紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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しくじり紋次郎「金を失う編」

しくじり紋次郎「金を失う編」

しくじり紋次郎「金を失う編」
今年の漢字は「金」と決まった。金を「きん」と読むか「かね」と読むかで随分ニュアンスが変わる。

今回の紋次郎のしくじりは、「金(かね)を失う」。
「失う」と言っても、博奕に負けて失うというのではなく「掏られる」「落とす」というもの。紋次郎は必要以上に金を所持しない。欲がないというというか、渡世の智慧というか……。博奕でツキが回ってきても、大勝ちするようなことはしない。胴元から恨まれるのは間違いないので、余分ないざこざが起こる確率が高くなる。しばらくの路銀が懐に入ればよしとして、サッと引き上げる。もちろん勝った分の何割かは、「若い衆に……」と差し出す。
紋次郎は人を信じない。したがって油断しない。しかし、そんな隙がないはずの紋次郎も、金にまつわるしくじりがあるのだ。

「木枯しは三度吹く」で、紋次郎は紋次郎に財布を掏られてしまう。
ややこしい話なのだが、巾着切りの紋次郎は「相州無宿の紋次郎」。この盗人紋次郎は、自分を「木枯し紋次郎だ」と騙りを働いた訳ではなく、周りの者たちが勝手に「木枯し紋次郎だ!」と勘違いしてしまうのである。

本物紋次郎は財布を掏られたことに気づき、盗人紋次郎を追って富岡近くの甘楽村までやって来る。結局掏られた財布を取り戻すのだが、それは仏になった盗人紋次郎の懐中からだった。残虐な殺され方をした死骸に全く動じることなく、紋次郎は冷静に自分の財布を確かめる。

紋次郎から財布を掏るなどと、どんな手口を使ったのだろう。
「手先の器用なお人で……」と紋次郎が評しているだけで、詳細は書かれていない。

その後、何も関わることなく立ち去るはずだったのに、いつものようにトラブルに巻き込まれてしまう。

しくじり紋次郎「金を失う編」

「十五年の沈黙」では、紋次郎は五両を落とす。
紋次郎は小田原の豪商、幸之丞に頼まれごとをする。生家に帰る奉公人の「はる」に、給金三両を渡すのを忘れてしまった。「はる」を追いかけてその給金を渡してくれ、というのだ。その路銀にと五両も渡される。珍しく紋次郎はその五両を受け取ってしまうのだが、五日目、江戸についたとたん、その路銀を落としてしまったことに気づく。やはり紋次郎にとって「江戸」は鬼門のようだ。

「紋次郎は旅費として幸之丞から贈られた五両に手をつけずにいた。いざという場合でなければ、無駄遣いはしない。残り少ない自分の銭で、路銀を賄うことに紋次郎は努めたのだ。
そのような紋次郎の潔癖症が、裏目に出たのであった。紋次郎は小判五両を、無造作に懐中に突っ込んで歩いた。五両を盗まれたり、掏られたりしたわけではない。何かの拍子に、小判が、懐中からこぼれ出たのだろう。」(原作より抜粋)

潔癖症の紋次郎が、無造作に五両を懐中に突っ込むのか、と疑問に思うのだが……。自分の手持ちの金は極僅かとなり、最終的には串団子三本を買って一文無しとなる。こんな紋次郎はあまり見たくない。
仕方なく、「はる」に渡す給金の一両に手をつけて、博奕で増やす。人様の金に手をつける紋次郎もいかがなものか、と思う。博奕で勝ったので良かったものの、もし負け続ければどうするつもりだったのだろう。いつもの紋次郎らしからぬ体たらくである。

金には執着しない紋次郎だが、背に腹はかえられなかったようである。

教訓
「油断大敵」


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