紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」
シリーズの中で「問屋場」が印象的な作品は、「噂の木枯し紋次郎」。
あろうことか、紋次郎の死骸は板橋宿の問屋場に運ばれた。ここだけ読むとギョッとするのだが、もちろんこれは紋次郎ではなく、別人。「喜連川の八蔵」という、紋次郎とよく似た雰囲気を持つ渡世人である。労咳の妹のために三十両の金が欲しい八蔵は、偽紋次郎として自分の命を投げ打つ。

ここで問屋場についての簡単な説明が原作には示されている。
「問屋場というのは、宿場の事務所である。ここに、問屋、年寄、帳付などの宿役人が詰めている。宿役人は人馬の提供、宿泊の世話など公的道中に関することをすべて処理する。そのほかに、行き倒れなどの身許調べや埋葬の立会人も務めとしている。~後略~」

問屋場に運ばれた紋次郎(八蔵)の死骸を、本物の紋次郎が確認に来て、八蔵の死を知る。
この作品中では、問屋場の造りについても触れられている。それによると、問屋場の床板は胸ぐらいの高さで、これは武士が対応に立腹して斬りつけてくる恐れがあるためとある。大名同士がぶつかったりして、人馬提供がうまくいかなかったりしたら、宿役人は総逃げするしかない……ともある。緊張を持ってあらゆる仕事をこなしていたようである。

当時、行き倒れの身許を調べる術はいくつかあっただろう。通行手形を所持していたり、宿帳に記入があれば、そこから在所や名前がわかる。しかし無宿人となれば、これは難しい。無縁仏として葬られて終わりだろう。

もう一つ……これも死骸が運ばれる展開の「死出の山越え」。今度は紋次郎が、峠で賊に襲われた女の死骸を大井宿の問屋場に運び込む。紋次郎は女から話を聞いているので、女の身許は確かなものであった。
紋次郎は問屋場に死骸を運ぶ途中に、簪を踏み足を負傷していた。問屋場の迎番から、血止めの油薬を差し出され、傷口に塗り膏薬を貼る。迎番とは、参勤交代の大名行列などを宿場の出入り口で出迎えるための役職である。

この問屋場を運営する最高責任者が問屋である。この問屋は農村であれば「名主」にあたり、領主と住人の仲介者として宿場町の自治行政も担っていた。その多くは本陣でもあったので、大名行列のときはさぞ大変だっただろう。

現存する問屋場は、甲州街道の府中宿 、中山道の奈良井宿と醒井宿の計3箇所である。

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

この醒井宿は滋賀県米原市の醒井にある。この地へは何回か訪れてはいるが、以前問屋場に行ったときは、閉館ギリギリで、ゆっくり見られなかったので今回はリベンジ。
夏場は名水を求めて観光客がそぞろ歩く中山道だが、さすが厳冬の1月、観光客は皆無……私だけだった。道の端にはまだ大雪の名残があるものの、鈍い陽差しがゆっくり雪を溶かしている。

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

この問屋場は、旧川口家住宅の一部で市指定文化財に指定されている。17世紀中~後半に作られたようで、当初は現在の建物の南側にさらに家屋が続いていたらしい。

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

普通、宿場には問屋場が1~2軒なのだが、この醒井宿では多いときは10軒もあったという。しかし現存するのはこの 1軒のみとなっている。

管理人は不在で、戸は開けっ放し。協力金一口10円~とあり、お金を入れる箱が設置されている。

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

玄関を入ると広い土間があり、8畳6畳続きの間と板の間が2間……床板は高くはなく、普通の家屋と同じ様相である。

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

ところどころ修復の跡は見られるが、当時のままの柱や梁は300年の時代を語っている。

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

この宿場は地蔵川に沿って続いており、この問屋場の前にも清冽な水が流れていて、せせらぎの音が聞こえる。宿場の頭上には、名神高速道路が走っているとは想像できない静けさであった。街道に人馬が行き交う時代とは大きく様変わりしてしまったが、この地蔵川の清流だけは当時のままである。

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

上記の写真は「西行水」

西行法師が東国へ行く途中に寄った茶店の娘が、西行法師に恋をする。西行法師が立ち去った後、飲み残したお茶の泡を飲んだところ男の子を懐妊し出産する。その後帰途についた西行法師は、娘から話を聞き「もしわが子なら元の泡に帰れ」と念じたところ泡になってしまったという伝説がある。

西行法師といえば、「冥土の花嫁を討て」。紋次郎たち一行が大雨に閉じこめられるのが「法師茶屋」だった。生涯の3分の2を旅に費やした西行法師であるので、各地に伝説的な足跡があるようだ。

最後に、おまけ。
問屋場をあとにして、宿場を歩いていて見つけたもの……「おむすび忠太」。
忠太というのは多分「番場の忠太郎」から来るものだろう。よく見ると口に楊枝ではなく枝を咥え、左の頬には刀傷ではなくご飯粒……(笑)。
もしかして、紋次郎をリスペクト?

日々紋次郎「問屋場・醒井宿」


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この記事へのコメント

こんばんは

お夕さんこんばんは 正月は問屋場行って来たんですね。醒井宿難しい漢字ですね。調べたらさめがいと読むんですね。噂の紋次郎内容すっかり忘れてしまっていたので又読み返しました(^^;;紋次郎が自分から進んで関わっていく珍しい話でしたね。兄の妹を思う気持ち結局は切ない終わりかたでしたね。死出の山越えは記憶にありません。持っている光文社文庫の15巻にもありません、帰って来たシリーズでしょうか?群馬の紋次郎記念館ゴールデンウイークあたり行ってみようかなと思っていますが問屋場とかありますかね?おむすび忠太可愛いキャラクターですね^o^

  • 20150113
  • ボバチャン ♦-
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Re: 日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

「噂の木枯し紋次郎」
自分が死んでいる、という噂を聞いて行ってみたら、確かに自分と瓜二つの者が死んでいる。
これ、古典落語にもあるんですね。
「粗忽長屋」という噺。
もし紋次郎が、自分とそっくりな八蔵の死骸を見て、「ここで死んでるのは確かにあっしですが、じゃあ、今ここに立ってるあっしは、一体どこの誰でござんしょう?」と考え込んだら、落語と同じになります。(笑)

葉っぱを咥えた人物ですが、これは紋次郎以前にもありました。
白土三平の古い漫画などで登場し、中には、楊枝を(上向きですが)咥えた者まで居ました。
昭和40年代の漫画で、学園物の主人公が河原で寝そべるシーンで咥えてるのもありました。
紋次郎の一年後ですが、NHK「新八犬伝」の網干左母二郎も咥えてましたが、紋次郎の影響とは考えにくいです。
検索してもわかりませんでしたが、おそらく古い映画かなんかでこういうキャラがあったのではないかと推測します。

こういうキャラの共通項は、周りに流されず、一人気ままに生きている、ということです。
私はバイクツーリングで河原や土手に寝そべり、ひなたぼっこするのが好きですが、戯れにスズメノテッポウを吹き鳴らしてみることもあります。
その時に思ったのですが、あの葉っぱを咥えたキャラは、もしかしたらスズメノテッポウを吹いて戯れてる人を見て作られたのかもしれません。

なお、私は「問屋場」という言葉を聞くと、ジョージ秋山「浮浪雲」を連想してしまいます。(笑)

  • 20150114
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

ボバチャンさま、コメントをいただきありがとうございます。

「噂の木枯し紋次郎」……報われない結末ぶりは、紋次郎シリーズ屈指かもしれません。しかし、「ああ、やっぱり……そんな感じになると思った。」というのも実感です。

「死出の山越え」は、「帰って来たシリーズ」ですので、またお読みになってください。この日の紋次郎は、本当についていなくて「厄日」でした。

藪塚の「三日月村」に行かれるんですか?
また、レポートしてくださいね。あの施設もいつまで存続できるか、定かではなさそうです……(失礼)。

  • 20150114
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

古典落語のストーリーは、逸品ぞろいですね。いろいろアレンジをすると、すばらしいドラマになりそうで、興味深いです。

何かを咥えた風来坊の始まりは、一体誰だったんでしょう。その姿がクールに見え、踏襲されていったのだろうと思います。

昔、阪神タイガースにいたカークランドは、爪楊枝をくわえて打席に入っていましたが、あれも「癖ってもんで……」だったんでしょうか(笑)。

「浮浪雲」……懐かしいです。渡哲也さんの「雲の旦那」、好きでした。あれは問屋場だったんですね。失念しておりました。

  • 20150114
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

「古典落語」ということですが、「唐茄子屋政談」という噺があります。
唐茄子屋が、ボロ長屋に行き、貧しい母子に出会います。
聞けば、亭主が職探しに行くと家を出たまま戻ってこず、子供はしばらく何も食べていない様子。
同情した唐茄子屋は、売上金の全部を恵みます。
その晩、もう一度長屋を訪ねると、母親は首をくくっており、傍らで子供が「おっかあ。おまんまが食べたいから、降りとくれよう。」と泣いている有様。
長屋の人に聞くと、もらったお金を返そうと唐茄子屋の後を追いかけたら、因業な大家に見つかり、全額ふんだくられ、「唐茄子屋さんにすまない」と首をくくったとのこと。
怒り狂った唐茄子屋は、大家の家の乗り込み、ボコボコに殴ります。

…「童唄を雨に流せ」の、おまんの家に行くくだりとそっくりじゃないですか?

私は、原作小説「童唄…」を読んで、おまんが紋次郎から貰った小判を使いもしないうちに、約束を破って子間引きをやり、自らも首をくくる点が納得できずに居ました。
後年、この落語を聞いて「あ~~!!」と思いました。
これは、作者がこの話を下敷きにしたのか、偶然なのか、聞いてみたかったところです。

  • 20150116
  • TOKI ♦nhNJg39g
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Re: 日々紋次郎「問屋場・醒井宿」

TOKIさま、コメントをいただきありがとうございます。

「唐茄子屋政談」……驚きです。
全く「童唄……」と同じじゃないですか!

しかし、落語の世界にしては可哀相な展開ですね。
ネットで調べると、古くは母親は死んでしまう設定ですが、現行版は母親は助かりハッピーエンドに変更されているとのこと。そうでしょうねぇ、やっぱり。

笹沢氏が、古典落語に造詣が深かったのかは私もわかりませんが、あり得ないことでもないと思います。

  • 20150117
  • お夕 ♦wikz35BA
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