紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第23話 「夜泣石は霧に濡れた」(前編)

第23話 「夜泣石は霧に濡れた」

第23話「夜泣石は霧に濡れた」(前編)
(原作 1972年 第22話) (放映 1972.12.16)

お気に入りの作品の一つである。それはなぜか?
いつもは完全無欠かと思われるほど、絶対的な強さを持っている紋次郎だが、今回は空腹というどうにもならない苦境に初めから立たされている。女性ファンとしては母性本能というか、空腹でフラフラしている紋次郎を見るのが忍びなく、それでいて見守ってあげたいという気持ちに駆られたりするのだ。始まって早々ピンチという作品も珍しい。

原作とテレビ版とはほぼ同じ展開である。
飢えに苦しみながら山を下りてきたところで、紋次郎は一人の男の子を見かける。
原作では「色が白くて、目が大きい。母親が、美人なのかもしれない。」と書かれているが、テレビ版の子どもは原作よりもっと素朴で、日向の匂いがしそうな子どもらしい子役であり、私は好ましく感じる。
紋次郎に声をかける百姓女、お民役に「渚 まゆみ」。原作では「健康そうで、可愛らしい顔をした女だった。人がよさそうで、単純で陽気な女という感じであった。」とあり、イメージにピッタリである。彼女も日向の匂いが似合いそうな風情である。

主題歌の後、お民が木の丼を手にしてかけ寄ってくる。紋次郎は木の下でぐったりしているが、原作では「長脇差を背後に置いて地面の上に正座した。」とあるので、原作よりテレビ版はダメージが大きいようである。
丼の中の蒟蒻を目にしたとたん、できるだけ蒟蒻から視線をそらすようにする紋次郎の演技は、本当に難しい。「心は死んだ」とされている紋次郎の感情を、無表情の中でも表現されなければならない。
言葉や表情で表せるのなら、演技を勉強した者であれば可能だが、表情を作らず心の動きを表さなければならないし、小説のように心情の説明もない。そうなると視線であったり、目に込める力であったりしかない。「目は口ほどにものを言い」とは良く言ったものである。

「折角ではござんすが、お気持ちだけを頂いておきやす」丁重な断り方である。この言い方を覚えておくと、人間関係も上手くいくだろう。
紋次郎は立ち上がり、右に左に揺れながら歩いていく。その後ろ姿を立ち上がり見つめる男の子に、「清坊(せいぼう)」と声をかけるお民であるが、原作では「清坊(きよぼう)」とルビがふってある。音読みと訓読みの違いであるが、なぜ呼び方を変えたか?。
この後で分かることなのだが、この清坊の母親の名前が「お清(おきよ)」であるが、テレビ版では「おせい」になっている。
第20話に出てくる蝮の勘兵衛の娘の名前が「お清(おきよ)」だったので、混同しないためか。そう言えば紋次郎のシリーズに登場する女性の名前は、時々同じ名前が出てきて混同することがある。とにかく長期にわたるシリーズであったので、登場人物の数は半端ではない。
その主要人物に、それぞれ名前を付けるのであるから致し方ないだろう。

アイパッチの貸し元「勘八」が、村人から礼を言われている。非合法で何かをやっていると察しがつく。その後、店の親父が持ってきた煮物の中の小さな蒟蒻をつまみ出し、顔をしかめる。紋次郎と同じく蒟蒻嫌いという設定であり、これが後の展開の伏線となる。

足もとが定まらない紋次郎の前に、清坊が現れ背後に持っていた物を紋次郎に差し出す。山葡萄である。二人は無言であるが、お互いの気持ちは通じ合っている。紋次郎はその山葡萄を房ごと一気に頬張る。視聴者は「良かった、食べ物に少しでもありつけた」と思うのだが、あっという間の食べっぷりである。私も当時、その食べっぷりが印象に残っていて、葡萄を房ごと食べた記憶がある。しかし、人前ではやらない方が良い。

後を追ってきた吾作とお民に、清坊は紋次郎の子どもだと言われて返す台詞。
「どこの土地だろうと、娘さんを手籠めにできるような悠長な旅は、この紋次郎には一日だってあったことはござんせん」
原作とほぼ同じ台詞に、女性ファンはホッと一安心する。大体そんなことがあるはずがない。

第23話「夜泣石は霧に濡れた」

紋次郎の後を黙ってついて行く清坊が可愛らしい。物を言わないという設定だが、その辺も紋次郎の幼少時と同じである。
紋次郎は8歳の頃、すぐ上の兄から間引かれ損なった存在だったと聞かされ、それ以来口をきかない子どもとなった。似通った境遇が故に、清坊は紋次郎に同じ匂いを感じ取っているのかもしれない。
原作にはない居酒屋での一コマ。食する物が何かないかと居酒屋に立ち寄るが、そこで勘八の子分達の「間引き」を囃した唄を紋次郎は耳にする。結局ここでも蒟蒻しかないと言われ、空腹を満たすことはできず、店の主人から勘八も蒟蒻嫌いであることや、地元の者ではなく流れ者であることなどを知る。また、勘八の子分達の不穏な動きなども感じ取る。

タイトルに出てくる夜泣石の前で、紋次郎はお民に蒟蒻嫌いの訳を話す。夜泣石にもたれかかる紋次郎の背後に芽ぶいた双葉が見える。
苔むした石の間に種が落ちて、芽ぶいたのだろう。私にはそれが清坊に思える。本当なら手籠めにされて生まれた赤子なのだから、間引かれても仕方がないところだが、お清は手を合わせて育てさせてくれと頼んだそうだ。逆境の中でも、この小さな命を生かせたいというお清の思いが、この双葉に表されているのではないかと思う。
この紋次郎の語りで、視聴者は紋次郎の背負う宿命を知り、清坊と紋次郎を重ね合わせる重要なシーンである。紋次郎の伏せた目と三度笠から見える鼻から下のシルエットが、たまらなく切なく胸を打つ。
紋次郎の魅力は、敵と対峙したときの獣のような表情と俊敏な動きだが、このシンとした哀切のこもった佇まいにも惹かれるものがある。
静と動……どちらも表現できる中村氏が兼ね備えた魅力であろう。

原作もテレビ版も、紋次郎は湯原の勘八宅に向かうところは同じ。しかし目的が違う。原作では、勘八が蒟蒻嫌いという提示はしていないので、一飯にありつくためという理由で敷居を跨ぐ。
しかしテレビ版の紋次郎は、目にしたこと、耳にしたことを総て繋ぎ合わせて、既に何かを感じている。その推理を実証するため、「勘八親分とやらに、会ってみてえ気になりやした」と口にして清坊が先導する道を進む。

勘八の敷居内で紋次郎は仁義をきり、「親分さんに、いささかお尋ね致したい件がございまして、推参仕りました」と用件を言う。「推参仕る」武家言葉のように感じるが、渡世人言葉なんだろうかと少し違和感を覚える。
この後、紋次郎にとっては耐え難い蒟蒻責めの膳部が出るわけであるが、蒟蒻嫌いを知っている者は限られている。この時点で聡明な紋次郎は、勘八が誰なのか分かったはずである。ここでも空腹を満たすことができず、清坊が差し出す稗飯も断る紋次郎に、視聴者までが空腹感を覚えてしまう。
(後編に続く)

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Re: 第23話 「夜泣石は霧に濡れた」(前編)

お夕さん、こんばんは。毎回楽しみに読ませていただいています。毎回ひどい目に遭う紋次郎ですが、この回もお腹をすかしたり、女を手籠にしただろうと濡れ衣を着せられたりで母性本能をくすぐられますね。蒟蒻畑を食べるたびにこの回を思い出します。ゼリーや寒天と比べてやはり腰があります。蒟蒻づくしの膳の最後に、デザートでござんすと蒟蒻畑が出てきたらおもしろいのではと馬鹿な想像をしたりします。それではコントですが、人生少しは笑いも必要かと思ったりします。

Re: 第23話 「夜泣石は霧に濡れた」(前編)

八朔さま、コメントをいただきありがとうございます。
紋次郎さんの生まれ故郷、群馬県にマンナンライフの本社があるんですよね。
私の故郷も、一風変わった蒟蒻が名産品です。蒟蒻の粉末から、刺身蒟蒻を作ったこともあるんですが、紋次郎さんが見たら卒倒モンでしょうねえ。
因みに私は、味のしみた蒟蒻の串カツが大好物です。
紋次郎さん、ごめんなさい。

  • 20091006
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第23話 「夜泣石は霧に濡れた」(前編)

お夕様。こんばんは。蒟蒻の串かつですか?初めて聞きました。でも、食べてみたいです。(*^_^*)
コンニャクは私も好きです。さしみコンニャクの柚子みそなんて夏場よく食卓にあがりました。一品になりますもん。カロリーないし、女性のつよい味方ですが、紋次郎には仇敵ですね。(笑)でも、この回の蒟蒻料理、なかなか趣向を凝らしていますね。(;一_一)ここまでするか!って感じですが。
ところで、先日、面白い記事を読みました。それはファッションについてだったのですが、その時の最新流行のファッションでも、数年たって雑誌などで見るととても古く、滑稽だったりするでしょう?それは、その時最新の流行を取り入れ、でも即廃れる事を考えて、チープな物でまとめている。だから、そのトレンドがとても可笑しなものになる。反対に、流行にとらわれず、素材も仕立ても良いものは、数年を得ても美しく古びない・・。と。
これって、そのまま紋次郎の作品に当てはまると感じたんですよね。すべてのスタッフが最高の技術と熱意、プライドをかけて、作り上げたものだから、これ程年月を経ても色あせないんでしょうね。中村氏もよく言われていますが、今の安く早く作ることばかりの番組制作とは雲泥の差ですね。

  • 20091006
  • sinnosuke ♦jaI2r6P2
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Re: 第23話 「夜泣石は霧に濡れた」(前編)

sinnosukesさま、いつもコメントをいただきありがとうございます。

仰るとおり紋次郎の作品には、妥協を許さないプロ集団の意地のようなものを感じます。
西岡さんとの対談の中でも敦夫さんは、
「最後の映画職人たちの現場ですよね。今はファミリーレストランみたいに画一的な作品が多いけど、紋次郎は全然違った。本物のシェフが腕をふるった現場です。その現場にいられて僕は幸せでした。」
と語っています。
このクォリティーの高さを、たくさんの人に知っていただきたいですね。
テレビ番組ですが、決して映画作品に引けを取らない作品です。
リアルタイムで観られた感動は、今も私の人格形成に大きく関わっているように思います。

  • 20091007
  • お夕 ♦wikz35BA
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  • 編集 ]
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