返しの一つか。

しかし元来ドンデン返しとは、予期せぬ事態が明るみに出るものなのだが、何となく予想できる結末なので、インパクトは少ない。
どうせなら、実は「お真知が……」「伝吉が……」とか、極めつけは「おたみが……」なんてことになったら、正真正銘のドンデン返しになるだろう(笑)。

「世の中、持ちつ持たれつ、と言うではないか。」と浅香。
その上めでたいことに、目障りな木崎の五郎蔵が、どこかの流れ者に殺されたと、旦那衆は喜ぶ。これで絹問屋からは、五郎蔵に金を払うことはなくなったという訳である。

富岡屋は、
「浅香様以外にはね……。」
と嫌味な言い方をする。
「ふん。僅かな礼金で済ませたくせに。」
と不服そうに盃を傾ける浅香は、侍らしている女を膝枕にして、ゴロリと横になる。

この後日談は、正直後味の悪いものである。全く紋次郎には、関わりのない世界である。したがってこの狡猾な連中に、「一矢報いる」ことはできない。まさしく、隔靴掻痒の思いである。

当初は、体制側(八州廻り)と反体制側(五郎蔵)の癒着かと思いきや、最後は体制側と資本主義者(絹問屋)との癒着だったとは……これは明らかに現代社会を揶揄している。このあたりの展開は、中村敦夫さんの狙うところではないだろうか。中村氏は、時代劇を単に時代劇然として終わらせようとはしない。必ず、現代社会とリンクさせている。
これはあくまでも私見だが、市川監督との脚本作りでは、両者のすり合わせがあったのではないかと思う。

「それにしてもあの楊枝を咥えた渡世人……どこのどいつか……気になる男よ。」
浅香が女の膝を愛撫しながら、独りごちる。紋次郎と出会ったのは、あの井戸端で「一稼ぎせんか?」と誘った一回きりなのだが……。
浅香とは対極にいる無欲な紋次郎に、一目置いている。

紋次郎が木枯し吹く中、三度笠を傾けながら歩いて来る。バックは大きくうねる竹林。風にざわめく葉ずれの音、翻る道中合羽の音、地面を踏みしめる足音。

日下武史氏のいつものナレーションが入る。テレビ版を踏襲していて嬉しい。
山に続く真っ直ぐな一本道。何の飾りもなく、荒涼としている。白い霧が一帯を覆っていて、山裾はぼやけて見える。遠ざかる後ろ姿は、向かい風に道中合羽が煽られている。

テレビ版と違うのは、ナレーションのときに流れるBGMが今回はないということだ。木枯しの音、翻る道中合羽の音、そして遠ざかる足音だけ。
白い霧、木枯しの音、荒涼とした風景。そう言えば、アバンタイトルの出だしと同じである。
最後は、丸いワイプが閉じられて終わる。

「夕景がよかったんだけどなあ……。」というのは、わがままだろうか。
そして、最後のBGMも聴きたかった。テーマ曲のメロディをバックに、去っていく紋次郎の姿に胸を熱くするのが常だっただけに、ちょっと寂しい。同じものは使えないにしても、アレンジして流して欲しかった。

20年ぶりで紋次郎は、帰って来てくれた。ストーリー展開に少し不満があるものの、映像の美しさは満足のいくものだった。そして、眉をひそめるお色気シーンや、「首コロン」がなくて、清廉潔白な紋次郎だった(笑)。

アクションシーンも20年のブランクを感じることなく、見応えがあった。このときの中村紋次郎は、ちょうど私と同じ(ぐらいの……笑)年齢。果敢に撮影に挑む姿は、「さすが、役者魂!」である。私もがんばろうっと!(何に対してかは、不明……笑)と、勇気を与えてくれた。

もう二度と、正真正銘の紋次郎は帰って来ない。
しかし私の心の中では、今もあの時のままの紋次郎が、足早に街道を歩いている。

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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十三

お夕さん、長い間お疲れ様でした。
日本三大「帰ってきた」の一角だけあって、読みごたえが有りました。

この後日談、後味が悪いといえば悪いですが、私はこれがあってこそ笹沢左保股旅ワールドだと感じたのです。
「見かえり峠」に始まり、「甲州路」や初期紋次郎などでの「悪」とは、ゴロツキや悪代官とかでなく、市井に暮らす一般市民の心に潜むエゴイズムである、と。

平凡に暮らしていても、いざ災厄が迫ってきたら、自分自身を守るためにはエゴに走り、平気で人を裏切ったり信義を踏みにじったりしかねない。読者も、この私も、その可能性を否定しきれません。
後日書かれた小説版の「帰って来た木枯し紋次郎」でも、最初の数話でやはりこの点が描写され、板鼻の市井の人々と渡世人・越堀の浜蔵との違いで持って、生々しく浮き彫りにしていました。

このラストはこれで充分いいと思いますが、旧作ファンとしてのワガママを言わせてもらえれば、あの後日談は形を変えてもっと前に持ってきて、最後の立ち回りでお真知が紋次郎をかばおうとして五郎蔵に斬られ、ラストであの物悲しい音楽が流れながら「あの時の若い衆は、実は自分だった」と告白し、静かに息を引き取る…というのを望みます。
おそらく製作サイドも、お真知を死なせるかどうか、議論したところではないでしょうか。

必然無しヌード、首コロン、飲酒シーン、究極の言い訳。
これらは紋次郎の黒歴史です。(笑)

  • 20130915
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十三

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

当初は、ざっくりあっさり終わらせるはずが、こんなに冗長になってしまいました。我慢して(笑)、読了いただきお礼申し上げます。

今回の作品はドラマシリーズに比べて、より大きな勢力や政治的な背景があり、私としては少し紋次郎が相手にするようなレベルではなかったように思えました。
人間のエゴをテーマにするのは、笹沢作品の真髄ではありますが……。

小さな村のエゴだったり、堅気の裏切りだったりでも良かったのでしょうが、一揆や関東取締出役だったりと、映画版なのでスケールを大きくしたのかもしれませんね。

TOKIさんのリクエストの件ですが、私も同感です。
本作品では、ヒロインは死にませんし、小平次も生き残り、いわゆるハッピーエンド。
これは、希有な終わり方だと思いますね。
五郎蔵は、大好きな母親の後を追って死出の旅へ……紋次郎は、堅気にはなれず定めの旅へ……。これも見方を変えれば、ハッピーエンドかも?しれません。
私もなぜ、お真知を生かしておくのかわかりませんでした。

もしかして、続編でも作るつもりでも?なーんて。
(実際、そんな話もあったそうですが……)
お真知が予言した通り、「善光寺地震」が起こり、そこで紋次郎とお真知が再会したりとか……。

  • 20130916
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十三

やはりラストは、お夕さんもそういう形をお望みですか。
「椿油」は無しにして、苦しい息の下から「紋次郎さん、許しておくれ。実はあの野尻の崖道で…」とやって欲しいところですよね。
考えたら市川監督は、「川留め」のラストで、原作では死ぬお勝を生き延びさせていますし、「甲州路」のラストでの、息を引き取る間際のお妙との会話をカットしていたりで、笹沢さんほど余韻を残さない形を理想としておられたのかもしれません。

小平次が帰り着いた時、伝吉さんは大丈夫だったんでしょうか。
紋次郎を助けた人は、「旅立ち」の爺さんと花菱屋以外は皆、災難に見舞われ、その殆どが命を落としてるんですね。
紋次郎自身に斬られた者も何人か居ります。
お夕さんなら、紋次郎の苦難を見て素通りは出来ないと思いますが、くれぐれも自己責任で。(笑)

  • 20130918
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎「帰って来た木枯し紋次郎」(1993年)その十三

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

明らかに「死亡フラグ」が立っているのに、命を落とさなかったというテレビ作品はいくつかありますね。それぞれ考察するのも面白いかもしれません。

「女郎蜘蛛が……」の千代松とか「木っ端が……」の伝八とか……。「笹子峠の……」のお仲も、死にませんでしたっけ。
監督や脚本家の意向があったんでしょうね。

紋次郎に、危険を知らせに戻り息絶えた「お糸」(錦絵は……)。紋次郎のために刀を取り返し、命を落とした「お久」(湯煙に……)。
この二人は、憧れの女性(笑)ですね。

  • 20130919
  • お夕 ♦wikz35BA
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