紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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日々紋次郎「放映されなかった原作」

日々紋次郎「放映されなかった原作」

日々紋次郎「放映されなかった原作」
「木枯し紋次郎」が放映された1972年~1973年、「新木枯し紋次郎」が放映された1977年~1978年、期間でいうと1972年~1978年の間、笹沢氏は50話以上の紋次郎作品を発表している。そのほとんどが脚本化され、テレビ放映されているが、見合わせている原作がいくつかあるのは興味深い。

「赦免花は散った」……紋次郎が初めて登場する、記念すべき第1作目である。
信じていた兄弟分に裏切られ、無実の罪で島流しにされた紋次郎。同じ罪人たちと島抜けをするも船内で内輪もめ。結局、紋次郎だけが生き抜いて上陸する。裏切られた男の元に急ぐ紋次郎の目の前に、紋次郎を慕って自らの命を絶ったはずの女が立っていた……という、劇的な作品である。
普通なら、この話から放映されるものだろうが、市川監督はその道を選択しなかった。市川監督の構想では、「地蔵峠の雨に消える」(三筋の仙太郎 翻案)を第1話にする予定だった。
当時、いくつか原作が発表されていたはずなのだが、敢えて市川監督が紋次郎シリーズから選ばなかったのは、興味深い。市川監督は、テレビ版紋次郎の過去から「島流し」と「島抜け」を消したかったのである。
結局、この原作は後に東映で映画化され、菅原文太主演で1972年6月に公開されている。

紋次郎シリーズは、第30話「唄を数えた鳴神峠」で一旦終わりを告げている。
この記念すべき第1期の最終話も、テレビ放映には至らなかった。

謂われのないことで、海野の武右衛門一家に命を狙われ、瀕死の重傷を負い、倒れ込んだままフェードアウト。紋次郎の消息については書かれていないので、その後についてはわからない。

さて、なぜこの原作は脚本化されなかったのだろう。武右衛門一家を壊滅させたというぐらいなので、戦った相手は多い。24名を相手に、紋次郎は孤軍奮闘したわけである。その間、紋次郎は8箇所も手傷を負い、滝から落ちるシーンもある。殺陣はかなりハードであるので、このあたりのハードルも高かったのだろうか。
しかし、もっと問題なのは、作中に登場する狂女「お秀」なのかもしれない。誰をも信じない紋次郎が信じた相手は、気が触れたお秀だった。嘘をつけそうにもないお秀は、昔愛した男に会わせてやるという交換条件で、見事に紋次郎を欺いたのである。気が触れているという設定に、放送上差し障りがあったのかもしれない。しかし今までにもそういう類の設定はあったのだが……。
「土煙に絵馬が舞う」での「お花」、シリーズは違うが「狂女が唄う子守唄」での「お京」、「三途の川は独りで渡れ」での「お咲」……いずれも同じような設定ではあるが、何が違ったのだろうか。
それとも、紋次郎シリーズ、第1期最終話ということに敬意を表したのか。原作ほどの手傷を負わせず、脚本化することもできたと思うのだが……「新木枯し紋次郎」にも採用されていないのはなぜなのかはわからない。

日々紋次郎「放映されなかった原作」

その後、一度は姿を消した紋次郎だったが、再び帰って来た。
第2期の第1話「木枯しは三度吹く」。第2期は、タイトルに数詞が入るのが特徴である。第1期が「唄を数えた……」とあるのを受けてなのか……。
この原作が、映像化されなかった要因は、力士級の大男たちを大勢揃えることが難しかったのか?はたまた角付きの牛?水を張った田圃のロケ地?財布をすられた紋次郎という設定がイマイチ?いくつか考えられるが、なかなかハードボイルドでミステリー仕立ての面白さがあるだけに残念である。

第2期の6話目にある「狐火を六つ数えた」も脚本化されなかった。この原作にも少し知恵の遅れた娘、お夏が出てくる。このお夏が狐憑きになり、誰の子かわからない子を身籠もった。狐を身体から追い出すために、お夏がリンチを加えられている最中に紋次郎は居合わせる。そしてあろうことか、紋次郎がお夏の子の父親だと言われ、紋次郎自身も認めてしまう。しかし、本当は……というサスペンス仕立ての展開である。
お夏の人物設定、妊婦への暴力、宗教がらみのリンチ、冒頭の母親と赤子が殺されるシーン、年寄りや女を斬る長脇差は持たないはずが、祈祷婆さんを斬る……など、お茶の間のテレビドラマとしてはかなりハードであり、当時の社会背景からも。到底このままでは放映できない……ということで全く別物の話とし、タイトルも「女が二度泣く水車小屋」に改変となった。詳しくは拙ブログの過去の記事に……。http://kogarashi1940.blog10.fc2.com/blog-entry-183.html

「桜が隠す嘘二つ」は、季節的に桜は難しかったのだろうが、頑張ったら紅葉や山茶花あたりで隠せたのかもしれない(笑)。いや、それよりも問題なのは、殺陣のシーンがなかったことだろう。名だたる親分衆を前にしても、一歩も引けを取らない紋次郎の姿も格好良かったのだが、映像的には地味だったのかもしれない。

紋次郎シリーズでは初の長編「奥州路・七日の疾走」は、どちらかと言うと映画にして欲しかった原作である。限られたテレビドラマの枠には、収まりきらないスケールの大きさがある。

以上、紋次郎シリーズの原作で、当時テレビ放映されなかったものを紹介してみた。ここで敢えて当時としたのは、映像化されるに違いない原作がまだまだあり、期待を込めているからである。
今、テレビドラマは様々なジャンルで一巡したように感じる。それならば「温故知新」とまでは言わないが、故きを温ねるのもいいのではないかと思ったりする。社会情勢や環境が変わろうとも、コアな部分は変わっていないと思うからである。
誰かといつも繋がっていたいと思う現代人……しかしその裏では、誰とも繋がりたくない孤独を愛する者もいるはずであるし、繋がりが重荷と感じる者もいるはずである。必ず紋次郎ワールドに憧れ、愛する者がいるはずであると声を大にして叫びたい。


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島流し

お友さんこんばんは お友さんは、斜面話は散ったがドラマ化されなかったのは紋次郎が島流しになり島抜けした事を消したかったからでは?と仰せていましたが、ドラマでは島流しにあった人間に対して敏感に反応しますよね。鴉が三羽の勘吉、生国は地獄の忠七と島流しの話を聞いただけで人と関わる事を拒む紋次郎が自分から関わっていった感じがします。紋次郎は間引きとお光、島流しに関しては関わりましたね。忠七の時は意趣返しまでしました。この事から関しても斜面花は是非ともドラマ化して欲しかった作品です。紋次郎の人を信じない、関わりを持たないたいった人間不信を決定づけた話でもありました。帰って来たシリーズにもいい話一杯詰まってますよね。紋次郎も歳をとったせいかちょっと変わって来ていますよね。ニコニコ動画で紋次郎の動画あったので見てみたら動画と一緒にいろんな人のコメ流れるんですが20歳だけど好きとか、17歳だけど好きだとかという若い人のコメ見て嬉しくなりました。もうこんないい時代劇出てこないだろうなぁ〜というのが最後のコメでした。それから桃屋のCMの木枯らし紋次郎編ってのがあって面白いCMでした。あっしには関わり合いのない事でござんす。は1972年の流行語だったんですね。

  • 20141124
  • ボバチャン ♦-
  • URL
  • 編集 ]
Re: 日々紋次郎「放映されなかった原作」

「なぜこの原作がドラマ化されなかったのか」
私もそれはよく考えました。
やはり、お夕さんの書いておられる通り、桜や水田など「撮影不能な季節」というのが大きかったでしょうねえ。
皮肉なことに、そういう作品に限って、バトルシーンなどが面白く、読んでいて映像を頭に浮かべるのが楽しい作品なんですよね…。

テレビでの表現の規制は、1972年当時と1977年当時では、かなり変わってきているようです。
72年の紋次郎や、「鬼首峠」では「き○がい」というセリフがよく登場します。
が、「新」と同じ77年放映「横溝正史シリーズ 獄門島」では、一番重要なセリフ「き○がいじゃが仕方がない」を、「きがかわっているが仕方がない」に変更して、それに応じてストーリーも改変してありました。
このあたりも、何か関係あるような気がします。

  • 20141125
  • TOKI ♦nhNJg39g
  • URL
  • 編集 ]
Re: 日々紋次郎「放映されなかった原作」

ボバチャンさま、コメントをいただきありがとうございます。

原点である「赦免花……」は、スケールの大きい展開です。これをドラマ化するとしたら、2時間枠のスペシャルドラマでお願いしたいですね。

ニコ動は見ていないのですが、いつの世でも紋次郎をカッコイイ!と感じる人がいて、嬉しいですね。それも若い人だったら、もっと嬉しい!
大人の男の色気を、この紋次郎から私は学びました。

また再放送をしてほしいですね。

  • 20141126
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 日々紋次郎「放映されなかった原作」

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

ドラマ化するかしないかは、どういう基準で決められていたのでしょうね。「木枯しは三度吹く」なんかは、大男が水田に足を取られてのシーンは面白そうなんですけどね。

紋次郎の再放送では、規制に引っかかってか、ブツブツと音声が途切れる箇所が多かったようです。この分だと、「座頭市」なんかは、絶対再放送されないでしょう。

「獄門島」は、このセリフが肝なのに、ある意味残念でした。「言葉狩り」とまでは言いませんが、今の世の中はいろいろと表現に神経を払わなければならないようです。

  • 20141126
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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