紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

Articles

笹沢左保 股旅シリーズ 第一話 「中山峠に地獄を見た」(その2)

笹沢左保 股旅シリーズ 第一話 「中山峠に地獄を見た」(その2)

笹沢左保 股旅シリーズ 第一話 「中山峠に地獄を見た」(その2)
*上記の写真は「丹波国分寺」

その後、庫裡の縁側に坐るお美代に、長次郎は「おかみさん、生まれも熊谷でござんすかい。」と尋ねる。
お美代は身の上を話す。熊谷の在、酒巻が生まれ故郷で、父親は16歳の頃利根川に落ちて水死、翌年母親も病死し、実家は人手に渡り親類縁者もいない。18のとき、熊谷の増井屋に嫁入りしたのだと、静かに話す。
夫の要助を助け出しても、この後大変な苦労が続くが……と言う長次郎に、覚悟は決めている。夫だけ地獄へ追いやって、自分がひとり生きていても仕方がない、死ぬときも一緒というのが夫婦だと思っている、と思いつめた顔で言い切るお美代。その横顔を、長次郎はジッと見つめる。

今度はお美代が、誰かを捜して、アテのない旅を続けているらしいが、やはり女の人なのか?と、長次郎に尋ねる。長次郎はお美代から視線を外す。


「柄にもなく、とおっしゃりたいんでしょうね」
「とんでもございません。誰にでも一生に一度という相手が、いるものでございましょう」
「あっしにとって文字通り、一生に一度の女でしてね」
「めぐり会えそうに、ないんでしょうか」
美代は、同情すような目になった。
「多分ね。あっしの一生は、その女のことから始まり、その女のことで終わりそうな気がしやしてね。渡世人の一生とは、所詮そんなものでござんすよ」

長次郎は、髭の中で白い歯を覗かせた。自嘲するように、虚無的な笑いだった。
(原作より抜粋)

お美代が、死ぬときも一緒、と夫のことを思うのと同じように、長次郎にも「一生に一度の女」がいたのである。このあたりの人物設定は、紋次郎とは大分違う。また、紋次郎よりは明らかに雄弁である。

さて、この寺のロケ地を考えていたのだが、私は京都の「丹波国分寺」だと思う。本堂の形状や木の下にある小さな鎮守社、石仏群、大木はオハツキイチョウ、そして決定的なものは、この後この場所で殺陣があるのだが、ちらりと見える「国分寺」と刻まれた手水石。このロケ地は、紋次郎作品では「駈入寺……」や「白刃……」でも使われている。そのほか、よくここで時代劇が撮影されている。私も一度だけ訪れたことがあるのだが、きっと今頃はオハツキイチョウが黄金色に輝いていることだろう。

雨が上がり、一行は中山峠へ向かう。中山峠にある茶店で、一行は目籠が来るのを待つ。原作では茶店は二軒あり、そのどちらも夕刻なので、店を閉じている。店の裏に隠れて目籠を待つ間に、長次郎とお美代は言葉を交わす。それがテレビ版では、前述した破れ寺での会話となっている。
源兵衛は目で合図を送り、亀吉を偵察に走らせる。どう考えても、急場しのぎの間柄ではなく、旧知の仲である。怪しいこと限りない。

安五郎はお美代に、
「佐渡に送られて十年も経てば、まるっきり他人のように人相が変わってしまう。今だったら、どれが亭主だかはっきりわかるはずだ。」
と、どれが亭主の目籠かしっかり見極めるように忠告する。「佐渡での生活で、他人のように人相が変わる」という言葉は、この作品ではキーワードである。

源兵衛は大仕事前の気付けにと、酒を勧めるが、身体に合わないからと長次郎は断る。原作でも断るのだが、「酒を飲んでいたばっかりに、考えてもいなかった人殺しを働いたのさ。今日のこの姿は、酒が因でというわけでね」と、酒での過ちを明かしている。そう言えば、紋次郎も酒は口にしない。「大江戸の……」では酒を飲み、残念ながら(笑)紋次郎は過ちを起こしている。

亀吉は目籠が近づいて来る事を確認し、駆け戻って来る。このロケ地は、京都、高雄の奥にある林道ではないだろうか。(「時代劇の風景」参考)

亀吉の報告で、一行は動き出す。茶店の親爺は縄をかけられ、店の隅に押し込められる。運んでいたムシロの中身をほどくと、竹槍と長脇差がバラバラと出てくる。驚いたことに、お美代も長脇差を手にする。商家の若妻であるのに、当然といった感じであるのが変である。安五郎と亀吉は竹槍を構え崖の上で目籠行列を待つ。長次郎と他の者たちは、茶店の中で息をひそめて待つ。茶店の親爺を含めそれぞれの姿が、フラッシュのように映し出される。緊迫した雰囲気が視聴者にも伝わってくる。

茶店の近くに目籠行列がさしかかったとき、何本もの竹槍が空から降ってくる。それを合図にして、茶店から飛び出した長次郎たちは目籠行列を襲う。高橋さんの殺陣はさすがに堂に入っていて、腰に安定感がある。殺陣師は、紋次郎作品と同じく美山さんなのだが、小道具を使ったり、地べたを転がったりするようなシーンはなく、結構あっさりと敵を倒している。BGMは紋次郎作品とよく似ていて、パーカッションで構成されている。スタッフロールには、音楽担当者が記されていなかったのだが、誰だろう。やはり同じく「湯浅譲二」さんなのだろうか?

お美代の亭主、要助は目籠から救出される。お美代が「お前さん!」と声をかけ渡した長脇差を手にすると、手慣れた様子で人足を斬って走り去る。いくら無宿人になったとはいえ、商家の旦那が?これも変である。
しかし、今までのいくつかの違和感も、この後すぐに明らかになる。他の目籠に入れられていた罪人が、自分も目籠から出して欲しくて「助けてくれー!」と叫ぶ。その大声が山中に響く中、長次郎たち一行は峠を走り去っていく。

笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その2)

一方、隠れ家とした破れ寺には、要助とお美代の濡れ場が演じられようとしているが、そこはあっさりしたもので、その点は良かった。原作ではもう少し詳しく(笑)表現されている。ただ、その場に居た長次郎の心の内を、原作では明かしている。

原作での長次郎は、お美代に「あっしには、おかみさんに心から思われている要助というお人が、羨ましいですぜ」と、目籠襲撃前に言っている。長次郎はお美代に、「死ぬときも一緒」と言わしめた要助が、どんな男なのかということに、興味があったとしている。無実の亭主が、佐渡送りになる可哀相な若おかみを助けてやろう、という気持ちより、お美代が愛した要助をこの目で確かめたい、という気持ちの方が大きいのである。そのあたりは、テレビ版からは窺い知れない。

「だが、長次郎はその場に凝然と佇んでいた。男と女の濡れ場を見たい、という単なる興味からではなかった。長次郎はただ、美代と要助がどれほど愛し合っているか、確かめたかったのである。もう一つ、要助の言葉遣いにも関心があった。」(原作より抜粋)

要助の言葉遣い……商家の若旦那にしては、伝法な口のきき方をしていることに、疑いを持っている。

「長次郎はなぜか、激しい怒りを覚えた。嫉妬のせいばかりではない。ひどく裏切られたような気がしたのだ。最初から、こんなことではないか、と思っていた。その点で、裏切られてはいない。だが別の意味で、長次郎は美代という女に失望したのであった。それが、長次郎には我慢できなかったのだ。
 しかし、仕方がないではないかと、長次郎は思った。美代の愛する要助がどんな男であろうと、とやかく言える筋合いではないのである。美代という女を責める資格も、長次郎にはない。乞食同然の姿はともかく、汚れたシミを消すことのできない過去を持つ渡世人なのだ。一人前のものの見方をすることも、許されはしない。」(原作より抜粋)

長次郎の怒りは燃え上がるようなものではなく、失望の底に澱む言いようのない怒りである。

ここから、いくつものドンデン返しが用意されている。
長次郎以外の者たちは全員、同じ穴の狢であった。目籠破りのため、長次郎は助っ人として利用されたのである。連中は一芝居を打って、長次郎を引き込んだ。お美代が安五郎たちに襲われそうになったのも、それを助けに入った源兵衛たちも、みんな筋書き通りだったのである。しかし、それを明かされても、長次郎はあまり驚かない。気付いていた、と言うのだ。

一味は自分たちの素性を明かす。
中でも源兵衛は、ただの旅籠屋ではなく、「盗人宿」を預かる身であるということから、盗人集団であることがわかる。要助は三千両を奪った「天狗の勘八」で、お美代はその情婦であった。
また安五郎は、ドサ帰りではないことも、長次郎は見抜いていた。本物の佐渡送りは「さ」の入れ墨ではなく、カタカナの「サ」であり、右腕ではなく左腕である……と言って、長次郎は晒をほどいて自分の左腕を見せる。長次郎の古傷とは、佐渡送りの証である「サ」の入れ墨だったのだ。一同は長次郎が、本物のドサ帰りだったことに驚く。

安五郎は佐渡の様子に詳しい誰かから入れ知恵されたことを、さも自分のことのように口にしていた騙りだったのである。そんなに詳しく話を聞いていたのなら、肝である「入れ墨」のことを、なぜしっかり確認しておかなかったのか、と思う。実に間抜けな話である。

それにしても清楚なお美代が、急に伝法な口をきくあたりは、うすうす感づいてはいたが、驚きである。
「わたしの役者ぶりが、いちばんだったんじゃないかい」
言われてみれば、そうかもしれない。

トラックバックURL

http://kogarashi1940.blog10.fc2.com/tb.php/269-819770fb

この記事へのトラックバック

この記事へのコメント

Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その2)

この話、ドンデン返しが何層にも作られてるので、前回はネタバレを怖れてコメントし辛かったです。(笑)
コメント書くために、原作を読み返し、映像も鑑賞しました。
敦夫さんが怪我をしてからこれを撮影するまでの時間は、かなり短かったと思いますが、本当によく作られてますね。
「長次郎は 紋次郎と方向性は同じだが 枝葉は異なっている」という風にするため、衣装も汚れた物にし、無精髭もやや伸ばし、鞘に至っては塗りが殆ど剥げ落ちている物にしたり。
連中が正体を明かした後の、長次郎の高笑いで、見た当時「紋次郎とは違う!けど魅力的だ!」と感じたのを覚えています。
また、高橋悦史さんの「無言の 目だけの演技」も素晴らしいし。
それに美術さんの掛け茶屋、雨に打たれる石塔など。
紋次郎の居ない間、しっかり視聴者を繋ぎ止めておこうという気迫が漲ってます。

BGM、紋次郎と同一のものじゃないでしょうか。

『連中が実は仲間で、お美代を犯そうとしたのも芝居だった』
私は、少年時代に漫画で初めてこれを読んだ時は、「これは気付かなかった」と膝を打ちました。
が、その1年後、テレビでこれを見て原作小説を買って読んだら、「ちょっと、現実離れしてるなあ」と思ったものです。
「これは漫画だから」と多少の荒唐無稽は受け入れられる漫画と、文章を読んで自分の頭の中にビジュアルを構築する小説との違いでしょうか。

原作ではこの後、今までの『芝居』についての長次郎の回想が描かれ、そこで「あまりに唐突」「少しばかりできすぎていた」「不自然だった」の言葉が並ぶのですが、映像ではそれが無理っぽいので、種明かしをチラ見させて、連中の胡散臭さをうすうす視聴者に感じさせようとしたのではないでしょうか。
冒頭で声をかけてくるのを新蔵から源兵衛に替え、裏表が同一のイカサマ銅貨を使ったり、連中が焚き火を囲んで長次郎について話したり、要助が目籠から脱出するや否や役人を切り捨てたり。

関係ないけど、お夕さんの県にはまだ少ないようですが、近畿圏に回転寿司チェーン「長次郎」があちこちに出来ており、その看板を見ると、私は今でも高橋悦史さんが浮かんできます。
創業者はどこからこの名前を思いついたのか、また、巻き寿司のご飯を外にした「逆巻き(さかまき)」は置いてるのか、聞いてみたい気がします。(笑)

  • 20131127
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その2)

 追伸
本当に「逆巻き」置いてた!(笑)
http://www.chojiro.jp/menu/menu.php?pid=1

  • 20131128
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その2)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。
お返事が遅くなりまして、すみません。

紋次郎作品を継続するための試練が、いくつかありましたね。

途中で「大映」がつぶれてしまうし、主役が大怪我をするし……。
その障害を、乗り越えても余りある作品の質の高さは、やはり人の底力ですね。
股旅シリーズに、一肌脱いでくださった出演者の皆さんにも、その心意気を感じます。
高橋さんは、早世されていらっしゃいますね。時代劇には欠かせない俳優さんでした。あの目力は存在感がありました。

パーカッションのBGM。
私はよく似ているとは思いますが、使われている楽器が違うようなので、紋次郎作品とは別バージョンだと思います。

紹介いただいたリイド社のコミック、購入いたしました。長次郎の頭身のバランスがちょっとなあ、という感じはしましたが(笑)、読み応えはありました。

「長次郎」「酒巻」に「逆巻き」……。
うーん、なるほど。
TOKIさんの飽くなき探求心に脱帽です(笑)。

  • 20131201
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その2)

たった今、両者のBGMを聴き比べました。
基本はそっくりですが、紋次郎とは違って、こちらはビブラスラップ(かな?)のジワ~~~ンが入り、別バージョンのようでした。
慧眼、恐れ入りました(笑)。

  • 20131201
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
コメント投稿フォーム

管理者にだけ表示を許可する

Paging Navigation

Navigations, etc.

About This Website

/