紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

Articles

笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その3)

笹沢左保 股旅シリーズ 第一話 「中山峠に地獄を見た」(その3)

笹沢左保 股旅シリーズ 第一話 「中山峠に地獄を見た」(その3)
勘八一味は、長次郎に襲いかかり、クライマックスの殺陣が始まる。
長次郎は、斬りかかって来る安五郎の攻撃をかわした後、長脇差を奪う。そして、自分の刀と共に安五郎の胸に突き立てる。
次にその一本を投げて、板戸もろとも源兵衛を刺す。このあたりは、殺陣に工夫を凝らしていて、スピード感がある。
亀吉は長次郎と対峙すると、その威圧感に怖れをなして、「助けてくれ!」と戦意喪失。長次郎は、逆手に持った長脇差を背後に回す構え。こんな構えも、紋次郎作品では見たことがない。素走りの亀吉(原作では「韋駄天の亀吉」)という二つ名であれば、もっと走り回ってもよかったのだが、(韋駄天の亀というのも、そう言えば変だが…笑)足がすくんだか、あっさりと殺されてしまう。

旅籠の番頭役だった弁天の新蔵(原作では「女形(「おやま)の新蔵」)が、長脇差を振り回す。この新蔵役は、若き日の「村井国夫」さん。女形という二つ名では、少し役不足だったのか、原作とは変えてちょっと格好いい二つ名。しかし、やたら刀を振り回すだけで大して強くない。二人が走り込んだ先は、紋次郎作品ではお馴染みの竹林。竹に当たらないように、刀を振り回すのは難しいだろうなあ、と思った矢先に新蔵は長次郎に刺されてしまう。

長次郎は長脇差を新蔵に刺したまま振り返り、勘八に引導を渡す言葉を浴びせかける。
「勘八!佐渡行きの目籠は破っても、おめえの地獄行きは逃れられないぜ!」
このセリフは原作にはない。タイトルにつなぐように考えられたようである。

勘八は、長次郎の気迫に押されて、その場に長脇差を投げ捨てて土下座して、許しを乞う。勘弁してくれ、金なら欲しいだけやる、三千両は手つかずで残してあると、よくあるセリフ。金で、何でも解決できると考えるのは世の常である。しかし、長次郎がそんな言葉に耳を貸すはずがない。
「見逃しておくれ!お願い!」
お美代が叫ぶ。
叫ぶお美代の方を向き、長次郎は話しかける。

「もう一つ下手な芝居だとわかったのは、武州熊谷には増井屋という織物問屋はねぇんだ。そうだろ?酒巻の石屋のお美代さん。おめぇさんとは十五年ぶりだなぁ。」

原作では、お美代には新蔵という弟はいないはずだ、と言っている。テレビ版では、新蔵が弟という設定にはなっていないので、セリフが違う。
「お前さんは、一体誰なんだい?」
お美代は、十五年ぶりという大ヒントを与えられても、長次郎の正体に気付かない。しかし長次郎は、十文字屋の離れで見かけたとき、すぐにお美代だとわかったと言う。

「わたしには、わからない……。」
「薄情とは責めはしねぇ。佐渡に送られ十年もすりゃあ、別人のように人相が変わっちまうからな。」
安五郎が目籠襲撃前に、お美代に言っていたあのセリフを、そっくりそのまま長次郎は静かに口にする。。

「誰なんだか、ハッキリ言っておくれ!」
お美代はじれったくなり、語気を強めて言う。
「長次郎という名前を聞いてもわからないかい。長次郎の『郎』が余計なだけさ。」

「長次……長次……。」お美代は考え込む。
「お前さんが、あの酒巻の長次さんかい?」
お美代はやっと気付くが、淡々とした様子で感動はない。

原作の長次郎は、髭面である。
「月代はのび放題で、髪がぼさぼさの頭をしていた。不揃いの真っ黒な髭が、頬、鼻の下、頤を被っている。」とある。紋次郎よりは、かなりむさ苦しい風貌であるが、テレビ版での高橋長次郎は原作のそれよりこざっぱりしている。だのに気付かないとは、お美代にとってはよっぽど取るに足りない過去であったのだ。これだけ顔をさらしているのに、面影もなくなっているようだ。いかに佐渡での生活が、苛酷なものであったか。

長次郎の本名は長次だった。長次は十八のとき、土地を飛び出した。長次とお美代は、夫婦になろうと誓詞に書いた仲だったのである。長次が故郷を飛び出したのは、お美代の父親が利根川で溺れ死んで間もなくの頃だった。その翌年、江戸の無宿人狩りで長次は佐渡に送られ、十二年間地獄で過ごした。

巡り逢いたかった女とは、お美代のことだったのだが、お美代はとんだ茶番だったと一蹴する。廃寺で、あんなに優しい言葉をかけていたお美代とは全く違う。無表情で、冷たい態度である。

何もかもお見通しなのに、なぜ力を貸したのか?という問いに、盗人集団とは知らず、お美代の亭主を助けたいという一心だったと、長次郎は答える。「昔の女のために……って、十二年も地獄にいたのに、男って甘いね」とは、ああ、お美代さん、そこまで言いますか。
長次郎は目を伏せる。視聴者も、同じく落胆する。

「とにかく、うちの人を助けてくれるつもりだったんだろ?助けてくれるね!」
昔の男より、今の男の方が大事なのだ。いや、三千両の方が大事なのかもしれない。

その時、隙を見て勘八は長脇差を拾って長次郎に襲いかかる。長次郎は一瞬のうちに、斬り捨てる。馬鹿な勘八である。愁嘆にくれる長次郎であるので、お美代が殊勝な態度でもう少し頼んだら、事態が変わるかも知れないのに……。

お美代は「ああっ……。」と言ったきりで、その場に坐り込み哀しむ。長次郎は静かに目を伏せているが、お美代は長次郎には目もくれず、スックと立つとその場をいそいそと立ち去ろうとする。目籠破りまでして助けた、情夫をそのままにして……。お美代の変わり身の早さには驚く。長次郎は、お美代の後ろ姿に声をかける。

ここで長次郎が、お美代に一番聞かせたかった事実を告白する。
静かに、BGMが流れる。短調のテーマ曲のメロディーに、物哀しくグロッケンが響く。なかなかいい感じである。

お美代の父親を殺したのは自分だ!
「何だって!」さすがにお美代は、振り返って驚く。

笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その3)

十五年前、お美代を疵ものにするつもりか!お前なんかに嫁にはやらん!もう近づくなと罵倒され、カッとなって利根川に突き落とした、と言うのだ。そのとき、長次郎は酒に酔っていた。ああ、それで酒を飲まなかったのだ。ここで、酒を断った意味がわかる。

絞り出すように告白する長次郎の話を、微動だにせず聞いていたお美代だったが、
「もういいじゃないか、お互いに昔のことは忘れようよ。」
と、あっさり言う。
「おめぇ!……それで気が済むのかい?」
今度は長次郎が驚く。

済むも済まないもない。今更死んだ父親が生きて帰ってくるはずもないし、今は赤の他人同士。これからも何の関わり合いもない他人同士なんだから、何もなかったことにして、別れればいい。

なんという、クールな女なのだろう。お美代にとっては、過去はどうでもいいのである。数分前まで、自分の男だった勘八が死んでも、もう気持ちは切り替えているのだから、十五年前の話など、なかったことと同じなのだ。

「そんなら、あばよ。」

足早に、長次郎の背後に去っていこうとするお美代。さっき歩みかけた方角とは逆ではないか。

「待ちな!」
長次郎は背後のお美代に、振り向くことなく声をかける。その語気は強く、いつもは無表情な長次郎だが、その顔は思いつめた様子である。

「お美代!おれが佐渡の十二年間も生き続けたのも、死にものぐるいで島抜けしたのも、何とかしておめぇに巡り逢って、喜作さんを殺したのはこのおれだと、たった一言おめぇに言いたかったからだ。」

一言一言に、長次郎の想いがこもっている。
しかしお美代は違った。そんな長次郎の想いなど、聞いてはいない。それどころかその話の間に、匕首を取り出しているではないか。そんな話があろうがなかろうが、お美代は長次郎の背後に回って殺すつもりでいたのだ。

お美代は匕首を構えたまま、長次郎に体ごとぶつかる。

原作では少し違う。月夜の中、長次郎は佐渡にもある中山峠の話をしている。
佐渡の中山峠にも、目籠破りをした中山峠と同じく二軒の茶店がある。今日、目籠破りで斬り合っているとき、そのことを思い出した。佐渡の中山峠は、地獄の入り口だった。その中山峠にある茶店で、無宿人に甘酒がふるまわれるが、絶望感でおかわりをする者はいない。長次郎も一口しか飲めなかった。峠を越えると、生きては帰れない地獄が待っているのだ。

原作では、佐渡にある中山峠の存在をからめているが、テレビ版ではスルーしている。長次郎は二つの中山峠で、地獄を見たことになる。

原作でも長次郎は、お美代に刺されている。しかし大分、意味合いが違う。殺されたがっていた、と言ってもいいだろう。お美代の攻撃は防げたのであるから……。お美代が長次郎を、背後から襲おうとする姿を、石灯籠の窪みにたまる水鏡で見ているのだ。

拙ブログによく草鞋を脱いでくださるTOKIさんの話では、角度的にそれは無理だということを以前伺ったことがある。その前に、水面に月が映っている、というのは私も頷けるが……。物理的に無理であろうが、他に手がなかったのだろうか。

原作での長次郎は、お美代が長脇差を握りしめ、必死の形相で近づいているのに、振り返らず「これでいいのだ」と思う。

「佐渡を脱出した目的も、無事に果たした。島抜けの渡世人に明日といういい日はない。その父親を殺した美代に殺されるなら、悔いはなかった。十四年前、佐渡の中山峠で地獄を見たとき、長次郎はすでに死んだも同じだったのである。」(原作より抜粋)

そして長次郎は目を閉じ、両足を踏ん張る。そこにお美代の長脇差が、脇腹よりの背中に突き刺さるのだ。謂わば、長次郎の自殺行為なのだ。父親と情夫を殺した長次郎は、お美代にとって憎い仇なのである。、お美代が自分の命を奪うのであれば、黙って差し出すし、悔いはなかったのだ。
しかし長次郎は、最後の最後までお美代に裏切られる。

「三千両を手に入れるのに、お前さんに生きていられたら都合が悪いじゃないか」

悪夢である。いや、これこそ地獄である。
お美代がここまでの悪女になったのは、なぜなのだろう。父親が死んで、夫婦になるはずだった長次の姿が消え、家は人手に渡り、天涯孤独になったお美代。その後、どんな人生を送って、こんな悪女になってしまったのか。振り返りたくない荒んだ日々の中、十五年前のお美代はもう、この世にはいなかったのだ。言い替えれば、お美代も地獄を生きてきた女だった。

長次郎は倒れたが、自分の長脇差を抜いてお美代に投げつける。お美代の悲鳴。テレビ版での長次郎はよろける足で、倒れているお美代に近づき、背中に刺さっている長脇差を抜く。

「お美代、まるっきり別の人間みてぇに変わっちまったのは、おれよりもおめぇの方だったな。」

姿形は変わっても、長次郎のお美代に対する心は変わらなかった。しかし、お美代の心はすっかり変わっていた。過去を引きずる男と、断ち切る女は、どこまでいっても通じ合うことはなかった。

原作の長次郎は、薄れゆく意識の中で、十五年前のお美代の姿を思い浮かべ、これでグッスリ眠れると思う。
テレビ版では、致命傷を負いながらも、長次郎はよろよろと山道を歩み去っていく。その後の長次郎の消息は、だれも知らない……と芥川さんのナレーションで終わる。ただ、テレビ版も原作も「長次はお手配中」とあり、生死のことにはどちらも触れていない。

「男って甘いね」……お美代のセリフであるが、象徴的な言葉である。笹沢作品には、こう言わしめる男が何人も出てくる。
「あっしの一生はその女のことで始まり、その女のことで終わる。」
どこまでも救いようのない結末であった。しかし、長次郎が予感したことは、あながち外れてはいなかったとも言える。そして、お美代が言っていた通り、夫婦は死ぬときも一緒ではあった。

トラックバックURL

http://kogarashi1940.blog10.fc2.com/tb.php/270-b1fb7871

この記事へのトラックバック

この記事へのコメント

Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その3)

読み終わったら、思わすパチパチパチ・・と拍手しそうです。いつもですが。
臨場感があるし、他の方の意見も触れることができるし、中身が濃くて満足度MAXです。
今回も、写真も素敵でした。

  • 20131202
  • てのりぱんだ ♦C/Rcg83E
  • URL
  • 編集 ]
Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その3)

「今日を生きる意味」
これこそが、初期股旅小説の多くに共通するテーマでした。
捜し求めていた女性にやっと巡り会えたものの、悪女に変貌しており、自分の命を断たれる。しかも、その女性が自分を刺そうとしている事に気付きながら、あえて刺される、という点が私の好きな新三郎シリーズと共通ですね。
違うのは、新三郎は「簪と小判を返す」という目的は達成できず、「おめえさんとは会わずじまいで終わったほうが、よかったような気が致しやす」と呟くものの、死に顔にはほのかに笑みをうかべますが、長次郎は目的を達成できたものの、お美代の本心を聞いて道連れにしている点です。
長次郎はこんな形で息を引き取って満足だったのか…。
小説ならこれでいいと思いますが、TV版なら、やるせなさを残すよりはこの「消息については誰も知らない…」という形のほうがいいでしょうね。
なお私は原作を読んで、「残らず死亡したと記録にある」と書かれているので、長次郎も死亡したんだとばかり思っておりました。

フィクションの世界の水鏡は、不思議な鏡面現象が結構あるんですね。
目の前の水平面に、背後の風景が映りこむことは有り得ないんですが、昔の読み物や漫画には多くあり、笹沢文学ではこの作品や「狐火」にありました。
水を張った棚田の全てに月が写りこむ「田毎の月」や、宝蔵院の鎌槍は猿沢池に映った三日月に槍を突き出した形だという話(左右対称にならないし、月が小さくて槍に隠れる)、山にこもった人が、水鏡で自分の顔を見る話、などなど。
まあ、こういったことは、あまり科学的な整合性を求めずに、ロマンの心で鑑賞するものなんでしょうね。
昔、日本酒だったかのCMで、特撮を使った「田毎の月」が出てきて、とても幻想的で美しい物でした。

すべてを打ち明けるシーンでの物悲しい音楽、ラストシーンでの美しい日本の風景など、紋次郎と同じツボの押さえ方をしてくれてるところが嬉しいです。

ところでこの作品の本来のタイトルは「中山峠に地獄をみた」なんですね。
私はこのコメントを書くために原作を読み返した今まで、「みた」ではなく「見た」だったと思い込んでました。
字面から言っても「中山峠に地獄を見た」のほうが私は好きです。

  • 20131202
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その3)

ぱんださま、コメントをいただきありがとうございます。

ぱんださんのお言葉、いつも励みになり、とても嬉しいです。
褒めて育てるタイプとお見受けいたします(笑)。
私の場合は「豚もおだてりゃ木に登る」タイプです(笑)。
本当に、ありがとうございます。

  • 20131202
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その3)

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

TOKIさんの好きな新三郎と、共通するものがありますね。

「今日を生きる意味」
その終着地に、なにが待ち受けようとも、たどり着くまでの生きる糧になったことには間違いないでしょう。

新三郎と違い長次郎は、騙されていると知りつつも、お美代に手を貸します。(お美代の情夫が、盗人だとは知りませんでしたが)
お美代に命を奪われても構わないとまで、諦観したはずの長次郎でしたが、一人では死ねなかった……。

自分がずっと思い描いていたお美代とは、あまりにも変わり果てていた姿……。それは、長次郎の心の中で生きるお美代とは別人でした。
そして、別人となった現実のお美代をこの世から消すことで、十五年前のお美代の記憶だけが残りました。旅籠で出会ってからのお美代のことは、なかったことにして、長次郎はホッとしたのかもしれません。

原作では、勘八たち一味は残らず死亡とあり、「天狗の勘八以下、一味の名前が列記されているが、最後のひとりに云々……」とあります。
やはりよく読むと、長次郎はここで絶命しているようです。
「お手配中」と書かれていたので、長次郎はこの後も生き延びて、手配をまだ受けている……と思い違いをしてしまいました。長次郎も勘八たち一味と見なされて、片付けられてしまったんですね。それも哀しいです。

水鏡で月が……といえば、私は「湯煙に月は砕けた」の最後のシーンを思い出します。

あ、それと「新木枯し……」のタイトルロールの最後……水面に満月、錦鯉がピョン?!のシーンです(笑)。

  • 20131204
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その3)

>新木枯し……」のタイトルロールの最後……水面に満月、錦鯉がピョン?!のシーンです

私、あのシーンを見ると、シロップにたっぷり浸かった桃の缶詰が食べたくなります。(笑)

  • 20131204
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その3)

私は、串に刺さった、タレたっぷりのみたらし団子が食べたくなります(笑)。

  • 20131205
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その3)

@足!無理言ってごめんなさいね^^。
来年の1・31日までで終了しますが・・・汗)
良くこの様に長く継続されていることにただただ感心と感激を覚えています。写真は京都でしょうか?今が紅葉の見ごろなんでしょうか)・

  • 20131219
  • 荒野鷹虎 ♦-
  • URL
  • 編集 ]
Re: 笹沢左保股旅シリーズ「中山峠に地獄を見た」(その3)

鷹虎さま、コメントをいただきありがとうございます。

足の件、ありがとうございました。

写真は、地元の隠れ寺です。
もし京都にあれば、観光客がひしめき合うでしょうが、ここはひっそりとしています。
残念ながら、今年は行けなかったので、昨年の写真で失礼しました。

  • 20131219
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
コメント投稿フォーム

管理者にだけ表示を許可する

Paging Navigation

Navigations, etc.

About This Website

/