紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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紋次郎の影を追う「天城 白壁荘」

紋次郎の影を追う「天城 白壁荘」

紋次郎の影を追う「天城 白壁荘」
私の好きな作品の一つに「湯煙に月は砕けた」がある。ストーリーは結構残酷で、眉をひそめる内容であり、いつもながらハッピーエンドではない。それどころか、命を張った紋次郎なのに罵声を浴びせかけられ、追われるようにその場を去っていく。どこまでも絶望的な内容なのだが、印象に残る作品である。
それはなぜか?舞台が山奥の湯治場だから……というのが、大きな理由である。私が好きな場所の一つに、「秘湯の宿」があるのだが、まさにこの作品はピッタリなのだ。

紋次郎が膝の皿を骨折して療養した場所はどこか?原作によると「豆州田方郡にある湯治場、峰湯」とある。また負傷した場所である三島からのルートも記されてある。

「三島から伊豆支配の代官所がある韮山を通り修善寺へ抜けて更に南へ三里、佐の倉峠を東へ越えると峰湯の湯治場だった。天城連山の西にあって、峰湯は山間に孤立した湯治場であった。」(原作より抜粋)

地図とにらめっこしながら、大体このあたりかと見当をつけて想像するのも一興。

紋次郎の影を追う「天城 白壁荘」

さて並行して気になっていた宿に「白壁荘」がある。
テレビ版 紋次郎シリーズ、最大の危機は、中村氏のアキレス腱断裂という事態だった。紋次郎がうなぎ登りに評判になり、さあ、これから!というときに、あろうことか主演俳優が大怪我をしたのである。その時、マスコミから逃れるようにして療養した宿が、この「白壁荘」だった。因みに、そのとき付き添った女性が、今も中村紋次郎の伴侶になっておられる。

紋次郎の影を追う「天城 白壁荘」


この宿については、著書「俳優人生」で、伊豆湯ヶ島温泉「白壁荘」と明かされていたので、以前から興味を持っていた。
この地は、奇遇にも紋次郎が療養した湯治場とほとんど同じ場所なのである。だれがこの宿と決めたのかはわからないが、小説と現実とがリンクしていて興味深い。この宿で1ヶ月療養したのを縁として、中村氏は定宿としておられるようだ。1ヶ月以上ここで滞在して、執筆をしたり、ゴルフコンペのときにも利用されているとか……。2006年11月29日号「ゴルフダイジェスト」で紹介されている。

紋次郎の影を追う「天城 白壁荘」

2008年12月、大分前の話になるが、この「白壁荘」に一泊したことがある。山間の静かな宿で、昔から文人墨客に愛されたという。近くには狩野川の渓谷があり、「湯煙に……」にも「狩野川の支流である川が、小さな滝を作り岩を噛んで流れている。」と記述されている。
この宿は、巨石と巨木の露天風呂が有名で、100%源泉掛け流しが魅力である。中村紋次郎と同じ宿に泊まれた、というだけで、本当に胸がドキドキしてミーハーぶり全開だった。
このときは、まだブログ開設など夢にも思っていなかったので、あまりいい写真は残っていない。こんなことなら、もっとしっかり撮っておけばよかった……と後悔しきり。

紋次郎の影を追う「天城 白壁荘」

紋次郎はこの地でも、何も得るものがなかったが、中村氏はここでロマンスが生まれ、すばらしい伴侶を得ることなった。まさに「禍を転じて福と為す」である。あやかるためにも、ぜひもう一度訪れたいと思っている。

紋次郎の影を追う「天城 白壁荘」

紋次郎の影を追う「天城 白壁荘」


上記は伊豆下田港にあるペリー像。小説の舞台となったのは天保7年(1836年)。 嘉永7年(1854年)下田港にペリーが率いる黒船がやって来たのは、紋次郎が佐の倉峠を越えたわずか18年後である。


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